28:静かに眠れ
バーバドとの戦は、ワイアネスの勝利で幕を閉じた。モンローで待ち伏せしていたところ、バーバドからは貴族位の兵達が多くやってきたため、それを捕虜にすることで、早急な降伏を求めることができたのだ。とはいえ、バーバドもただではこの要求をのまなかった。ワイアネスがこれ以上応戦する兵力も気力もないことを見越し、和平とそして捕虜の引き渡しとを申し出たのだ。
あくまでこの戦に勝利したのはワイアネス。にもかかわらず何の対価もなく捕虜の送還などあり得るわけがない。が、和平のためには、捕虜を引き渡さなくては、たとえ表向きの和平であっても成し遂げられるわけがない。
結局、ワイアネスはこの要求を受け入れるしかなかった。
多大な犠牲を払い、何とか捕虜を生け捕ったにもかかわらず、まるで敗者のように相手の一方的な要求をのみ国へ帰還する。
自国に誇りのあるワイアネス兵の矜持を傷つけるには充分な結果だったが、しかし国としての体面は十二分に保てた。これまで無敗を誇っていたワイアネスが、突如バーバドに負けたと知られたら、これを好機とみて、他国から一斉に攻められる恐れがある。それを回避したと思えば、決して悪くない采配だった。
ワイアネスの国民は、城へと帰還する兵達の勇姿に諸手を挙げて喜んだ。近頃国境を侵しつつあったバーバドがこの戦を機に一掃されたのだから、それも当然。兵士達の勇敢さ、強さに、彼らは惜しみない賞賛を贈った。彼らには、軍が払った犠牲の数など分かりもしない。他国への牽制が必要な今、兵達は名目上の勝利に無理矢理笑みを浮かべるしかなかった。
大きな戦が終わった後は、その労をねぎらうため、盛大に宴が催されるのが主だ。しかしワイアネスでは違う。戦が少ないからこそ、勝利よりも犠牲者を重んじる。そしてそれは、国民の士気に影響しないよう、努めて静かに、厳かに行われる。
*****
犠牲者の追悼式には、リアムも呼ばれた。表向き、彼女はこの戦には何の関係もないはずだ。あるとすれば、戦の途中、軍の療養地として、少しだけ関係性を持った、ただそれだけのこと。
にもかかわらず、城から案内状が届いたのは、アレスが指示したからか、フレイツが口を挟んだのか、それとも――。
リアムは、非常に気が重かった。犠牲者を悼む式典に、戦の原因とも言える己が行っても良いものか、と。
しかし、リアムはその悩みを誰にも打ち明けることができずにいた。城へ向かう準備をするエイミーを傍らに、ただその日が来るのを待つことしかできない。
行きたくないと言えば、行きたくないその理由を言わなければならない。悩みを打ち明けたとして、きっとあなたは悪くないと慰められるだろう――自分が楽になりたいだけの行動を、どうしてできるというのだろうか。
結局、追悼式の当日になっても、リアムはどっちつかずの状態だった。浮かない顔でため息ばかりついているリアムを見て、エイミーは声を潜めた。
「どうしたの? どこか具合が悪いの?」
「いえ、そういう訳では。……私が」
言いかけて、リアムは声を詰まらせた。それ以上言葉は出てこなかった。
「どうしたの?」
「いいえ」
リアムはすぐに首を振り、無理矢理口角を上げた。
「行きましょう。遅刻したら大変ですから」
「そうね」
心を決めて、リアムは馬車へ乗り込んだ。この土壇場になって、むしろ行くべきだと思ったのだ。自分のせいだと思うのなら、こんな所で引きこもっているよりは、尚更出向くべきではないか、と。
リアム達を乗せた馬車は、物々しい集団によって護衛された。再びリアムが連れ去られることを危惧して、アレスが派遣した兵達である。その中にはもちろんソイルもいる。
彼らは、今回の追悼式の護衛のみならず、屋敷の警備も担っていた。貴族の屋敷にしては、もともと警備の兵どころか、使用人すらいなかったために、今回のこの采配により、アントワーズはようやく少しばかり面目が立つようになった。とはいえ、常に周りに人がいるという状況に、エイミーはなかなか慣れないようだが。
丁度昼を過ぎた頃、馬車は都市にたどり着いた。城へと続く大通りを厳かに進む。国中から今回の追悼式のために集まってきているらしく、城へ近づくたびに横道から次々と馬車が合流してくる。ようやく城門にたどり着いたと思ったら、そこにはもう既に数多の馬車による長蛇の列ができていた。
