14:できること
リアム達が逃げるようにアントワーズ家に戻って間もなく、屋敷に伝達が届いた。曰く、明日にはアレス率いる軍勢が屋敷に到着するだろうとのことだった。
数日前から事情を聞いていたアントワーズ家は、この伝令を受け取ってから、一層大わらわになった。いつもは全くと言っていいほど使っていない客室を開放し、掃除をし、シーツを替え。しかも、しばらく滞在する兵の数はごまんといるのだから目が回る。食事の準備に、足りないベッドや服飾品の用意――。アントワーズ家で働く僅か五名の使用人では到底人手が足りず、街で住み込みの募集をかけるほどだ。
リアムも一心不乱に働いた。昼も夜もいつも働いてばかりで、そのおかげで夜はぐっすり眠れたと言っても過言ではない。
しかし、もう今日の昼には屋敷に到着するという時になって、リアムは今更ながら緊張してきた。何に、と問われれば、やはりアレスに顔を合わせることだろう。わざわざ会いに行かずとも、どうせ会えたのに、無駄な行動力を発揮してしまって恥ずかしい。その上、久しぶりに会ったというのに、いつの間にか眠っていたなどと、お笑いぐさにも程がある。
浮かない顔でエイミーと共に居間で一段落していれば、客の到着を告げる鐘が響いた。リアムはソワソワと立ち上がる。
「殿下率いる兵士団が到着されました」
「まあ、じゃあすぐにお出迎えに行かないとね」
エイミーは外套を羽織り、いそいそと部屋の外へ向かう。ドアノブに手をかけたところで、彼女は振り返った。
「迎えに出なくて良いの?」
「え? あ、今行きます」
僅かながら眉間に皺を寄せながら、リアムはエイミーの後についていった。ソイルも階段を駆け下り、その後に続く。
扉の先は、圧巻の光景だった。ポーチに収まりきらない兵達は、正門までずらりと並んでいる。その先頭には、アレスとフレイツが。馬から降り、アレスは頭を下げる。
「急な申し出を受け入れて頂き感謝する。しばらく世話になるな」
「いいえ、とんでもございません。殿下のため、お国のためとあらば、喜んでお手伝いさせて頂きますわ」
エミリーはぐるりと兵達を見渡した。
「皆様、初めまして。フレイツの妻、エイミー=アントワーズと申します。何かご入り用のものはすぐにお声がけくださいね」
たおやかに微笑むと、エイミーはリアムに目を向けた。自分の番だとリアムはスッと背筋を伸ばし、緊張しながらも、スカートの裾をつまんだ。
「リアム=アントワーズと申します。これから数日間よろしくお願いいたします」
リアムの後に続いて、執事、料理長、庭師、メイド二名と、数少ない使用人が自己紹介をする。場が和やかになったところで、エイミーは再度全体を見回した。
「皆様もお疲れでしょう。まずはお部屋に案内いたしますね。リアム、この方達を三階に案内して差し上げて」
「はい」
突然声をかけられたことに驚いたが、リアムはすぐに身を翻した。整列して後をついてくる男達を気にしながら、リアムは屋敷の中に入り、階段を上った。
男達は、皆精巧な鎧を身に纏っていた。おそらく位のある兵達なのだろう。彼らを二、三人に分けて順々に部屋を案内していったが、それでも三階の部屋はすぐに埋まってしまった。客室は一階、二階にもあるが、この調子で全員入りきるのだろうかと心配しかない。
何か他に手伝うことはないかと、リアムは階下へ降りていった。その途中で、メイドに案内されている兵達とすれ違う。その才、皆が礼儀正しくリアムに対して頭を下げた。アントワーズ家に長らく子供がいなかったというのはおそらく周知の事実。それでも彼らが養女たるリアムに礼節を弁えているのは、ひとえにフレイツの人徳ゆえのことだろう。
