67:見過ごしてはおけん


 三子達は、一旦野営地に戻り、体制を整え直すことになった。とはいえ、もうすっかり夜も更け、明日のことを考えると、そろそろ寝なくてはならないのだが、しかし突然の霊達の奇襲攻撃により、作戦を練り直さなければならなかったのだ。怪我をしてしまった慶史の手当のこともある。
 見張りを増やし、残りの者は、たき火を囲むようにして固まった。その中央には、ニハとイチがいる。

『あたし達も、同じ手でやられたの』

 その口調は、極めて事務的だった。

『油断してた所に、どこからともなく霊がさんこの身体を乗っ取って。気づいたときには、そのまま逃げられた。あたしはさんこの魂を追って、イチはさんこの身体を追った。あたしが追いついたときには、もうイチが倒れてて……。待ち伏せされたのよ』
「なぜ気がつかなかったんだ? 霊力の気配はあっただろうに」

 輪の中の一人が声を上げた。

『薄い……霊力の霧のようなものが、頂上から流れてるのよ。あたしも、幽霊になって空を飛んだときに気がついた』

 ニハは真っ直ぐ頂上を指さした。

『あそこに何かがいることだけは分かるわ。頂上に近づけば近づくほど、霊力が濃くなっているもの。だからこそ、幽霊達が近寄ってきても気づけない』
「そういえば……」

 手当を受けながら、慶史がふっと顔を上げた。

「山に登り始めたときから、ずっと周囲を霊に囲まれているような感覚を味わっていたが、そのせいだったのか……」
「良くも悪くも、登ってるうちに慣れてしまったんですね」
「しかし、その場合、どう対処すれば」

 次々に声が上がったが、悠司の声を最後に、話し合いは頓挫してしまった。
 黙り込んでしまう一行。
 ニハとイチは目配せをする。

『多分、もうすぐつく頃じゃないか』

 薄く笑うと、ずっと黙り込んでいたイチが、初めて声を上げた。どういうことか聞き返そうと三子が顔を上げたとき、彼女の目は、ある二人組を捉える。

「なんじゃ、お前さんら。そんな辛気くさい顔をして」
「仁科さん!」

 若干腰は曲がっているものの、杖無しでしっかり立っている老人――仁科孝雄と、その孫仁科修平。
 たった二人だが、その存在感と頼もしさに、一同は言葉を無くす。

「どうしてここに……」
「伊礼山に関することなら、わしらだって見過ごしてはおけんよ」

 どことなく得意げにそう言い放つ孝雄。慶史は慌てて立ち上がった。

「仁科さん――」
「志藤慶史さんじゃな」

 孝雄はしっかりとした足取りで慶史に近づき、その肩にポンと手を乗せた。

「どうじゃ、今日の所は、今までのことは忘れて協力するというのは」
「いいんですか?」
「もちろん。……まあ、わしも、お主らにちと謝らなければならないこともあるのでな」
「謝る?」

 慶史は不思議そうに聞き返すが、対する孝雄は歯切れ悪く視線を逸らした。
 ニハとイチが矢代家の一員だと知らなかったとは言え、二人を除霊してしまった孝雄。今もなお、仁科家で二人が抜け殻のようになっていることを告げれば、矢代家が烈火のごとく怒り出すのは目に見えている――。

『おっそいぞ、仁科! 待ちくたびれた! 俺たちよりも早く出発したくせに、こんな遅くに到着とはどういうことだ?』
「って……え、イチ?」

 たき火の後ろから突然飛び出したイチに、修平は目を白黒させた。よくよく目をこらせば、その隣にはニハもいるではないか。

「な、なんでお前らがこんな所にいるんだよ!? はあ? え、ええっ!?」

 同じく孝雄もぽっかり口を開けて絶句する。
 修平は一歩前を踏み出した。

「ま、まさか、あの結界抜け出してきたのか……?」
『当たり前。あんなところでいつまでも燻ってるようなあたし達じゃないわよ』
「は……え?」

 ニハとイチが目の前に現れても、未だ信じられない様子の修平と孝雄。
 なんだか事態も収拾がつかなくなってきたため、ニハはくるりと仲間達を振り返った。

『とにかく、仁科達が来たんだから、作戦は立てやすくなったでしょ?』
「作戦?」
『仁科家は、霊力の気配に人一倍鋭いって聞いたけど』

 尋ねる修平に、ニハは確信したような口ぶりで返した。

『この山登って、どうだったのよ?』

 虚を突かれたように、修平は一瞬黙り込んだが、すぐに真剣な表情へと変化した。

「不思議な感覚だったな。前はそうでもなかったが、今は……ずっと誰かの霊力が垂れ流しになっているような」
『誰かの、か。そいつが、きっと頂上にいるんでしょうね』

 ニハの言葉に、辺りは静まりかえった。自ずと、視線は伊礼山の頂上へと集まる。

「……とにかく、明日に向けての作戦も休憩も必要です。私たちも早いとこ話し合いを終わらせましょう。仁科さん、お身体の方は大丈夫ですか?」
「わしを年寄り扱いするんじゃない! 電車の中で睡眠はとったから、まだまだいけるわい!」
「――修平君だったかな、君も体調は?」
「俺も大丈夫です」
「そうか、分かった」

