68:一生後悔する


 蒼白となって立ち尽くす智恵に、林は狼狽した。

「まだ確証はないそうです。ですから落ち着いて――」
「い、いいえ、きっと理恵子です。あの子です」

 だが、そんな彼の姿も目に入ってないようで、智恵は額に手を当てる。

「嫌な予感はしていたんです。でもまさか、こんな大胆なことをするとは……」
「ここからお母さんのところまで行けないの?」

 縋るように三子は父を見上げた。彼は黙って眉間に皺を寄せる。

「……難しいだろうな。反対側へ行くには、まず頂上に向かわなければ」
「洞窟とか、穴とか……とにかくそういうのは!」
「どこかにはあるかもしれないが……」

 気をもんで父のその先を待ったが、希望の持てるような回答はついぞ出てこなかった。
 沈痛な面持ちで黙り込む三子達。だが、ニハがそうっと顔を上げた。

『あたし……知ってる』
「えっ」
『洞窟』

 ニハが視線を向けたのは、伊礼の滝方面だった。つい先ほど、霊達と衝突した場所でもある。

『今もあるのか分からないけど、あたし、一度通ったことあるもの。イチもそうよね? 覚えてる? あたし達が死んだときのこと』
『俺?』

 突然自分に矛先が向き、イチはうーんとうなり声を上げた。
 思っていた反応とは違う彼に、ニハは近づいて力説した。

『伊礼の滝の近くで死んだ後、とにかくさんこから霊を遠ざけなきゃって、逃げ回ってたじゃない? そのとき、洞窟みたいな所通らなかった?』
『言われてみれば……』
「洞窟か」

 考え込むように慶史が顎に手を当てる。その声に、わずかながら希望の色が見え、三子は彼の裾を掴んだ。

「とにかく行ってみない?」
「……役目を、放り出すわけには。向こうには秀一さんもいることだし」

 悔しそうに押し出される声に、三子は一層手に力を込めた。

「でも、何かあったらどうするの! お母さんを助けた後、向こう側から頂上に登って合流すればいいんじゃん!」
「慶史さん」

 両手を組み、請うように智恵は慶史を見た。やがて、観念したように慶史は項垂れた。

「……分かった。話をしてくる。孝雄さんにも同行をお願いしよう」
「うん!」
「私も行きます」

 智恵も名乗りを上げ、二人はたき火の方へと足早に向かっていった。始めは手慰みに両手を組み合わせていた三子だったが、やがてじっとしていられなくなり、その場でグルグル回り出した。
 自分も行った方が良かったかとも思いもしたが、しかし、自分が行ったところで何ができるわけもないので、ここで大人しく待つしかないと思い直した。
 しばらくして、慶史は悠司と孝雄、そして修平を引き連れて戻ってきた。思いのほか人数が少ないので、三子は目を丸くした。

「あまり人数は避けない。少人数で行く。俺と孝雄さん、悠司の三人だ」
「うん……分かった」

 三子は浮かない顔で頷いた。
 本当のところは、自分も行きたいのはやまやまなのだが、行っても足手まといなだけだ。
 三子達は、野営地を後にして、伊礼の滝まで登った。もちろん辺りを警戒しながら進んだが、先ほどの奇襲が失敗したこともあってか、霊達の気配はなかった。

『確かこっちの方だったかしら』
「本当に洞窟なんてあるんだろうな?」
『なかったら今ここにあたし達はいないわよ』

 修平の言葉に、ニハは口をとんがらせながら答えた。
 身体を盗られた後、ニハ達は闇雲に飛び、行き着いた先で洞窟に逃げ込んだのだ。そのときの記憶はぼんやりとしかないが、襲いかかってくる霊達が、狭い洞窟の中で思うように統率が取れず、助かったと思ったことだけは覚えていた。

『ってか、そもそもどうしてあんたもついてきてるのよ』
「悪いかよ」
『悪いわよ。ついてきたってあんたは別に行かないんでしょ?』
「それはそうだけど……気になるだろ。俺の父さんのことでもあるし」
「……すみません」

 修平の後ろで、智恵は表情を陰らせた。

「あ……や、志藤さんが謝ることでは……。俺はただ、父さんが気になるってだけで」
「いえ、私の責任です。本当に皆様にはご迷惑をおかけして……」

 道の途中だが、智恵は深く頭を下げた。

「せめて……事情を説明していれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに」
「でも、どうしてお母さん、伊礼山なんかに……」
「今日は、二葉と一也の命日ですから、思うことがあったのかも知れません。いつもは私と一緒に線香を上げていたんですけど……」
「……知らなかった」

