71:家族だから
三子と理恵子を二人きりにしながらも、修平は二人が見える位置から動こうとはしなかった。またいつ、霊達が群れをなして襲ってくるかも分からない。今現在、ニハとイチが使い物にならない状況なので、他の誰でもない修平が注意深く警戒するに越したことはないのだ。
ニハとイチは、三子達から更に離れた場所で二人のことを見つめていた。その表情は、悲しく、切なげなものにも見える。母の姿を目にし、何か思うところがあったのだろうと修平はその心境をなんとなく察していた。
しばらくして、修平はこちらに近づいてくる足音に気がついた。靄のかかる山道の方からである。一体何者だ、とこの状況ならば警戒するだろうが、むしろ足音があるだけ、幽霊ではないという確信もあるので、逆に修平は安心感を持ってその足音の主を迎えることができた。靄の中から姿を現したのは、修平の父秀一である。
「あっ、修平!」
「父さん! 遅いよ、今まで何してたんだ!」
「何って――あ、志藤さん!?」
三子と共にいる理恵子の姿に目をとめ、秀一はホッとしたように笑みを浮かべた。
「良かった、無事だったのか……」
思わず駆け寄ろうとする秀一だったが、それよりも先に、修平からの待ったが入る。
「二人きりにさせておいて。いろいろ事情があるみたいだし」
「……そうだね」
しんどそうにしゃがみ込んではいるものの、理恵子の顔色に不調の色は見られない。辺りをサッと見渡してみても、霊の気配はない。秀一は無意識のうちに力を入れていた身体をリラックスさせた。
「修平は怪我ないかい?」
「ないよ。その辺りのにしてやられるつもりはないし」
「頼もしくなったなあ」
自信過剰にも思える修平の発言だが、秀一は目を細めて息子を見た。
自分にはない実力を持っている息子。自分以上に危険な目に遭うだろう彼を心配に思う気持ちももちろんだが、それと共に、彼の成長が楽しみで仕方がなく思う気持ちもある。妻に聞かれたら、そんな悠長なこと言ってと怒られそうだが、しかし、息子には自分以上に高みを目指して欲しいという期待があるのだから、それも仕方がないのだ。
「それにしても、どうして修平がここに? お爺ちゃんはどうしたんだい? そもそもどうやってここに?」
「待った待った、一から説明するから」
不思議そうな顔で質問攻めにされることにうんざりし、修平は自ら一連の流れを説明した。それを聞き終えると、秀一は鷹揚に頷いた。
「なるほど。じゃあこの後は頂上へ行くのかい?」
「矢代の力が必要らしいから、このまま行くよ」
「気をつけて。……お前のことだから、大丈夫だとは思うけど」
「……うん」
流ちょうにそんな会話をする息子と父の傍ら、三子と理恵子の間では、静かなときが流れていた。何かを熟考するような顔をする理恵子と、それを見守る三子。
「私……ごめんなさいね、迷惑をかけて」
「ううん、そんなこと」
ぼそぼそと呟かれる理恵子の声は、ぼんやりとしていて、なんだか眠そうにも聞こえた。今もなお、夢の中だと思っているのかも知れない。
「私……」
本当に小さな母の声に、三子は懸命に耳を傾けた。
「二葉と一也に、会いたかったのよ。ここに来たら、会えるんじゃないかって。何か情報が掴めるんじゃないかって」
「うん。私のお姉ちゃんとお兄ちゃん、だよね」
「……知ってたの?」
「うん。お婆ちゃんから聞いた」
三子の言葉に、理恵子は観念したように項垂れた。
「二人のことを説明して、もし三子に記憶が戻ったら、辛い思いをするんじゃないかって、私」
「うん……その気持ちは本当に嬉しいよ。でも、それでも私は知りたかったな、二人のこと。お母さん達だけの秘密じゃなくて、私だって家族だから。一人で抱え込まずに、みんなで二人のことを抱えていければ良かったのに」
すぐ傍らの母の身体は、改めて見ると、随分小さく見えた。自分が成長したのか、それとも、母は大きいものだと錯覚していたのか。
「帰ったら、今までのこと全部話そう、お互いに」
言いながら、ボソボソとした話し声に三子が顔を上げると、修平と秀一が話しているのが見えた。そのまま顔を外に向ければ、もう随分と辺りが明るくなっているのに気づく。
――もうそろそろ行かなければ。私にはやることがあるのだから。
「……ええ」
「待っててね。今仁科君たち呼んでくる」
立ち上がって、三子は手を上げて修平に合図をした。彼はすぐに歩き、三子達の元へ歩いてきたが、三子の方も、彼らに歩み寄った。
「三子さん、志藤さんも無事みたいで良かった」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけして」
「もういいのか?」
修平はチラッと理恵子に視線を向けた。未だ、精根尽き果てたように彼女は地べたに座り込んでいる。
「うん、大丈夫だと思う」
しっかりと頷きながら、三子は視線だけでニハとイチのことを探した。先ほどから姿が見えないのだ。近くにはいると思うのだが、どこにいったのだろうか。
「志藤さん、大丈夫ですか? 歩けます?」
秀一が理恵子の肩を揺すった。が、彼女からの返事はない。
「お母さん?」
さっきまで滞りなく話していたというのに、一体どうしたのかと三子の顔に焦りが浮かぶ。対する秀一は、そんな彼女を安心させるかのように柔和な笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。霊に襲われたのなら、疲れが一気に来たんだろう。私の家で家で様子看るから」
