08:こんなはずじゃなかった


 くしゃり、と手の中で紙が音を立てたことに気付いた。リディアは慌てて皺を伸ばしたが、その手もすぐに止まる。ひらっと手紙を机に放りだすと、リディアはベッドに倒れこんだ。


 返事が、書いていなかった。
 休日にサイラスの所へ行きたいと書いたのに、返事が欲しいと書いたのに、返事が無かった。これは、どういうことなのだろうか。
 リディアは目を閉じて寝返りを打つ。
 別に、嫌われてはいないと思う。現に、丁寧に近況報告がなされた手紙がこちらに届いているのだから。にもかかわらず、休日についての返事が無いのはどういうことだろうか。
 ……無視、されたのだろうか。
 リディアとサイラスは喧嘩友達だ。もともとリディア自身も、会いに行ってもいい? なんて聞く柄じゃない。それを急に手紙でやられたのだから、サイラスは少々戸惑ってしまったのかもしれない。……彼ならありそうなことだ。
 しかし、そうは言っても長年付き合いのある幼馴染を傷つけるわけにもいかず、不器用なサイラスは無視ということでひとまず解決を図ったのかもしれない。……彼ならありそうなことだ。
 仄かな明かりですら眩しくて、リディアはついに腕で自身の目を覆った。長く、冷たい息が漏れる。
 私よりも、仲良さそうな人がいるじゃない。
 その言葉は声にはならず、ぐるぐるとリディアの中で渦巻いた。
 複雑だった。村にいた頃は、近くに同じような年頃の子供がおらず、リディアとサイラスは互いしか遊び相手が居ない状況だった。それでも村の中心に行けば子供はたくさんいるし、皆と一緒に神父様に字を習うことも多々あった。しかし、そんな中でもどうしてか、サイラスとは不思議な絆で結ばれているような気がしていた。自分もサイラスのことを理解しているし、向こうもリディアのことを理解している。そんな不思議な心地。
 しかし、それは全て思い上がりだった。それは全て、閉鎖された空間において形成されたただの仲間意識だったのだ。囲いが消え去ったならば、仲間意識などとうに消えてなくなってしまう。新たに作られた世界で、リディアとサイラス二人、新たな、そして異なった仲間意識が自然と形成されるのだ。
 向こうには向こうの生活があるし、友人がいる。幼馴染だからといって、今更サイラスの休日を貰おうなどと、虫が良すぎるのかもしれない。
 リディアはふっと嘲笑の笑みを浮かべると、ベッドから起き上がり、身支度を整えた。
 手紙はまた今度書こう。今すぐ書かなくても大丈夫だ。サイラスだって新たな生活に慣れるため、時間が必要なはずだ。昔の仲間意識に捕らわれて、それをふいにすることなどあってはならない。それは、私にも言えること。
 しかし、そんなに簡単に気持ちを切り替えることなどできるのだろうか。
 今度手紙を書くときは苦労しそうだ。
 リディアはそっと唇を噛んだ。


