05:波風立てずに
『リディア。
俺も休みの日は今度こそどこかへ行こうと考えてる。良さそうな場所があったら教えてほしい。
俺の方も訓練がきついので、訓練中に友人たちとくだらない話をすることはあります。厳しい教官の愚痴とかはまだいいんだが、誰々が誰々のことを好きだ、とか。俺の方はあまりそういうことには興味はないんだが、友人がニヤニヤ笑いながら聞いてくるので、正直うざいと感じている。違うと言ってもなおのこと独りでに盛り上がるやつなので。リディアも友人選びには気を付けた方が良い、くれぐれも。サイラス』
*****
後半は完璧にただの愚痴になってしまった。
サイラスは肩をぐるぐる回しながら立ち上がった。
しかし仕方ないと言えば仕方ないだろう。何しろ、ニヤニヤした顔を隠そうともせず、お前も男色だったりするの? と聞いてくる輩がいるのだから。
何度否定してもその輩は自分の考えを改めようとはせず、むしろ俺にどう言って欲しいんだとこっちが聞きたいくらいだった。面倒かつちょっとその答えが想像できるので、決して聞きはしないないが。
食堂へ行くついでに手紙を出して来ようと、サイラスはそのままそれを懐へ入れ、早速着替え始めた。
何度も言い含めたのでさすがに無いと思うが、先日のようにグレゴリーにまた部屋まで迎えに来られることを危ぶんでのことだった。ただでさえ昼からの合同訓練の時からべったりくっつかれているのに、朝っぱらから顔は拝みたくない。神経が持たなくなってしまう。
いそいそと身支度を終え、サイラスは周囲を伺うようにしてそっと外へ出た。にっこり満面の笑みを浮かべてグレゴリーが待っている――なんてことはなく、ホッと胸を撫で下ろしながらサイラスは食堂へ向かった。
まだ日も明けきらないせいか、食堂に人は少なかった。何となく得した気分でサイラスは朝餉を受け取り、トレイを持ったまま隅の席に移動した。田舎出身のせいか、あまりガヤガヤしているのは好きではなかった。と言っても、コネでここへ来たと思われているサイラスは、どうやら周りの従騎士たちから妬まれているようで、あまり彼に話しかける者はいない。別に寂しくないし。むしろうるさくなくていいし。一人を満喫できるし。
誰に言い訳しているのか分からないが、サイラスは沈黙の中、パンに齧り付いた。ここの食事は意外と豪勢で、食欲旺盛のサイラスにとっては最高の環境だった。訓練は厳しいが、食事だけでもここへ来た甲斐があったというもの。
夢中になって食事をするサイラスのテーブル。その上に、影が差した。またティボルトら三人組か、と半ばうんざりした気分で顔を上げたところ、サイラスは拍子抜けする羽目になった。
「よう」
気安い様子で彼は片手を上げると、持っていたトレイを躊躇いもなくサイラスのテーブルに置き、腰を下ろした。唖然とした面持ちでサイラスは黙ってそれを眺める。
「聞いたぜ。お前、この前ティボルトとやり合ったんだってな」
パンに齧り付いたまま行儀悪く話そうとする彼はマーカス。本人曰く、下級貴族出身らしい。全然そうは見えないが。
「あいつから突っかかって来たのか? この俺に報告なしとはいただけないな。面白そうなことがあった日には事細かに報告してもらわないと」
「何でそうなるんだよ。意味分かんねえ」
「騎士団一の情報屋マーカスとは俺のことだ。まさか知らない訳じゃないよな?」
さも意外そうに尋ね返される。彼が息を吐くように嘘を吐くのはいつものことなので、サイラスははいはいと適当に促した。
「でもまあ、そのまま適当にやり過ごせばいいものを。何で相手を怒らせるようなことをするのかねえ」
パンを食べ終わった後、マーカスは今度スープを一気に飲み干す。ひと時も味わうことなく彼の胃袋に消えたスープは、些か不憫に思える。
「俺だって事なかれ主義だ」
サイラスはぽつりと呟く。マーカスは目を丸くしながらウインナーやベーコンを食べ始めた。
「ただ……。その、お前みたいに飄々とした態度でやり過ごそうとしたら失敗した」
「…………」
ごくん、と音を立ててマーカスは咀嚼した。その瞬間、彼はどっと笑いだした。それはもう、周囲の人々が何事かとこちらに注目するくらいは。
