12:困ったお客さんたち
大通りを抜け、幾つか小道を抜けたその先。突然目の前に現れたように姿を現す赤い屋根が、ミシェルの経営する郵便屋だ。二階から下げている看板には、可愛らしいホルンの絵が描かれている。郵便屋であることを示すマークである。扉を開けると、カランカランと明るい鈴が客を迎え入れ、暖炉の温かい炎が彼らを包み込む……はずなのだが。
「お客……来ないねえ」
至ってわかりにくい立地に建っているいるこの郵便屋、正直な所、あまり人が来なかった。と言っても、道楽で始めたこの仕事、別に客が来なくてもそれなりにやって行けるのだが、しかし。
「暇だ……」
店主が暇になってしまうという欠点があった。利益が無くともやっていける、が、会話がないと、人としてやっていけないというのが正直なところだった。
誰もいないのを良いことに、ミシェルはぐでんとカウンターに伸びた。目を閉じ、しばし暖炉の炎が爆ぜる音を聞いていたが、不意にそれがとある少女のことを思い出させた。薄っぺらい外套に、粗末な服を着た少女。彼女は、いつもここへ来るとホッとしたような表情になった。それは寒い外から逃れられた安心感なのか、それとも……。
カランカラン、と唐突にその音は響いた。慣れ親しんだ音に、ミシェルはさっと身を起こして身なりを整える。その隙にチラッとお客にも視線を向けるのも忘れない。珍しいことに、お客は若い男性……いや、少年だった。
基本、ミシェルの店には馴染の客しか来ない。にもかかわらず、お客は一見さんで、しかも若い男だ。
へえーっとジロジロ見たくなってしまうのを必死にこらえ、ミシェルはにこやかにポンポンと椅子を示した。
「いらっしゃい。とりあえずお席どうぞ」
気安いミシェルに驚いたのか、しばらく少年はその場から動こうとしなかったが、じーっとミシェルが見つめ続けているのに気付くと、やがて観念したようにその椅子に座った。
「初めてのお客さんだね。誰かに手紙でも贈るのかな? それとも小包?」
言いながらも、ミシェルの目はしっかりと少年が持つ小袋を捉えていた。念のため聞いただけだ。決して暇だからこの少年を長居させようなどと思ったわけではない。
「その……知り合いにこれを贈ろうかと。料金は?」
案の定、少年は大事そうに抱えていた紙袋をカウンターに置いた。ミシェルは頷きながらそれを受け取った。
「うーん、重さと場所によるね。住所は?」
「クラーディス通り八丁目四番地。……リディアさん宛てに」
ミシェルの手が止まった。秤の針が止まり、小袋の計量が終わったが、ミシェルはそれにも気づかない。
「え……っと、リディアさん、ね」
「はい」
驚きと衝撃で目をくるくると回しながらも、長年の感覚で紙に書き留めた。
驚いた。まさかこの少年からリディアの名を聞くとは。まさかこの子がリディアと文通してる幼馴染だろうか?
「何ですか?」
「ああ、いや、ごめん。何でもない」
あまりにも茫然と見つめていたせいか、少年は不審そうにこちらを見上げてきた。あはは、と愛想笑いを返しながら、ミシェルは小袋をテーブルに置いた。一瞬の間をおいて、再び秤に乗せる。……気が動転していて、重さを書き留めるのをすっかり忘れていた。
住所と重さ、料金とを記録すると、ミシェルはハンコをポンと押した。
「ええ……っと、料金は五百八十シェルね」
「はい」
ごそごそと少年がお金を出している間に、ミシェルは小袋を軽く整え、住所録を貼り付けた。しかしその合間、ふっと思い浮かぶものがあった。
「手紙……」
「は?」
小さなミシェルの声に、少年は怪訝に聞き返した。ハッとした彼女はすぐに顔を上げるとパタパタと手を振った。
「手紙か何か……あ、いや、ちょっとしたカードか何かは同封しないのかなと思って。これ、贈り物なんでしょ?」
込み入ったことを言い過ぎたか、とミシェルは焦った。
「入れないのならいいんだけど」
「いや、ありがとうございます。そう言えばすっかり忘れていました。今お時間貰えますか?」
「どうぞどうぞ。じゃあ紙とペンがいるね」
