13:会いに行きます


「落ち着いた?」

 優しい声が耳を撫でる。リディアは幼子のようにこくんと頷いた。すんすんと鼻をすすりながら、重たい目を開ける。ホカホカと熱い湯気の立つティーカップがすぐ目の前にあった。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 いつもよりミシェルさんが優しい……と一人心の中で呟くと、そのままカップに口を付ける。じんわりと温かさが胸に広がり、ホッと息をついた。

「それにしてもびっくりしたわー。急に取り乱すんだもの」
「すみません……」

 もう一度鼻を啜ると、リディアは紅茶を飲み干した。しかしそれを見て、半ばミシェルは呆れたような顔になる。

「ちょ、何全部飲んでんの。そっちのお楽しみの分と思って入れてたのに」
「お楽しみ……?」
「幼馴染からのそれ。まだ何か入ってるんでしょ? 甘い匂いがする」

 くんくんと鼻で動かしてみると、なるほど、確かにどこからか微かに甘い匂いが漂ってくる。ドキドキしながらリディアは紙袋を手に取り、覗き込む。綺麗に包装された桃色の袋を取り出した。

「じゃ、また紅茶入れてくるとしましょうかね」
「あ、すみません……」

 言いながらも、リディアの目は小袋から離れない。そっとリボンを解き、パカッと袋を開ければ、すぐにころころとしたスコーンが目に飛び込んできた。食べやすそうな大きさのそれらは、いろんな種類があるらしく、リディアの胸を躍らせた。

「懐かしい……」

 その中の一つを手に取り、躊躇うことなくぱくっと口に入れた。仄かなクルミの風味が広がり、リディアは知らず知らず笑みを浮かべた。

「え、何それ。スコーン?」
「はい、おいしいです。ミシェルさんもどうぞ」
「いいよいいよ、わたしは。甘いもの苦手だから」

 コトッとティーカップをカウンターに置くと、すぐにリディアは口を付けた。他の種類も食べてみようと、リディアは二個、三個と次々に頬張っていく。

 幸せそうなあ。

 何だかこっちまで幸せになってくるようなリディアの表情。気づけば、ミシェルは知らず知らずのうちにポロッと口から零していた。

「仲直りできたみたいで、良かった」

 リディアが固まる。あっと思った時には遅かった。リディアの大きな瞳から再びぼろぼろおと涙がこぼれ出していた。
 あちゃー、またやっちゃったかとミシェルは内心でため息をついた。どうやら今日の彼女は随分涙腺が緩いようだ。

「な……仲直り、できたんでしょうか……」
「はあ? できたんじゃないの? それ、仲直りの品か何かでしょ?」
「な、仲直り……」

 じいっとリディアはスコーンを眺める。しかしすぐにハッとすると、顔を真っ赤にしてタンッと机を叩いた。

「とっ、というか、何で私達が喧嘩してるって――いや、別にしてませんけど!」
「そんな隠さなくってもー。バレバレだし」
「ばっ……バレ……?」

 あわあわとリディアは見るからに取り乱し始めた。

「そ、そんなに分かりやすく……? というか、別に喧嘩なんて――」

 素直になればいいのに、彼女は躍起になって否定するばかり。いい加減弄るのも面倒になってきて、ミシェルはため息をついた。彼女の心情を理解したわけではないが、面倒がられているというのは分かっているのか、リディアは次第にわなわな震えて叫んだ。

「私、もう行きます!」
「え……また!?」

 呆れたような表情で眉を上げてミシェルは言った。都合が悪くなると、なぜいつもこの子たちはここを出て行くの!?
「ちょ……リディア!」

 ミシェルは慌てて叫んだが、リディアは振り返らず走り去るのみ。
 誰もいなくなった店先で一人、ミシェルはため息をついた。
 若人の恋模様は、時々見ている者をじれったくさせた。十数年と付き合っていれば数回くらい衝突することもあるだろう。それを乗り越えてこそ、今の文通という関係に繋がっているのだから、今更何を隠すようなことがあるのだろう。素直になって正直に気持ちを曝け出せばいいのに。……というかそもそも、彼らは自分の気持ちに気が付いているのだろうか?
 ……考えずともその答えが容易にわかるような気がして、ミシェルはすぐに思考を停止させた。更にもどかしくなるような気がしたのだ。
 カチャカチャとミシェルはリディアのティーカップを片付け始めた。紅茶のすっきりとした残り香が、彼女を更にもの思いへと沈ませる。