「そりゃそうだろ! 失敗したのも頷ける! 半端に俺の真似なんてしたら馬鹿にしてるとしか見えないぞ」
「どういうことだよ」
「俺のこの性格は俺だからこそ似合ってんの。お前が真似しても無理無理。真似なんてできっこないさ」
「腹立つ物言いだな……」
頭ごなしに否定され、サイラスは膨れてそっぽを向いた。そもそも村にいた頃から変わらず、サイラスは自分に突っかかってくる輩がいると真っ向から対抗してしまう性分だ。勝ち気なリディアとよく口喧嘩していたように。それを自覚していたからこそ穏便にやり過ごそうとしたのに、それが裏目に出てしまうとは。
「そうだなー。俺みたいに相手を躱すんじゃなくて、お前らしく真正面から対抗したらどうだ?」
「……真正面?」
まさにサイラスが頭の中で考えていたことをそのままマーカスが語ったので、思わず聞き返す。マーカスは大袈裟に頷いた。
「この後お前、ティボルトと訓練試合だろ? その時に気持ちをぶつければいいってこと」
「…………」
場が静まった。始め、何を言っているのか分からず、サイラスは固まった。しかし次の瞬間にはすっかり立ち直り、勢い込んで前屈みになった。
「ちょ……はあ!? おい、それどういうことだ。俺とティボルトが試合? 嘘だろ?」
「嘘じゃないぜ。情報屋のマーカスが言うんだ、真実さ」
「いや、情報屋とかそんな下らない情報どうでもいいから、真実を――」
「だから本当だって。昨日教官たちが話してるの聞いたんだ」
「嘘だろ……」
サイラスは絶望に項垂れる。そんな彼にポンとマーカスは手を置いた。
「一か月ぶりくらいかねえ。ティボルトと試合するの」
言いながら、サイラスの皿に残ったウインナーを掻っ攫う。先ほどからずっと狙っていた獲物だった。余裕の笑みでマーカスはそれを咀嚼する。
「ティボルトのやつ、前回お前に負けたこと随分根に持ってたみたいだからな。せいぜい頑張れよ」
じゃあな、とひらひら片手を振りながらマーカスは去って行った。サイラスは皿からウインナーが消えているのに気付きもせず、朝餉の残りを口に押し込んだ。
憂鬱だった。身分やら階級やらの複雑な社会のことは理解しているつもりだった。田舎で生まれ育ったサイラスは、そういうことには疎い自信はあったし、だからこそ波風立てずにひっそりと騎士として生きていければいい、そう思っていた。しかし。
なぜ入団して早々、厄介な輩たちに目を付けられなくてはならないのだろうか。
サイラスは思わず自分の将来を悲観して長いため息をついた。
*****
ティボルトと戦うのは今回だけではない。丁度入団したばかりの頃、まずは手合せということで、二人組で訓練したのである。武器は木剣。手加減なしの一発勝負。
その時、まだ青かった自分は、正直高揚していた。基礎訓練ばかりの毎日に嫌気がさしていたので、ようやく訓練らしいものができると心が躍っていた。
お相手はもちろんティボルト。その時の彼は、相手はただの田舎者かとサイラスを侮っていたようだった。だからこそなのかもしれないが、結果、サイラスが勝利を収めてしまった。それにより、彼がサイラスを目の敵にするようになり、試合を目撃したグレゴリーには、何て格好いいの! と付き纏われるようになったのである。とんだ災難な日だった。
当時のことを思い出すと、緊張で胃がキリキリと痛んできたので、昼餉は軽く食べるだけにしておいた。教官もよく言っていた。訓練中は何が起こるか分からない。無様な姿を晒したくなかったら、昼餉はほどほどにしておくことだな、と。
確かにその通りだと思う。
武器は確かに木剣だが、体術も認可されている。殺傷さえしなければ、木剣を投げ出して体ごとぶつかっていくのもありなのだ。場合によっては、腹に決められた蹴りのせいでつい先ほど食べた食事を戻してしまうこともしばしば。
そんな姿だけはこの場で晒したくないと、サイラスはぶるぶる首を振り、立ち上がった。そろそろ行かなければ間に合わないだろう。