「いいんですか?」
「もちろん。女性一人くらい、抱えて降りられる」
「ありがとうございます」
言葉通り、秀一は軽い様子で理恵子を背負った。見た目に反して、体躯はしっかりしているようだ。
「お母さんのこと、よろしくお願いします」
「もちろん。二人の方こそ気をつけて。修平、三子さんのことをしっかり守るんだぞ」
「分かってるって」
登り始めた太陽に向かって、秀一と理恵子が歩いて行く。三子は目を細めながらその光景を見つめていた。
「俺たちも行くか」
「うん。――あっ、お母さんの荷物……」
ハッとして三子が指さした先には、理恵子が張ったのだろうテントがそのままになっていた。彼女が背負ってきた大きなリュックに詰めれば運ぶこともできるのだろうが、今から頂上へ行く中学生二人が持つにしては、大きすぎるし重すぎる。
「……まあ、片付けるだけ片付ければ、明日父さんが持って帰ってきてくれると思う」
「……ごめんね」
「父さんに言ってくれ」
二人は手早く理恵子の荷物を片付けた。その間にも、太陽はどんどん昇ってくるし、霧だって出てくる。ようやく片付け終えると、三子は遠くで見守っていたニハとイチに向かって、大きく手を上げた。
「もう行くよ、二人とも!」
『…………』
ニハとイチは、互いに顔を見合わせると、ゆっくり飛んできた。いつもとは打って変わって大人しい二人に、三子は手に腰を当てて首を傾げる。
「もう、どうしたの? 殊勝な二人なんてらしくないね」
『…………』
三子の声に、恨めしそうに見つめ返すニハとイチ。彼らの気持ちも分からないではないが、しかし。
「早く終わらせて家に帰ろ!」
落ち込んでいる二人なんて、見たくない。むしろ、三子は嬉しいくらいだったのに。もしかしたら、母にも二人のことを話せるかも知れないと。
馬鹿みたいに笑う三子の笑みは、ニハとイチの心を解きほぐすには充分だった。ふっと嘆息すると、彼らはいつもの調子を取り戻した。
『さんこはお子ちゃまだなー。もう家に帰りたいのか』
『おやつが恋しいんでしょ』
『なるほどなあ』
「馬鹿にしないでよ!」
三子は眉をつり上げて叫んだ。二人のオンとオフの差が激しすぎる。ちょっと静かだなと思ってたら、途端にこれだ。
「もう、さっさと行くよ!」
『はいはい、さんこ様』
『さんこちゃまー』
「馬鹿!!」
修平もいるというのに、いつもの調子で小馬鹿にしてくる二人を置いてけぼりに、三子はどんどん先へ進んだ。一旦分かれ道まで戻り、また頂上への道を登る。
「矢代、少しはペースを考えないと。この調子じゃすぐにバテるぞ」
「う、うん」
後ろから呆れたような修平の声がかかり、三子はようやくいつも通りのペースで歩き始めた。とはいえ、ニハとイチとは距離を置いている。またいつからかわれるか分かったものじゃないからだ。
「霧が出てきたな……」
振り返れば、眩しい太陽の光が目に入る。だが、気がついたときには辺りはもう薄らと白いヴェールに覆われていて、うっかりしていると迷子になってしまいそうなくらいだ。
『足下気をつけなさいよ』
「うん」
状況が状況ナだけに、途端に真面目になるニハとイチ。ずるいなあとは思いつつ、三子も茶化すわけにはいかず、三人の後ろを歩いていた。
「さんこ」
「なに?」
『ん?』
三子の声に、すぐ前を歩いていたイチが振り返った。
『何か言ったか?』
「え、イチの方こそ。私のこと呼ばなかった?」
『呼んでないぞ。気のせいじゃないのか?』
「そうかな……」
確かに呼ばれたような気がしたのだが。
三子はいまいち納得がいかなかったが、押し問答をするつもりはなかったので、すぐに引き下がった。
『上に行けば行くほど靄が酷いわね』
『迷子になるなよ』
「分かってるよ」
一体私のことを何歳だと思っているのか。いくらなんでも、坂道を前に進むだけの簡単な行動、間違えるわけもない。
やがて、一本道は終わり、平坦な場所へ出た。道というよりは、広場なようで、どこまでも平らな地面が続いている。
「さんこ、こっちだ」
「うん……」
声に誘われるがまま、三子は歩き出した。ちょっとだけ道をそれたような気もしなくはないが、そこは素直な彼女、あまり不思議には思わなかった。
『おいさんこ、どこ行ってるんだよ』
「え?」
すぐ前からイチの声が聞こえたと思ったのに、今度は遙か後ろから声が聞こえてきた。
『ちょっと、もう迷子になったわけ? さんこ、一体どこにいんのよ』
ニハの声も聞こえてきたが、反響してうまく位置が掴めない。
「ニハ……どこ?」
「こっちよ!」
すぐ前からニハの声がして、三子は手探りながらそのまま進んだ。仁科君はすぐ前にいたのだから、手を伸ばせば届くはず、と三子は期待を持ってみるが、一向に伸ばした手は何も掴まない。
「矢代ー?」
何故だか遠くから修平の声が響いてきた。それに返事をしようと三子は口を開く。
「仁科く――んんっ!?」
突然地面がなくなったと思ったら、次の瞬間、三子はもう急斜面を滑り落ちていた。遠慮のない叫び声が辺りに響き渡る。
「矢代!?」
『ちょ――さんこ! 一体どうしたのよ!』
『さんこ! どこだよ!』
皆の声は聞こえている。しかし、返事をする余裕も暇もなく、三子は転がり落ちていった。