03:格好悪いこと言えない


『リディア。
 そっちこそ上手くやってるみたいで安心した。リディアは勝ち気だから同僚たちと上手くやっていけるか心配だったけど、休日に出かける友人ができたみたいで何よりだ。
 こっちは訓練尽くしの毎日で正直苦しい時もあるけど、何とかやってます。俺の方は月に一度休みが貰えるけど、この前の初めての休日は一日寝て過ごした。いつかこの訓練生活に慣れたら友人や先輩騎士たちと一緒に外出したいと思います。じゃあまた。サイラス』


*****


 手紙を書き終えると、サイラスはふっと息を吐きながら羽ペンを机に置いた。窓にまだ明けきらぬ空の色を見て、大きな欠伸を漏らす。眠たい目を擦りながら、手紙を折って封筒に入れ、蝋で封をした。
 それからのろのろと身支度を始めた。基礎訓練用の動きやすい服装に着替え、適当に顔を洗う。
 騎士になるための訓練は、想像していた以上にきつかった。夜も明けない頃に起床し、朝食をしっかり摂る。その後に走り込みや筋力トレーニングをくたくたになるまで行う。昼食の後、今度は乗馬、剣術、槍術などの技術を学んでいく。時には集団で実戦に近い訓練を行うこともある。
 現在、サイラスは従騎士の身分であった。本来ならば小姓の経験を積んでから従騎士に上がれるのだが、彼は十五になってから城に上がったので、その経験はない。代わりに、朝と昼は従騎士の訓練を受け、夜は小姓として主人のお供や食事の給仕に明け暮れていた。主人が寝るまでサイラスは寝られないので、ベッドの中に入れるのは十二時を過ぎてから、なんてのがざらだった。
 夜は疲れ切って服を着替える気力もなく、そのままベッドに倒れこむのがよくあることなので、手紙を書く時間は起床して朝食までの少しの合間しかない。その貴重な合間を縫って、サイラスはせっせとリディアへの手紙をこさえていたのである。
 とは言っても、サイラスはこの厳しい訓練生活に嫌気は差していない。幼い頃から憧れていたのだ、この程度の訓練など弱音を吐くには至らない……のだが。一つだけ、この城においてサイラスの頭を悩ます重大な問題があった。

「サイラスくぅーん!」

 暗闇を切り裂くかのように、その甘ったるい声は部屋に響いた。従騎士には個室は与えられず、四、五人共同で部屋を使用しているので、その声が聞こえたのはサイラスだけではない。

「んだよ……」

 眠気を頭で振り払い、同室の騎士たちが体を起こした。声の調子に反せず、その顔は不機嫌そうだ。

「悪い」

 短く答えると、うんざりした顔を引き締めて、ゆっくりと扉を開けた。隙間からこちらを窺う顔と目が合った。

「あら、もう起きてたのかしら?」
「はい……」
「なあに? あたしが待ちきれなかったのかしら?」

 甘ったるい声の女口調。しかし決してその声は女のように高く透き通っているわけではない。立派に成人を過ぎ去った男が発しているのだから、それも当然だが。
 顎に手を置き、ふふふと優雅な笑みを浮かべる彼、グレゴリー。今度こそ頬が引き攣るのを堪えることができず、サイラスは顔を俯けた。しかしそれを彼が逃すわけがない。にこにこ笑いながら覗き込んできた。

「なになにー? 気分でも悪いの? あたしが連れて行ってあげましょうか?」
「いや……いいです」

 腰に添えられる手をそっと押し戻し、サイラスはさっさと歩き出した。分厚い唇を尖らせながら彼はついてくる。

「もう、そんなに急かさないの。ゆっくり歩いてくれないとあたし、ついて行けないわ」
「と……いうか、あの、何で部屋まで迎えに来てるんですか……? 今日って何かありましたっけ?」

