69:成長したのよ
洞窟内は、暗くて湿っぽかった。
慶史からライトを二つもらってはいたものの、それだけではこの深い洞窟の全てを照らすことなどできなかった。せめてもの救いは、それほど広くはなかったことだが、その狭さは逆に息苦しさを三子達に与えることになったため、あまり嬉しい要素ではない。
後ろを歩く修平の呼吸の荒さに、三子は道中何度か声をかけた。だが、何度聞いても大丈夫だと返ってくるだけだ。彼のことが心配ではあるものの、それならば、早く洞窟を抜けなければと、三子の足取りは一層速くなった。
『幽霊、いる?』
「……先はまだ分からないが、この辺りにはいない」
『そっか』
ニハと修平のやりとりに、三子は少し気取られる。少しだけ振り返ろうとして、地面から注意を話した途端、石に蹴躓いてしまった。
『さんこ、大丈夫か?』
「う、うん」
『ったく、しっかりしろよなあ。あれだけ大見得切って出発したんだから、すごすごと引き返すなんて無しだぜ』
イチの軽口に、三子はムッと唇を尖らせた。三子だって、引き返すつもりは毛頭ないのだ。それは彼だって分かっているはずなのに、わざわざ口にするなんて。
「お前達のことだから、一番に反対すると思ってた」
三子を助け起こすと、修平は先頭を歩き出した。
「いつも過保護すぎるくらいに矢代のこと大切にしてるから、今回のことも、危険だからって真っ先に反対するだろうなって」
「…………」
修平の言葉に、なるほどと思う面もあり、三子はチラッとニハとイチに視線をやった。言われてみれば、確かにその通りなのだ。いつもならば、あんたに何ができるのと言われていそうなものを。
『……もう、さんこも子供じゃないでしょ』
少し後ろを歩く三子の位置からでは、ニハの表情が分からなかった。彼女の低い声に、なんとなく寂しく思った三子だったが、ふいに彼女が振り返り、ニカッと笑った。
『あれから、あたし達だって成長したのよ』
彼女が言う「あれから」とはいつのことだろうか。自分たちが除霊された時のことか、三子と初めて相まみえた時か、はたまた自分たちが死んだ時のことか。
『それに、お母さんのことが心配なのは、俺たちも一緒だしな』
「だったら、どうして援護してくれなかったの? 二人もお母さんのこと助けに行きたかったんだよね?」
つい非難するような口調になるのも仕方がない。
二人ともが父と祖母の説得に回ってくれたら、彼らも大手を振って見送ってくれたかも知れないのに。
『だって、あたし達の声はお婆ちゃんには届かないし』
『だったら、さんこ一人で説得する必要があるかなって』
「それは……そうだけど」
自分が行きたいと願ったのだから、自分で説得すべきだ。
その理屈は分かる。だが、やはり釈然としないものが残った。
納得がいかないまま黙り込む三子に、イチは速度を落として彼女の隣に並んだ。
『案外さんこも頭固いな!』
『変なところで自分の意志は曲げないわよね』
「それ、褒めてるの?」
いまいち褒められている気がしない三子。むしろ、呆れられているような気もする。
仕方なしに三子は歩くことに集中するが、その間もニハとイチの声がけは止まない。
『気をつけろよ、そこ、足下に石があるから』
「あ、うん」
『地面ばっか見ずに上も見ないと。天井せり出してるから気をつけるのよ』
「うん」
後ろから絶え間なく聞こえてくる会話に、修平はついに噴き出した。
もの言いたげな後ろからの視線に、修平は慌てて弁解する。
「いや、相変わらずだなって思って。やっぱり過保護は治ってないじゃないか」
『さんこが頼りなさ過ぎるのがいけないのよ』
「そんなことないよ!」
まだ一度しかこけてないのに、過保護にいちいち危険を伝えてくるのは確かに過保護としか言いようがない。
私に非はない! と三子が一人むくれていると、前からズルッと足を滑らせる音が響いた。
「わっ!」
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
盛大に尻餅をつき、若干恥ずかしそうに視線を逸らす修平。三子達の会話に気取られ、すっかり地面への注意を怠っていたのである。
『……やっぱり仁科も心配ねえ』
『だな』
「…………」
保護者達の嘆きに今度こそ反論できず、三子と修平は、それからは心を入れ替えて歩くことに集中するようになった。
風がないせいか、洞窟の中は思ったよりは暖かかった。だがその道のりは遠く、腕時計をしている修平が随時確認してはいるものの、時間だけが過ぎるばかりだ。
また、盗掘の途中で枝分かれている道もあった。しばらく立ち往生したものの、ニハ自信満々な先導により、事なきを得た。