ミシェルは慌てて後ろの戸棚から紙とペン、それにインクを用意した。もちろん気を利かせて、用意したのは小さなカードではなく、羊皮紙の便箋だ。文通する仲ならば、カードじゃ書ききれまいと思ってのことだ。……それに、リディアだって小さなカードに書かれた洒落た言葉よりも、飾り気のない羊皮紙に書かれた長ったらしい近況報告の方が喜ぶだろう。そんな気がした。
少年が書いている間、手持無沙汰なミシェルは、邪魔にならないように奥に引っ込んでいた。しかし、溢れ出る好奇心は抑えようもなく、暖簾の奥からこっそり少年の顔を盗み見るのは止めない。
……線の細い、なかなかの美少年だと思う。いつも凛とした表情を浮かべているリディアとなかなかお似合いじゃないか、とミシェルは感じた。まだこの少年の人となりは分からないが、リディアのそれはもうすっかり熟知している。彼女と随分長い親交のある幼馴染であるならば、きっと彼も悪い人ではないだろう。
そう思うと、また新たに好奇心がもくもくっと首をもたげた。聞かずには、いられなかった。
「彼女への贈り物?」
ひょこっと暖簾から首を出し、ミシェルは尋ねてみた。少年の手はいったん止まったが、すぐに動き出す。
「……別に、そんなんじゃないです」
「あら、彼女じゃない女の子に贈り物するの? あなたもなかなか軟派なのね」
「彼女じゃないですけど、でも友人に贈り物をするのはおかしいことですか? 変に勘繰り過ぎだと思うんですけど」
「…………」
なかなかこの少年は手強い。
リディアはといえば、ちょっと茶々を入れればすぐに赤面するので、からかいがいがあるというものだが、どうやらこの少年は一筋縄ではいかないようだ。
「確かにそうだね。異性の友人って言うのも確かに存在するし。じゃあ質問を変える。君、彼女はいるの?」
「……何でそんなことばかり聞くんですか」
ジトッとした目で見られる。ミシェルはにっこり笑ってそれを躱した。
「だってここは個人の店だよ? 普通の郵便局とは違って、ここは会話を楽しむ場所だ。ほら、席だって一つしかないでしょ? 一対一で気軽に話すことのできる郵便屋さん。それがここなのよ」
ふんぞり返って説明してあげると、案の定少年はポカンとしている。その表情もやがて呆れたようなそれへと変わる。
「変なところに入っちゃったとでも思った?」
「……別に」
素直でないところは誰かさんそっくりだ。
ますます笑みを深くした。
「で、結局のところ彼女は?」
「いません」
「じゃあ好きな人は?」
「それも別に」
否定はしないのね。
ミシェルはこっそり心の中に書き留めておいた。意識しているのか無意識なのかは分からないが、何だか面白くなってきた。
「ほら書き終わった! これ、お願いします」
「あら、もう終わったの? もう少しくらいかかると思ったんだけど」
「もうこれでいいでしょう。料金も支払ったし!」
慌てた様子で少年は外套を手に持つ。その姿は誰かを彷彿とさせる。
「ええ? まだいろいろ話したいことあったんだけど――」
「俺にはありません!」
バタンと扉を閉め、少年は騒がしく去って行った。
始めは手強いと思ったのだが、分かりやすい所はあの娘と似ているかもしれないとミシェルはクスクス笑った。
「さて……」
ミシェルは先ほどの少年が頼んでいった手紙と小袋とを、新たな茶色の紙袋の中に丁寧に入れた。綺麗に封を閉じると、まるで眺めるかのようにぽんとカウンターに置いた。じーっとそれを見つめながら、小さな声で呟いた。
「どうしたものかなあ……」
*****
『リディア。
単刀直入に言う。実は数週間ほど前のリディアからの手紙、紛失しました。見当違いだったら恥ずかしいが、その頃からリディアの様子がおかしかったな、と思いだした。もし俺が見当違いな返信をして、それでリディアが怒ってるんなら、謝る。無くしたってことを素直に言えば良かったのに、なんだか面倒で、そのまま返事書いて送った。ごめん。
でも、もしリディアが怒ってることが、このことでないんなら、正直に教えてほしい。俺は気が利く方じゃないから、リディアが何に怒ってるのか、たぶんこのままじゃ一生気がつかないかも。
……まあとにかく、今回の件の、せめてもの謝罪の気持ちというか、別に物で釣るつもりはないけど、申し訳ないから街で買ってきた。懐かしい味だったからお前にも食べてもらいたくて。
