24:敵陣に挑む


 バーバドの陣営は、毎夜お祭り騒ぎだった。予知夢のおかげで負け知らずだったし、不敗のワイアネスを手のひらで転がす様は見ていて心地が良いくらいだ。

「全く片腹痛いわ。ワイアネスへの物資を我らが強奪し、豪遊とは。これを知ったらワイアネスの王子は怒り狂うだろうな」
「それもこれも、予知夢のおかげだ。まさかこんなおとぎ話のようなことが現実にあり得るとは」
「全く私も思いも寄らなかった。しかし今回のことで納得がいった。これまでずっとワイアネスが無敵を誇っていたのも、予知夢の力に過ぎない。あの女がこっちの手の内にある今、ワイアネスは無力も同然。一気に叩くぞ」

 杯を掲げ、男達は笑い合う。なみなみと注がれた酒は、絶えることなく、今は一杯の水ですら貴重なワイアネスとは大違いである。
 しばらく酒の肴が尽きなかった男達だったが、やがてそれにも終わりが来る。示し合わせたように静かになった場は、自然、ずっと沈黙をきめていた一人の青年に向いた。

「ハーヴィー、男の様子はどうなんだ? 何か有益なことを吐きそうか?」
「…………」

 考え込んだような表情を見せるハーヴィーに、男の声は届かなかった。苛立たしげに机を叩く音で初めて、彼は顔を上げた。

「ハーヴィー!」
「何でしょう?」
「男の様子はどうなんだと聞いてる。役に立ちそうな情報はあったか?」
「彼は口が硬いですからね。未だ何の情報も得られません」
「やり方がぬるいんじゃないか? もっと痛めつけたらどうだ」
「忠義を貫く者にこれ以上どうこうしても意味がありませんよ。むしろ、人質をとった方が有効かと」
「人質の人質だと? 家族でもいるのか?」
「いえ……そういう訳では」

 ハーヴィーは言葉を濁した。が、沈黙に絶えきれず、苦々しい顔つきで口を開いた。

「あの娘を人質に取ったらどうかと思っただけです」
「娘を? あの二人は恋人か何かか?」

 意外そうにそう聞き返す男は、いまいち話が分かっていないようだ。ハーヴィーは首を振って丁寧に返す。

「違います。むしろ、仲を疑うならアレスと娘の方でしょう。側で見ていましたが、アレスはあの娘に特別心を砕いていたようですから。それならば、主君の大切な人に、危害を加えられることはどうにかしても避けたいはず――」
「どうしてそれを早く言わないんだ!」

 苛ただしげに男は舌打ちをする。

「だったら娘を盾に情報を引き出すべきだろう! 我らとて悠長にしている暇は無い。こんな勝ち戦さっさと終わらせて帰還するのが一番だ」

 男は乱暴に椅子から立ち上がった。まだ酒が抜け切れていない彼の足下は覚束ない。

「俺が直々に行ってくる」

 男はよろよろとテントから出て行った。ハーヴィーはその後ろ姿に何か言いたげに口を開いたが、結局何か言葉が出てくるわけでもなく、そのまま口を閉じた。唐突に静かになったその時、誰かがポツリと呟いた。

「哀れなものだな。互いが互いの枷になるとは」

 それに言葉を返す者は誰もおらず、しばらくは誰もそこから動かなかった。


*****


 テントを後にしたロジャーは、フラフラした足取りで牢へと向かっていた。牢というよりは、急ごしらえの、普通のテントよりは少し作りがしっかりしているだけに過ぎない。外には二人の兵が常にいて、捕虜が逃げ出さないか見張っている。
 怠けていないか彼らに鋭い視線を向けながら、ロジャーは中に入っていった。血なまぐさい臭いが始めに鼻についた。気分を害されたようにロジャーは顔を顰め、中を見渡した。こちらに背を向ける形で、一人の青年が倒れていた。背中を丸め、まるで死んでいるかのようにその背はピクリとも動かない。一瞬本当に死んでいるのかと思ったロジャーは、慌てて彼に駆け寄り、思い切り背中を蹴りつける。瞬間、息を吹き返したように青年は咳を繰り返した。

「全く、驚かせるな。これくらいでくたばってもらっちゃ困るからな」

 地面に血反吐が飛び散ってもロジャーは構いもしなかった。無感動な目で青年を見下ろしながら、どう切り出したものかと考えあぐねる。
 娘と青年の関係性をロジャーはよく知らなかった。ハーヴィーから伝え聞いただけでは、いまいち想像がつかなかったのだ。娘とアレスとの関係もまた。
 大して考えがまとまらないまま、ロジャーは口を開いた。

「最近あの娘の予知夢が不調でな。こちらが望んだ答えを用意できていないこともよくある。不本意だが、痛めつけてでも力を発揮させようかと考えているところだ」

 青年の反応は顕著だった。信じられないといった様子で目を見開き、茫然としたまま掠れた声を押し出す。

「予知夢は思うままに制御できるものではありません。いくらリアム様が尽力しようと、やれることに限りはあるんですよ」
「何を根拠にそう言いきる? やってみないと分からないだろう。今までがただ生ぬるい環境だっただけで」

