27:残される者
嫌な夢だった。汗がつつっと額を流れ落ちるが、それすらも気づかないまま、リアムは夢にうなされる。
虐殺の夢は何度も見たことがある。にも関わらず、今回のそれは今までの比ではなかった。自分にもよく関係がある場所だからこそ、恐怖や混乱、驚きが勝った。
舞台はモンローだった。のどかな山奥の農村が、バーバドの武装集団によって荒らされていた。
誰構わず殺戮されていたわけではない。バーバドは、女子供には切っ先を突きつけるのみで、実際に武力を行使する事はない。しかし、反抗的な者に対しては、容赦なく制裁がくだされる。見たくなくとも逃れることなどできず、リアムはその一方的な蹂躙を目に、意識に、心に焼き付けられた。
束の間のうちに、侵略は終わった。一回の村人達の抵抗などたかが知れていた。人質はひとまとめに集められ、その中から数人の女子供が選ばれた。そうしてバーバド兵に連行された場所は、彼らの駐屯地――ではなく、ワイアネスの野営地。
彼らは、モンローの村人を人質にするつもりなのだ。
バーバドは長期戦を望むはず、というのがワイアネス側の推測だった。無駄な犠牲を払わずとも、包囲されたワイアネス陣がじきに消耗していくのは考えずとも分かる。
しかし、それでもリアムは嫌な予感を拭いきれずにいた。不気味なほどに静かなバーバドが何か企んでいるような気がしてならなかったのだ。それは、彼女が予知夢という不思議な力を持つがゆえの第六感かもしれなかった。
胸がざわつくのを無視できず、リアムは誰にも内緒で予知夢を見ようと床についた。――結果、バーバドによる無慈悲な所業を目の当たりにしたのだ。
夢から覚めてもなお、リアムはしばし身体を横たえたままだった。脳裏に蘇る残虐な光景が、頭にこびりついて止まない。
しかし、こうしてはいられないと、リアムは身体に力を入れて起き上がった。この力は、まだ役に立てるはず。
リアムはテントを飛び出した。向かうはアレスの下――。
*****
まだ外は暗かった。身を切るように寒かったが、リアムは構わず足を速める。
アレスのテントの前には、二人の護衛が立っている。リアムは一瞬躊躇したが、意を決して彼らに近づいた。護衛兵は、リアムに気づくと、敬礼をした。アレスとリアムが知り合いだということを知っているのだ。
「おはようございます。このような時間にどうなさいました?」
「いえ、ちょっと……。アレスはいますか?」
「はい。中で休まれていますが」
「不躾とは思いますが……入ってもよろしいですか?」
「…………」
護衛兵は、互いに目配せをした。アレスとリアムが知り合いであること、そしてもちろんリアムがアレスに危害を加えることなどないことも分かりきっていたが――それでも彼らは躊躇した。どれだけ主と親しくとも、彼らには主の命と体調を守る義務があるのだ。
しかし、躊躇っていたのもほんの少しの間だけだった。リアムが大人しく、真面目な女性であることは知っていたし、何より、アレスがリアムと懇意にしていることは、周知の事実だった。
「どうぞお入りください」
二人の兵はそろって頭を下げた。対するリアムとしては、拍子抜けする思いだった。仮にも一国の王子が休んでいるテントなのに、こうも無防備に人を入れて良いものか、と。
しかし、ことは急を要する。
頭を下げると、リアムは思い切ってテントの幕を押し上げた。幕を下ろせば、微かに差し込んでいた月の光も遮断され、真っ暗になる。中は静かで、一切の物音もない。
リアムは手探りで慎重に進みながら、一歩一歩足を進め、なんとか寝台へとたどり着く。アレスの気配を感じつつもしゃがみ込んだその時、突然グイッと手首を引っ張られた。
「リアムか?」
「なっ――え?」
突然降ってくる声。横転する視界。身体の下には上質な毛布の感触を確かに感じる。
何が起こったのか全く分からないまま、リアムはただただ瞬きを繰り返した。彼女の視界はアレスが占領していた。リアムはいつの間にかアレスに組み敷かれる体勢になっていた。
「驚かせるな。刺客かと思ったぞ」
背中に手を差し込み、アレスはリアムを抱き起こす。リアムは乱れた髪を整えた。
「ごめんなさい……。起きていたの?」
「いや。人の気配に起きただけだ」
「そう……私の方こそびっくりしたわ」