訓練場は、人で溢れかえっていた。木剣を携え、やる気満々に準備運動している者もいるし、隅で数人と項垂れている者もいる。サイラスの心境としては後者だ。できることなら、仮病か何かで訓練試合を欠席したいくらいだ。と言っても、そんなことをすればまた後でティボルトら三人組に何言われるか分かったものではないが。どうせ嬉々として、あいつは負けるのが怖くて逃げだしたんだと吹聴されるのだろう。まあ確かに傍から見ればそうとられてもおかしくはないのだが。
全ての組を順々にこなしていく暇はないので、訓練試合は同時に行われる。多少注目度は分散されるのでサイラスはホッとしていた。できればグレゴリーにも見られたくないのだが……と、サイラスはチラッと周りを見渡す。と、やはりこの場に一番近い所からこちらを注視していた。バチッと思い切り目が合ってしまったので、ウインクをされた。サイラスはぎこちない笑みを返すしかなかった。
「では第一組目、前へ」
サイラスは五組目だ。強張ったまま木剣を手に、列に並んだ。対戦相手のティボルトは向こう側にいるので、今はまだ顔を合わせることがない。安心して心を落ち着かせることができた。
どの組も順調に終わって行った。試合は一斉に始まるが、やはりどの試合も一斉に終わるということは無く、長引くものは随分長引いていた。長引くほど注目度は上がるようで、できれば自分の試合は早く終わってほしいと思っていた。と言っても、サイラスは騎士を志す者。元より手加減する気などさらさらないし、相手を甘く見ているわけでもなかった。
「第五組目、前へ」
時が来た。サイラスは幾分か和らいだ表情で訓練場に立つ。ティボルトもゆっくりと上がってき、目が合った。
「借りを返す時が来たな」
一陣の風が吹き込む。広く開放的なこの場はよく声が通った。
「前回はお前が田舎者だからと油断したが、今回はそうはいかない。覚悟しろよ」
ティボルトの瞳には紛れもない闘志が宿っている。今度は飄々と躱すことをせず、サイラスも睨み返した。
一瞬の隙も許されない、そんな空気が漂う。どちらも一歩も引かず、しばし時が止まる。先に静寂を破ったのはティボルトだった。音もなくサイラスの懐に飛び込み、木剣を振るう。すんでのところでサイラスはそれを抑えると、互いの剣はキリキリと目の前で拮抗した。
やはり力では敵わない。
騎士になるため、サイラスも村で努力してきたつもりだった。しかし生まれながらの体格はどうにもできない。ティボルトは恵まれたがっしりとした体格で、サイラスは線が細かった。それを理由に言い訳するつもりはないが、しかし自分の不利は傍目から見ても明らかだった。
一旦そう決断すると、サイラスは素早く後退した。だがそれをティボルトが見逃すはずがなく、一瞬遅れてサイラスを追ってきた。再び剣と剣がぶつかり合う。渇いた音が訓練場に響いた。
「くっ」
どちらとも言えない短い息が漏れる。ティボルトが疲労している。それは分かっていたが、相手の剣を押し返すだけの力はこちらもない。
サイラスは短く息を吐くと、瞬時に身を屈め、ティボルトの懐に突進した。咄嗟の行動に反応できなかった彼は一心にその攻撃を食らった。
「ぐぅ……!」
ティボルトはくぐもった息を漏らした。すんでのところで木剣は落とさなかったが、まだ安心するのは早い。サイラスは無防備になっていた右手を打ち、木剣を落とした。カラン、と乾いた音が響く間に、彼の首に剣を突きつける。
「勝者、サイラス!!」
勝負が、決まった。
遠くの方でワーッと歓声が上がった。しかしそれは集中していたサイラスの耳には入らない。ついで、サイラスくぅーん、恰好良いわぁー!! などというグレゴリーの甘い声もしたが、以下同文。
流れ出る汗を拭おうともせずに、ティボルトを見下ろした。彼の瞳には憤りが宿っていた。知らず知らずのうちにサイラスは笑みを浮かべる。
「卑怯者め。俺はこんなの認めないからな。こんなやり方をして勝ったと思うなよ」
「こんなやり方? 冗談はよせよ。ちゃんと規則に則って俺は試合をした。戦場でもお前は剣にこだわってるつもりか?」
「くっ……」
激しい憎悪までもがティボルトの瞳に見え隠れしている。やり過ぎたか、と思った時にはもう遅かった。マーカスの言う通り真正面からぶつかってみたのだが、やはり思うようには行かなかった。
少々後悔を抱きながらも、しかしサイラスは今度こそティボルトを真っ直ぐに睨み返した。