20:届かない手紙


「あ、サイラスさん! お届け物が届いてますよ!」

 昼の訓練が終わり、そろそろ水浴びに行こうと思っていた矢先、サイラスは、もう今は顔なじみとなった配達人の青年に呼び止められた。

「届け物って……また?」

 わかりやすく、サイラスの顔は顰められる。青年は苦笑を浮かべた。

「はい。いつもの人です。今回のは、また随分大きいので、取りに来ていただけると有り難いのですが……」
「……分かりました。じゃあ今から行きます」
「お願いします」

 申し訳なさそうな顔で頭を下げる青年に、サイラスの方こそ次第に居たたまれなくなってくる。

「でも、サイラスさんって本当に女性に人気あるんですね。今日で四回目でしたっけ? 贈り物が届けられるの」
「別にそういうわけじゃ……。以前ちょっと彼女を助けたことがあったから、それを恩義に思ってるだけだと思うけど……」

 そういうサイラスの顔は浮かない。
 このところ、あの夜会の日に出会ったドリスという少女に、やたらと贈り物を届けられるのだ。洋服であったり、帽子であったり、懐中時計であったり。見るからに高級そうなそれらは、自分には分不相応に思え、どうしても身につけるには至らなかった。それ以上に、何よりあまりよく知らない少女からの贈り物を受け取るのも忍びない。何度か送り返してみたことはあったのだが、気になさらないでと再び送ってくる始末。いい加減サイラスはうんざりしていた。
 もともと装飾品の類いには興味がなく、どうせなら食べ物の方がいいと思うこの頃、しかしそんなことを厚かましく口に出来るわけもなく、サイラスはこれらの贈り物を持て余していた。

「リディアさんがこれを知ったら大変ですね。誤解されないようにしないと」

 人のいい笑みを浮かべて歩く青年の隣で、サイラスは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。そもそも、自分の住所が割れているということは、リディアが彼女に教えたのだろう。それならば、誤解なんてものがあるわけもない。

「でも、最近リディアさんからの手紙来ませんね。いつも来たらすぐに届けに行ってるんですけど」
「…………」

 サイラスは返事を返さず、物憂げに目の前を見つめた。
 青年の言うとおり、確かにリディアからの手紙はいつまで経っても届かなかった。待ち合わせ変更の旨を書いた手紙以来、一度も。その代わり、何度も届くドリスからの手紙には、リディアは忙しいようなので、代わりに私が彼女の近況報告を、と書かれていた。しかし、その割にはリディアのことが書かれているのは一行に行で、後はもっぱら自分のことや質問ばかり書いてあった。サイラスは、儀礼的に一度は返事を書いたものの、その後何度も届く手紙にうんざりして、見るだけにとどめていた。
 届け物の部署に着くと、青年は何やら大きな箱を持ってきた。今までで一番大きい。サイラスは頬が引きつるのを感じた。

「見た目に反して、あんまり重くはないから大丈夫ですよ」
「……でも、人目が気になるところですね」
「あー、確かに」

 サイラスは、青年から箱を受け取った。確かに、軽い。しかし、前がよく見えないほど大きい。サイラスはよたよた歩きながら、来た道を戻り始めた。
 周りからの視線が痛い。先輩騎士の中には、あからさまに眉をひそめてサイラスのことを見る者もいる。しかしそれも当然だ。騎士道精神に則って、騎士たるもの、遊びにうつつを抜かすのはよくないとされている。女遊びであったり、歓楽街に出かけ、酒浸りになることであったり。誰が発信源なのか、ここ数日、自分が女性から貢ぎ物をもらっている……という噂はたちつつあったため、今回のこの巨大な贈り物も、その類いだろうと当たりをつけられたらしい。……事実、その通りなのだが。
 とにかく、早いところこの箱を自室に持って行こうとサイラスは早歩きになった。箱が大きすぎて前は見えないが、これだけ目立つのだ、みんな避けてくれるだろうとの魂胆だった。しかし、すっかり失念していたのだが、サイラスには天敵というものがいた。そして、その天敵には、少し前に、復讐したばかりだと言うことを。さらに言えば、彼はきっと、カンカンになって怒っているはずだということを――。

「――っ」

 前も見えず、早歩きで歩いていたサイラスには、何が起こったのか分からなかった。気がついたときには、身体が宙を舞っていたし、ついであの大きな箱も目の前をコロコロと転がっていった。ドサリと前屈みに倒れたため、お腹と顎を強打し、サイラスはしばらくうずくまったままだった。何者かに足払いをされたのだ、と理解したのは、薄目越しに大きな靴が目の前に立ちはだかったからだ。

「いいご身分だな。訓練もほどほどに、女からの貢ぎ物か?」
「……サリヴァン……!」

 ニヤニヤ笑うサリヴァンは、珍しく一人きりのようだ。後ろに取り巻きが隠れている様子もない。サイラスは涙目のままゆっくりと立ち上がった。

「随分ガキっぽいことするんだな。この前のこと、懲りてないのか?」
「ああ? お前の方こそ、よくもこの俺に喧嘩を売ったな。このままで済むと思っているのか?」

 サリヴァンはいきり立ってサイラスの胸元を掴む。腕力は圧倒的にサリヴァンの方が上なので、サイラスはわずかに宙づりになった。

「それはこっちの台詞だ。いちいち難癖をつけてきやがって。お前の相手を寸のはいい加減うんざりなんだよ。もう放っとけよ」

 サイラスは彼の手を振り払った。後ずさりをし、胸元を整える。

「それじゃ俺の気が済まないんだよ。たかが農民風情が貴族にたてつきやがって。お前を見てると反吐が出るんだよ」
「勝手にほざいてろ。とにかく、もう金輪際俺に関わるな」

 吐き捨てるように言うと、サイラスは転がった箱を手に、再び歩き出した。誰が見てるかも分からないこの衆目の場で、さすがにこれ以上手を出す勇気もないらしく、サリヴァンは黙ったままサイラスを見送っていた。
 自室にたどり着いてようやく、サイラスも一息つく。何もかもが面倒だった。訓練だけに集中したいのに、いちいち文句をつけてくる輩もいるし、尻を追いかけてくる男もいるし、どでかい贈り物ばかりしてくる女もいるし。
 村にいた頃は、ただ畑を耕したり、ご飯を食べたり、隣の幼馴染みと口論したり。ただそんな些細で単純なことをしているだけで良かったのに、こことは大違いである。
 箱はその辺りに一旦転がしておくと、サイラスは備え付けの椅子に腰掛け、しばらく机に突っ伏していた。夕餉にはまだ時間がある。それまでに、もう一仕事だ。
 サイラスは黙って羽根ペンを手に取り、手慣れた動作で便せんを一枚破る。もう何度かいたか分からない幼馴染みの名を書きながら、彼女の境遇を思った。


*****


『リディア。
 あれから一度も手紙が来ないのでわりと心配してます。ロクセーヌ嬢からは忙しいだけだと聞いたけど。別に忙しいなら催促はしません。もともと、暇があるときに報告しようということだったので。まあ暇を見つけたら返事を書いてくれると嬉しいです。じゃあまた。サイラス』