06:屁理屈野郎
次の日も、荻野は腕組みをして裏門前に立っていた。思わず伊月の眉根は思いっきり寄せられる。
とりあえず、伊月は校門のすぐ近くの木に身を寄せ、観察することにした。メイクを落とせと荻野に詰め寄られたとき、他の女子生徒はどうしているのか。
伊月とて、メイクを落とすのが嫌なわけではなかった。メイクを始めたのも、万里子と香奈恵が進めたからであって、もともと伊月自身がしたかったわけではない。メイクを始めたら始めたで、これがなかなか手放せなくなってしまったのは事実だが、それでも、校則に反していると声高々に言われてしまえば、小心者の伊月としては、いつまでも刃向かうことなど出来ないのだ。
とはいえ伊月は、あの荻野に従うことだけはどうしても許せなかった。どうして自分を振った男が言うことに従わなければならないのか。せめて他の風紀委員だったら、すみませんと殊勝にメイクを落とす。だが、彼は駄目だ!
伊月は観察する。どうやって校門前の荻野を巻けばいいのかと――。
「伊月ちゃん?」
「あ……佐伯さん」
木の陰に隠れ、チラチラと辺りを窺っている変質者もとい伊月に声をかけたのは、同じクラスの佐伯だった。
「どうしたの? そんなところで」
「い、いや……ちょっと」
「もしかして、風紀検査警戒してるの?」
「……まあ。佐伯さんは大丈夫なの?」
見る限り、彼女もうっすらとメイクはしているように見える。程度の差があったとしても、あの生真面目な荻野が見逃すはずがないだろう。
「でも私昨日は大丈夫だったよ? ナチュラルメイクだったら気づかないっぽい」
「そうなの!?」
喜々として伊月は声を上げた。
「じゃあ私も明日からナチュラルメイクにしてこようかなー」
「そうしなよ。でも意外だなー。荻野君なら、伊月ちゃんのこと見逃すと思ってたのに」
「……なんで?」
嫌そうな顔を各層ともせず、伊月は聞き返した。まさか、二人の仲を勘ぐってるわけじゃあるまいし――。
「だって、カレカノなんでしょ? 二人」
「違うよ!」
嫌な予感が当たり、伊月は声を張り上げて否定した。一体どうしてそんなことになっているのか、甚だ見当もつかなかった。確かに、先週の内に、教室の中で大々的にデートの約束をするという見世物を演じてしまったことは確かだが、それ以後は総じて大人しかったはずだ。伊月と荻野の接点なんてあまりないし、学校で仲良く話す、なんて光景だってなかったはずだ――。
「でも、この前荻野君とデートだったんでしょ? 告白されたんじゃないの?」
「うっ」
伊月はたじたじになって、後ずさりした。残念ながら、彼女の傷は未だ癒えていなかった。特にあの一言は忘れられるものか!
「あんな人、こっちから願い下げよ!」
思わず伊月はそう叫んでいた。そしてそのすぐ後に、ポンと肩に手を置かれた。荒々しい気性のまま振り返る。
「なに!」
そして瞬時に固まった。
「お、ぎの君……」
「騒がしいから何かと思って。誰が願い下げって?」
昨日と同じように、彼はメイクチェック用の名簿を抱え、そこに立っていた。咄嗟にどう答えたものか焦った伊月は、結局おしだまり、代わりに佐伯が両手を合わせた。
「お、荻野君、ごめんね? 私が無理に聞いちゃったんだよ。伊月ちゃんは悪くないの……。フラれたからって、元気出して、ね?」
何を勘違いしたのか、佐伯はポンと荻野の肩を叩いた後、そそくさと校門へ向かってしまった。荻野はきょとんとしているが、伊月はというと、血の気を無くした顔で、一層冷や汗を流していた。運の悪いことに、佐伯の勘違いが、一層酷くなっているのだ。
まるで、自分から荻野君のことをフッてやったんだと吹聴してるみたいじゃないの!
伊月としては、決してそんなつもりではなかった。確かに、自分がフラれたことは知られたくなかったが、しかしその逆の嘘なら広まってもいいなんて、そんなことは決してない。
複雑な伊月の心境など知るよしもなく、荻野は自分の疑問の赴くまま、伊月に詰め寄った。
「フラれたって、どういうこと?」
「ち、違うよ……。そんなつもりはなくて。ちょっと誤解があったみたいで」
「僕はフラれたのか?」
「…………」
とぼけたような荻野の物言いに、伊月は自分の中で堪忍袋の緒が切れた音を聞いた。そして次の瞬間、彼女はキッと彼を睨み付けた。
「何しらばっくれてんのよ! 自分がフッたくせに僕はフラれたのかって、馬鹿にするにもほどがある! しつこく何度も聞いてこないで!!」
勝手にデートに誘っておいて、勝手にフる。
ここまで女性をコケにしておいて、何をしらばっくれているのか。普通こういう場合は、向こうの方が遠慮して顔を合わせないよう努力するものではないのか。
しかし、そんな女性側の複雑な機微など、このとんだ屁理屈野郎――荻野律哉には分からなかったらしい。
「え、ちょっと待って……。話がよく見えないんだけど」
珍しく混乱した様子で、彼は頭に手をやった。
「なんで僕が君をフッたってことになるの? 前島さん、僕のことが好きだったの?」
「はあ!?」
ことごとく神経を逆なでする物言いをする野郎だ。
悔しくなって、伊月はその場で地団駄を踏んだ。
「な、なんでそんなことになるの! だから……とにかく、私が言いたいのは……」
登校中の他の生徒の視線が突き刺さる。どうして私がこんな目に――。
「もう金輪際私に話しかけてこないでってこと!」
伊月は最後にそう宣言すると、一目散に駆け出した。
「前島さん、メイク――」
「うっさい!」
後ろから何度か荻野の声がかかったが、構うものか。
どうすることも出来ないイライラを、伊月は持て余していた。