第四章 自由か、服従か
35:音貝を探して
神殿の地下は、まだ人が少ないだけ良かった。
これならば、誰かに見つかることなく倉庫にたどり着けるかもしれない。
そう思った矢先、曲がり角で神官と鉢合わせした。セリア達は非常に驚いたが、彼はもっと驚いたようだ。困惑したように目をぱちくりさせていたが、見慣れない顔だと分かると、途端に眉間の皺を濃くする。
「誰だ、お前達は!」
「くっ、こうなったら――!」
セリアの隣から、男が飛び出した。反射的に身構えた神官と全力で掴み合う。
――内勤ばかりの神官と、地下暮らしの人魚の末裔。
その力量は、五分五分だった。一進一退の攻防が続く。
もう一人の男が参戦しようと機を窺うが、それを見越してか、神官と取っ組み合いながら男は叫んだ。
「先に行け! 俺はこいつを始末してから行く!」
「行こう、セリアちゃん!」
「は、はい!」
背中を押され、セリアも慌てて走り出した。あの神官を取り逃がさず、押さえ込むことができれば良いが、もしできなければ、神殿中に侵入者――いや、逃走者が出たということが露呈してしまう。
そうならないよう必死に祈るセリアだが、どうしても嫌な予感が拭えない。
「ここだ、ここが倉庫のはずだ!」
目の前を走っていた男が、唐突に立ち止まった。事前に神殿内の地図を見ていたらしい。
「俺は入り口を見張ってるから、セリアちゃんはカイル達を連れてきて!」
「はい!」
返事をしたときには、もうセリアは扉を開けていた。その中に身を滑り込ませ、バタンと扉を閉じれば、途端に静寂が訪れる。
倉庫の中は、ひんやりしていた。音貝を劣化させないためか、倉庫内には本当に最低限の明かりしかなかった。暗く足下がおぼつかない中、セリアは一歩一歩ゆっくり歩みを進める。
「カイル、サリム……?」
セリアの小さな声が、思っていた以上に部屋に反響する。セリアは咄嗟に口をつぐんだ。そんなわけないのに、もしかして誰かに聞きつけられてしまったらと思ったのだ。
足音を忍ばせながら、セリアはどんどん奥へ入っていった。
一体カイル達はどこにいるのだろう。ここにいるのなら、もう私の存在に気づいて声をかけてくれてもおかしくないのに。
しばらく進んだところで、何者かの丸まった背中を発見した。その姿を見つけたとき、急に暗闇で動いたので、正直セリアは心臓が縮み上がるほど驚いたのだが、何てことない、よく見ればそれは小さなサリムだった。ガラスケースから出した音貝を両方手に持って、片方を耳に当てている。
「サリム――」
驚かせるつもりなどなかった。本当に小さな声で、窺うように声をかけたのだが、サリムは悲鳴を上げて尻餅をついた。音貝がコロコロと地面に転がっていく。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫……あっ、でも音貝が!」
慌てたようにサリムか音貝を手に取る。幸いなことに、どちらも壊れてはいないようだ。
「良かったね、大丈夫そう」
「うん、良かった……って、お姉ちゃん!? どうしてここに?」
ようやくセリアの存在に気づき、サリムは目を丸くした。この事態を聞きつけたのか、更に奥にいたカイルも駆け寄ってきた。
「セリア!」
「ね、二人とも。お父さんとお母さんの音貝は見つけたの? 早く行かないと、水門が閉まっちゃう」
「うん……」
カイルとサリムは、何か言いたげに互いに顔を見合わせた。
訪れる沈黙に、セリアは困ったように笑う。
「私も一緒に探すから急ごう!」
それだけ言うと、セリアはすぐそばの音貝を検分し始めた。
――説得は、最初から諦めていた。両親を思う気持ちは、セリアにだって分かる。二人がもうこの世にいないというのなら、その気持ちがなお強くなってしまうのも仕方がない。
「……ありがとう」
二人は、小さな声で礼を述べ、再び音貝を探す作業に戻る。倉庫内は、再び静かになった。
音貝は、一つ一つガラスケースに入れられていた。誰の音貝なのか、ガラスケースの前には名前が彫られてはいるが、部屋の明かりがそこまで届かず、結局、一つ一つ歌声を聞かなければ、誰のものなのか見当もつかなかった。
セリアも、一緒に探すと宣言したものの、貝から流れてくる歌声の区別はほとんどつかなかった。カイル達の両親の歌声を聞いたのは、たった一度きりだったし、どの音貝も、似たような曲調のものばかりだったのだ。
ここまで勢いで来たはいいが、結局役に立ってないなあとセリアは少々落ち込む。そもそも、来たこと自体がお節介ではないのか。
だが、そこまで考えて、セリアは首を振って思い直した。
お節介だろうが何だろうと、来たかったのだから仕方がない。
なんだか妙にスッキリした面持ちで、セリアは再び作業に戻った。しかし、彼女が一人悶々悩むうちに、カイルは速やかに件の音貝を見つけたらしい。
「見つかった! これだ、これだよ!」
突然カイルが叫んだ。セリアとサリムは歌声に聞き入っていたため、再び驚かされたのだが、すぐにその不満も吹き飛ぶ。二人はすぐにカイルの元に駆け寄った。
「本当? 良かったね! 全部見つかったの?」
「うん、これで全部見つかった」
