11:まずは謝意の気持ちを
「そうは言っても……どうすればいいんだ?」
ティボルトに復讐をはたして数日が経過した。ティボルトもだが、自分もこの喧嘩の一端を担っていたことは自覚はしている。しているのだが、どうやって謝ればいいのかさっぱり分からなかった。今までの経験は全く役に立たない。何故なら、喧嘩をしたとしても、次の日に持ち越すことなんて一度だって無かったのだから。
数週間に及ぶ初めての喧嘩に、サイラスは完全にお手上げ状態になっていた。
事の始まりの手紙について話し、謝罪すればきっとこの膠着状態も終わりを告げるだろう。しかし、何と言って謝る。普通にごめんでいいのだろうか。いや、俺が謝るのか? そうしなければならないのは分かるが、謝るのが気恥ずかしいというか、気持ち悪いというか、でも謝らないとこのままだし、かと言って俺が謝るのも……というかそもそも、リディアは何故怒っているのだろうか。やはり、彼女の手紙に対し、俺がとんちんかんな返事を書いたから? しかし、そもそもリディアはそれだけで怒るような性格だっただろうか。ああ、分からない。いつも顔を突き合わせていた分、急に離れてしまうと、相手のことが全く分からなってしまう。リディアは何を思って手紙の返事を書いたのだろうか。俺はいったいどうすれば――。
「ああ、もうしっかりしろよ!」
マーカスがついに大声を出した。何事か、と周りの視線が集まってくるので、彼は渋々音量を落とす。しかし顔のしかめっ面は相変わらずだ。
「うじうじといつまでも悩みやがって、いい加減ウザいんだよ! さっさと謝ればいいじゃないか、お前のせいで文通が途絶えてんだろ?」
決してマーカスに対して、事情を説明したわけではない。しかし何だ、彼のこの洞察力は。
サイラスは悔しさに唇を噛む。そんな彼に、マーカスは嬉々として追い打ちをかけた。
「あーあー、可哀想だな、その幼馴染の子。今もお前の手紙待ってるかもしれないしー」
……待ってはいないだろう。手紙を見る限り、リディアは同僚や先輩たちと仲良くやっているようだ。どうせ暇つぶしくらいにしか思っていない。
しかしそんな女々しいことを言えるはずもなく、サイラスは黙りこくった。マーカスはジト目で彼を見やり、長く息を吐き出した。
「……とりあえずさ、謝ることが先決じゃねえの? 向こうも傷ついてんのは確実なんだしさ」
「謝る? 謝っても……」
余計亀裂が入ってしまうかもしれない。何しろ、リディアとサイラスは今まで大喧嘩だの謝罪だのしたことなど無いのだから。お互い初めてのことに、火に油を注ぐ結果とならなければいいのだが。
「謝っても許してもらえるかって? そんなの俺に分かるかよ」
サイラスは一人考え込んでいたが、彼の言葉尻を勘違いしたらしいマーカスは、ふんぞり返って飲みかけのコーヒーを口にした。
「女ってのは何かを贈ればそれはそれは喜ぶもんだ。この際何か身に付けるものでも贈ればいいんじゃないか?」
「……相手の趣味が分からない」
「そんなの知ったことか。こっちの気持ちが込められていれさえすれば何でもいいんだよ。お前の幼馴染、お前と長年付き合ってるくらいだから、そんなに面倒な性格じゃないんだろ? なら何を贈るかよりもどう贈るかだよ。要は気持ちがこもっていればいいんだ」
ふふん、とマーカスは自身の言葉に酔ったように笑った。サイラスはしばしその言葉を自分の中で咀嚼した。マーカスの言いなりになるなど、と普段なら軽く反発しそうなものだが、しかし今回ばかりはそうもいかないほど憔悴してもいた。
「ちょっと出てくる」
唐突に立ち上がると、サイラスは椅子に掛けていた訓練服を手に取り、トレーを持った。マーカスは目を丸くする。
「おい、午後の訓練は――」
「半休とった。噂で聞いたが、今日ようやくティボルトが顔を出すらしい。病み上がりのあいつの顔を拝むのも一興だが、また妙なことに巻き込まれたくないからな」
病気で臥せっていた、というのはもちろんティボルトの嘘だ。巷でも噂になっていた。
何でも、サイラスという従騎士にえらく執心していた騎士グレゴリーが、何を思ったのか今度はティボルトという従騎士に心変わりをし、ある日の食堂にて、熱い抱擁を交わしたらしい、と。筋骨隆々の腕に抱き留められ、しかもさり気なく尻も一撫でされ。極めつけは耳元での甘いささやき。
『聞いたわ……。あたしのこと、綺麗って言ってくれたみたいね。すごく嬉しかった。ありがとう。あたしも一目見て、結構あなたのこと気に入ったの。もし良かったら今夜、どう?』
力の限り思いっきり抱き締められる圧迫感と、全身に立つ鳥肌。
ティボルトは、一言も発する間もなく、きゅーっとのびてしまったらしい。ドン引きする衆人、沈黙する場。そんな中、グレゴリーはあろうことか、気絶するティボルトを男らしく抱き上げたらしい。颯爽と食堂を後にするその姿は、さながら姫を守る騎士。いや、確かに騎士には相違ないのだが、状況が状況ナだけに、気分を悪くするもの続出。
