06:休日がほしい
『俺の方も訓練がきついので、訓練中に友人たちとくだらない話をすることはあります。厳しい教官の愚痴とかはまだいいんだが、誰々が誰々のことを好きだとかもある。俺の方はあまりそういうことには興味はないんだが、友人がニヤニヤして聞いてくるので正直うざいと感じている。違うと言ってもなおのこと独りでに盛り上がる面倒なやつなので。リディアも友人選びには気を付けた方が良い、くれぐれも』
手紙をポンと机の上に放り出すと、リディアは勢いよくベッドに飛び込んだ。枕に顔を埋め、シーツを強く握りしめる。
急に、サイラスが遠い存在になったかのような気分だった。。
うざいだの面倒だの書かれているが、手紙からはその「友人」とやらと相当仲が良いことが窺える。
口ではそんなことを言っていながらも、実際はきっと相当仲がいいんだ、友人って自然に呼べるくらいには。
無意識のうちにリディアは唇を噛みしめていた。鋭い痛みにハッとしてようやく、そのことに気付く。治療のつもりで慌ててペロッと唇を舐めたが、気持ちはやりきれない。今度は枕を両手で抱き締めることで発散させてみた。
何故ただの幼馴染からの手紙で、こうも感情を揺さぶられなくてはならないのか。
リディアは不思議でならなかった。
サイラスをとられたような気がして、嫉妬……?
いや違う。
リディアはすぐに否定する。
嫉妬? そんなんじゃない。きっとサイラスが自分よりも早く友人を作れたことが悔しいんだ。それに、私よりも休日が多いし、私よりも先輩に恵まれているみたいだし。余計に悔しい。
それに何より、自分は今、通常よりも大分神経が擦り減っている。いつもより感情が揺さぶられるのは当然だ。いつもより虚しくなるのは当然だ。
勝手にそう納得すると、リディアは急に元気になってベッドに起き上った。すぐに思い立ち、机に向かう。
私だってそっちに負けないくらい元気で楽しいと書こう。何でも話せる友達だってできたし、優しい先輩だっているし――。
「ジェーン! さっさと起きておいで!」
しかしその気持ちは急速に萎む。今日は朝に手紙を書く時間が無いらしい。小一時間ほど、いつもの起床時間より早いはずなのに、年齢を重ねたメリッサは眠りが随分浅いようだ。
「ジェーン、何してるんだい!? 呼ばれたらすぐ来いって言ってるだろ!」
「はーい。すぐ行きます!」
リディアの方も小さく、しかしよく響く声で返事をした。早く行かなければ、他のメイドたちから、メリッサの声がうるさいとなぜかリディアが苦情を受ける羽目になってしまうのだ。
階下からは大声でぶつぶつと文句を言うメリッサの声がする。返事をしても彼女の大声は止まないようなので、慌てて身支度をして階下へ駆け下りる。どうやら手紙は明日の朝書くしかないようだ。
階下へ降り、今や生活の一部となってしまったメリッサの小言を聞き終えた頃に、ぞろぞろとメイドたちが起床し始めた。リディアも眠たい目を擦りながら使用人部屋へ集まる。メイド長マーサは皆が集まったのを確認すると、口火を切った。
「来月の下旬、旦那様方は揃って一日お出かけになるようです」
ざわざわと若いメイドたちの間が色めき立つ。マーサは鋭い視線でそれを黙らせると、コホンと咳ばらいをした。
「旦那様のご厚意で、使用人たちにその日一日休暇を、との言伝です」
今度こそワーッと騒がしい声が漏れ始めた。メイド長の甲高い声が埋もれるほどの明るい声が飛び交う。
「ね、その日どこ行く?」
「私は買い物にでも行こうかしら。新しいレースを買いに行きたいの」
「ふふっ、あたしは彼を誘うつもり。久しぶりのデートよ!!」
その中でリディアは、一人ぽつんと自分の足元を見つめていたが、その頬は皆と同じく緩んでいる。珍しく一日休暇が貰えるのだ。その日は何をしようと興奮で一杯だった。
「皆さん、お静かに!」
キーキーとマーサが声を張り上げる。次第に彼女の顔が怒りで赤く染まって行ったので、次第にざわめきは落ち着きを取り戻した。
「その次の日にはまた通常通り仕事があるんです! 各自くれぐれも羽目を外さない様に」
「はい」
「では解散。通常通り仕事を始めてください」
マーサはパンッと両手で叩いた。それを皮切りに、皆ぞろぞろと仕事へ向かう。
「ジェーン」
マーサの固い声に、リディアはピクリと肩が揺れた。おずおずとメイド長を見上げる。
「――はい」
「次の日も仕事があるの。その日、買い物だけは済ませておいてね」
「……あ、はい」
驚いたように返事をする彼女をマーサは眉をあげて見やった。しかし結局何も言わず、彼女も部屋を出て行く。リディアはホッと胸を撫で下ろした。
また何か用事を言いつけられるのかと思ったけど、買い物だけみたい!