リアムはほんのりと笑みを浮かべ――こんな事をしている暇はないと、はたと気づいた。
「アレス、聞いて」
「どうした?」
一変して真剣な表情になったリアムを見て、同じくアレスも笑みを引っ込める。
「予知夢を見たの」
「予知夢?」
アレスの眉根がきゅっと寄せられた。彼の言いたいことは表情を見ずとも分かったが、リアムはそれでも話を続ける。
モンローがバーバドに襲われる夢よ。女性や子供が人質に取られていたの。皆を人質にして――いえ、脅迫するつもりなの。数日中に起こる出来事よ」
「モンローだと?」
アレスは考え込むような顔つきになった。
「なぜモンローが……向こうも食糧が底をつき始めたのか? いや、今はそんなことを考えている暇はないな。早急に対策をとらなければ」
ハッとした様子で立ち上がり、アレスは出口に向かう。しかし、すぐに振り返るとリアムと視線を合わせる。やけに悲しそうな顔をしていた。
「リアム」
呼ばれて、リアムも立ち上がる。二人の距離は縮まった。
「お前にもうこんな力は使わせたくないと思っていたが……今回は、いや、今回も助かった。罪もない村人を傷つけるわけにはいかない」
「誰かの役に立つのなら、私は今まで通り予知夢を見るわ」
あなたがそうしろと言ってさえくれれば。
しかしアレスは頷かなかった。代わりに悲しみの籠もった瞳でリアムの肩に手を乗せる。
「お前にそんなことを言わせている自分が不甲斐なく思う。お前の力に頼りきりの今までがおかしかっただけなのに、なぜ当たり前のように受け入れるんだ? 予知夢に頼らない国作りができればと、何度思ったことか――いや、今の段階ではこんなことを言っていても口だけにしか聞こえないな。忘れてくれ」
自嘲すると、アレスは首を振って頭を切り替えた。
「帰ったら話そう。いいな?」
まるで宥めるかのようにリアムの頭に手を乗せた。そんなことをされたら、リアムはもはや頷くしかなかった。とはいえ、心には不安のしこりが残ったままだ。
リアムを安心させるように微笑みつつ、アレスは身支度を調え、腰に剣を差した。胸の前で手を握りしめ、リアムはずっと彼の行動を見守っていた。
「気をつけて……本当に」
「大丈夫だ。すぐに戻ってくる」
「ええ……」
――でも、不安で堪らない。
何度彼の姿を見送っただろう。
城にいた頃も、リアムの予知夢を信じて、戦地に赴く彼の後ろ姿見送るときは、いつも生きた心地がしなかった。だが、今回はその比ではない。戦争は無慈悲で、残酷で、不条理だ。どんなにアレスが強くても、どうしようもない出来事があっけなく彼の命を奪ってしまうかも知れない。
城にいた頃は、どこか遠い存在のように感じていた戦。それが、ここに来て初めてリアムを底知れない恐怖の沙汰に陥れていた。
アレスは、最後にリアムを軽く抱き締めてからテントを出て行った。彼の姿が消えてもなお、リアムはしばらくその場から動けなかった。
*****
朝靄に紛れアレス達が行動を起こして間もなく、ワイアネスの野営地には再び静けさが戻った。傷病兵と見張りの兵を残し、彼らはモンローの地に赴いたのだ。
リアムはというと、その間彼らの帰りを今か今かと待つことしかできず、その焦燥を、不安を紛らわせるために、いつも通りハーヴィーの補佐をして過ごした。とはいえ、リアムだけでなく、寝床に横たわり、宙を見つめるしかできない怪我人達もまた、同じ気持ちだった。
「やけに静かだな。皆はどこに?」
「バーバドの所に行ったんだろ。いつまでもこうしていても埒があかないからな」
「……すぐそこで戦があるのに、俺たちは何もできないのか」
どこからともなくため息が漏れる。ぐるりとテントを見回せば、皆気落ちした顔で鬱々とした空気が籠もっていた。
「死んでいった仲間達に申し訳が立たない」
その中の一人が、目の前をじっと見つめながら呟いた。彼はただ静かに落涙する。
無力さが、ひしひしと肌で伝わってきた。これは、つい先ほどアレスを見送る前に――いや、今もそうだ――感じていたものと同じもの。
テントの中の空気が一層重たくなる。そんな雰囲気を払拭したのは、ハーヴィーの呆れたようなため息だった。
「今更こんな所でうじうじ言っていたって仕方ないでしょう」
淡々と手を動かしながら、彼は続ける。
