04:最悪な一言
服を洗い終えると、伊月たちは、駅近くのお店を見て回って時間を過ごした。朝よりも多少はリラックスできたのだか、それでも多少のぎこちなさは残っており、お店を見て回る際、商品についての感想をそれぞれ述べるなど、まるで品評会のような有様だったが、それもまた楽しいような気もしたので、悪くはなかった。
夕暮れ時、駅へ向かいながら、伊月はずっと不思議に思っていたことを切り出そうと思った。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なに?」
「あの……どうして、私をデートに誘ったの?」
映画を見て、食事をして、お店に行って。
一緒に話す時間はたくさんあったが、その会話の中に昔を懐かしむ話は一度も出てこなかった。伊月自身、小学生の頃の知り合いである荻野を懐かしいと思っていたし、今日接する中で、忘れかけていた記憶を呼び起こされもした。しかし、接するうちに、彼は意図的に小学生の頃の話を避けているような気がして、話題に出すことを避けてしまったのだ。
デートに誘ったのだから、そこには少なからず伊月への想いはあるのだろうが、デート中一度もそういう話にならなかっただけではなく、過去の思い出話もない。伊月は、本当に彼が自分に対して好意を持っているのか、分からなくなってきたのだ。
荻野はちょっと伊月の方を見ると、すぐに前を向いた。
「――今の君のことを知りたくて。僕は小学生の頃の君しか知らないから」
「……うん」
ちょっと意味が分からなかったが、伊月はとりあえず頷いておいた。普通に考えて、彼の言葉は、単に恋愛というよりは、友人として私のことを知りたかったということ……?
「こっちの高校に進学するために、僕は引っ越してきたんだ」
「あ……そういえば、東京に行ってたんだっけ? 確か先生からそう聞いたような……」
「うん。突然引っ越しが決まったから、君に言う暇がなくて。この高校に来たのも、君に会うためなんだ」
「え」
真面目な顔でそう言われ、伊月は足を止めた。
「会うためって……えっと」
核心に触れないような荻野の話し方がもどかしくして仕方がなかった。自意識過剰なような、あながち間違いではないような。
もっとはっきり言って欲しくて、伊月はもの言いたげに荻野を見つめる。彼はそんな伊月の思いにようやく気付いてくれたようで、伊月に向き直った。
「親の転勤で東京に行ったんだけど、小中と過ごす中で、ずっと君のことが忘れられなかったんだ」
「う、うん」
つまり、好きだということ? それとも私の思い過ごし?
もどかしく感じながらも、伊月は自然と顔が赤くなるのを止めることができなかった。荻野の言葉は何重にもオブラートに包まれているものの、真っ直ぐに伊月の中に飛び込んできた。
「だから一度君に会って、自分を落ち着かせようと思ったんだ。ここまで言ったら分かるかもしれないけど……僕は、君のことが好きだったんだ」
「あっと……うん」
ようやくその言葉が聞けた。伊月は相変わらず赤い顔で頷く。それ以上どういう反応をすればいいのか分からなかったのだ。
「でも、僕が引っ越してから四年は経ってる。もしかして過去の伊月さんと今の伊月さんは違うかもしれない。そう思って一度君のことを知るためにデートしたかったんだ」
「……なるほど」
だから、一度も昔の話は出てこなかったのか。
今の私のことを知るためには、過去の話は必要ない。
素直に納得している伊月をよそに、荻野は更に続けた。
「今日はデートしてくれてありがとう。おかげでスッキリしたよ」
「……うん」
「君は、あの頃とはちょっと変わったみたいだね」
「……え?」
伊月は思わず顔を上げた。目は合ったが、相変わらず彼の表情は読めない。いや、僅かに微笑んでいる――というより、彼の言葉通りスッキリしたようにも見えた。
彼はそのままの表情で、残酷な言葉を放つ。
「これで心置きなく君のことを忘れることができるよ」
何とも爽やかな笑みだった。
「じゃ、今日はありがとう」
荻野は伊月に向き直った。いつの間にか、駅についていたらしい。
「帰りも気を付けて。じゃあまた」
「…………」
軽く右手を挙げると、荻野は颯爽と駅の中へ姿を消した。伊月はそれを唖然と見送る。
「……へ?」
一体、何が起こったのだろうか。