買い物だけで午前中は潰れてしまうことになるのだが、それでもリディアは浮足立っていた。お金は少ししかないが、偶にはお出掛けするのも悪くない。
しかしそんな風に浮かれているリディアを、不愉快に見つめている者がいた。彼女は眉間にしわを寄せ、小さく息をつくと、まさに部屋を出て行こうとしているマーサに歩み寄った。
「メイド長」
「何かしら」
「その日、旦那様方は夜会へお出かけになられるのですか?」
「ええ、そうよ。詳しくは知らないけど、どこか遠くの方に行かれるので、一日がかりになるみたい」
ドリスとマーサが話しているのを見て、リディアは何となく嫌な予感がした。彼女らに気付かれないようにこっそり部屋を出ようとしたが、そんな彼女にドリスは鋭い瞳を向ける。
「あなたにも関係がある話よ、ジェーン」
「ジェーンにも?」
「はい。一日がかりなら、侍女たちだけで随行するのは無理があるのでは? 旦那様お一人ならまだしも、奥方様も若旦那様もいらっしゃることですし」
「……それはそうね」
考え込むようにしていたマーサは、納得したように頷いた。
「ジェーン、あなたも行ってちょうだい」
「そんな……!」
リディアの顔は絶望で染まった。その様をドリスはニヤニヤと見つめていた。が、リディアだってこのまま黙っているわけにはいかない。一瞬で気を取り戻すと、キッと顔を上げた。
「メイド長、それはいくら何でも酷すぎます。私だって休暇を楽しみにしてるのに……」
「そうは言っても仕事なのよ。仕方ないでしょう」
「でも――」
「口答えは許しませんよ。もともとこの休日は、旦那様のご厚意によるもの。休日のせいで旦那様のお世話を疎かにするなんて、本末転倒ですよ」
ぴしゃりと言い捨てると、メイド長はいそいそと去って行った。リディアにはその姿が余計に時間を潰されたくないように見えて、唇を噛む。
せっかくの休日が潰れるのも嫌だったが、何よりあのサリヴァンと一緒の馬車に乗るというのも嫌だった。リディアがサリヴァンを突き飛ばしてからというもの、彼は少々こちらを警戒するようになったが、それでも時々感じる彼の視線は、気持ちの良いものではなかった。貴族という立場のせいか、事が大きくなるのは避けたいらしく今は大人しいが、またいつあのように近寄って来られるとは分かったものではない。
暗い面持ちでリディアはため息をつく。ふっと顔を上げると、嘲笑は健在のまま、ドリスがすぐ側に寄ってきていた。
「いい気味ね」
その口元は綺麗に弧を描いている。リディアはこれ以上彼女に関わるまいと、黙って晩餐室へ向かった。しかしリディアの思いを他所に、ドリスはどこまでもついて来た。
「何よ、まだ用があるって言うの?」
「別にー? しばらくあなたの惨めな姿を目に焼き付けておこうと思っただけよ」
「…………」
言い返すのも疲れてリディアは暖炉の掃除を始めた。燃え残りと灰を掻きだし、鉄の部分には黒鉛を塗って磨き立てるのである。生来真面目なリディアは、やがて先ほどの不快な出来事をすっかり忘れ、暖炉を綺麗に磨くことに専念し始めた。それはもう、後ろのドリスの存在をすっかり忘れるくらいには。
「ちょっとあんた、人の話聞いてる?」
「――え? なに?」
急にドリスの顔が目の前に出てきたので、リディアは驚いて聞き返した。なぜ彼女はこんな所にいるんだろうと、リディアは見当違いなことを考え始めてる。
「だから! あなたがそんなに嫌だって言うのなら代わってあげてもいいけどって言ってるの!」
「……何を?」
「来月の休日の話よ!! 頭空っぽなんじゃないの!?」
思うように話が進まず、ドリスは頭を掻きむしった。しかし反対にリディアは訝しげな表情で彼女を見上げる。当然のことだった。
「……何を企んでるの? あなたから仕向けた癖に」
「心外ね。あなたを可哀想に思っただけじゃない」
