16:サイラスの幼馴染み
青年に連れられて、リディアは初めて城内へ足を踏み入れた。何もかもが荘厳な造りのその場所は、ただでさえ緊張している彼女を更に縮こまらせるには十分だった。加えて二人の傍を通り抜ける人は、騎士やら侍女やら立派な様相をした人ばかりで、自分がいかに場違いな存在かということを嫌というほど実感した。
「こちらが騎士たちの寄宿舎です。女人禁制なので、しばらくここで待っていてもらえますか?」
「あ、はい」
頷き、急いでリディアは傍らの柱の陰に寄り添った。通る人と通る人が、じろじろとこちらを見ているようで落ち着かなかった。青年はすぐに帰ってきた。
「すみません。中にはいないそうですけど、どこへ行ったんですかね……」
きょろきょろと青年は辺りを見回す。
「あの、やっぱり私、もういいです。ありがとうございました。手紙だけ渡してもらえれば……」
気づけば、リディアはそう口にしていた。邸宅を出た頃はすっかり上機嫌だった気持ちも、今ではすっかり萎んでいる。
「いや、でも――」
「ご迷惑かけてすみませんでした」
心残りはあるものの、リディアは彼に背を向ける。今度は、今度こそはきちんと約束を取り付けてから来よう。そう心に誓って。
だがそんな彼女の肩を、青年はガシッと掴む。その表情は、どこか焦っている。
「本当っ、後もう少し待ってください。あっ……ほら、あそこに!」
やたらと青年の声に熱がこもっていたので、本当にサイラスを見つけたのかとリディアは思った。が、振り返った彼女の目に映るのは、全く似ても似つかない少年。これでは落胆しない方が無理というもの。
「マーカスさん!」
リディアはピクリと反応した。どこかで聞いた名前……? しかしリディアはすぐそこまで出かかっていた思考を、すぐに引き戻した。マーカスさんとやらがこちらに向かって歩き出していたからだ。
「え、なに、呼んだ?」
「あの、確かマーカスさんってサイラスさんと仲良かったですよね?」
「んー、まあね」
へらっと笑うと、彼はリディアに目を止めた。
「あれ、お客さん?」
「あ、はい。実はですね、この方――」
こしょこしょ、と二人が何やら内緒話を始めた。青年は瞳に悪戯っぽい輝きを秘め、マーカスの方も、次第に好奇心に顔を明るくし始めた。
「……え、君……サイラスの幼馴染だって!?」
「え……あ、はい、そうですけど……」
「うわー、うわああ!!」
はしゃいだ様子で、マーカスはリディアの周りをまわり出した。リディアと言えば、その様子に戸惑うばかりだ。
「あ、サイラスに会いに来たんだよね?」
「はい。仕事が休みだったので」
「えーそうなんだ! あ、でもごめんね。今ちょうどあいつ、主人のお供で出かけてて」
「あ……そうなんですか」
何となく分かってはいたが、いざその事実を突きつけられると、リディアも落ち込む。会えないのか、という暗い思いが、胸の中をもやもやと駆け巡る。
「ごめんね。せっかく来てくれたのに」
「……あ! いえ、私が突然押しかけちゃっただけなので」
「それにしても、サイラスも運のない奴だよなあ。いつもは暇そうにしてるのに」
宙を見上げてマーカスはそうぼやく。リディアは何だか居たたまれなくなってきて顔を俯かせた。
「あ、あの、私もう帰ります。どちらにしても、サイラスの顔をちょっと見たら帰るつもりだったし……」
「え、もう帰っちゃうんですか?」
「はい。ここまで案内してくださってありがとうございました」
「いやいやいや! ちょっと待った!」
ぺこぺこ頭を下げるリディアに、マーカスは慌てたように両手を振った。
「せっかく来てくれたんだし、このまま帰ったら勿体ないよ! 宿舎は女人禁制だからアレだけど、その代わり食堂とか訓練場とかなら案内できるし。俺も今日は半休なんだ」
「え……え、でもそれじゃあご迷惑じゃ……」
「何の何の! こっちの方が面白そ――じゃなくて、いやほら、サイラスの幼馴染なら、親友たるこの俺が丁重にもてなさないとね。ほら、行こう」
ぐいぐいとマーカスはリディアの腕を引っ張る。
「え……っと、その……」
「あ、じゃあ僕は仕事に戻りますね! マーカスさん、よろしくお願いします」
「おう!」
満面の笑みでマーカスは拳を振り上げる。当惑しながらも、しかしリディアは、サイラスが暮らしている場所を見学できると聞き、少しだけ胸を躍らせた。