荻野の一言一句があまりにも衝撃的過ぎて、伊月はしばらくその場から動くことができなかった。
*****
デートの帰り道、伊月はどうやって帰ったのか、あまり覚えていなかった。それほどに衝撃的だったのだ、荻野の一言は。
その衝撃は、翌々日の月曜日まで持ち越された。伊月は未だスマホを持っていなかったため、休みの間連絡を取れなかった万里子と香奈恵が待ちきれないとばかり飛んできた。
「どうだったの、土曜日は!」
「きちんと報告してもらうわよ!」
「う、ん……」
引き攣った顔で笑い、伊月は顔を俯ける。何かあったのかと、万里子と香奈恵は顔を見合わせた。
「どうかしたの?」
「いや……その」
口に出して言うのはなかなか勇気がいる。
伊月は決意を固めると、パッと顔を上げた。
「――フラれた」
「え?」
「フラれた?」
ゆっくりと、しかし確かに伊月は首を縦に振る。
「ど、どうして?」
「私が……昔と変わったって言って」
「どういうこと? 今の伊月は好きじゃないってこと?」
「……そういうこと」
ずーんと沈んだ様子で伊月が言うと、万里子と香奈恵は顔を見合わせた。そして次の瞬間。
「何よそれ! 信じらんない! じゃあなに、伊月はデート中ずっと荻野に試されてたってこと!?」
万里子が怒ったようにそう口にした。彼女の言葉は、伊月に深く突き刺さった。いや、内心では自分もそう思っていたのだが、実際に言葉にすると、意外なほど威力があった。それとともに、伊月の奥深くに眠りについていた何かが、ぐつぐつと煮えたぎり始めた。しばらくご無沙汰にしていた感情だ。
「さいってー。荻野がそんな奴だとは思わなかったわ」
「今思えば、あいつ、あんまり良い噂聞かないもんね」
「話しててもすぐに屁理屈捏ねるとか、ネチネチ理論づめしてくるとか」
「わー、じゃあデート中、伊月もずっと査定されてたんじゃない? ここは駄目、ここはまあ許容範囲内かって」
「ヤバっ、めっちゃサイテーじゃん」
噂話が大好きな女子高生二人は、思うがままに不平不満を爆発させた。しかし、当の本人、伊月の声が上がらないことに気づくと、彼女の肩にそっと手を置いた。
「伊月、さっきからずっと黙ったまんまだけど……フラれたのショックだった?」
「もしかして、好きになりかけだった……とか?」
伊月の肩がピクリと揺れる。
そんなわけないじゃん! と言い切れたら、どんなに良かっただろう。
伊月は悔しさのあまり、拳を握りしめた。
さすがに、本気で好きだったとまではいかない。だが、少なくとも好意は持っていたのだ。本屋で助けてもらったとき、不覚にもちょっとだけキュンとしてしまった。力もないのに立ち向かうのは無謀だと思う一方で、ちょっとだけ男らしいと思ってしまったのは事実。デートの帰り道で、その場の話の流れから、付き合ってくださいと言われるのではないかと、そう思ってしまったのもまた事実。もし男らしくまっすぐに告白されたらどうしようかと、お付き合いの経験はないが、彼だったらいいかもしれないと、そう、思っていたのに――!
「もういいよっ、どうせもう会わないんだし!」
伊月はしかめっ面でそう叫んだ。日をまたぎ、怒りも沈静化してきたかに思えたが、この一連のやりとりで、再び猛烈な怒りが頭角を現してきた。というか、収まる日が来るとは思えない。きっと一生根に持つ。
だってそうだろう。あそこまで期待させておいて、一方的に振るだなんて、そんなことがあっていいものか!?
「そ、そうだよね。一組と四組では、距離も離れてるし、唯一合同の体育も被らないし」
「うん、もうきっと会わないから大丈夫だって伊月!」
口々に伊月を元気づける万里子と香奈恵。彼女たちの献身的ともいえる慰めに、しかし肝心の伊月の心はやさぐれたままだ。
「くそったれ……」
思わず罵詈雑言を口にする伊月に、二人の友達は若干引いた。
「な、なんか伊月、キャラ変わった……?」
「何が『あの頃とはちょっと変わったみたいだね』だよ! あんたの方は全っ然変わってなかったね! むしろ屁理屈度が前にも増してレベルアップしてんじゃない? あんなやつ友達にだって欲しくない! 私だってすぐに忘れてやる! 小学生の記憶もろともね!!」
捻くれたように口元を歪める伊月に、万里子と香奈恵は顔を見合わせた。
なんか今日の伊月、おかしい……。
彼女がこうなった原因は重々承知しているが、それでもそうは思わずにはいられない二人だった。