一階に降りると、奇妙な臭いが鼻腔をくすぐった。始めは何か分からなかったが、その光景が目に飛び込んできたとき、ようやく気づいた。――血の臭いだ。
「――っ」
一階は、怪我人で溢れていた。頭から血を流しているもの、足を欠損している者、気絶したまま運ばれている者。
リアムは、いつもどこか遠い国の出来事のように考えていた。身の回りで争いごとなど起こったことはなかったし、唯一関連があるのは、予知夢の時だけ。
でも違う。戦争なのだ。ワイアネスは、今この時も、戦争をしているのだ。
一階のあちこちからうめき声が聞こえていた。野営ばかりで、ろくに治療も受けられなかったのだろう。リアムは胸が締め付けられる思いだった。
安穏と暮らしていた今までの自分が後ろめたい。自分のことしか考えていなかった自分が恥ずかしい。そして何より、この目で戦場を見ていたにもかかわらず、どこか別の世界のことのように感じていた自分が情けない。
「リアム?」
所在なげに階段近くに立っていたリアムは、その声に振り返った。
「案内終わったの? ご苦労様」
困ったような顔で笑うのは、エイミーだった。そんな彼女の手は、血で汚れている。
「でも、戻ってくるのが早すぎたわね。驚くだろうと思って、あんまり見せたくなかったのだけど」
「――私も手伝います」
反射的に、リアムはそう口にしていた。
「えっ?」
「何をすれば良いですか? 何でもやります」
「でも……」
おろおろと辺りを見回すエイミー。彼女の側で、杖をついた男性がよろめくのが目に入ってきた。リアムは慌てて彼に駆け寄り、その肩を支える。
「大丈夫ですか? 部屋にお連れしますね」
「すみません……お嬢様に、こんな」
「気にしないでください」
男は、右足に痛々しく包帯を巻いていた。血は止まり、もう流血はしていないようだが、包帯には土がこびりつき、もう随分長い間新しいものに変えていないように見えた。
空いている部屋を探し、リアムは一階の奥へ進んだ。途中で一番賑わっている部屋を見つけたので、中を覗き込んでみれば、白衣を羽織った男性が忙しなく働いているのが見えた。
「ハーヴィー先生!」
「お嬢様、こんな所でどうしたのですか?」
振り返ったハーヴィーは、疲れた顔をしていた。それはそうだろう。幾人もの怪我人を、たった一人で忙しなければならないのだから。リアムは申し訳なさそうな顔になる。
「ここ、部屋は空いてますか?」
支えている男性を気にしながらそう問えば、ハーヴィーはすぐにリアムの意図を悟った。
「はい。足を怪我している方ですね。そこの椅子に座って頂けますか? すぐに様子を見てみます」
「ありがとうございます」
男の身体を支えながら、リアムは彼をそうっと椅子の上に下ろす。杖はすぐ隣に立てかけた。
「包帯を剥がしますね」
治療の最中、リアムはずっとそわそわしていた。想像以上に怪我人は多かった。何か自分にもできることをと考えるのだが、医療にてんで明るくない彼女には何も思い浮かばない。
「……皆さん、先生一人で処置しているんですか?」
「今のところはそうですね。ただ、あまりにも患者が多いので、ソイルさんにオーランド先生をお呼びするよう頼んだんですよ」
「私にも何か手伝わせてください」
「お嬢様が、ですか?」
「はい」
リアムは縋るようにハーヴィーを見つめた。彼ならば、ただの使いぱしりでも、リアムを使ってくれるのではないかと希望があった。
彼女の期待通り、ハーヴィーは迷うことなく頷いた。
「では、包帯を巻くのを手伝って頂けますか」
「はい!」
喜々として頷くと、リアムは包帯を手にしゃがみ込んだ。治療の手伝いは初めてだったが、ハーヴィーの丁寧な指導を元に、真摯に取り組む。
何かの役に立てることが嬉しかった。部外者ではないのだと、実感することができるから。