『あっちの道は、この前の道に続いてるんでしょうね。ほら、イチがまんまと捕まった幽霊と戦ったときの』
『まんまとってなんだよ。まるで俺が弱いみたいに言うなよ』
『事実でしょうが』
『何をっ!』
ニハとイチのいつもの口喧嘩はさておき、三子は前を向いたまま疑問を口にする。
「こっちの道はどこに続いてるの?」
『そりゃ、行ってみなきゃ分からないわよ』
「えっ……」
なんてことない声色で返ってきた返答は、想像と大分違うものだった。修平までもが振り返る。
「おまっ、分からないくせに、あんなに堂々とこっちだって先導したのか?」
『だって、上に向かって行くしかないでしょ? 下に向かって歩いてもお母さん達に追いつかないじゃない』
「それはそうだが……」
このままこの道を歩いても、最後の最後で行き止まりになってしまうかも知れないことを思うと、なんとも納得しきれない修平である。
幸か不幸か、四人の行く道は、行き止まりではなかったようだ。入り口と同じく、狭い出口を這い出ると、久方ぶりに外の空気を存分に吸った。暗いところが苦手な修平も、何度も何度も深呼吸をしていた。
「……ちょっと疲れちゃったね」
「夜通し歩き続けたからな」
昨夜から何も食べておらず、しかも睡眠も大してとっていない今の状況は、少々辛いものがあった。だが、道半ばで立ち止まっているわけにも行かない。再び四人は上へ登り始めた。時刻は朝の三時ほどで、辺りはまだ真っ暗だ。洞窟ほど歩きにくくないとはいえ、幽霊達の気配も色濃くなり、逆の意味で危険性が増している。
三十分ほど歩き続けると、一行は再び分かれ道に遭遇した。途方に暮れて三子は顔を曇らせた。しかし、修平は険しい表情のまま、分かれ道の丁度真ん中に立てられている看板まで歩いて行く。
「――俺たちは左に行こう」
「どうして?」
迷いもなくそう言う修平に、三子は純粋に尋ねた。洞窟の中の分かれ道では、ニハの思い切った決断にかなり渋った様子だった修平。彼がここまでそう言うのならば、何か考えがあるのかも知れない。
「ほら、これ。父さんのだ」
修平は看板の右側にかけてある腕時計を手に取った。
「父さんは右に行った。なら、俺たちは左に行こう。矢代のお母さんを一人にはできないから」
『そうね、それがいいわね。こっちの道にいなかったら、また引き返せばいいし。むしろ、ここでどっちに行こうか迷う時間の方がもったいないわ』
「でも、普通に考えて、やっぱり頂上の方へ言ったんじゃないの?」
『普通に考えたら、ね。お母さんがなんの目的で伊礼山に登ってるのかは分からないけど、その答えが頂上にあるのかしら?』
ニハに釣られ、思わず三子も頂上を見上げる。背の高い木々で隠され、頂上はその片鱗すら見ることができなかった。
『それが分からない限り、一つ一つ選択肢を潰していった方がいいわ』
「……分かった」
ニハのしっかりした答えに、三子は大人しく頷いた。はやる気持ちは、皆一緒なのだ。
どれくらい歩いただろう。歩けど歩けど、理恵子の姿は見当たらず、もちろん頂上も見えない。
もしかして、反対側の道を行ったんじゃないか。
そう三子が思い始めた頃、ハッとしたように修平は立ち止まると、眉間に皺を寄せた。何か気づいたのかと問う間もなく、彼は突然走り出した。
「急げ!!」
「なっ、何!?」
言われるがまま、とりあえず三子も走り出すが、頭は理解に追いついていない。
「ニハ、もう矢代の中に入っていた方がいい! 霊の気配がする!」
『了解!』
だが、ニハはもうその辺りのことを察しているようで、すぐに三子の元へ飛んできた。
『さんこ、いい?』
「う、うん!」
短いやりとりの後、三子とニハは交代した。もう何度目かも分からないその行動に、もう大分慣れてきた三子は、さして苦労することなく幽体のまま地上に留まった。以前はすぐに空へと引っ張られたものだが、今ではもう手慣れたものだ。
ニハの方は、生身の身体で走ることなど久方ぶりだろうに、下手すれば三子よりも速い速度で修平の後を追った。むしろ、幽体である三子がおいて行かれるくらいだ。
『ま、待ってー』
『さんこ、早く来いよ!』
『分かってるよ……』
幽体になってもなお足の遅い自分にほとほと嫌気が差しながら、それでも必死に駆けた。修平君が何かに気づいて走り出したのなら、その先にあるものはただ一つだと。
――視線の先に、何か黒いものが蹲っているのが見えた。
『お母さん!』
「お母さん!」
三子とニハ、イチの声が同時に飛び出した。
非常事態なのは分かっている。それでも、私たち三人の声が、余すことなく母に届けばいいのにと三子は切実に思った。