第二章 人間か、人魚か

13:隔離された場所


「お姉ちゃん!」

 サリムの大きな声で、セリアは一気に夢の中から引き戻された。あまりの強烈さに、つい先ほどまで何かの夢を見ていたのだが、さっぱり思い出せない。
 セリアはぱちくりと瞬きを繰り返すと、目の前のサリムの顔を見返した。
 ――彼が目の前にいることは理解した。しかし、近い。問題は、彼の距離が近すぎることだった。

「サリム、どうして牢屋の中に?」

 ついにサリムも何か問題を起こしてしまったのか、とセリアの気が遠くなりかけた頃、辺りの異変に気がついた。己のいる牢屋の中には、サリムだけでなく、なんとカイルもいたのだ。彼の後ろには、鍵を持った看守もいる。

「これは……いったいどういうこと?」

 困惑を隠せずにいるセリアに、サリムは嬉しそうな声を出した。

「お姉ちゃん、ここから出られるんだよ! そういう風に話し合いが落ち着いたんだよ」
「そうなの? ありがとう、色々と動いてくれたんだよね」
「お礼は先生に言って。先生が神官たちに取り持ってくれたんだ」
「先生?」
「こんにちは、可愛いお嬢さん」

 カイルの後ろから、にゅっと何かが出てきた。水路から大きく身を乗り出しているのは、男性の人魚だ。

「こ……んにちは」
「おや、驚かせてしまいましたか」

 気恥ずかしげに笑う彼に、セリアは大きく両手を振った。

「す、すみません。サリム以外の人魚を見るのは初めてで、つい……」
「それもそうですね。いきなりですみません」
「い、いえ、こちらこそ……!」

 お互いにぺこぺこ頭を下げ、なんだかよく分からない雰囲気になる。

「ほら、さっさと出してやるよ」

 看守は薄く笑ってガチャガチャと鍵を開けてくれた。未だに信じられず、セリアはゆっくりと牢屋から出た。

「じゃあ私、地上に戻れるんですか?」
「あ……や、そのことについてなんだけど」

 カイルの視線が泳いだ。そのことから、セリアも敏感に察する。

「すみませんね、セリアさん。あなたを牢屋から出すことについては説得できたのですが、あなたを地上に戻すことについては、まだなんとも言えないんです。これからも話し合うつもりですが、神官たちは、あなたがここの秘密を漏らしてしまうことを警戒しているようで」
「私、誰にも言いません、ここのことは」
「そのことについては私も信用していますよ。カイルたちが信頼を寄せている方ですから」

 ウェルナーは安心させるように微笑んだ。しかしすぐにその表情が陰る。

「しかし、堅物な神官たちはそうはいかないんですよ。もとより、私たち人魚すら信用していない彼らのことです、説得には時間がかかるとは思いますが、どうかこの一件、私に任せてはくれませんか? どうにかして、あなたを地上に戻して見せますから」
「い、いえ、こちらこそよろしくお願いします」

 申し訳なさそうな表情で頭を下げるウェルナーに、セリアはそれ以上深く頭を下げた。元はといえば、考えなしにカイルたちを追いかけた自分が悪いのに、いろんな人に迷惑をかけたようで、セリアは自分が情けなくて仕方がなかった。

「じゃあ早いところもう出ようよ。お姉ちゃんもいつまでもここにいたくないでしょ」
「あ……そうだね」

 随分と牢屋の中で話し込んでしまった。セリアは少々顔を赤らめ、サリムを先頭にしてカイルの後をついて行った。長い地下牢を歩き、階段を上ればすぐに明るい光が目をさした。久しぶりの明かりに、セリアは眩しげに目を細める。

「じゃあな、もう牢屋になんか戻ってくるなよ」
「あ、はい。ありがとうございました」

 適当に手を振った後、看守はフラフラと酔ったような足取りでまた地下牢へと姿を消した。なんだかんだ、彼はいつも食事を持ってきてくれる際、話し相手になってくれたので、セリアは少しだけ名残惜しい気持ちになった。