列は遅々として進まなかったが、やがてそれにも終わりが来る。
城の丁度目の前で馬車が止まった。御者にエスコートされ馬車を降りると、荘厳な城が目の前に広がる。
久しぶりのワイアネス城だった。とはえいえ、リアムは塔に籠もりきりの生活をしていたので、正面からまじまじと城を見たのは今回が初めてなのだが。
石造りのその城は、昔ながらの造りだ。建国三百年を迎え、さすがに年季が入ってはいるが、むしろその分威厳がある。ワイアネスは新興国ではなく、三百年ずっとどの国にも屈したことがないのだと。
「お待ちしておりました。エイミー=アントワーズ夫人とリアム=アントワーズ嬢ですね?」
「はい」
「中へご案内いたします」
ボーイの後に続き、リアムとエイミーはワイアネス城に足を踏み入れる。
城の中は参列者で溢れていた。しかし、だというのに非常に静かだった。カツカツと石廊を歩く音が響き渡るくらいには。
これほどまでに空気が重いのは、きっと皆の様相が黒一色だと言うことだけに留まらないはず。この中に、家族を、恋人を、仲間を失った者が一体どれほどいるのだろう。
式典が行われる謁見の間まで、リアムは重圧にほとんど顔を上げられずにいた。顔を顰め、まるで針のむしろの中にいるような心地で、ただ早く目的地に着くことだけを考えていた。
謁見の間には、所狭しと喪服に身を包んだ人で溢れていた。遺族が前列に並び、リアム達は、後ろの方で待機する。
充分静かな空間だった。しかし、それでも国王が入室する瞬間は更に静まりかえり、緊張感が肌で伝わってくる。
皆が跪き、王の着席を待った。王妃とアレスもその後に続き、三人が揃うと、彼らは席に着く。ただ一人、王だけが立ったままだった。
「バーバドとの先の戦争は、ここ十年久しくなかったワイアネスの危機であった」
重苦しい口調だったが、その声は張り詰めた空気によく響いた。
「今まで国境付近での小競り合いはあったが、こうも大胆に国境を侵されたのは何年ぶりだったか。突然の出征にもかかわらず、ワイアネス軍は出征した。その落ち着きぶりと迅速さは、誇るべき点だろう。だが、しかし数も戦術も向こうが上回っていたようだった。まるでこちらの手の内を見透かしているような戦術には苦戦を強いられた。食料を燃やされ、囲まれ、痛手を被い。決して少なくない死者であった。
それでも、ワイアネスの勝利という形で凱旋できたのは、ひとえに彼らの奮戦あってのものである。誰一人欠けてはいけなかった。皆一人一人がこの国の英傑である。それは皆も相違ないことであろう」
王はぐるりと部屋の中を見渡す。一人たりとも微動だにしなかった。
「旅立ってしまった勇気ある英雄達に心からの追悼の意を表し、ワイアネスの永遠の平和と発展とを祈る」
淡々とした口上を、王は口を結んで終わらせる。拍手ではなく、長い黙祷で式は終わった。そのまま王族を先頭に、列をなして城の外へ向かう。英雄達の魂を弔いに行くのだ。
戦死者の遺体は、既に街の共同墓地に埋葬されている。王族でない限り、城内に埋葬する権利はないからだ。それ故、彼らの誇りである剣は、城の裏手にある、王族の墓近くに祀られるのだ。
辺りには夕闇がさしかかっていた。眩しい夕日に――いやそれだけではない――皆が目を細めていた。
「彼らの魂は、ワイアネスと共にある」
代表してアレスが一歩墓に踏み出した。数多くある剣のうち一本を地面に突き立てる。死者を弔うには、なんとも雑な弔い方である。だか、今はこれでいい。
「この国が滅びるまで、その魂は永遠だ。その時まで――しばし静かに眠れ」
城の敷地内――それも、王族の墓の極めて近くに遺品を祭られるなど、とんでもない栄誉である。王族は神格化されているが故、汚れを厭う。ただの遺品ですら城内に持ち込まれるのを忌避するのは当然のことだか、しかしワイアネスは違う。これまで長きにわたる戦争によって国が発展し、そしてそれには犠牲がつきものだった。そのことが分かっているからこそ、死者への敬意を忘れない。ワイアネスはそうして繁栄してきたのだ。
しばらく誰も微動だにしなかった。これから埋められていく自分たちの家族の、仲間の剣を見つめ、彼らに思いを馳せていた。