カイルは心から嬉しそうな笑みを浮かべ、セリアの耳に音貝を当てる。不思議に思いながら、セリアは貝から流れてくる歌声に耳を澄ました。
「あれ? これ……」
「うん、君のお母さんの歌声」
音貝から流れてきたのは、以前楽会で聞いたものと全く同じだった。たった一度聞いただけだが、その声は頭の中に刻みつけたからよく分かった。
「じゃあ、二人はお母さんの音貝も捜してくれてたの?」
「うん。折角忍び込むのならと思って。それに、神官達に一泡吹かせないと気が済まなかったし」
「もう……」
してやったりといった笑みで顔を見合わせるカイル、サリムに、セリアはどうしようもなく笑みを零した。
「じゃあ、早速行こう。もう忘れ物はないね?」
「大丈夫」
「セリア、音貝持っててくれる? 俺はサリムを背負うから」
「分かった」
五つもの音貝がセリアに渡される。移動する際、壊してしまうのではないかとセリアは不安で仕方がない。
そんな彼女の不安を余所に、カイルはサリムを背負った。サリムは小柄なので、カイルはゆうに背負えたようだ。そのまま三人で入り口に向かう。――ここまでは全て順調だったのだ。
カイルがドアノブに手をかけたところで、彼よりも早く向こう側からドアを開けた者がいた。突然目の前に迫ってきたドアに顔面を強かにぶつけ、カイルはしばしその場でめまいを起こす。
「お兄ちゃん!」
「丁度いい。袋のネズミだな」
入ってきた神官は、後ろ手にドアを閉めた。再び倉庫の中が真っ暗になる。
「扉の前の男は始末したぞ。神殿の鍵がないと思ったら、またお前達か」
ジリジリと近づいてくる神官は、勘違いをしているのか、見当違いなことを言った。まさか地下神殿の者たち全員が逃げ出したとは露にも思っていないようだ。
「さあ、大人しくしろ。今ならまだ罰も軽くすむぞ。じきにここに他の者も集まってくる。もう逃げ場はないぞ」
「それ以上近づかないで! それ以上近づいたら、ここにある音貝、全部壊します!」
音貝を抱えながら、セリアは声を張り上げた。普通に考えてみれば、セリアがそんなことできるわけはないが、神官からすれば、そんなこと分かりもしない。セリアの鬼気迫った表情が、本当にそんな暴挙を起こしそうだという錯覚を引き起こす。神官が一歩下がった。その隙を見逃すカイル達ではない。
「走って!」
カイルの声に、セリアは飛び出した。無謀にも神官に向かって体当たりをし、彼と共に地面に倒れ込む。勢いがあっただけに、神官は後頭部を強打したらしく、昏倒した。
「あっ……」
「早く行こう!」
やり過ぎてしまった気がして、セリアは一瞬戸惑ったのだが、カイルに背中を押され、彼女も走り出した。二人して走っているうちに、カイルが堪えきれなくて笑い出す。
「くくくっ……」
「もう、笑わないでよ」
「だ、だって、まさかあんなことするなんて」
「僕も驚いた。さすがお姉ちゃん!」
「変な褒め方……」
セリアは唇を尖らせて拗ねたが、いつまでもそんなことをやっている暇はない。すぐに真面目な顔になって周囲に警戒を張る。
「カイル達を探すために、二人の男の人が一緒に来てくれたんだけど、大丈夫かな」
「えっ、そうなの? でも、他の人魚達はもう水門に行ったんだよね?」
「そう。後はサリムだけ」
「そうか……」
カイルは少し間を開けた後、しっかり頷いた。
「でも大丈夫だよ。サリムさえ水門まで届ければ、もう人質はいなくなる。神殿もいつまでも二人を拘束できないだろうさ。それに何より、自由になった俺たちが抗議する」
「……うん、そうだね」
人魚さえ自由になれれば、もう後は怖いものはないのだ。地上にはまだエンリカ達がいるし、皆で力を合わせれば、捕まった仲間を取り戻すことなど簡単だ。――今回のように。
「セリア、そろそろ準備して。もうすぐ海だ」
「うん」
頷きながら、セリアはゴーグルと尾ひれを取り付けた。カイルはその隣で跪き、サリムを水路に下ろす。
「セリア、サリムをよろしく」
「え?」
「俺、もう肺を使い切っちゃったから。だから二人で行って」
「なっ……」
「サリム、元気でな。向こうでも頑張れよ」
「うん……」
あらかじめそのことは話し合っていたのか、兄弟の別れはなんとも簡素なものだ。セリ司はだんだん腹が立ってきた。
「置いていけるわけないでしょ」
セリアは怒ったような声で呟く。
「それに、こんなところでサリムと別れるつもり? もう会えないかもしれないんだよ?」
セリアはカイルの腕を強引に掴むと、そのまま水路に落とした。セリア自身も、カイルの隣に飛び込む。
「これ、一緒に使えば問題ないでしょ。一回呼吸したら交代。それでいい?」
「えっ、いや、でも――」
「文句は言わせない。ほら、サリムに捕まって。行くよ」
「俺はここでいいって。言ったでしょ? 神官に捕まったとしても、いずれ――」
「早くしないと、水門が閉まっちゃうでしょ!」
いつまでもグダグダ言うカイルを、セリアは一喝した。カイルは反射的に口をつぐむ。
「――お姉ちゃん、格好良い」
「無理して褒めてくれなくてもいいよ」
サリムの顔が引きつっていたので、彼が何を思っていたのか、想像に容易かった。
セリアとカイルはサリムに捕まると、深く海に潜った。一呼吸で肺を交換しながら、サリムと共に、二人を地上を目指した。