「お姉ちゃん、じゃあ今から僕が神殿の中を案内するよ!」

 サリムは嬉しそうにセリアの手を引いて駆けだした。しかし、すぐに後ろから声がかかる。

「サリム、セリアもきっと疲れてるよ。案内は明日でいいんじゃないかな」
「えー……」
「そうですよ。今日のところは、一緒に食事をするだけで我慢しましょう」
「……分かった」
「ごめんね、サリム」

 本当のところ、セリアも疲れていたので、カイルやウェルナーの気遣いは嬉しかった。もちろん、神殿を案内してくれるというサリムの気持ちも。

「じゃあ夕餉を食べに行こうか」
「うん、お願いします」

 セリアもお腹はぺこぺこだった。居候の身とはいえ、どんなものを食べられるんだろうとワクワクしていた。
 神殿内は、常に道と水路とが併設されていた。人間と人魚が共存して暮らす場所としては、理想の場所だろう。人魚用に、ぽっかりと開いた水盤や、大きな噴水が所々に設けられている。人間用には、水路の上を通れる橋であったり、石段であったり。神殿の地下は、散歩するだけでも楽しい場所だった。
 食堂への道中、セリアは時々遠巻きに視線を感じていた。そちらに視線を走らせれば、パシャッと音がして、水面が揺れる。人魚だろうかと思ったのも束の間、カイルが困ったように笑って振り返った。

「みんな物珍しいんだよ。俺たち以外の人間を見るのは初めてだから。でも、みんな優しいから、きっとすぐに慣れると思うよ」
「そうかなあ」

 どうせなら、カイルたち以外の人とも仲良くなりたいセリアは、期待に胸を膨らませた。いつかは地上に戻ることを考えれば、あまり親しくするのは良いことだとは思えないが、しかし、少しだけなら。
 今まで人との関わり合いが極端に少なかったセリアは、これから訪れるであろう日々が楽しみで仕方がなかった。――こんなことを言ったら、セリアを地上に戻すために奮闘してくれると言ってくれたウェルナーに悪いのだが。
 やがて、セリアたちはようやく神殿の端にたどり着いた。明かりの少ない、なんだか廃れた場所だ。てっきり大きなテーブルや、大勢の人でごった返している食堂のような場所を想像していたセリアは、虚を突かれた思いだった。

「ここでご飯を食べるの?」

 テーブルも何もないところで。
 そもそも、どこにご飯があるというのだろうか。

「ここで食べてもいいけど、ほとんどの人は自分の部屋に持って帰るか、広場でみんなと食べるかな」

 簡単に説明をしながら、カイルはさらに先を行った。そうしてたどり着いたのは、小さな窓のある場所だ。その隣には、鉄製の重厚な扉もある。

「この窓から神官が朝昼晩、それぞれご飯を出しておいてくれるんだ。僕たちはそれを好きなときに食べる」
「そ……そうなんだ」

 セリアは戸惑いながら頷いた。
 うまくは言えないが、何かがおかしいと思った。

「セリアさんは食堂を想像していたのかもしれませんが、ここは単なる配給所ですよ」

 そんなセリアの心境を察したのか、ウェルナーが言葉を付け足した。だが、それでもぬぐえない違和感。
 なんだか、言葉は悪いが、「飼われている」ように感じたのだ。地下深くに閉じ込められるように生活し、時間が来たら、機械的にご飯を出される。もしかしたら、この小窓から乱暴に食事を出されるだけで、神官とここで暮らす人たちは世間話すらしないのかもしれなぽ。むしろ、つい先ほどまでセリアが入っていた牢屋とそれほど変わらないとまで思った。人間や人魚が暮らしやすいよう工夫はされているようだが、自由がないという意味では同じだ。それどころか、ここでの生活の方が、もっと虚しく感じるように思えた。少なくとも、カイルやサリム、ウェルナーやここで暮らす人々は、悪いことなど何一つしていないのだから。
 どうして彼らはこんなところに閉じ込められているんだろう。
 四人で輪になって食事をする間、セリアはそればかり考えていた。