*****


『良かったね。サイラスに親しそうな友人ができたこと、私も嬉しく思います。お体にお気を付けください』
 せっかく何か書こうと思ったのに、萎む気持ちに鞭を振るって書いたのは、こんな短い文章。素っ気ないにも程がある。
 しかし、書こうと思えば思うほど、どうして無視したのか、私との文通が嫌になったのか、私が会いに行くのはそんなに嫌だったのかと鬱々とした気持ちが溢れて来て、思うように書けなかった。だから、短くするしかなかった。
 サイラスの返事は、いつもより早く届いた。
『何か急に短くなったな。いつも近況報告詳しく書いてあったのに。何かあったのか?』
『別に何もありません。私の方は、最近になってちょっと忙しくなってきたし、でも書くほど真新しいことはないし。手紙でわざわざ報告するほどのことじゃないの。サイラスの方はどうですか?』
 言葉に棘があるのが分かる。でも、どうにもできない。
 白々しい、何があったかなんてどうして聞くんだろう。
『確かに俺の方も結構慣れてきたからな。単調な毎日が続いてる。あんまり書くことないかも』
『でも楽しそうだもんね。マーカスさんて人と仲良いんでしょ?』
 単調な毎日。そう言っている割には何だか楽しそう。
 楽しくて、何も心配することがないから平凡に感じるのではないだろうか。私の生活は、平凡とは程遠い。
『別に仲良いわけじゃないし。向こうが突っかかってくるだけだし』
『でも、それなら私なんかと手紙交換するの申し訳なくなってくるね。大したことも書かないのに、毎回毎回文通しちゃって。サイラスの方も忙しいんでしょ?』
 友達ができたのなら、誰だってそっちを優先する。同郷なだけの幼馴染が会いに行くのも面倒なんだろうし、訓練も忙しいのなら、手紙を書く時間すら惜しいはずだ。
『別にそんなに苦なわけじゃないし。何だ、リディアは止めたいのか?』
『別にそんなこと言ってない。サイラスが手紙書くの面倒だって思ってそうだなって思っただけ』
 思ってそう。
 それはただの思い込みかもしれない。でも、口にせずにはいられない。自分が早く楽になりたいから、サイラスにもそれを肯定してほしいのかもしれない。
『何だよその言い方。感じ悪いな。面倒なんてこっちは言ってないだろ』
『言ってなくてもこっちは感じるの! サイラスも随分楽しそうに毎日過ごしているみたいだし、別にそっちが面倒って言うなら止めてあげるって言ってるの』
 何だか疲れてきた。
 文通をすればするほど、次第に自分の言葉が荒くなっていくのを感じる。もう止めた方がいいのかもしれない。もう少し時間を置いた方がいいのかもしれない。そうすればもう少し冷静になって、サイラスへの言葉を和らげることだってできたかもしれないのに。
『はあ? 止めてあげる? そんな言い方してるけど、正直な所そっちが止めたいだけなんじゃねえの? 俺のせいみたいに言うなよ』
『別にそんなこと言ってないし。自意識過剰じゃ?』
 図星なことを言わないでほしい。こっちの気持ちを察して、何も言わずに時間をおいてほしい。私から止める勇気なんてないのだから。
『お前って都合が悪くなると否定しかしないよな。なに勝手に一人で怒ってるんだよ』
『怒ってないし! そっちこそ勝手な思い込みで決めつけないでよ』
 怒ってるんじゃない。拗ねてる、嫉妬してる。でもこんなこと言えるわけがない。
『事実だろ。……もういい、もういいわ。何か疲れてきた。もう止めにしよう』
『そうだね。こっちも丁度そう言おうと思ってたとこ。じゃあね』


*****


 短い手紙の交換が続いた。
 手紙を受け取って読んでは、揺さぶられる感情をどうすることもできずに、思う存分書き殴ってすぐに送る。リディアは自分自身をも止められなくなっていって、次第に激化していく口論を止めることなどできなかった。
 いやむしろ、私達にしては上出来だったのかもしれない。村にいた頃は、顔を合わせれば口論、口論、口論の毎日。そんな私達が、数か月とはいえ近況報告だけの手紙が続いたのだ。十分上出来。……しかし。

「何が私達だ……」

 苦しそうに息を吐くと、リディアはごろんと寝返りを打った。
 思い返してみても、この口論の元は明らかに自分だった。勝手に嫉妬し、勝手に一人で怒って、勝手に相手を挑発した。自分勝手にもほどがある。
 何で、どうしてごめんの一言が言えないんだろう。
 いつもそうだ。村にいた頃も。相手が悪くても自分が悪くても、どうしてもごめんの一言が言えなかった。自分の矜持が、自分の性格が邪魔をして。
 こんなの、こんな自分は、サイラスにだって嫌われて当然だ。
 どんどん暗くなっていく自分の思考も嫌いだし、うじうじと悩むのだって嫌い。さらに言えば、まるで全ての服を引き剥がされたかように、サイラスの手紙の前では弱みを曝け出してしまっていることが信じられなかった。自分が自分でないかのように。
 こんな自分は知らない。
 そう思っても、心の奥底では理解していた。自分が、たった一人に感情を掻き乱されていることに。