 非常に聞きたくない。しかし今聞かなければ後々後悔する。そんな気がした。
 むふふ、と彼は一気に破顔した。

「嫌だ、忘れちゃったの? きょ・う・は、あたしと合同の訓練日でしょう〜?」

 サイラスの喉の奥で、声にならない悲鳴があがった。うう、とその場で項垂れそうになったが、その肩を寸前でグレゴリーが抱き寄せた。うっとついには吐き気も催す。

「楽しみにしてたのよぉ。さっ、行きましょ?」

 さらりとサイラスの尻を撫でるのも忘れない。胃は空っぽなはずなのに、もう喉元まで何かが迫っているような気がした。

「……早く行きましょう!」
「もう、だからそんなに急かさないのぉ〜」

 急かしてない! お願いだからついて来ないでくれ!!
 必死でサイラスはそんな叫びを呑みこんだ。仮にも先輩騎士、グレゴリーに向かってそんな口を利けるわけがない。
 今日も今日とて、サイラスは女口調の男色先輩になす術もなく、追い掛け回されているのである。


*****


 肌寒い季節だが、訓練場を何週も走らされていれば自ずと暑くなる。従騎士たちは汗でぐっしょりとなった服を脱ぎ捨て、半裸状態でその場にへたり込んだ。サイラスもそれに倣い、服の裾に手をかけた――ところで考え直した。どこからかねっとりとした視線をひしひしと感じるのだ、後ろの方から。
 見当は何となくつく。だからこそサイラスは決して振り返らなかった。もし振り返ったならば、あたしたち、やっぱり運命の糸で結ばれてるのね、だからあたしの視線にも気づいたのねと見当違いなことを言ってきそうで怖かった。
 しかもよくよく見まわしてみれば、従騎士の基礎訓練を見に来ていたらしい騎士は、グレゴリーだけではないようだ。遠くの方にちらちらと垣間見えるその目はどれもぎらついていた。まるで値踏みをするかのように。とはいっても決して従騎士たちの技術を値踏みしていたわけではないだろう。
 サイラスは唇をぎゅっと結び、ついでに服の裾もズボンの中にしっかり入れた。間抜けな恰好なことこの上ないが、これで彼らの視線から免れることができるのならば万々歳だ。
 ぎこちない足取りで騎士の間をそっと通り抜けた後、サイラスはそのまま食堂へと向かった。まだ昼餉の時間には早いからか、それほど混雑はしていない。安どのため息を漏らしながらサイラスは席についた。先ほど激しい運動をしたせいで食欲はあまりない。加えていつもグレゴリーに見られているという不安や恐怖により食欲は激減だ。このままだとストレスで参ってしまいそうだ、とげっそりやつれていると、その前にすっと三つの影が差した。中央はがっしりとした体格で、右はぽっちゃり、左は逆に痩せっぽちの三人組。

「いい気なもんだな」

 真ん中が口を開いた。相変わらずの様子に、サイラスは小さく笑みを浮かべた。

「俺のことか?」
「お前の他に誰がいるってんだよ。コネでこっちに送られてきたくせに、上から目をかけられやがって」
「上から……ねえ」

 彼の言う『上』というのは、おそらくグレゴリーのことだろう。……できるものなら俺だって代わってあげたいくらいだ。
 しかしそれを言うと更に目の前の彼、ティボルトのご機嫌を損なうこと確実なので黙っておく。彼は一応貴族らしいので、余計な口は慎んだ方が身のためだ。
 そう思ってサイラスはできるだけ穏便に彼らをやり過ごそうと心に決めた。しかし、その一方で、ティボルトは何も言い返してこないサイラスにイライラが募ったのか、ガンッとテーブルを蹴飛ばした。驚いた拍子にビクッと体が跳ねたサイラスは、ついでに閉じていた口もぽかっと開き――。

「できるものなら俺だって代わってあげたいくらいだ」

 気づいた時には、思わずそれを口にしていた。

「て、めえ! 馬鹿にすんものいい加減にしろよ!!」

 もちろんティボルトは声を荒げてサイラスの胸倉を掴んだ。無理矢理椅子から立ち上がらされた拍子に足をテーブルにぶつけ、サイラスは痛みに顔を顰めた。

「おい……暴力は勘弁してくれよ、こんな衆目の場で」

 さざ波の様に広がっていく騒ぎに、サイラスは思わず小さな声で訴えた。

「俺だって変に目立ちたくないんだよ」
「ティボルトさん……今日の所は止めておいた方がいいんじゃ……」

 痩せっぽちの方が躊躇いがちに声をかける。ハッとしたようにティボルトは周りを見渡した。目に入る、こちらへの興味津々な視線。もちろんその中にはおどおどとした従騎士もいるが、険しい表情をした先輩騎士の姿もある。
 まだ騎士見習いの身分で問題を起こすなど、今後のことを考えたら控えた方がいいに決まってる。
 ティボルトもようやくそのことに思い当たったのか、するすると腕の力が無くなっていった。黙ったままサイラスは乱れた胸元を整える。

