14:夢の夜会 再来編
「あー、憂鬱だわ」
大きな邸宅の一室で一人、少女は鬱々とした声をあげていた。彼女の名はドリス。れっきとした貴族令嬢なのだが、礼儀見習いのため、この邸宅にメイドとして奉公に来ていた。
「あー、何やってるのかしら、私」
ぶつぶつ言いながらも、ドリスはドレスを物色する手を休めない。彼女のベッドには、生家から持って来ていた色とりどりのドレス、宝石が並べ立てられていた。
「明日の夜会、どうせ行けないのに……本当、何やってるのかしら」
先日、あのにっくきジェーンには取引を反故にされたし。本当生意気よね。ジェーンのくせに!
もとはと言えば、ドリスのせいでリディアが休日を返上しなければならない事態に陥ってしまったのだが、都合の良い頭をしている彼女には、そんなこととうの昔に忘れていた。ただ偏に、リディアへの怒りだけが溜まっていく。
「あー、いっそのこと、銀器磨きは無しにして、私が夜会行きを代わってあげるってことにしようかしら……」
しかし、しかしだ。そんなことドリスの矜持が許さない。
そんなことをすればリディアが得をするだけだし、何より自分が無償で雑用係を買っているようで我慢ならない。
貴族令嬢ドリスの悩みは尽きなかった。もはや明日の旦那様への随行という本来の目的を忘れ、彼女の頭の中はすっかり夜会一色へと染まっていた。
そんな彼女の煩悩に割って入るように、ノックの音は響き渡った。ドリスの身は硬直し、瞬時にリディアを思い描いた。確か、以前もこんな感じで彼女がこの部屋に訪れた。そして取引を止めにしようと言いに来たのである。もしかして、あの子が考え直した……?
「な、何かしら。入りなさい」
声が上ずるのを感じながら、ドリスは声をかけた。ギギギ、とゆっくりドアが開く。彼女は期待してその先を見つめ――一気に落胆した。見慣れた丸い顔がひょこっと顔を出したからである。
「何よ……ハンナじゃないの」
「またまたドリス様、そんなことおっしゃらずに」
「……ほら、扉開けると寒いからさっさと入ってよ」
「はい」
従順な態度でハンナはドアを閉め、ドリスの元へと歩み寄った。
ハンナは、ドリスと同じく上流貴族である。しかし、格はドリスの方が上で、しかもハンナの家は辺境にあり、あまり裕福ではなかった。だからこそ、彼女は長女として、良い縁への嫁ぎ先を探していた。幼少のころからあまり贅沢をさせてもらえなかった分、その反動で思いっきり贅沢をしたい、たくさん遊びたい。彼女の心は野心で一杯だった。
そんな時、彼女の奉公先がここへ決まった。使用人の中でも階級があることは重々承知。その中で、誰に媚を売るかでここでの生活が変わってくるのだ。ハンナが目を付けたのはもちろんドリス。更に上の身分である奥方様の侍女の取り巻きになることも考えたが、彼女はどうも鼻についた。自分とお前たちは違うんだ、とでも言いたげなツンとした態度に腹が立った。加えて、侍女とメイドの仕事は根本から違う。取り巻きになるのなら、同じ役職の方が勝手がいい。
そんなこんなで、一日にして使用人たちの力関係を把握したハンナは、すぐさまドリスに取り入った。自分よりもいくらか年下の彼女は、しかし自分と同じ匂いがして、それほど一緒に居ても苦にはならなかった。ただ、良い嫁ぎ先を狙う女として、敵になることは重々承知していた。いざとなれば、彼女を蹴散らすことだって考えている。これはこれ、それはそれだ。
しかしそんな中で、ハンナはある意味でドリスには一目置いていた。先日の件だってそうだ。こっそり陰で見ていたが、リディアに持ちかけた取引には舌を巻いた。自分でリディアの休日を返上させたくせに、その休日をやるから自分の銀器磨きの当番をやれと言うのだ。
全く悪知恵が働くものだと感心しながらも、同時にしてやられたとも思った。夜会で見初められるのは、ハンナだってかねてからの夢だった。それをドリスに先を越されるとは。
メイド暮らしから逃れたいのは、何もドリスだけではないのだ。
「で、何の用」
ドリスは冷たい口調で問う。しかしそんなものでへこたれないハンナは、ニコニコと揉み手をしながら彼女に近づいた。
「ドリス様は明日の休み、どちらへ行かれのかなーと思いましてね」
