02:デート当日


 あれよあれよという間に数日が経ち、土曜日がやってきた。
 荻野からの誘いがあってから、連日伊月は散々友人たちに連れ回され、服や靴を買ったり、髪形のアレンジ方法を伝授されたりと、忙しい日々を送っていた。たくさん買い物をしてしまったせいで、伊月の財布はもうすでにすっからかんだったが、今日この日のことを考えずに済んでいたので、ある意味では彼女は友人たちに感謝してもいる。

 伊月は、なかなかに硬い表情で待ち合わせ場所へ向かっていた。
 彼女とて、初めて異性と二人きりでデートをするのだ、緊張しない訳がなかった。

 待ち合わせ場所の石津川駅は、閑散としていた。そもそも、ここで待ち合わせをするほど近くに何かがある訳でもなく、普通の若者なら、ここから一駅のもっと大きな駅で待ち合わせをするのでは、と伊月も思ったほどだ。
 だからこそ、荻野の姿はわりと早い段階で見つけていた。近くにベンチがあるにもかかわらず、背筋を伸ばし、こちらに背を向ける形で立っていた。待たせては悪いと、伊月は小走りに彼の元へ向かった。

「ごめんね、遅れて」
「いや。まだ十分前だから遅れてない。僕が早く来ただけのことだ」
「う、うん……」

 きっぱりと首を振る荻野に、伊月は曖昧な表情を浮かべた。喜んだ方が良いのか、スルーした方が良いのか、純粋に反応に困ったのだ。
 そんな伊月はさて置き、荻野の方はバッグからきびきびパンフレットを取り出した。

「十時半から映画を見ようと思う。ここから一駅の所にある映画館だ。君が好きそうな映画が分からなかったから、適当に選んだんだが。恋愛ものは好きか?」
「……うん。好き、かな」

 これまた伊月は曖昧に笑みを浮かべた。本当のことを言えば、恋愛よりはホラーやアクションの方が好きだったのだが、ここでそれを言えばただの空気の読めない女子だ。

「じゃあ行こう」
「うん」

 揃って切符を買い、電車に乗る。一駅とはいえ、沈黙が辛くて、伊月はあらかじめ考えてい置いた質問事項を口にした。

「荻野君もこの近くに住んでるの?」
「いや。僕はもう三駅向こうだ」
「……え? それなら現地集合でも良かったんじゃない?」
「いや。待ち合わせも醍醐味だろう。現地集合じゃ味気ないと思って」
「そんなものかなあ」

 伊月は釈然としない思いを抱えながらも、一旦は頷いた。長く議論するほどのことでもないと思った。
 電車を降りて、駅の目の前のビルに入った。最上階までエレベーターで上がり、映画館へ到着する。
 荻野が迷いなく発券機の方へ行くのを見て、伊月は目を丸くした。

「あれ、もしかしてもう買ってあるの?」
「ネットで買っておいたんだ」
「用意が良いね。……あ、チケット代払うよ」

 伊月は慌てて肩掛けバッグから財布を取り出した。

「いや、大丈夫だ」
「え、でも……」
「ほら、早く行こう。もうすぐ映画も始まる」
「うん……ありがとう、ごめんね」

 困ったように伊月は笑い、再び二人は歩き出した。アナウンスで入場の合図が鳴り響き、それに合わせて幾人かの人々が入場していく。
 自分達も当然それに続くものだと思っていた伊月は、唐突に振り返った荻野に驚いた。

「何か食べる?」
「あ……ううん、私はいいや」

 荻野は売店のフードメニューを指さしたが、一瞬躊躇った後、伊月は結局首を振った。堅物そうに見える彼は、きっと映画中に物を食べることを良しとしないだろうと思ったのだ。お出かけするときは、相手に合わせるのがもっぱら伊月のモットーだった。
 二人が映画館の中へ入って間もなく、映画が始まった。
 映画は、身分違いの恋がテーマの物語だった。戦国時代が舞台で、敵国で人質として育ったお姫様と、その家臣との恋物語。駆け落ちしようとする二人に追っ手がかかるが、最後は海に追いやられ、二人が手を取り合って心中するところで物語は終わった。
 始めこそ伊月は緊張していたが、次第に映画の中身に心を奪われ、楽しく過ごすことができた。悲恋がテーマではあるが、物語中、胸がドキドキするのも一度や二度ではなく、主役二人にすっかり感情移入してしまった。

