06:アントワーズ家


 久しぶりにぐっすり眠れた昨夜、リアムは予知夢を見た。肘掛け椅子に座って、何か手作業をしている女性を見たのだ。よくよく見れば、彼女が手にしているのは大きな布地で、布と布とを縫い合わせているようだ。一枚一枚の柄が全部異なっており、中に綿でも入れているのか、もこもこしている。
 やがて、部屋の扉が開いて、一人の男性が入ってきた。彼が向かうのは、女性のもと。背後から彼女にしなだれかかり、女性はくすぐったそうに笑う。
 恋人なのか、それとも夫婦なのか。二人は本当に楽しそうだった。互いを見つめる瞳が本当に優しくて……リアムはそこに、理想の家族の姿を見た。


*****


 それから一週間の長い旅路が続いた。アントワーズの領地は辺境の港町にあるので、単純に陸路だけでも随分時間がかかるのだ。加えて、殿下に頼まれたからと、滞在した街で更に一泊することも多かった。少しでも若い女性に人気な娯楽でも観光地でもあれば、ソイルが見逃さないのだ。
 おかげで、リアムはその一週間本当に刺激的な毎日を送った。塔で暮らしていた日々は単調だったので、むしろ今は頭がクラクラしてくるほど何もかもが目新しい。
 しかし、アントワーズに近づくにつれ、リアムは無性に不安に駆られた。雨で離れに泊まったとき見た夢のことが頭から離れないのだ。リアムは、あの夢を予知夢だと考えていた。そして、顔や見た目はあまり覚えていないが、これからのことを考えて、おそらくアントワーズ夫妻だろう事も予見している。
 あの仲のよさそうな夫妻の元に、どこの馬の骨とも分からない自分が養女になるのか。邪魔になったりしないか。迷惑になったりしないか。
 思考はどんどん沈んでいくばかり。こんなことを言っても仕方がないとは思うのだが、リアムは聞かずにはいられなかった。

「あの、ソイルさん。今更ですが、今回の養女の件、男爵ご夫婦にご迷惑では? どこの誰とも知らない私を、突然養女にだなんて。アレスの頼みだったから断れなかっただけで、本当は……」
「そんなことありませんよ!」

 ソイルは大慌てで振り返った。それに驚いたのか、馬が小さくいななく。

「アントワーズご夫妻には、お子様がいらっしゃらないんです。ですから、今回の養子の話は諸手を挙げて喜ばれたそうで。リアム様のために、一室まるまる改装したとか――あっ、これは話しちゃいけないことだった!」

 片手で口を押さえ、ソイルは前を向いた。沈黙が続いたが、誤魔化せないと踏んだのか、彼は恐る恐る振り返る。

「すみません、今のは聞かなかったことに」
「それは構いませんが……」

 なおもリアムの表情が陰るのを気にしてか、ソイルは再び後ろを向いた。

「先行きが不安なのは分かります。でも、会ってみたらその心配も吹き飛びますよ。まずはご夫妻に会ってみてください。殿下がリアム様を託した方達です。そう考えれば、リアム様も安心できるのでは?」

 ――そんな言い方はずるい。
 リアムはもはや何も言えなくなってしまった。あの心配性のアレスのことだ、そう考えると、確かにそう変な場所へは送り込まないだろう。しかし、理屈ではないのだ。未知の世界へ飛び込む恐怖が、リアムを多大な不安へと駆り立てる。

「ほら、そんなことを言っている間に、アントワーズにつきましたよ。屋敷はまだですが、この辺り一帯はもう領地です」

 ソイルの言葉に背を押され、リアムは顔を上げた。点々とした町並みが続く、のどかな風景だった。漁業で生計を立てている人が多いのか、畑はほとんどない。街へ近づくにつれ、潮風というのか、独特の匂いが鼻腔をくすぐった。しかし、不快というわけではなく、不思議な感覚だった。塔での生活に、匂いの変化はほとんどなかったからだ。
 アントワーズは港町だ。浜辺では屈強な男達が船出の準備をし、まだ小さい子供達ですら、その手伝いをしている。旅人が珍しいのか、リアム達の荷車を見ると、子供達は大きく手を振った。陽気にソイルも手を振り返す。リアムは戸惑ってしまって、中途半端に手を挙げるだけに留めた。
 リアム達は、海沿いに西へ向かった。小高い丘を登り、この辺りで一番大きな屋敷――アントワーズ家へ向かう。
 屋敷は、古いが、貫禄のある建物だった。左右対称で、古典様式の装飾が細部に施されている。見る者を圧倒するその雰囲気に、リアムは知らず知らず息をのむ。
 堂々と正門から中へ入ると、音を聞きつけ、屋敷から執事が出てきた。ポーチで一旦立ち止まり、リアム達は荷車から降り立った。執事は恭しく頭を下げる。

「お待ちしておりま――」
「リアムさん!」

 その時、執事の声を上回る大声が、辺り一帯に響き渡った。重厚な扉を大きく開け広げ、中から背の高い男と、長いドレスを身に纏った女性とが揃って出てくる。小走りに駆けてくるその様は、一見貴族には見えない。
 二人は大きく肩で息をしながら、リアムとソイルとをキラキラした瞳で見比べた。

「アントワーズ家にようこそ!」
「数日前からずっとソワソワしていたのよ。リアムさん達は一体いつ頃いらっしゃるんだろうって」
「あ……」
「遅くなってしまって申し訳ありません。リアム様は、外に出るのが初めてらしいので、いろいろ見て回っていたら、予定よりも遅れてしまって」
「いいのよ、いいのよ。来てくれただけでも本当に有り難いわ、ね?」
「長旅で疲れただろう。お土産話はぜひ中で聞かせてくれ」