だから……と言っては何だけど、また文通、再開してもらえると嬉しい、と思う。いや、というか、正直な所同郷出身がお前くらいしかいないし、故郷について話すのもなかなか楽しいし、というかずっと訓練ばっかりしてると脳筋になっちゃいそうで、偶には字を書きたいというか何というか……。とにかく! 本当にごめん。俺が悪かった。返事待ってる。サイラス』
*****
リディアは、白い雪が舞う中、せっせと足を動かしていた。だんだん寒さが厳しくなってくる中、この薄い外套じゃきちんと防寒することもままならない。きゅっと前を両手で閉めると、大きな扉を開けた。ホルンの看板が下がった郵便屋さんだ。カランカランと鈴が鳴り響く。
「いらっしゃい」
いつも通り安心する温かさと声だ。ふうっと息を吐いてリディアはカウンターへ向かった。外套を脱ぎながら、椅子に座り込む。
「驚きました。ミシェルさんから手紙をもらうなんて。何かやらかしたのかと思った」
「あはは、そう? ちょっと渡したいものがあってさー」
ミシェルはニコニコと暖簾の奥へと消えていった。出された熱い紅茶を飲みながら、リディアは随分久しぶりだな、と店内を見回した。
サイラスへ送る手紙が無ければ、この場へ来ることも無い。この場へ来て、気楽に話すこともできない。
用が終わればまたあの大きな屋敷で独りぼっちだ。
そう思うと、リディアは折角晴れた気持ちも深い所まで沈んで行ってしまうような気持ちに陥った。。
「あったよ、これこれ」
リディアがいよいよ完全に沈む前に、ミシェルの明るい声が彼女を引き戻した。暗い考えをかき消すように、リディアは無理矢理口元を引き上げた。
「それが渡したいもの、ですか?」
「そうそう。……そっちもさ、いろいろと訳ありかなって、小包届けるのは止めておいた。余計なお世話だったかな?」
「いいえ、そんなことないです。ありがとうございます」
微かに微笑んでリディアは受け取った。
手紙ならまだいい。それぞれ様々な使用人たちにも定期的に届いているようだから。が、リディアに小包が届いたとしたら、不審に思われるだろう。それも、ただのメイドならまだしも、「ジェーン」にだ。不審に思う……というよりも、決して良く思われないはずだ。特に、何かとリディアを目の敵にしているらしいドリスは、必ず文句をつけてくる。中を検分される可能性だってある。
「えーっとね、これ……あ、名前何だっけ」
ポリポリとミシェルは頬を掻いた。
そう言えば、あの少年の言葉を聞き出すのに必死で、送り人の名前を聞くのを忘れた。
「……まあいいや。ちょっと開けてみてよ」
怪訝そうな顔をして、リディアは紙袋に手をかける。
袋が破れない様にそっと開けるのは、いつかの癖だろうか。
ふっとそんなことを思い立ってしまって、再度リディアは小さく首を振った。目の前のものに注意を戻す。
袋の中には、綺麗に包装された小袋と、見慣れない羊皮紙が入っていた。一瞬よく見慣れた白い紙を思い出し、リディアは落ち込んだ。
忘れよう、忘れようと思っていても、思い出すのは彼とのやり取りばかり。
ため息をつきたいのを堪え、まずは羊皮紙の方を手に取った。二つに折りたたまれたそれをそっと開く。飛び込んでくる、今度こそ見慣れた文字。
沈黙の中、リディアはじーっと文面に見入る。ミシェルとしては、何だかそんな沈黙が気まずくなって、意味もなくフラフラしたり、視線を天井に向けたりしていた、その時。
「う……」
どこからか、小さなうめき声がした。ミシェルが正体を突き止めようと顔を正面に向ける。
「……?」
「うわああああ……!!」
泣き出した、突然、豪快に、目の前の少女が。
「ちょ……!? なに、何なのよ、一体どうしたのよ!!」
あわあわとミシェルはリディアの前で必死に手を動かす。しかし困ったことに少女は泣き止む気配を見せない。
「ちょ……ええ? それって例の幼馴染からの手紙でしょ? え、なに、変なことでも書かれてた? なに、言ってごらん? 私がぶん殴ってあげるからさ!」
「ち……ちがっ……!」
ひっくひっくとしゃっくりを繰り返すが、それでも涙は止まない。いったいどうしたものか……と思わずミシェルは天を仰いだ。