 片眉を上げ、ロジャーは忌々しげに言ってのけた。実際、ワイアネスは予知夢のことに関してどれほど知っているのかという嫉妬に近い念もあった。予知夢ほどの力があれば、戦争だけでなく、貿易や外交にも使えるだろう。もちろん、予知夢の存在を国には伝えず、ひたすらに己の財をこさえるという方法もある。可能性は無限大だ。だからこそ、今のうちに予知夢の全てを知りたいという思いがあるのだ。そのためならば、どんなやり方も厭わない。

「聞くだけ無駄だな。直接やってみた方が早い」

 ロジャーはすぐにきびすを返した。ただの脅しのつもりだったが、口に出すうちに、本当にそんな気になっていた。回りくどいことをするよりは、手っ取り早く実験した方が確実だろう。

「待ってください!」

 そう思った矢先、ロジャーは呼び止められた。

「何が知りたいんですか?」

 思い詰めたような、震えた声だった。ロジャーはニヤリと口元を歪めた。

「そう言ってもらえると助かるぜ。どうも予知夢では調べられることに限界があるみたいでな」

 身を翻し、ロジャーは青年の近くまで歩いて屈んだ。猫なで声でゆっくり話す。

「城内の構図が知りたい。もちろんワイアネスの」

 途端、青年の呼吸が止まったのをロジャーは肌で感じた。歪んだ笑みを隠そうともせずに、ロジャーは続ける。

「俺たちは別働隊に過ぎない。本隊は、ワイアネスの城が無防備になる瞬間を今か今かと待ちわびているのさ。お前達と連絡がつかなくなった時点で、きっとワイアネスは軍隊を出動させる。王子の消息が分からないんだから、それも当然だよな? そうして甘くなった警備の隙を本隊がつくのさ。どうだ、完璧な作戦だろ?」

 みるみる青年の顔が青ざめていくのを、ロジャーは満足そうに眺めた。自分と相手との立場の違いが浮き彫りになるこの瞬間に、ロジャーは何よりの愉悦を感じていた。

「予知夢では分からない城内の抜け道を教えろ。王子の側近なんだから、それくらい知ってるだろ? 誤魔化そうったってそうはいかない。口を閉ざそうものなら、娘を実験台にするのみだな」

 青年は下を向いたまま、何も答えない。苛立ったロジャーは、彼の横腹を蹴りつけた。

「おいっ! 娘がどうなってもいいのか!? 女に言うこと聞かせる方法は何も拷問だけじゃ――」

 ロジャーの声が止まった。蹴りも飛んでこない。不思議に思った青年は、僅かに顔を上げた。
 ロジャーの後ろには、一人の男がいた。切っ先をロジャーの首筋に当てたまま、一分の隙もなく立っている。

「殿下……」

 青年――ソイルには分かった。半分以上顔を隠してはいるが、彼の立ち居振る舞い、雰囲気はどうあっても隠しきれるものではない。

「誰を実験台にすると?」

 アレスの声は、思わず身震いしてしまうほど底冷えするものだった。

「良い度胸だ。やれるものならやってみろ」

 ロジャーの呼吸は浅く、そして早かった。短い呼吸が、必死に酸素を欲する。だが、充分に取り込む前に、みぞおちに拳を食らった。潰れた蛙のような声が彼の口から飛び出した。地面に転がりながら、咳と呼吸とを繰り返す。

「ソイル……」

 ロジャーを素通りし、アレスは地面に膝をつけた。痛々しい顔でソイルの肩に手を置く。

「俺は大丈夫です」

 ソイルの口から、咄嗟にそんな言葉が飛び出した。事実、アレスの顔を見たら、痛みなど吹き飛んだし、それと共に、自分以上に大切なものの顔が浮かんだからだ。

「それよりもリアム様を。今もまだ眠らされているはずです。急いで救出を――」
「言うな」

 言葉少なにソイルの声を遮り、アレスは彼の身体をゆっくり起こした。堪えきれないうめき声が漏れる。

「悪かった。護衛をつけるべきだった。甘く見すぎていた」
「殿下……」

 謝罪を繰り返すアレスに、ソイルはもう何も言えない。リアムのことが気がかりだったが、今の己の状態では、元気にアレスを見送ることもできない。どうすべきかと思い悩んでいる最中、テントの幕を上げて何者かが入ってきた。