――その後、訓練の時間になっても二人の姿は現れなかったという。どこで何をやっていたのかは不明だ。が、ある一人の証言者によると、グレゴリーの部屋に連れ込まれたティボルトを見たとかなんとか……。しかし、無表情なティボルトによってその証言者は口を封じられてしまったので、真相は定かではない。また、ティボルトの傍にいた取り巻きたちが、何者かによって闇討ちに遭ったという噂もあった。ある一人の証言者によると、なぜ助けに来てくれなかったんだとティボルトが静かに怒りながらボコボコにしていたのを見たとかなんとか……。これも、誰かさんによって口を封じられてしまったので真相は闇に葬られた。
とまあ全て噂に過ぎないのだが、サイラスは一連の出来事を耳にしていた。だからこそ、自分も更に何かしら復讐されるのではないかと危ぶんでいるのだ。確かに聞けば聞くほど、さすがのサイラスもティボルトのことを不憫に思ってしまうようなえげつない噂。いくらあのグレゴリーとはいえ、意識のない少年相手に何かをする……というのはないと思う。が、おそらくそこまでに相当する何かの恐怖を与えたのかもしれない、ティボルトに。
若干の背徳感と申し訳なさを感じながら、サイラスは街へと繰り出した。今は何よりリディアのことだと頭を切り替える。
街は、大市場でもやっているのかと思うほど多くの人で溢れかえっていた。縫って歩くのも一苦労で、過疎地の村で育ったサイラスは、早速人酔いをする。脇道を逸れ、うんざりとした顔で下町をうろうろした。
何のためにここまで来たのか、分かったものではない。
そうは思いながらも、雑踏の中を踏ん張って歩くことを思うと体が委縮してしまう。せめてもの休憩を、とサイラスはその辺りをうろつくことにした。
下町は、思いのほか人が少なかった。人家が多いせいかもしれない。その合間にぽつりぽつりと店が建っていたが、あまり儲かっていないことを顕著に表すかのように、店内には全く人の姿は無かった。
ふい、と視線を止めた店もそうだった。なぜそこに目を止めたのかはよく分からない。もしかしたら、微かに匂う甘い香りがサイラスの中に眠る昔の記憶を呼び覚ましたのかもしれない。
気の向くままにその店へと足をのばした。小さな入口から顔を出したが、人の気配はない。にもかかわらず、店先の軒の下には可愛らしくラッピングされた何かがいくつか置いてある。
盗まれたらどうするんだと内心思いながらも、しかしサイラスは興味を持ってその中の一つを手に取った。カサリ、と手の中で音がしたが、茶色い紙袋に包まれたその中身までは分からなかった。
「試食していくか?」
後ろから突然声がしたので、サイラスは情けなくビクッと肩を揺らした。慌てて振り向くと、小柄な老婦人がこちらを睨み付けるかのように立っていた。盗人と勘違いされたのか、と慌てて紙袋をテーブルに戻した。
「あ……いや、何が入ってるのかなと思って……」
「スコーンじゃ。試食していくか?」
「ええ……っと、でもご迷惑じゃ……」
なおも戸惑っていると、老婦人はサイラスを置いてさっさと店の中へと姿を消した。サイラスが混乱していると、彼女は思いがけなく早く帰ってきた。手に一つスコーンを掴んで。
「ほれ」
手づかみで豪快に掴んだスコーンを差し出す老婦人。戸惑いながらもサイラスはそれを受け取った。茶色く固いスコーン。仄かにクルミの香りがした。食欲に負けておずおずとサイラスはそれを口にする。
「……かたっ!」
「ほっほっほ、それがうちのスコーンの特徴だね」
素直なサイラスの反応に、老婦人は嬉しそうに高笑いした。もう一つ奥からスコーンを持って来て、今度は彼女が食べる。ガリガリッと小気味のいい音が鳴り響いた。
「ガリッとした食感に、仄かに感じるクルミの味。香ばしいからまるで焼き菓子のようじゃろ」
「……そうですね」
懐かしい味だと思った。昔を思い出す。
昔、よく母親がティータイムに作ってくれた菓子。高い砂糖はあまり使えなかったが、その代わりクルミやらナッツやらがたくさん入っていた。ジャムを付ける時もあるし、クリームをつける時もある。あの頃は、母が作るスコーンが待ち遠しくて、よくつまみ食いして怒られたものだ。サイラスの家がスコーンを作ってはリディアがやって来、リディアの家がスコーンを作ってはサイラスが遊びに行った。子供の世話をするのが面倒なので、いっそのこと一方がまとめて面倒を見て、その間もう一方は休もうと母親たちが考えた苦肉の策だったらしい。それと気づくころには、もうとっくにおやつから卒業し、それぞれ勝手に遊びに出かける年頃となっていたのだが。
「これください」
気づくと、そう発していた。
「はいよ。包装はどうするかね?」
「軽くお願いします」
老婦人が慣れた手つきで包装し、サイラスに持たせた。支払いを済ませると、サイラスはほくほくとした顔でスコーンの入った小袋を見つめた。喜んでくれるだろうか、とリディアの顔を浮かべる。しかしすぐについ先日のリディアとの手紙のやり取りが思い出され、憂鬱な気持ちになった。
「許して……もらえるか……?」
悩み多き多感な少年は、曇った灰色の空を見上げながら、長い長い息を吐き出した。