21:恐ろしい殺気


「これで交渉は決裂ということですね」

 ハーヴィーは静かに言い放った。ついで、徐に立ち上がる。それが合図だったわけではないだろうに、後ろの男達も立ち上がった。

「できればお嬢様とは友好的な関係でいたかったのでずが」
「ここまで待ってやったが、結局こうなるんだな。全く、手間かけさせやがって」

 男は、ソイルにツカツカと歩み寄り、無理矢理腕を引っ張って立たせた。

「まだ自分の立場が分かってねえみたいだな。何のためにこいつを連れてきたと思ってんだ? ひと思いにやっちまうこともできるんだぜ」

 男はすらりと剣を抜く。小さな照明が、剣に反射して鈍く光った。リアムは息をのんで背筋を伸ばす。

「なっ……」
「ただ、俺たちも悪じゃねえ。言うことを聞いてくれるって言うんなら、こいつにゃ何もしねえがな」

 下卑た笑みを浮かべながら、男はソイルの首にひたひたと刃を当てる。過失か、それとも故意か。首からツーッと赤い筋が流れる。

「見たい予知夢を操れると聞いた。それは本当か?」
「ち、違います。制御はできません」

 リアムを下を向きながら答えた。震える手を、寝間着をギュッと掴むことで誤魔化す。

「できない? 謀るとこいつの命はないぞ」
「できません」

 嘘ではない。目を閉じながら、予知したい国や人物を思い浮かべれば、確かに予知夢は見られるが、必ずという保証ができるわけではない。
 そう、だから決して嘘じゃない……。
 リアムの額に、冷や汗が浮かんだ。ハーヴィーはじりじりと彼女に顔を近づけた。

「おかしいですね? では、まるでこちらの手の内を全て見透かしたようなあの作戦の数々は、一体どこから来たのでしょう? 制御できない予知夢を、神殿が許すとは思えません。仮に制御できなくとも、女子供にまで実体実験を強いた神殿だ、あなたにも何かされたのでは?」

 リアムは生唾を飲み込む。それでもなお、喉の渇きは癒やされなかった。

「何も……別に」
「グダグダ言ってねえで、やるのかやらねえのか」

 男は苛立たしげに足踏みをし始めた。

「やってもらわなくちゃあ困るんだよ。予知夢を見ろ。もう二度と同じことは言わねえぞ。おい、そいつを奥の部屋へ連れて行け」

 男は顎で指し示した。下っ端の男がリアムを無理矢理立たせる。

「睡眠薬は。それも飲ませとけよ」
「へえ」
「おい」

 低い声で再び男が声をかける。リアムは目線だけを上に上げた。

「こいつの命はお前が握ってる。それだけは忘れんなよ」
「…………」

 リアムは痛ましい視線をソイルに向けた。ソイルは口を真一文字に結び、強く首を振る。彼の瞳に、絶望はない。強い意志だけが宿っていた。彼の言いたいことは分かった――しかし。
 奥の部屋には、薄い毛布が一枚あるだけだった。リアムはそこに転がされ、抵抗もできないうちに睡眠薬を飲まされた。
 まだ考えはまとまっていなかった。それでも、やがて逃れられない睡魔に襲われ、リアムは意識を失った。


*****


 次に目覚めたとき、リアムはひどく頭が痛かった。しかし、それを気にしている暇は無く、すぐに彼女の元に男達が近づく。

「おい、どうだ」
「…………」
「予知夢を見たかって聞いてんだ!」

 顔を俯けたまま、リアムが何も応えなかったので、男は彼女を足蹴にした。うっと声を詰まらせ、リアムは反射的に蹴られた腕を庇う。ハーヴィーが彼と彼女との間に割って入った。

「ロジャーさん、彼女は大切な人材です。怪我をしたらどうするんです」
「そうですぜ。やるならこいつにすればいいんじゃないですか」

 下っ端は縛られたままのソイルを突き出す。ロジャーは唇の端を歪めた。

「だな。ようやくこいつの出番だぜ。ほら、早く見た夢を白状しろよ。嘘をついたり、こっちが不利になるようなことを言ったら承知しねえからな」

 再び男がソイルの首に刃をあてがう。緊張の糸が張り詰めた。

「リアム様、俺のことは気にせず」

 ソイルは小さく口を開いた。

「卑劣な脅しに屈してはいけません。殿下とワイアネスのことだけを考えてください。俺一人の命と、幾万人のワイアネスの命――ぐっ!」

 皆まで言えず、ソイルはその場に蹲った。ロジャーによってお腹に拳を食らったのだ。

「耳障りだ。黙らせとけ」
「へえ」

 適当な布で、下っ端はソイルに猿ぐつわを噛ませた。ソイルはくぐもった声を上げるが、なすすべはなかった。

「もう一度聞く。予知夢を見たのか?」
「…………」

 ギュッと目を瞑り、リアムは何も答えなかった。早く時が過ぎて欲しい。その一心だった。

「それが返事か?」

 冷たい声だった。リアムはそっと目を開ける。見てないと言っても、どうせ疑われる。それに、リアムは自分が演技が上手でないことは分かっていた。だから、せめてもの抵抗をすれば。決して口を割らなければ。
 しかし、それは起こった。たった一瞬の出来事だった。たった一瞬のうちにロジャーは動き、ソイルの左腕を剣で切りつけたのだ。盛大に血が飛び散り、ソイルの顔は苦痛で歪む。

