20:バーバドの手先
引きずるように連れてこられたのは、つい先ほどの山小屋だった。古ぼけてはいるが、造りはしっかりしていて、今のリアムにとっては、一度入ったら逃げ出せない牢獄のように思えた。
小屋の中は、乱雑としていた。辺りには無数の酒瓶が転がっており、随分と長い間ここを根城にしていたのだろうことが窺えた。
小屋に入ってまず、リアムはすぐにハーヴィーから距離を取った。もう逃げようだなんて意志はないが、彼の側には一秒たりともいたくなかった。
不愉快を前面に出すリアムに対し、ハーヴィーは苦笑した。
「そう警戒しないでください。大人しくして頂ければ何もしませんよ」
「予知夢をお望みなんでしょう?」
睨み付けるようにしてリアムはハーヴィーを見た。
自分を誘拐する目的など、一つしか思い浮かばなかった。
「私が断ったら?」
「断る? あなたは断れる立場にはありませんよ」
「脅すんですか?」
リアムはギュッと手を握った。喉元に刃でも突きつけて脅迫するつもりだろうか。しかしリアムはそんなことには屈しない自信があった。――怖い。確かに死ぬのは想像がつかず恐怖でしかない。しかし、自分のせいで誰かが死ぬのはもっと怖い。
芝居がかった動作でハーヴィーは肩をすくめた。
「誤解しないでください。あなたをどうこうするつもりはありませんよ。実は、屋敷からもう一人連れてきていまして」
ハーヴィーは小屋の隅まで歩き、何かを担ぎ上げた。その時になってリアムはようやく気づいた。何か大きな荷物が転がっていると思ったそれは、他でもないソイルだった。
「もし私たちの要望を断ったら、彼が辛い目に遭うことになります」
ソイルは硬く目を閉じていた。彼もおそらく睡眠薬で眠らされているのだろう。
「――卑怯者」
リアムはギリッと唇を噛んだ。自分を苦しめるだけならまだしも、人質をとるなんて。
「もう逃げ出そうなんて思わないことですよ。ここは人気のない山ですし、こちらは四人もいるんです。女の足ではすぐに捕まってしまいます。諦めて――」
声が途切れた。ついで、何かがぶつかる鈍い音が響き渡る。
「くっ!」
ハーヴィーは顎を押さえた。脳震盪を起こしたのか、声もなくその場に蹲る。
「剣を!」
ソイルが明瞭な声で叫んだ。手足を縛られてはいるが、寝たふりをしたまま彼は機を窺っていたのだ。
「早く!」
二度目の叫びで、リアムはようやく我に返った。ハッとして辺りを見渡す。剣なんてどこに――。
「――っ」
鞘と共に無造作に転がっていた剣に飛びかかり、リアムは両手で拾い上げた。ソイルは必死に手を伸ばすが、後ろからハーヴィーに飛びかかられ、一緒に地面にもんどり打って転がった。そのまま二人は取っ組み合いを始める。
両手両脚が使えないソイルは明らかに不利だった。しかし彼とて、伊達にアレスの側で身体を鍛えてはいない。のらりくらりとハーヴィーの拘束を躱し、ついには彼の背後を陣取り、両腕で首を締め上げる。
「ソイルさん――」
リアムには見ていることしかできなかった。迂闊に近寄っても、足手まといになるだけだ。リアムの声に、ソイルは僅かに顔を上げた。
「足の拘束を解いてもらえますか」
「はい!」
リアムは両手で剣を持ちながら、そろりそろりと二人に近づく。ハーヴィーは苦しそうに息をしながら歯を食いしばる。
ソイルは、縛られた足を横に投げ出していた。リアムは迷った末、その場に膝をつき、手で縄をとき始めた。扱い慣れていない剣では、誤ってソイルを傷つけてしまうのではと思ったのだ。しかし、硬く結ばれた縄はなかなか解けない。手間取っているうちに、リアムは周囲への注意が疎かになってしまっていた。強く腕を引かれ、無理矢理立たされたと思ったら、喉元に冷たい感触があった。
「おっと、そこまでだぜ。ハーヴィーを放しな」
「――っ」
いつの間にか、部屋には三人の男達が戻ってきていた。扉を開け放ち、ぞろぞろと中に入ってくる。
この状況で勝ち目はないと悟り、ソイルはゆっくりハーヴィーを解放した。ハーヴィーは喉元を抑えながら立ち上がる。
「しばらくいない間に、随分酷い有様になったな」
「……あなたに言われたくありませんよ。どうせ眠っているからと高をくくっていたから、こんなことになったんでしょう?」
「ちっ」
盛大に舌打ちをすると、男はリアムに剣を突きつけたまま、顎で合図した。
「ほら、さっさと拘束し直せ。幾らか緩んでるだろ。もちろんこの女もだ」
下っ端の男は、ソイルの拘束をきつく結び直し、またリアムにも縄で同じように拘束した。これでいよいよ脱出する術が更に遠ざかったことになる。
ソイルとリアムを扉から一番遠いところに追いやったところで、男達はようやく緊張の糸をといた。各々床に座り込み、あぐらを掻く。
「それで、いつまでここにいればいいんだ?」
「第一報を送ったらという話だっただろ」
「今夜にでもやりやしょうや」
男達の視線は、自然とリアムに向く。
「こんな小娘が本当に予知夢なんてできるのか?」
男がリアムの頭を小突いた。リアムはじっと下を向いたまま、何も応えない。
「だが、予知夢を見て何か俺たちに情報をもたらしてくれないことには、国に帰れない」
「私が話をしましょう」
ハーヴィーは徐に立ち上がった。リアムの側まで歩き、その隣に腰掛ける。
「お嬢様も、まだ何が何だか分からないといった調子でしょう? 私たちがバーバドの人間であるということくらいしか」