 男女はソワソワした様子で屋敷へと手を広げる。その暖かい微笑みに、リアムはようやく我に返った。ハッとした様子で背筋を正すと、緊張の面持ちで二人を見る。

「フレイツ様、エイミー様」

 リアムが声をかければ、二人は驚いたようにリアムを見た。リアムは、手を握りしめ、頭を下げる。

「初めまして、リアムと申します。これからこのお屋敷でお世話になります。よろしくお願いします」
「まあまあ、顔を上げて。これから家族になるんだから、堅苦しいのは無しよ」
「そうだとも。私たちも……実は緊張しているんだ。だから、ゆっくり仲良くなれればと思っている」

 照れっとフレイツが笑う。リアムも釣られて笑った。フレイツ、エイミーとも、髪に白いものが混じりつつある年齢で、リアムとはかなり年が離れている。話が合わないのではないかとか、自分といてつまらなく思われたらどうしようとか、心配事は山ほどあったが、それはなにもリアムだけではなかったようだ。

「二人とも、中へどうぞ。お腹空いてるんじゃないかと思って、軽食も用意しているの」

 エイミーは嬉しそうに屋敷の中へ入っていく。リアムは、おずおずとその後に続いた。
 屋敷の中は明るかった。天井から降りている照明だけでなく、あちこちに壁にもオイルランプが下がっている。昼間だというのに、もしかしたら外よりも明るいかもしれない。
 エントランスから右の廊下を歩き、すぐ近くの応接間に入った。庭に面していて、大きな窓から庭が一望できた。リアムは物珍しそうに部屋を見回した。全体的には、整然とした部屋だった。ごちゃごちゃした調度品があるわけではなく、統一された色調の生活に必要不可欠なものだけが置かれている。その中で目を引いたのが窓際の肘掛け椅子だ。その周囲にだけ大きな布地や裁縫箱が散らかっており、整理された部屋の中で異彩を放っていた。
 リアムの視線に気づき、エイミーは大いに慌てた。まるでその視線を遮るかのように、両手をパタパタと振る。

「ま、まあ、ごめんなさい。慌てて出てきたものだから、全然片付けていなかったわね。普段はこうじゃないのよ。整理整頓だってきちんとしてるし……」
「よく言う。いつも散らかしてばかりのくせに」
「もう、人聞きの悪いこと言わないで」

 からかい口調のフレイツに鋭い視線を投げかけると、エイミーはすぐに片付け始めた。大きな布を折り畳み、裁縫箱を片付け。

「手伝いましょうか?」

 作業が大変そうだったので、リアムは思わず声をかけたが、エイミーはとんでもないと首を振った。

「本当にごめんなさいね。ちょっと私の趣味で、裁縫をしていたのよ。すぐに片付けるから、座って待ってて」
「パッチワークですか? 綺麗な布ですね」

 リアムは色とりどりの布地を見下ろしながら、なんとはなしに言った。夢で見たことが頭をよぎったのだ。全くの無意識だった。

「あら、どうして分かったの?」

 当然、エイミーは目を瞬かせて聞き返した。まだ布を縫い合わせてもいない――むしろ、どの布を組み合わせるか考えている段階なのに、どうしてパッチワークが趣味だと分かったのか。

「アレス様に伺ったの?」
「え……あっ」

 リアムはパッと目をそらした。夢で見たことを思わず口にしてしまったが、普通に考えて、知らないはずのことを知っているだなんて、気持ち悪いに決まっている。
 エイミーからの助け船――アレスから聞いたのだと答える柔軟さを持ち合わせておらず、リアムはただ黙りこくった。その表情の真剣さに、エイミーもまた真面目な顔つきになった。

「……もしかして、予知夢を見たの?」
「――っ」

 リアムは目を見開く。どうして予知夢のことを知っているのか。よくよく考えてみれば、あのアレスのことだ、全てを隠してリアムを託すなんて事はしないだろう。それは分かっているが、なんの心積もりもしていないときに核心を突かれ、リアムは頭が真っ白になった。

「――申し訳ございません。エイミー様の仰るとおり、予知夢で……。ただ、探ろうとしたわけではなくて、予知夢は私の意識とは別に勝手に見えてしまうものであって、決して詮索するつもりはなくて」
「あら、別に責めてるつもりはないのよ。誤解させてしまったのならごめんなさい」
「でも、本当にすみません。これからはこんなことがないようにしますから」
「謝らないで」

 エイミーはリアムの肩に手を置いた。反射的にリアムは顔を上げる。

「予知夢の力――あなたは恥じらう必要も疎んじる必要もないわ。だってその力はあなたの大切な一部じゃない。人が夢を見るのと同じように、あなたも予知夢を見るだけ。たったそれだけのことよ」
「でも……」
「その力がなければ、あなたは全く別の人生を送っていたのかもしれない。でも、予知夢が見れたからこそ、私たちはこうして出会えたんでしょう? 私はそれだけでもとっても嬉しいわ、ね?」
「ああ」

 エイミーが振り返れば、そこにはフレイツがいた。

「私たちはずっと家族が欲しかったんだ。でもなかなか子供ができなくて。そんなとき、リアムさんの話を聞いて、嬉しくなった。ぜひ家族の一員になって欲しいと、そう強く思った」
「これからよろしくね、リアムさん」

 エイミーがリアムの手に両手を重ねる。

「――はい」

 リアムの声が詰まった。まさか、ここまで歓迎されるとは思いも寄らなかったのだ。

「本当に、これからよろしくお願いします……!」

 自分が――予知夢の力抜きで、自分自身が必要とされている。
 そう思うだけで、リアムは目頭が熱くなるのを感じた。