 一か月ほど前だっただろうか。だんだんこの店に来るリディアの顔が強張っているような気がした。全然お喋りにも時間を割いてくれない上に、手紙を出したらすぐに帰ってしまう。しかしその態度に反して、手紙のやり取りが急激に増えたことは不思議だった。手紙を差し出す顔はムスッとしているくせに、店を訪れる頻度は極めて高い。詳しくはよく分からなかったが、おそらく口喧嘩もとい手紙喧嘩でもしているのだろうと勝手に推測していた。
 しかし、例えそうであったとしても、なぜ律儀に文通を続けるのか。
 ミシェルにはさっぱり分からなかった。喧嘩をしているのなら――相手に腹を立てたのなら、さっさと文通を止めればいいだけなのに。だからこそ仲が悪いというべきか、良いというべきか……。
 毎回手紙を受け取るミシェルとしては、呆れかえる一方だった。毎度ご丁寧に憤怒の表情をしているリディアを見れば、二人が喧嘩していることはもはや明白だった。飛び火を食らいたくなかったので、それについて言及することは無かったが。
 そして突然現れた彼女の幼馴染、サイラス。
 彼がこのお店に現れたのは、まさに偶然の産物。分かりにくいこの店に辿り着くには、裏通りをキョロキョロ見回して来なければ到底無理だ。しかし、彼が贈り物として持っていたあの小袋。あまり見たことのないロゴがついていたので、ミシェルのこの店のように、あまり人気のない所に建っていて、その店に続いてこちらへとたどり着いたのかもしれない。彼がなぜ有名店のお菓子ではなく、素朴なスコーンを贈り物として選んだのは不明だが。
 ミシェルは、一度思考に耽ると、なかなか仕事が手につかない厄介な性質だ。もうこの際諦めて自分も休憩しようと紅茶を入れた。
 そして一人寂しくカウンター席に座り、カップに口を付け思考を飛ばす。
 前々から気になっていた。リディアの幼馴染がどういう人なのか、と。
 しかし偶然とはいえ、一度しっかりこの目と耳で彼を確認することができたので良かった。リディアが厳しい生活を送っているようなので、それをしっかり支えることのできる人物なのかと非常に不安を持っていたのだ。
 ミシェルは、リディアが邸宅の使用人に辛く当たられているのではないかと当たりをつけていた。あまり仕事のことについては聞いてもはぐらかすばかりだし、ちゃんと食べているのか不安になるくらいやせ細っている。おまけにこの寒いのに、買い物はいつもリディアがやっているようだ。邸宅中の買い物をするのだから、荷物は膨大な量になるはずだ。なぜ男性の使用人が代わってくれないのだろう。
 しかし、問い詰めたりはしなかった。リディアの性格上、簡単に弱音を吐きそうにないから。もし問い詰めたら、ミシェルに心配を掛けまいと更に空元気を出しそうだ。
 それに、時々見ていて痛々しいと思うことはあるものの、それでも彼女は新しい生活に馴染もうと奮闘している。部外者が口を出すことではないと思った。
 サイラスという立派な幼馴染もいることだし――。

「あーまた忘れた」

 ふっと思い立ち、ミシェルはそうごちると、ポリポリと頬を掻いた。
 リディアが来たら、ここへあの少年が来たことを伝えようと思っていた。きっと喜ぶだろう。喜んで様子を聞くだろうと思っていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。何しろ、突然あの娘が泣くものだから。
 少年の場合もそうだった。宛名を聞いたおかげでリディアの幼馴染だということがハッキリわかったので、ここへ毎週リディアが手紙を届けにやって来るということを伝えてあげようと思っていた。のだが、からかううちに少年は頬を赤らめて飛び出していったので、その暇もなかった。

「ま、いっか」

 元より細かいことを気にする性格ではないので、ミシェルはまた今度言えばいっかという結論を下した。まだまだ冬は長い。きっとすぐにリディアもやって来るだろう。
 そう思った次の日朝一番に、リディアが息を切らせてやって来ることを、まだ彼女は知らない。


*****


 ミシェルの店を出ると、リディアは急いで買い物をした。思ったよりも彼女の店でのんびりしてしまったせいで、常時小走りで市場の中を買い漁った。そして邸宅へ帰宅すると、大量の荷物をテーブルに置き、リディアは自分の部屋に戻れないかとコソコソし始めた。しかし、それを見逃してくれる者はいない。

「ただの買い物に、イッいぇ何時間かけているの?」
「あ……えっと、すみません。ちょっと手間取ってしまって……」
「手間取る? 今まで何回買物して来たのよ。いい加減慣れてほしいものだわ」
「はい、すみません」
「ほら、今度は外を掃いて来てちょうだい。枯葉が酷くて手が回らないの」
「はい」

 従順に返事をしながら、リディアは自室に戻ることは諦めた。ポケットに大切に入れているサイラスからの手紙とスコーンとを、くちゃくちゃにならないうちに保管しておきたかったが、どうやらその時間もないようだ。
 本当のことを言うと、今すぐにでもサイラスへの返事を書きたかった。書いて、今すぐにでもミシェルの店へと駆けだしたかった。
 しかしこの様子なら、今日はもう絶対に外出できないだろう。ならば、明日の買い物の時に急いで出して来よう。その時間はあるはずだ。

「ほら、早く外を掃除して来てちょうだい!」
「はい」

 明日のことを思うと、温かい気持ちになった。口角が上がってしまうのを必死で堪え、リディアは箒を手に外へと駆けだした。

「……どうしたのかしら、あの子」

 やけにリディアの機嫌がいいので、メイド長マーサは彼女を訝しげに見送った。


*****


『サイラスへ。
 私の方こそごめん。
 てっきり私が来るのを嫌がって返事を無視したのかと思って、腹を立ててしまいました。面と向かって口論していた時とは違って、手紙だとサイラスの考えてることがよく分からなくなって、つい酷い言い方をしてしまいました。本当にごめなさい。
 私も、文通は続けたいです。なんだかんだ言って、同郷はサイラスだけだし。手紙で愚痴をこぼしたりもしたいなって。
 スコーンも、すごくおいしかったです。ありがとう。懐かしい気分になれました。
 ……それでなんだけど、この前言いたかったのは、私の休日について。丁度明後日に私、休みをもらえることになったから、久しぶりにサイラスに会いに行ってやろうかなーって思ったってだけ。友達もみんなその日は忙しいって言うし、でも私は暇だしで、そう思い立ちました。
 本当にちょっと顔を見て帰るだけだし、訓練の邪魔はしないから、そっちに行ってみてもいいですか? でも、たぶんこの手紙が届くの、明後日よりも遅くなると思います。ごめんね、後出しみたいになっちゃって。でも、正直なところ、顔を見て仲直りしたいし、丁度いいかなって。
 サイラスにとっては唐突だと思うけど、明後日会いに行きます。リディアより』