「このままで終わると思うなよ」

 ティボルトは場を取り成すことをせず、サイラスに鋭い眼光を投げてから去って行った。その後を慌てて取り巻きたちも追っていく。何だかものすごく疲労感を感じた。
 辺りを見回してみても、まだ事態は収拾されていないらしく、ちらほらとこちらに視線を寄越す騎士たちがいた。大方、問題児の顔はしっかりと把握しておこうとの心意気なのだろう。
 のんびり昼餉を食べるどころではなくなってしまった。
 もともと食欲もあまりなかったので、食堂に未練はない。
 頭をゆっくり振ると、サイラスはのろのろと寄宿舎に向かった。かなりの疲労を訴えている脳に、少しの間でも休息が必要だと思ったのだ。しばしの間、睡眠をとっても文句は言われまい。昼からの合同訓練までに戻ればいいだけのこと。
 幸い、寄宿舎への道のりでは誰かに遭遇することは無かった。昼餉を食べているのか、仲間たちと休憩しているのかは定かではないが、サイラスのように汚い恰好のまま一眠りしようと思い立つ輩の方が少ないということだろうか。
 バタン、と部屋の扉を完全に閉じてからようやくサイラスは安堵のため息を漏らした。少しずつ、長く息を漏らし、できるだけ神経を休めさせようとした。
 要は、どこで男色に出会うか分からない外よりも、完全に一人になることのできる個室の方が何倍も安心できるということだ。とはいえ、ここは四人部屋である。にもかかわらず、どうしてサイラスが唯一安心できるのか。
 サイラスが仕入れた噂によると、何も騎士になる者たちは、最初から男色なわけではなく、小姓、従騎士、騎士になるにつれ、あまりにも長い時間を男と共に苦楽を、生活を共にするせいでそっち方面の扉が開いてしまうらしい。ならば、従騎士になって日が浅い同室達は、まだ男色には染まっていないはずだ。その事実が、何よりサイラスの安心感を増幅させていた。加えて、以前念のために同室生たちに男色かどうか尋ねたところ、自分たちにそっちの気はないと眉をひそめて答えてくれた。あの時は安心し過ぎて涙が出た。
 四つ並んだベッド、その一番奥の窓側に近寄ると、服を着替えることなくサイラスは力なく倒れこんだ。自分の体が汗臭いとか土まみれだとか考えている暇はない。とにかく疲れた。疲労感だけが押し寄せる。
 仰向けに寝転んだ目の先に、朝リディアに宛てて書いた手紙が目に入る。基礎訓練の前に出そうと思ったのだが、グレゴリーが前触れもなく迎えに来たので、そんな暇は無かった。
 つい数日前にやって来た、幼馴染リディアからの手紙。そこには、先輩とも友人とも上手くやっているという内容が書かれていた。手紙から溢れる楽しそうな生活ぶりは、サイラスを嫉妬させ、羨望させ、そして羞恥心を感じさせるには十分だった。

「言えねえ……憧れてた騎士が実はただの男色集団で、俺も尻を追い掛け回されてるだなんて……!」

 大手を振ってここまでやって来たのだ、今更そんなこと言えるわけがない。
 しかし……しかし、だ。
 サイラスはいつ自分がグレゴリーの毒牙にかかるか不安で堪らなかった。彼だけではない。ここには男色の輩がごまんといるのだ。いや、もしかしたら同室生も危ういかもしれない。今はまだ大丈夫だが、またいつ先輩騎士たちに毒されるか分かったものではない。
 ……いや、待て。ということは、俺もいつかあんな感じになってしまうということか……?
 何も誰かに影響されて男色になるのではなく、訓練を重ね、怪我やら友情やらが相乗し――男を、好きになる。
 ……想像したら更に気が滅入ってきた。