第四章 自由か、服従か
34:兄弟を探しに
水門へは、順調に案内することができた。セリアの泳ぎは、人間にすれば早いほうだし、尾ひれもあったので、十分な速さが出たのだ。
オスカーの調査結果と比較すると、例年よりわずかに水面が高かったが、建物との隙間は充分にあり、適度に酸素を取り入れることができた。ゴーグルも、視界が良好だと評判が良かった。
しかし、セリアの心に頑として不安が残るのは、カイルとサリムのことである。カイルはまだどうにかなるかもしれないが、サリム。彼だけでも、なんとしてでも神殿から出して、海へ連れて行かなければ。もしこの機を逃せば、彼一人神殿に残り、見世物と扱われるかもしれないのだ。そんなこと決してあってはならない。
やがて、水門へたどり着いた。辺りの波は穏やかで、開かれた門からは、たびたび新鮮な海水が流れ込んでいる。反対に、この一年ずっと汚物が垂れ流しになっていたラド・マイムの海水は、大海へと徐々に押し流されている。ゴミを自然に捨てているようで、その光景は気分の良いものではなかったが今更どうにかできるものでもなく、セリアは目をそらした。
「カイル達、やっぱりまだ来ないね」
「セリアちゃん、今から迎えに行くんだよね?」
「気をつけて」
最後の休憩地で、セリアを中心に、皆が集まった。セリアはしっかり頷く。
「この先をまっすぐ行ったら、もう水門ですから。……皆さん、お気をつけて。地下神殿で受け入れてくれたこと、私、本当に嬉しかったんです。今までありがとうございました」
「ううん、こちらこそ。アデレード達やゴーグルのこと、それに危険な案内役を引き受けてくれてありがとう」
「い、いえ、私の方こそ――」
こんな私で役立てたなら。両親が、私のために皆を裏切ったことを、少しでも許してくれるのなら。
彼女にとって、これほど嬉しいことはないだろう。
時間も惜しいので、挨拶もほどほどに別れることになった。別れ際、ウェルナーは心配そうな表情でセリアを抱き締めた。
「私がこんなことを言うのもあれですが……カイルとサリムのこと、よろしくお願いします」
「はい。任せてください。絶対に連れて行きます」
*****
水路よりも地上からの経路の方が圧倒的に早いので、セリアはすぐさま地上に上がった。人通りも多く、すれ違う人たちからは奇異の目で見られたが、構いやしない。早く合流場所に行かなければという思いで一杯だった。
しかし、合流場所にカイル達の姿はなかった。代わりにサンドラがいた。彼女もいても立ってもいられないようで、行ったり来たりその場を歩き回りながら、時折じっと水路を見つめている。
「サンドラさん!」
「ああ、セリア! 戻ってきてくれたんだね!」
「カイルとサリムはまだ……?」
「本当に何をやってるんだろうね、あの子達は! 皆は無事に水門に?」
「はい。送り届けました」
「そうか……」
後はカイルとサリムだけなのに、二人が現れない。
セリアは迷わず運河に飛び込んだ。
「セリア!?」
「私、見に行ってみます。心配で」
「でも危ないよ。神官に見つかるかもしれないし」
「大丈夫です!」
何より、自分がじっとしていられないのだ。
肺と尾ひれ、ゴーグルを装着し、セリアは海に潜った。潜水するのはもう慣れたもので、あっという間に地下神殿にたどり着いた。もどかしい思いで尾ひれとゴーグルを外し、辺りを見渡す。
神官の姿はなかった。もちろん、カイル達も同様に。
記憶を頼りに、食事が出される配給所まで行く。食事が出されるのは、隣の小窓からだが、配給所には大きな扉があり、ここから神官達が出入りするのだと、カイル達から聞いていたのだ。
カイル達は、神殿の鍵を持っていただろうから、おそらくここから神殿に向かったのでは。
そう思ったのだが、その予想を裏切り、扉は固く閉ざされたままだった。落胆していると、ポンと何者かに肩を叩かれ、セリアは盛大に飛び上がった。
「なっ――」
「セリアちゃん? どうしてここに?」
そこに立っていたのは、カイル達を探すと名乗りを上げてくれた男性二人組だった。緊張を緩め、セリアは説明する。
「皆を送った後、合流場所に誰もいなかったので、私もここへ来たんです。カイル達は?」
「いや。そもそもここから出られなくて俺たちも困ってたんだ。あいつら、鍵を使ってここを開けたと思ってたけど、そうじゃなかったみたいだ」
「そもそも、カイル達は鍵を持ってるんですか?」
セリアは不思議そうに聞き返した。鍵はエンリカ達が奪い、地下神殿に届けるという話だったが、なぜカイル達が持っているということになっているのか。
「ウェルナー先生が牢屋に入れられてて、先生を出すからって、カイル達に渡したんだ」
「ウェルナー先生、やっぱり牢屋に入れられてたんですか……」
セリアは一瞬勢いをなくした。自分のせいで、敬愛すべき先生があんな窮屈な所に入れられたなんて、としばし己を責める。
だが、セリアはすぐに立ち直った。この状況で、いつまでもくよくよしているわけにはいかない。会えるかどうかは分からないが、ウェルナーには後で誠心誠意謝れば良いことだ。
今は何より、彼の頼みでもある、カイル達を探さなければ。
「でも、ということは、鍵は持ってるのに、他の所から神殿に行ったって事ですよね」
「だろうな。たぶん、このすぐ上は警戒がきついから、違う毛色で行ったんだろうけど」
セリアは頭を切り替えた。途端に、あることに思い至った。
「ちょっと思い当たることがあるんですけど、いいですか? 間違ってるかもしれないけど、他に上へ行ける道を知ってるんです」
「本当か? でも、なんでセリアちゃんが……」
「以前、楽会に侵入したときに使った経路で。でも、まだ閉ざされてないかは分かりませんけど……」
あの時、セリアとカイルは掴まったが、サリムは自力で地下神殿に戻ってきたのだ。それならば、侵入した経路を誤魔化せていた可能性が高い。もしも前々からこのことを計画していたのなら、安全に上へ行ける経路はもちろん残しておきたいはずだろう。
今回ばかりはセリアの予想は外れていなかったようだ。男子用の手洗い場の掃除用扉。緊張の中、ゆっくりドアノブを回せば、すんなり扉は開いた。カイル達は、ここから神殿に侵入したのだ。
「なるほど、ここから三人は楽会へ行った訳か」
「その節はお騒がせを……」
「良いって事よ。お母さんの音貝、綺麗だったろ?」
「はい。とっても綺麗でした」
セリアは深々と頷く。彼にそう言ってもらえるだけで、自分のことを認めてもらったような気がして嬉しかったのだ。
神殿内を歩きながら、二人の男性から、音貝の在処について聞いた。音貝は、神殿の地下の倉庫に、まとめて保管されているらしい。もちろん、その倉庫には鍵がかかっているが、神殿の扉はほとんど一つの鍵で開けられる構造になっているから、カイル達もおそらく容易に侵入できただろうと彼らは語った。
だが、問題は、こうしている間にも、二人とすれ違うことは全くないことだった。カイル達の両親の音貝を見つけるだけなら、すぐ見つかるはず。部屋が見つからないのか、それとももう神官に掴まってしまったのか。
セリア達の想像は、どんどん悪い方向に進んでいくばかりだった。