「近くでご飯を食べよう」

 映画館を出てすぐ、荻野はそんなことを言った。伊月はすぐに頷いた。丁度お昼をまわったばかりで、お腹も空いている。そして何より、思う存分映画について話したい気分だった。
 駅前には、たくさんの店が並んでいた。朝来たときにはあまり目につかなかったが、和食や洋食、中華や韓国料理の店まで建ち並んでいた。どの店がおいしいのか、どの店が安いのか。
 そんなことを考えながら、伊月はキョロキョロしていたが、隣の荻野が、ふと足を止めたので、彼女もそれに倣って立ち止まった。

「どうしたの?」
「この店でいいかな」

 一瞬の迷いもなく、彼はお洒落なパスタ屋を指さす。その様から、何となくではあるが、デート前に計画していたのではないかと伊月は思った。

「うん、いいよ」

 特に好き嫌いもないので、伊月は軽く頷いた。
 店は多少混んでいたが、そう時間をおかず座ることが出来た。二人揃ってパスタを頼み、冷たい水を一口飲んで早々、伊月は口を開いた。

「面白かったね」
「映画?」
「うん」

 早々と店員がジュースを持ってきてくれた。ストローをくるくる回しながら、また喉を潤す。

「すっかり感情移入しちゃった。切ないよね」

 荻野がどう思っているかが分からないので、伊月は窺うようにして無難な感想を口にした。悲恋ものというのは、受け取り方が人によって様々なのだ。
 何より彼は偏屈そうだし……と、なかなか伊月も失礼なことを考えていると、荻野は考え込むように首を傾げた。

「切ない……か。僕としては、あまり納得がいかないな」
「なんで?」

 予想通り、彼はすんなりとは頷けないようだ。興味を引かれ、伊月は尋ね返した。

「死んだら全て終わりじゃないか。なぜあそこで死ぬって言う発想が出てくるのかが理解できない」
「でも追手も迫って来てたし……。もし捕まったらきっと離ればなれになるんだよ?」
「もっと綿密に計画を立てれば平気だったと思うよ。その場の勢いで行くからそうなるんだよ」

 店員がやってきたので、荻野は一時話を中断した。フォークを手に取り、綺麗にパスタを巻き取りながら、彼は再び話し出した。

「父親が説得できなかったからすぐに駆け落ちっていうのは、早計すぎだと思う。まずは外堀から埋めていくとか、駆け落ちするにしてもお金を用意するとか。どうして早急に事を進めようとするのかなって」
「うーん……」

 そう言われてしまえばおしまいだ。
 伊月は間延びした返事を返し、思考を飛ばした。
 彼の言うことも充分によく分かった。繰り広げられた物語を、もうそう在るものとして認識せずに、あくまで客観的な立場として指摘したくなってしまうのだろう。確かに、伊月の方も、腑に落ちない点はいくつかあったが、しかしいざ自分が当事者だったとして、そう簡単に最善の手を考え得ることができただろうか。

 伊月はパスタを咀嚼しながら、チラリと荻野に視線を向けた。

 ……彼なら、きっと石橋を叩いて叩きまくって、それからようやく渡るのだろう。たとえ自分で最善の駆け落ち計画を立てたとしても、念には念を入れて、恋人には伝えないような気がする。挙げ句、不安に思った恋人に、私のことが嫌いになったの、と泣きつかれるのだ。

「なに? どうかした?」

 不意に荻野の視線が伊月に向いた。失礼なことを考えていた伊月は、思わずパスタを喉に詰まらせ、ゴホゴホと咳をした。

「大丈夫?」
「う、うん……。ごめん」

 なんだか急に申し訳なくなって、伊月は言葉少なにジュースを飲んだ。
 その後も、二人はポツリポツリと映画について話をしながらご飯を食べた。何度か荻野は私見を口にしていたが、伊月がそれに合わせて自分の考えを口にすることはなかった。