「あの、マーカスさんってサイラスのご友人なんですよね? よくサイラスの手紙にも出てきます。普段はうざ……ちょっとアレだけど、良い人だって」
「あはは、あいつそんなこと言ってんの? 何か照れるなー」
この場にサイラスがいたならば、何をほざいてやがるとぶん殴られただろうが、残念ながら彼はここにはいない。
「よく友人と教官の愚痴とか話してるって。サイラスって――」
朗らかな雰囲気のマーカスに、自然とリディアも明るい声を上げるようになった。ミシェルといる時とは、また違った楽しさがある。
しかしそんな時、唐突にマーカスは表情に陰りを見せた。すぐにきょろきょろと頭を振り、内緒話でもするかのようにリディアに顔を近づけた。
「その……あんまりここではサイラスって名前は出さない方が良いと思う」
ぽつりとマーカスが呟く。自然、リディアの足も立ち止った。
「え……どういうことですか?」
「いや……その、まあいろいろあってね」
ポリポリと頬を掻く。まさか純粋そうな少女に、あいつにしつこく迫っている男がいるから、とは言えない。もしそう告げてしまったとしたら、今度サイラスにどんな仕返しをされることやら……。現にこの目で散々な目に遭ったティボルトを見てきたので、お喋りな自分の口は、今回ばかりは固く封印しようと心に決めた。
「あ……っと、ほら、ここで毎日訓練してるんだ」
話を変えようと、マーカスはバッと大きく手を広げる。リディアはその方向に視線を向けると、目を丸くした。
「わ……すごく大きいですね。訓練ってどんなことをするんですか?」
「まあ従騎士たちは基本基礎訓練かなあ。時々決闘もしたりするけど」
「決闘……」
騎士には怪我が付きものだ。それは分かっていても、決闘という言葉には物々しさが付きまとう。リディアは不安な表情を見せ、マーカスを見上げた。
「サイラ――幼馴染の様子は……どうですか?」
「あいつ? 様子って?」
「えっと、その……騎士団に入るにしては歳を重ねすぎてるってよく言われてたみたいなんです。だから訓練に追いついているか……とか、苦労してるんじゃないかって」
「ああ、そういうこと」
マーカスは口元に笑みを浮かべ、遠くを見つめる。その瞳は自慢げに輝いていた。
「あいつ、なかなかの腕前だと思うよ。推薦でここに入れたっていうのは、分かる気がする」
「そ、そうなんですか」
「でもまあ、その代わりあいつの剣技は雑だな!」
堪え切れないと言った風にマーカスは噴き出した。リディアはしばし呆気にとられる。
「この前さ、一対一の決闘があったんだ。武器は木剣。体術は一応ありなんだけど、ほら騎士って体面を重んじるじゃん? だから暗黙の了解で、あんまし体術は使用されない場合が多いんだ。最初二人ともしばらく剣だけで戦ってたんだけど、決着がつかないからってあいつ、痺れを切らして対戦相手の腹に頭突きかましたんだよ!」
「え、ええ!? 相手の方は大丈夫だったんですか!?」
「そりゃあ伊達に訓練積んでないからね。多少怯む程度だよ。でもそれで決着がついちゃったから、相手は怒りに怒り狂ってさあ。何しろ相手はお貴族様だからねえ、農民出身のサイラスにしてやられたのが大分癪に障ったんだろうね」
「サイラスは大丈夫なんですか……? その、報復とか……」
「あ……ああ、報復ね、いや、うん……」
途端にマーカスの言葉尻は萎んでいく。先ほどまでの雄弁が嘘のようだ。自然とリディアの視線は鋭くなった。
「何かあったんですか?」
「いや? 何もないよ。騎士が報復なんて格好悪い真似するわけないじゃん? ほら、じゃあ次は食堂に行こう」
「マーカスさん!」
「はい食堂食堂!」
パンパンッと軽く手を打ち、マーカスはリディアを先導する。若干むくれながらも彼女は大人しくその後を追った。あからさまに話を逸らされた気がした。
食堂につくと、マーカスはくるっと後ろを振り返った。
「ね、お腹空いてる?」
「あ……少しだけ」
リディアは控えめに微笑む。そういえば、買い物を早くこなすことだけを考えたせいで、すっかり昼食のことを忘れていた。実感すればするほど、お腹も空いてくる気がした。
「じゃあここで軽めに取ろうか。俺、二つ取ってくるから、ここに座ってて」
「え、でも私、部外者ですし……」
「いいのいいの。ここ結構いろんな人が入り乱れてるから。案外誰でも自由に食べていいんだ」
「はあ……」
マーカスはにっこり笑うと、さっさと列へと並びに行ってしまった。