「もうどうすることもできないんですから。あなた達に今できることは、早く怪我を治すことくらいです。ああだこうだ言っている暇があるのなら、早く薬を飲んで寝てください」
「…………」
呆気にとられたように場が静まりかえる。金縛りが解けたのは、それからしばらくのことだった。
「ハーヴィー先生、なんか屋敷にいた頃とちょっと違わねえか……? 前よりも怖くなったというか、当たりがきついというか」
「治療する手つきも乱暴になったよな」
「間違いねえ」
「……こんな陰気くさい場所であなた達の泣き言を毎日聞いていたら、そりゃ辛辣にだってなるでしょう」
「それにしたって変わりすぎだ」
決して不安が解消されたわけではないが、少しだけ場の空気が軽くなった。ホッとしてリアムはハーヴィーを見た。彼は、相変わらず包帯を巻く手を休めないままだ。
「リアム様、ハーブを持ってきてはどうですか。皆不安ばかりで眠れないようですから、お茶で寝かしつけましょう」
「嫌味な言い方だなあ」
一人の男が文句を発したが、ハーヴィーは相手にしない。丁度やることがなかったので、リアムは駆け足で食料庫へ向かった。その足でキッチン用のテントに向かい、ハーブティーを入れてからまた戻る。忙しなく動いていれば、自然と気が紛れた。
「ありがとう」
怪我人一人一人にお茶を飲ませていくと、不思議とあれだけ陰鬱だったテントの中は、柔らかい空気に包まれ、静かになっていった。一概には言えないが、ハーブの持つ効能が彼らの助けとなれたのかもしれない。
やがて全員分の容態を見終えると、ハーヴィーはリアムに外に出るよう目で合図した。いつの間にか、テントの中は寝息で溢れかえっていた。
「心配ですか」
「当たり前です」
外へ出てまもなく、ハーヴィーはすぐ口火を切り、対するリアムも間髪を入れず答えた。ハーヴィーは呆れたような、苦笑いのような笑みを浮かべる。
「だと思いました。皆の中で一番リアム様が不安そうでした」
「…………」
そんなの当たり前だ。
リアムは人知れず唇を噛む。
この戦争は、私の力のせいで起こったものなのだから。もしも何の罪もないモンローの人々に何かあったら、後悔してもしにきれないだろう。
肩を並べながら、野営地の中を当てもなく彷徨い歩く。
「なるようにしかなりませんよ、こればっかりは。私たちは、ただ翻弄される側なのですから」
リアムはゆっくり瞬きをしながら、ハーヴィーの言葉を反芻する。
もしかして、励ましてくれているのだろうかとリアムはぼんやり思った。普段の彼を思えば、あり得ないことだが、だとすると、今のこの優しさはどう説明ができるだろう?
こっそりハーヴィーを盗み見れば、彼は困ったような顔をしていた。彼のそんな表情を見るのは初めてで、リアムは少し笑ってしまった。
「先生は、やっぱりお医者様ですね」
「何ですか、急に」
不機嫌そうに聞き返すハーヴィーに、リアムは表情を引き締めた。
「お医者様って、治療ができるだけじゃ駄目だと思うんです。時には、弱気になっている患者さんを叱咤激励できなきゃ。……皆と一緒になって、暗くなってるだけじゃ駄目なんですよね」
「でもそれは時と場合に寄るでしょう。人によっても」
ハーヴィーは困惑したように付け足した。リアムは口角を下げた。
「やっぱり、先生はお医者様です」
そして、悪い人ではない。それで充分だ。
「からかわないでください」
ムッとした口調でハーヴィーはリアムを見下ろす。
「最近遠慮がなくなってきましたね」
「先生の方こそ」
気恥ずかしい思いでリアムは下を向く。まさかあのハーヴィーとこんな関係性になるとは思いも寄らなかった。
視界の隅で、ハーヴィーの足が止まる。
「――あなたの心配も杞憂で終わったようですね」
「えっ?」
顔を上げ、ハーヴィーを見たが、視線は交わらない。彼はじっと前を見ていた。釣られてリアムもその方に顔を向ければ、ポカンと開いていた口が、見る見る口角を上げていく。
「――アレス!」
リアムは思わず駆けだしていた。遠くからでもすぐに分かった。彼の鎧姿は、何度も夢で目にしたものだから。
アレスが率いるは、野営地を出立したときとそう変わらない人数の兵達――その表情は晴れやかな笑みだ。そして彼らの後ろには、おそらくバーバドとみられる兵の捕虜達。
紛れもない、ワイアネスの勝利だった。