 首を縦に振り、慶史は周りを見回した。そして三子に目をとめる。

「三子はもう寝なさい。思ったよりも疲れているはずだ。二葉と一也、三子のことを頼めるな?」

 名を呼ばれた二人はは鷹揚に頷いた。

『当たり前でしょ。今までずっとさんこの側でさんこを守ってきたんだから』
「よし、じゃあ俺と氷室さん、横山さん――」
「矢代さん、矢代さんもテントでもう休んでください」

 慶史の声を遮って、悠司が立ち上がった。

「怪我もしてらっしゃいますし、無理は禁物です」
「いや、そんなことは――」
「三子さんのこと、二人に任せると言っても、それでもやはり心配でしょう?」

 何が言いたいのか、と慶史は悠司を見つめた。目元を和らげ、悠司は促すように彼の背を叩いた。

「三子さんの側にいてあげてください」
「そっ――」

 ようやく悠司の真意に気づいた慶史。だが、すぐに立ちはだかる問題に目が向いた。

「しかし、あのテントは女性用で――」
「ああ、私たちのことは気にしないでいいのよ」

 総勢二十名の中で、三子と智恵を除いて女性は三人いる。皆既婚者で、三十代から四十代がほとんどだった。

「もう若くはないし、それに矢代さんがいてくれるのなら安心だしね」

 顔を見合わせて、おのおの頷く女性達。
 慶史は困り果てて智恵の方を見たが、彼女もまた、肯定はしないものの、否定はせずに慶史を見つめ返した。

「ここは私たちに任せてください。明日の朝、早くに起こして作戦を伝えますから」
「……分かった」

 示し合わせたように自分を見つめる視線に絶えられなくなり、慶史はとうとう頷いた。
 しかし、そんな状況が気にくわないのはニハとイチの二人である。

『あたし達の実力を見くびってもらっちゃ困るわね』
『そうだそうだ! 父さんなんかいなくても、さんこは守れるっての!』
「まあまあ」

 すっかりへそを曲げてしまった二人を宥めながら、三子と慶史はそっと輪の中から外れた。これから真剣な話し合いが始まる中で、いつまでも居座るわけにはいかないのだ。
 慶史は二人を見上げ、儚く笑った。

「少しくらいいいだろ? ……眠るまで、お前達の声を聞いていたい」
『…………』

 記憶にある父とは少し様子の違う彼に、すっかり勢いをそがれてしまったニハとイチ。二人は互いの顔を見合わせ、観念したようにため息をついた。

『仕方ねーな。子守歌でも歌ってやるよ』
『え、止めときなさいよ。あんた音痴じゃない』
『んなことねえよっ!』

 騒がしくその場を去る四人。だが、三子は話し合いの方が気になって仕方がなかった。
 強いて言うならば、話し合いに参加できないことに、三子も不満がないわけではないのだ。修平や尚人のような、自分とそれほど年の変わらない彼らが話し合いに参加できて、自分だけ子供扱いされてもう寝ろと言われる。不条理を感じても仕方がなかったが、しかし、つい先ほどまでの出来事を思うと、結局そのことが口から出ることはなかった。器という体質のせいで、自分が足手まといであることには変わらないのだ。むしろそのせいで、先ほどは父を危険な目に遭わせてしまった。
 はあ、と一人重い雰囲気を纏う三子に、やいやい言い争いをするニハとイチ、そしてそれを眩しそうに見つける慶史。
 そんな彼らの元に、息せきって走ってくる者がいた。機敏に彼の存在に気がついたのは慶史である。

「慶史さん!」
「大丈夫ですか?」

 走ってきたのは、矢代家で働く使用人の一人である林だ。
 四人の元にたどり着いた途端、彼は根気を使い果たしたように膝に手をついた。

「す、すみません、走って登ってきたもので……」
「こんな時間に? 何かあったんですか?」
「その……それが」

 やがて林の呼吸も落ち着いてくる。にもかかわらず、彼は視線を逸らして言いづらそうに口ごもった。

「仁科家から連絡があったんです。仁科……秀一さんから。伊礼山の入り口に張ってあった結界が破られたそうです。おそらく、何者かが侵入したのではないかと」
「こんなときに一体誰が……。今はどうなってるんです?」
「仮の結界を張った後、秀一さんが後を追ったそうです」
「そうですか……」

 一旦は相づちをうつものの、慶史の表情は浮かない。
 現在、伊礼山は全体的に興奮状態にあるといっても過言ではない。いつもは人間と幽霊、地上と伊礼山とでにらみ合っていたのだが、今宵、突如人間達がその境界線を侵してきたのだから、霊達も迎え撃つ気満々なのだろう。

「あと……確信はないとのことですが」
「はい?」
「伊礼山に侵入したのは、志藤理恵子さんではないかとおっしゃってました」
「なっ!」

 慶史は目を見張って林を見た。
 その顔がどんどん険しくなっていく様におののき、林は額に汗を浮かべて首を振った。

「く、詳しいことはよく分かりません。結界が破られる前に、理恵子さんの姿を目撃したそうなので、もしかしたら、と」
「理恵子……まさか!」
「そ、その話は本当ですか」

 突然の背後からの声に、その場にいたものは皆肝を冷やして振り返った。

「理恵子が、本当に」

 今にも倒れてしまいそうなほど、血の気を失った顔でそこに立っていたのは、志藤智恵――理恵子の母親だった。