 三子は速度を落として智恵の隣を歩く。
 拗ねたような三子の口ぶりに、智恵はまごついた。

「三子さんには、二葉と一也の記憶がなかったものですから、気を遣ったんです。自分に兄弟がいて、でもどちらも……となると、ショックを受けるかと」
「それでも知りたかったな」

 今言っても仕方のないことだ。
 だが、母と祖母、二人だけで抱えていた傷を、自分にも背負わせて欲しかったというのが純粋な思いだった。
 伊礼の滝から続く洞窟は、なかなか見つからなかった。そもそも、伊礼山は矢代家と仁科家が幾度となく登ってきた山である。そんな洞窟があれば、すぐに彼らが気づくものだが、と次第に皆諦めを抱いていたとき、イチが嬉しそうに手を振った。

『おーい、こっちにあったぞ! これだよな!』
『でかしたわよ、イチ!』

 皆ですっ飛んで行ってみれば、イチの言う洞窟は、確かに存在していた。だが。

「これが洞窟か?」

 イチが指さす洞窟は、あまりに小さかった。崖に半分崩れるようにしてぽっかり穴を開けているその洞窟は、子供なら何とか入れそうだが、大の大人はどう見ても無理だ。

『そうね。あの頃のあたし達は、幽体だったからゆうに入れたものの……。まさかこんなに小さかったとは思いもしなかったわ』
「一応試してはみるか……」

 ようやく見つけたのに、ここですごすご引き返すのもなんだ。
 慶史は地面に跪いて、何とかその大きな身体を洞窟の中に押し込んでみる。――が、一向にその身体は動かない。向こうに押しやろうとも、せり出した崖が邪魔をして、足がつっかえるのだ。

「ちょっときついな……」
「私だったらいけるんじゃない?」

 期待を込めて三子は父を見上げたが、振り向きもせず彼は嘆息した。

「三子一人で行っても仕方ないだろう」
「一人じゃないよ。ニハもイチもいる」

 三子の流れるような返事に、慶史は今度こそパッと振り向いた。ようやく三子が本気だと言うことに気がついたのである。

「まっ、待て! 一人で行くつもりか!?」
「だから一人じゃないって」
「駄目です!」

 慶史だけではなく、智恵まで三子の前に立ち塞がった。

「理恵子と約束したんです。何があっても三子さんに側にいると!」
「でも、だからってお母さんを放っておけないよ」

 三子はゆっくり父と祖母を見返した。

「そうでしょ? このまま諦めて、もしお母さんに何かあったら、私、一生後悔する。みんなもそうでしょ?」
「しかし――」
「私は大丈夫だよ。ニハが私の中に入ってれば、身体を乗っ取られる心配もないし」
「でもその間、お前の魂は無防備に――」
「イチが守ってくれるよ。ね?」

 元気づけるように三子は微笑んだが、祖母は行かせないとでもいうように、三子の腕をガシッと掴んだ。困り果てたように三子は彼女を見たが、それでもその手が弱まることはない。
 みるみる三子の顔が
「――俺も行く」
「修平君!?」

 今までずっと大人しく見守っていた修平が、孝雄の前に進み出た。

「いいよな、爺ちゃん」
「そうじゃな……。修平が行ってくれるのならわしも安心じゃが」
「でもっ、危険なんですよ! 彼に何か遭ったら――」
「信頼しておるからの。大丈夫じゃろ」

 適当にも聞こえる返答。だが、そこからうかがえる信頼度は充分だった。
 思わず下を向く智恵。
 三子はそのことを気にしながらも、修平に顔を向けた。

「いいの? 私の我が儘なんかに」
「お前達三人だけじゃどうも不安だからな」

 胸を張って修平は言い切ったが、一方で三子は伺うように眉を下げた。

「でも……洞窟の中、暗いよ?」
「大丈夫だ!」

 小声で問う三子に、修平は若干頬を赤くして言い返す。非常事態にそんなことを口にするなと言いたいらしい。

「行ってきていい?」

 三子は慶史と智恵、順々に目をやる。父と目が合うと、すぐに視線を外された。しかし、彼はやがておもむろに口を開く。

「……気をつけるんだぞ」
「――うん!」

 元気よく返事をした後、三子は祖母に目をとめた。

「お婆ちゃん」

 三子は、自分の腕を掴む祖母の手に優しく触れた。壊れ物に触れるようにそっと力を入れると、驚くほど簡単に彼女の手は外れた。

「行ってくるね」
「…………」

 返事はない。しかし、自分の前には、今誰よりも心強い仲間達がいる。
 三子は瞳に希望を燃やすと、洞窟の中へと身をかがめた。