「殿下」

 フレイツだった。慌てた様子で、アレスとソイルとを順に見やる。

「ハーヴィーが動き出しました。リアムの所へ向かったようです」
「――行ってください」

 間髪を入れず、ソイルはアレスを見た。

「早くリアム様の元に。――肩を貸してくれませんか」

 ソイルが助けを求めたのは、フレイツだった。フレイツは迷いなく彼に歩み寄り、手を貸した。よろめきながらも、ソイルは立ち上がった。

「俺は大丈夫ですから」

 ソイルの微笑みに、アレスは金縛りが解けたように駆けだした。テントを飛び出し、息を整えながら周りを見渡す。
 空が白み始めていた。だが、まだ人の気配は少ない。おかげでハーヴィーの姿はすぐに見つかった。足音を忍ばせ、彼の後を追う。ハーヴィーは何やら思い詰めた様子で、彼の後をつけるのは簡単だった。
 ハーヴィーは迷いなく一つのテントに入っていった。アレスの方も、テントに身を寄せながら、隙間から顔だけを覗かせる。
 ハーヴィーは、背を向ける形で立っていた。そして彼のすぐ傍らには、ベッドと、そこに横たわる女性の姿が。
 アレスは、カッと頭に血がのぼるのを感じた。その感情のままにハーヴィーを蹴り倒し、その首元に剣を当てた。その素早く無駄のない動きに、ハーヴィーは一瞬遅れて息を吐き出した。

「何を……」
「よくもやってくれたな」

 信じられないほど低い声がアレスの口から飛び出した。

「信用していたのに」
「医者だから油断したのですか?」

 あざ笑うようにハーヴィーは吐き捨てた。

「俺も甘くなったものだ」

 アレスは剣を握る手に力を入れた。一筋の血がツーッと滲む。容赦はしないつもりだった。その覚悟はしてきたし、おそらく相手もそのはずだ。が、張り詰めた緊張の糸が、不意に途切れる瞬間があった。

「アレス?」

 細い、掠れた声だった。反射的に振り返ったアレスは、毒気を抜かれた顔になる。リアムが、半身を起こした状態で、こちらを見つめていたのだ。
 何か言いたそうに口を開けながら、リアムは前屈みになった。しかし、簡易式のベッドは小さく、狭い。リアムの手は宙を切り、体勢を崩した。

「リアム!」

 アレスは思わず駆け寄り、その身体を抱き留めた。折れそうなほど細い身体だった。リアムを抱き締めるために邪魔な剣は、すっかり手元から離していた。

「大丈夫か?」

 強く抱き締めすぎたと、しばらくしてアレスはようやく身体を離した。己の肩口が濡れていることは、もう随分前から気づいていた。

「私……ごめんなさい」

 うわごとのようにリアムは謝罪を繰り返した。

「私のせいで、本当にごめんなさい」
「何も言うな」

 アレスはもう一度リアムを抱き寄せた。彼女の頭に手を乗せ、あやすように撫でる。

「無事で良かった」

 その言葉に、リアムは無言で腕に力を入れた。夢じゃないことを確かめるかのように、きつく彼を抱き締める。
 しばらく、リアムはそのままの姿勢で動かなかった。
 やがて、アレスは首だけを回して後ろを見る。そういえば、とすっかり忘れていたハーヴィーの存在を思い出したのだ。逃げられたものと思っていたが、彼は相変わらずそこにいた。

「逃げなかったのか」

 アレスは意外そうに呟いた。転がっている剣が目に入ったが、アレスはもうそれを手に取ることはなかった。

「もとより逃げる気なんてありません。逃げたとして、待ち受けるのは死のみですから」

 アレスは片眉を上げた。確かに、リアムに逃げられたことを知ったら、バーバドの人間なら烈火のごとく怒るだろう。むざむざと逃げられたなんてどういうことだと、その責任を死を持ってして償わせられるのも想像がつく。
 同情はしないものの、理不尽だとは思う。
 どうしたものかとアレスが黙していたとき、腕の中のリアムが身じろぎした。

「連れて行きましょう」
「リアム?」
「予知夢で見たわ。怪我をした兵士がまだ大勢いるんでしょう? 彼に手当をさせましょう」

 顔を上げ、リアムはハーヴィーを見た。どこか決意したような瞳だった。困惑していたアレスも、やがて笑みを見せた。

「そうだな。どうせ死ぬなら役立ってもらおう」
「大人しく連れていかれるつもりなどありませんが」

 ハーヴィーはしかめっ面で反応する。待遇が気に入らないらしい。アレスは薄く笑う。

「ここに残って理不尽に殺されるよりは、よっぽど良い案だと思うがな。裏切り者にも、一応人として挽回する機会を与えてやる」
「結構です。いっそ殺してくださった方が気が楽です」
「リアムに血は見せない」
「はっ」

 馬鹿にしたようにハーヴィーは鼻で笑ったが、アレスはいたって大真面目だった。手早くハーヴィーを縄で縛り、担ぎ上げる。

「歩けるか?」

 振り返り、優しくリアムに尋ねた。リアムは、表情を引き締めて頷く。
 テントの外で、馬のいななきが聞こえた。フレイツが迎えに来たのだ。
 しっかりした足取りで、リアムはテントの外に踏み出した。