21:破られた手紙
リディアは浮かない顔で庭を掃いていた。何度もため息ばかりついているので、彼女の周りでは、白いもやが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。
サイラスの手紙が届かない。
いつまで経ってもこないのだ、彼からの手紙が。
先月の月末にサイラスは確かにここに来たらしい。だが、その後伝言をお願いするわけでもなく、そのまま帰ってしまった。
やっばり、待ちぼうけを食らったから怒ってるのかしら?
もう何度目か分からないため息をリディアは吐き出す。
とはいえ、サイラスがそのようなことで怒る人ではないということをリディアは長年の経験から知っていた。もちろん、待ちぼうけはひどいことではあるし、そのことで腹を立てる人がいても当然のことだ。だが、サイラスは、直接喧嘩を売られれば買うが、それ以外――回りくどい意地悪などには、てんで無頓着である。
だからこそ、リディアが待ち合わせに来なかったとしても、それを彼が単に忘れたか、仕事が忙しかったか、そのどちらにせよ、怒る以前に呆れかえるか、心配するかのどちらかなはずなのだ。
……それに、もしサイラスが怒っていたとしても、一方的に文通を止める、なんて女々しいこと、やるわけがない。
そうは思うものの、結局サイラスの手紙が届かない理由には思い至るわけもなく、リディアは終わらない思考をぐるぐると巡らせるのみだった。
「こんにちはー」
あまりに自身の思考に浸りすぎて、すぐ近くに人が寄ってきたことにも気がつかなかったらしい。
リディアは、突然耳元に少年の声が飛び込んできて、内心飛び上がった。
「あの、サインをお願いしたいんですけど」
「ああ、配達ですね」
彼は、手紙や配達物を届けてくれる少年だった。裏門から来たと言うことは、使用人宛の荷物だ。屋敷に住む使用人の数は膨大なので、少年が持つ包みは膨大なものになっていた。
「ご苦労様です」
「どうもー」
軽く帽子をあげて、少年は去って行く。リディアは彼を見送ると、視線を下げ、手提げに目をとめた。
サイラスの手紙、来ているだろうか。
ドキドキしながら、リディアは包みの紐を解いた。風にあおられて飛んで行ってしまっては危険なので、しっかりと手で押さえながら、一通一通確認していく。――と、半分ほど見終わった頃だろうか、リディアの手が止まる。サイラスの名が書かれている者を見つけたのだ。
「何してるのよ!」
が、唐突に耳元で怒鳴られると同時に、リディアは手紙をかすめ取られた。その衝撃に、いくつもの手紙が地面に散らばった。
「あんたはここを掃除中のはずでしょう? 誰も見てないからって怠けていいと思ってるわけ!?」
顔を真っ赤にしてドリスは叫んだ。パッと奪い取った手紙に目を落とし、そしてそれを後ろ手に隠す。
「あの、待ってドリス」
どうしてこんなにも彼女が怒っているのか。
リディアはそのわけが分からないまでも、困ったような愛想笑いを浮かべた。
「私宛の郵便物、届いてないかなと思って探してただけなの。別に怠けるつもりはなかったのよ。あと、それ、多分私のものだから、返してくれない?」
「はあ?」
何をほざくか、とでも言わんばかりの表情で、ドリスは鼻で笑った。
「あんた宛てになんか来るわけないでしょ? 貧乏人ごときが、私たちの手紙を汚さないでくれる?」
「で、でも、それ、私の幼馴染みからのもので――」
「サイラス様? これ、私宛の手紙だから」
「え?」
「私とサイラス様、文通してるのよ。だからこれも私への手紙」
嘲笑を込めた笑みでドリスは笑って見せた。リディアはしばらく事の次第を理解できずにいた。
「そ、そうなの? いつから?」
「旦那様のお供で夜会に行ったときからかしら? あそこで私、サイラス様と運命的な出会いを果たしたのよ」
「…………」
リディアは咄嗟に黙り込んだ。
確かそれは、入れ違いで自分がサイラスのもとへ遊びに行った日のことだ。
そうか、私がサイラスを待ちわびていたときに、サイラスはドリスと会ってたのね……。
サイラスが何も悪くないのは分かっている。ドリスと出会ったのもただの偶然だったということも。
それでも、リディアの胸に、しこりのような何かができたのをリディアはうっすらと感じた。
「もう行くわよ? それ、拾っといてね」
ドリスは落ちた手紙を顎で示してみせると、急ぎ足で邸宅の中へ入っていった。リディアは浮かない顔ながらも、手紙を拾い集める。
その際、まだ見ていなかった残りの半分に、自分宛の手紙がないかと探したが、そんなものはなかった。
幼馴染みとの文通を止め、新しい女性と文通を始めている。
自分の中に、嫉妬じみた感情が見にくくも渦巻いているのを感じ、リディアは顔を苦渋に歪めた。
サイラスがそんな人ではないことは、自分が一番よく分かっているのに。もし文通を止めたくなったら、率直にその旨を手紙に書き記すだろう。きっと、ご丁寧に理由までつらつらと書き連ねるはずだ。
でも、そうだとしたら一体この状況はどういうこと……?
忙しくて単に手紙を書けないだけなのか、それとも郵便関係で何か事故でも起こっているのか。
謎は深まるばかりで、ついにはリディアは小さくため息をつき、一旦忘れることにした。今日中にやるべき膨大な仕事はまだまだ残っている。仕事中に、幼馴染みのことでうつつを抜かすわけにはいかないのだ。
リディアは手紙を全て集め終えると、浮かない顔で邸宅の中へ入っていった。
*****
自分に声をかけるメイド長の声を無視し、ドリスは一目散に自分の部屋に向かった。この邸宅の中で唯一心安まる場所だ。
ドリスは扉に背中を預けると、無表情のまま、その手に持つ白い封筒を見つめた。その宛名には、リディアの名が書かれていた。
あんなに手紙を送っているのに、プレゼントだって贈っているのに、どうしてあの人は文通してくれないの。
汚いが、それでも一生懸命丁寧に書こうとしている彼の字が、ドリスの名を宛名に書いてくれたことなどほとんどなかった。たった一度だけ、リディアの手紙と共に送られたことがあった。でもそれは、何度も送っていた手紙と贈り物について、迷惑だから止めてくれないか、と遠回しに拒絶している内容のものだった。
どうしてあんな子が。
ドリスは顔を歪めると、手に力を入れ、一気にビリビリと手紙を破いた。
ジェーンのくせに、田舎者のくせに!
ぐしゃっと手紙を握りつぶすと、ドリスはそれをゴミ箱に放り入れた。そして何事もなかったかのように、素知らぬ顔で仕事に戻った。
*****
『サイラスへ。
最近手紙が来ないけど、忙しいの? 催促とかじゃなくて、ただそうなのかなって思って。騎士の訓練は忙しいって聞くし、無理して手紙送ってこなくても大丈夫です。私は……まあ、また暇を見つけて今まで通り送ろうかなって考えてるけど。面倒に思ったら、いつでも言ってね。
ではさようなら。リディアより』