「俺の問いに答えない度、こいつを切っていく。もう一度聞く。予知夢を見たのか?」
「あ……やっ」
「――っ」

 目を見開き、ソイルはくぐもった悲鳴を上げた。足を切りつけられたのだ。リアムの服にまで血が飛び散る。ドクドクとうるさいほどに彼女の鼓動は跳ね上がった。息が荒く、体が沸騰しているようだった。

「やめっ――止めてください!」

 思わず叫ぶ。いつの間にか視界がにじんでいた。観念したように、リアムはその場で頭を垂れる。

「ごめんなさい……言います、全部話しますから……」

 ソイルは小刻みに首を振っていた。目は血走り、額には大量の汗が浮かんでいる。そんな彼を、リアムは見ていられなかった。

「ワイアネスの兵が駐屯しているのはどこだ?」
「む、村の近くです……。ワイアネスの国境近くの」
「どこの村だ? 名前は?」
「分かりません……」

 泣きそうな顔は首を振る。ロジャーは無情だった。無表情のまま、ソイルの怪我をした腕を力強く踏みつける。痛々しいまでのうめき声が小屋獣に響き渡った。

「切り落としてやろうか、こいつの腕。腕一本くらい、なんてことないだろ」
「本当なんです! 本当に名前が分からなくて! ゆ、有名な湖が近くにあるってことしか分からないんです!」
「有名な湖?」

 ロジャーは訝しげな声を上げた。ハーヴィーは眉を上げる。

「聞いたことがあります。モンローでは? 僻地にありますが、近くに綺麗な湖があり、そこが観光地になっているのだとか」
「兵の数は?」
「…………」
「数は!」

 上から怒鳴られ、リアムは身を縮こまらせる。おどおどとした顔つきで、ロジャーを見上げた。

「に、二百人くらい……」
「思っていた以上に少ないな。どこかに兵が潜んでいる、ということはないな?」
「分かりません……」
「…………」
「本当に分からないんです!」

 縋るようにリアムは言いつのった。事実だった。しかし、必死にそう言ったとして、信じてもらえる保証はない。焦りが焦りを生み、リアムはいらぬことまで口走る。

「怪我をした兵は、重症の者も等しく駐屯していました。どこかに兵が潜んでいるのであれば、その途中で傷病兵は保護されるのでは? 看護兵の補填もないように見えました」
「援護はまだ来ていないということか」

 ロジャーは薄く笑った。思っていた以上にリアムは使える。そう思ったのだ。

「行くぞ」

 ロジャーは言葉少なに動き出した。下っ端が素っ頓狂な声を上げる。

「もうですか? 報告だけ先にして、後はここに待機じゃ」
「そんな悠長なこと言ってられるか。思っていた以上に予知夢には使い道があるようだ。すぐに報告ができるよう近場にいた方が好都合だ。それに、いなくなったことに気づかれて、奪還を目論まれても面倒だからな」

 チラリとリアムに目を向け、男達はいそいそと準備をし始めた。自分たちのことしか考えていない様子の彼らに、リアムは焦りを覚える。

「待ってください、ソイルさんに治療を! このままじゃ死んでしまいます!」
「馬鹿言うな。これくらいで死なねえよ」
「ハーヴィーさん!」

 リアムは金切り声を上げた。

「お願いします……! 本当にお願いします! ソイルさんに治療をしてください!」
「…………」

 ハーヴィーは眉根を寄せたが、やがて小さくため息をついた。

「傷口から菌が入って、切り落とすことになっても面倒です。治療はすぐに終わりますので、時間を頂いても?」
「……さっさとやれ」

 ロジャーは首を振って答えた。ホッとしたのも束の間、彼はリアムにツカツカと歩み寄った。

「あまり調子に乗るなよ」

 低い声が、ぞくりと体内に侵入してくる。

「あいつは人質でしかないんだ。俺たちを騙したり、お前の予知夢が役立たずだったその時は――あいつの命を絶つ」

 脅しではない。
 リアムは本当に気づいてしまった。どこかできっと甘く見ていたのだろう。口ではああ言っていても、大切な人質なのだから、殺しはしないんじゃないかと。
 しかし、現にソイルは苦しんでいる。腕と足を切りつけられ、額には脂汗が浮かんでいた。男達の目には殺気が宿っていた。次はこれだけでは済まないかもしれない。
 リアムは身を縮こまらせ、何度も首を縦に振った。彼女の心はもう折れていた。