いつもの調子を取り戻したドリスは腕を組む。口元には余裕の笑みが浮かんでいた。
「でもね、やっぱりタダってわけにはいかないわ。だって私だってせっかくの休日楽しみだったんだもの」
「……じゃあもともとこんなこと言いださなければいいじゃない」
「黙りなさい。あなたは黙って私の話を受け入れればいいの」
……もう言い返すのも面倒で、リディアは更に問い詰めようとしていた口を閉じた。
「それでいいわ」
満足そうにドリスは頷く。彼女の反応を窺いながらリディアは小さく口を開く。
「で、結局何を頼みたいの?」
「そう、それ。これから来月の休日まで毎日、私の代わりに銀器を磨きなさい」
「……はあ!?」
遅れてリディアは理解する。とんでもない取引だった。
「嫌よ! これから毎日ですって!? 体が持たないわ!」
「嫌ならいいのよ? あなたの休日が無しになるだけだから」
くっとリディアは詰まる。相変わらずドリスは余裕の笑みだ。憎らしくなってきた。そもそもなぜ自分だけこんな目に遭わなくてはならないのか。本来なら自分も皆と同じように休日を貰えるはずだったのに。
「……分かった」
やがて、心の中でぐちぐち言っていても仕方ないことに気が付いた。渋々リディアは頷く。ドリスの顔が途端にパーッと輝いた。
「ええ、取引成立ね。じゃあそういうことで。頑張ってねー」
ステップでも踊りたい気分でドリスは晩餐室を後にした。扉を完全に閉じてからようやく、くふふ、と笑いが漏れだす。全て自分の思い通りに事が進み、有頂天だった。
ドリスは、もともと旦那様方のお出かけについて行きたかったのだ。彼らの行く先はどこか遠くの方の夜会で、滅多に出かけられない一介のメイドとしては、夜会という響きはとんでもなく甘く聞こえた。しかし、普通に雑用として行きたいと申し出たところで、メイド長はそれを訝しがるだろうし、他のメイドも何を血迷ったかと怪しむ。好敵手は少ない方が楽なのだ。そんな時に思い浮かんだのはリディアだった。彼女は使用人のほとんどから無視されているし、それならば取引内容を吹聴される心配もない。何より、これから数週間ずっと銀器を磨かないで良いのは非常に素晴らしい思い付きだった!
ドリスは今は行儀見習いのためメイドとして働いているが、元は貴族出身。自分の手が掃除で汚れたり臭くなったりすることに、いい加減嫌気がさしていた。彼女はリディアを、丁度良い召使くらいにしか思っていなかった。
一方でリディアの方はというと、ただ無心で自分に言い聞かせていた。通常の仕事にほとんど違いはない。毎日同じことの繰り返し。その中で、ただ夜中に銀器磨きという仕事が増えてしまっただけだ。大丈夫、まだ頑張れる。
ようやく銀器磨きが終わったのは、深夜をとうに過ぎている時刻だった。くたくたになった身体に鞭を打ち、屋根裏部屋まで登る。
そのままベッドに倒れこみ――たいところだったのだが、すんでのところで思い直し、机に向かった。
「はあ……」
長く重いため息をつきながら、紙を広げ、ペンを手に取る。いつもよりも大分疲れているし、すぐに寝たいのは山々だったが、どうしても今書きたいと思った。自分の手でもぎ取った休暇を大切に過ごすために。
*****
『サイラスへ。
元気そうで何よりです。
私もあんまり出かけることは少ないのですが、良い所を見つけたら紹介します。あんまり期待しないでね。
ところで来月だけど、下旬ごろに一日だけ休暇をもらえることになったの。友人たちは皆それぞれ遊びに行くらしいので、私は暇なんです。もし良かったら、一度そっちに顔を出してもいいですか……? ほら、手紙だけじゃ色々と話したりないこともあるし、久しぶりにサイラスの生意気な顔を拝んでやろうかな……って、うん、そう。そんな感じ。返事、待ってます。リディアより』