彼女が明日、夜会へ行けなくなってしまったのは調査済みだ。これから彼女がどうするのか、こっそり伺いに来たのである。
「そうねえー」
言いよどみながらも、ドリスの頭は、もう既に消え去ってしまった夜会行きの元へと飛んでいる。あのドレスを着たかった、この宝石を髪に飾りたかった……。甘い欲望が彼女の胸を焦がす。
――と、しばらく二人して沈黙していた部屋に、突然どこからかバタバタ騒がしい音がやって来たと思えば、バンッとドアが開いた。
「ドリス!!」
そこから姿を現す、リディア。突然の登場にドリスは驚いたが、すぐに彼女の瞳はキラキラ期待に輝き出した。
「何の用かしら?」
「あんた、ドリス様の部屋に来るなんてどういうつもり? ちょっと調子乗ってるんじゃないの?」
「ハンナは黙ってて」
「……はい」
ち、とハンナは内心舌打ちをする。ドリスに偉そうに命令されたことにも腹が立ったが、何よりリディアの姿を見、嫌な予感がした。彼女の予想はそう時をおかずに当たってしまった。
「私、今日の銀器磨きやってあげてもいいよ!!」
「な、何よ急に……。どういう風の吹き回し……?」
聞き返したが、しかしドリスの頭はとっくに回転し終わり、答えを導き出していた。近年まれに見る回転ぶりだった。
「だから明日、私の代わりに夜会へ行ってよ。お願い!」
「や、夜会……」
その響きに、ドリスの瞳はキラキラ輝いた。その様に、ハンナは今度こそチッと声に出して舌打ちした。雑用係、ではなくわざと夜会という言い回しをしたせいで、ドリスの意識は夜会へと飛んで行ってしまった。彼女が羨ましく、思わずリディアを睨み付けた。
「あの、何の話なのか私にはさっっぱり分からないのですが、でもこれだけは言えます。ドリス様、ジェーンの言いなりになっては駄目ですよ」
「夜会……」
「あの、聞いてますか」
「いいわ、代わってあげる」
「ドリス様!?」
「さっすがドリスね! 夜会、頑張ってね!! ドリスならきっと素敵な紳士に声をかけられるわ」
リディアはリディアで、すっかりドリスの手の内を理解していた。ニコニコと分かりやすい彼女を持ち上げる。
「う……うふふ、そうかしら?」
「そうよそうよ! ほら、机の上の髪飾りも可愛いから、身につけていけばいいんじゃないかな? きっとドリスの素敵な金髪に映えること間違いなし!」
「ふふふ、そうよねそうよね!? ああ、明日は何を着て行こうかしら!?」
分かりやすい褒め言葉だが、今のドリスにそれを見分けられる理性は残っていない。ルンルンと鼻歌も吹きながらベッドに並べ立てたドレスの元へ向かう。
「ねえジェーン? 私にはどのドレスが似合うと思う?」
「そうねえ……。どれも素敵ね。でもやっぱりあなたに似合うとしたら――」
「ちょ……ちょ、ちょっと! ドリス様なに和んでるんですか! 相手はジェーンですよ!?」
ハンナは思わず声を荒げた。ドリスが夜会へ行くということにも出し抜かれたようで腹が立ったが、リディアが素知らぬ顔でこの空気に和んでいることにも腹が立つ。元はと言えば、全ての元凶はこの女であるというのに!
「ジェーン、これとかどう?」
「可愛いわね。急に顔が華やかになったわ」
「そう、そう!? じゃあ、じゃあこのネックレスはどうかしら!? ダイヤモンドかルビーかで迷っているんだけど」
「ダイヤモンド……かしらね。身を飾りたてるものに余計な色はいらないわ。ドリスはそのままで十分」
「そ、そうよね、そうよね!!」
きゃっとドリスは可愛らしく声を上げる。いよいよハンナは我慢の限界だ。ジェーンにも、彼女にすっかり骨抜きにされているドリスにも、怒りが沸々と湧き上がる。
「ほら、あんたはさっさと部屋を出て行くのよ!!」
ハンナは強行突破に出た。仲良くドリスと笑い声をあげるリディアの背中をどんとドアの外へ押しやるのだ。
もしもドリスがジェーンを気に入るようなことがあったら、労働階級なんかと取り巻きをやることになってしまう。そんなのは、絶対に嫌だ。
「じゃあ私はお邪魔みたいだから帰るわ。ドリス、夜会頑張ってね」
「ええ、ありがとう!!」
リディアを見送るドリスの表情は晴れやかだ。
来るべき夜会に向け、彼女の胸は高鳴るばかりだった。