一人取り残されてしまったリディアは、場違いではないのかときょろきょろと見回してみたが、あまりリディア自身に注意を向ける者もいなかった。食堂ともなれば、男性ばかりなのかとばかり思っていたが、そんなこともないようで、女性や老人の姿もちらほら見える。安心してマーカスを待っていることができた。
「はい、どうぞー。男向けの食事だからちょっと量は多いかもしれないけど」
「あ、ありがとうございます」
マーカスが席につき、遅めの食事がようやく開始された。
リディアは匙を取り、
「ね、早速だけどさ、俺もちょっと聞いていい?」
「はい、どうぞ」
「二人って幼馴染なんだよね? いつも二人で遊んでたの?」
「そう……ですね。遊んでたというよりは、口論してた?」
「口論?」
照れ笑いを浮かべて、リディアは頷いた。
「私たち、どうも素直になれないから、よく喧嘩するんです。サイラスは、私のことすぐにからかってくるし、私は私で、売り言葉に買い言葉で、言い返しちゃうし」
「へー、サイラスはともかく、君はそんな風には見えないなあ」
「そうですか?」
リディアは笑顔の裏で、確かに自分も随分変わったものだと実感していた。村にいた頃は、感情を我慢することなどなく、すぐに腹の立ったことは言い返しもしたが、ここではそんなわけにも行かない。メイド長やメリッサ、ドリスその他から理不尽な物言いをされたとしても、真っ向から言い返してはならないのだ。リディアはここ数ヶ月で、自分の感情を抑えるすべを、なんとなくではあるが、身につけてもいた。
「村でのサイラスはどんな様子だったの? ここではがさつで不器用って印象受けるけど」
「ええ? うーん……。村でもそんな感じでしたよ。がさつで意地悪で……大食いでした」
「え、あいつが大食い?」
マーカスはさも意外そうに聞き返した。
「そうは見えなかったなあ。あいつ、単純だからさ、ちょっと話を逸らすとすぐに注意がどこかへ飛んでいくんだ。だから俺はいつもそんな奴のトレーから肉を掠め取るわけ」
「サイラスは気づかないんですか?」
「気づかない気づかない。通算……十回くらいやってみたけど、未だにバレた経験なし」
「何か想像できますね」
「でしょー」
二人一緒にケラケラ笑った。大食らいのくせに、自分の食べ物を奪われていることには気づかないとは。
「あ、サイラスには内緒にしてね」
「もちろんです」
ひとしきり笑った後、二人は再びサイラスについて話しながら、昼餉を食べた。パンやシチューなどの軽いものなので、食事はすぐに終わった。
「じゃあそろそろ行こっか」
「はい」
マーカスは促して立ち上がろうとしたが、その際、腕がコップに当たり、倒れた。幸いなことに、下に落ちて割れはしなかったが、中の水がこぼれ、服の裾にひっかかってしまった。
「わー、やっちゃった。悪いけど、ハンカチか何か持ってる?」
「あ、はい。どうぞ使ってください」
慌ててリディアはハンカチを取り出し、差し出した。軽く謝って、マーカスはそれで裾をふく。
「ごめんね。洗って返すよ」
「いえ、そんな。大丈夫です」
「いやいや。……あ、サイラス経由で返してもいいかな?」
「そんな大したものじゃないんですけど……分かりました。サイラスに渡してください」
「ごめんね」
再度謝り、マーカスは今度こそ立ち上がると、トレーを手に取って返却口に戻った。
「あの、マーカスさん。私、そろそろ帰ります。夕方までには帰らないといけないので」
「あ、もう? 他の所も案内しようと思ったのに」
食堂から出て、二人は並んで歩いた。その足取りは、自然と裏門へ向かった。
裏門へたどり着くと、言葉少なに、リディアは微笑む。
「本当にありがとうございました」
「今日はごめんね。サイラスのやつ、本当に運が無いんだから」
なぜだかマーカスの方が膨れている。リディアは笑って振り返る。
「サイラスに会えなかったのは残念だけど……でも、サイラスの暮らしぶり、いろいろ聞けて良かったです。ありがとうございました」
「またおいでよ。今度はサイラスのいる時に」
「はい、そうします」
リディアは深く頭を下げて、城を後にした。裏門を通るときに、出窓から、中へ入れてくれたあの青年にぺこっと頭を下げるのも忘れない。
帰途へ着くリディアの足取りは軽かった。心も軽い。朝の時よりも、彼女の顔は晴れ晴れとしているように見えた。
サイラスには会えなかったけど、その代わり、私の知らないサイラスをたくさん知ることができた。それで十分だった。