「なぜリアム様の存在に気づいたんです? 限られた人しか知らないはずなのに」
ソイルが噛みつくように割って入った。ハーヴィーは冷静な瞳で対応する。
「ワイアネスがここ十数年ずっと無敵を誇っていたこと、私たちはいつも不思議に思っていたのですよ。まるでこちらの手の内が筒抜けになっているかのような的確な攻防や、将軍が優秀だというだけでは到底説明しきれないまでの、いわば神がかり的な作戦の数々。――始めは、あまりにもこちらの情報に内通しているので、さぞ優秀な密偵が紛れ込んでいるのだろうと、血眼になって探したものです。しかし、どれだけ粛正しても密偵の気配は微塵も感じられない。困り果てた私たちは、逆にこちらも密偵を送り込むことにしたのです。もともと密偵は幾人か潜り込ませていましたが、今度はもっと別の方面から――使用人や、神殿」
ソイルは怪訝そうに眉を顰める。その小さな反応を見逃さず、ハーヴィーは薄く笑った。
「なぜ神殿に、と意外でしょうか? ですが、私たちとしても、もう一つ不思議だったのが、国がウッズ教の後ろ盾となったこと。王室はもともと宗教に熱心な方ではなかったのに、近年の動きはとても不思議でなりませんでした。大々的にウッズ教を支援したり、城の内部に施設を造ったり。何かがおかしいと思ったので、神殿にも人を送り込んだんです。そうして間もなくして判明したのが神殿の所業です」
「所業?」
リアムは思わず声を上げた。ハーヴィーの言うことには聞き慣れないことが多く、しかし、理解しなければと頭のどこかで警鐘が鳴るのだ。
彼女の視界の隅で、ソイルが下を向いた。ハーヴィーは大きく頷く。
「お嬢様はご存じなかったかもしれませんが、神殿は……人体実験とでもいいましょうか、そういった類いのことをしていたのですよ」
「実験……ど、どうして」
リアムはおどおどとその言葉を口にする。いつの間にか、男達も静まりかえり、ハーヴィーの話に耳を傾けていた。
「昔、ワイアネスの人里離れた山間に、人ならざる力を持った人々が住んでいたそうです。千里眼や それに、あなたのような予知夢を見られる者。幼くしてその力に目覚める者もいれば、大人になるにつれ、力を失う者もいる。神殿は、その村の人々を集め、調べ上げたそうです。不思議な力を持ってすれば、金儲けどころか、権力者になることだって容易い。現に、あなたがそうでしょう?」
突然ハーヴィーに視線を向けられ、リアムはビクッと肩を揺らした。
「あなたの力で、神殿は――ワッズ教は国教となった。信者から金を巻き上げ、国からは後ろ盾になってもらい、重鎮は権力者としての地位を確立していった。そのことは、もちろんアレス殿下やソイルさんも知ってらしたのでは?」
リアムはゆっくりソイルを見る。ソイルは額に汗を浮かべながら目を瞑った。
「知って……ました。でも、それは最近になってからのことで、気がついたときには、もう神殿の権力は強大になっていて……。いくら殿下といえども、そう簡単に手は出せない存在になっていたんです」
「言い訳ですか?」
「そんなつもりは!」
いきり立ってソイルは拳を握る。しかし、すぐに冷静になり、居住まいを正した。
「いや、だから殿下は神殿に――リアム様に頼らない国を作ろうと、神殿を糾弾したんです! 殿下だって、神殿の所業には心を痛めていました!」
「どうだか。あまりに神殿が大きな顔をし始めたから、目に余っただけじゃないんですか?」
「何も知らないくせに――!」
吐き捨てるようにソイルは呟く。ハーヴィーは意に介さず、再びリアムに顔を向けた。
「どうです。私たちの力になるというのは」
「何を……」
「バーバドでは、リアム様の地位を保証しますよ。神殿では酷い扱いを受けていたそうですね。無理矢理眠らされ、自由も奪われ、塔に籠もりきりの生活……。今はまだアントワーズで幸せに暮らしているようですが、今後はどうなることでしょう? 現在、ワイアネスは劣勢です。そのうち戦場に呼び出されるのも時間の問題かもしれません」
「そんなことはしません。殿下は、決してもうリアム様を頼ろうとはしないでしょう。御自分と、ワイアネスの兵とでこの危機を乗り越えていくはずです」
ソイルは睨み付けるようにして叫んだ。しかしハーヴィーは、ソイルには全く目もくれず、食い入るようにリアムだけを見つめた。
「私たちの要求はたった一つです。――予知夢でバーバドに情報をもたらすこと。これさえ守って頂ければ、お嬢様の自由は約束します」
「何が自由です。こんな方法で浚っておいて」
「こうでもしないと、ゆっくりお話しもできないからですよ」
煩わしそうにソイルに対し言い返し、ついでハーヴィーはリアムに向き直った。
「どうです、悪い話ではないでしょう? 復讐……というのは少々言葉が過ぎますが、見返してやるのはどうです。あなただって、思うところはあるでしょう?」
リアムは、ただただ困惑に眉を顰めた。彼の言っている意味が分からなかった。確かに、神殿には良い印象はない。しかし、だからといって裏切る理由には到底及ばない。それに、何よりこの国には――。
「……生憎と、そのお話は受け入れられません。私はワイアネスの――アレスの味方です。今までも、そしてこれからも」
リアムは凜とハーヴィーを見返した。ハーヴィーは首を振ってため息をつく。
「そう仰ると思ってはいましたが」
ハーヴィーの視線は冷たかった。その顔を見て、リアムは無意識のうちに両手を握りしめた。