66:痛い目に遭いたい?
それからはもう圧巻だった。
三子が連れてきた総勢二十名近くの霊能者達に加え、ニハとイチという強力な助っ人も現れたのだ。その差は歴然。
もともと、幽体では思うような霊力は震えない。だが、それ以上にニハとイチの生まれながらにして持っている霊力の量は半端ではないのだ。劣勢だった形勢を逆転するのに、そう時間はかからなかった。
皆が戦っているのを脇目に、三子はこっそり父の側に駆けつけた。彼の側にはニハとイチがいるので、三子が近くに行っても足手まといにはならないと判断したのだ。
『お父さん、大丈夫!?』
「あ、ああ……」
三子の声などほとんど聞こえてない様子で、慶史はわなわなと唇を震わせていた。彼が真っ直ぐに射貫くは、自分のすぐ側で戦っているニハとイチ。
「な、なんで」
『イチ、そろそろあの子の身体取り返すわよ』
「ふ……二葉……一也……」
『手加減はしろよ? なんたって、さんこの身体なんだから』
慶史のか細い声は、ニハの元気な声にかき消される。
『分かってるわよ!』
だが、威勢のいい返事とは裏腹に、ニハはふっと底意地の悪い笑みを浮かべた。『三子』がたじろいだと思ったら、ニハは意気揚々と彼女に近づき、右手を伸ばした。
『さんこ、もう十二歳だものね。だったらあたし達の期待にも応えられるはずよね?』
『え?』
いまいち、ニハの言うことが分からず、三子は首を傾げた。少しだけ間の開いた、次の瞬間、ニハの右手から眩しいほどの霊力が飛び出した。霊力に胸を打たれ、勢いよく後ろに吹っ飛ぶ『三子』。
『わ、私の身体ー!!』
三子は叫ばずにはいられなかった。何しろ、自分の目の前で、自分の身体が盛大に傷つく様を見せつけられたのだから。
『な、何してんの!? あんなことしたら、いくら何でも私――』
『悪いわねえ。手加減なんてしてられないのよ。いつまた逃げられるかも分からないし?』
悪びれた様子もなく、ニハはむしろ楽しそうに『三子』の身体に駆け寄った。そうして、ゲホッと苦しそうに咳をする『三子』の胸ぐらを掴む。
『人間の身体で味わう物理的な痛み、結構辛いでしょ? そりゃそうよねえ。人間が感じる痛覚は、この世の中にたくさんあるもの。切り傷に火傷、打撲に骨折などなど……』
『三子』はぶるっと身を震わせた。その様に、ニハは不気味な笑みを濃くする。
『あんた、これ以上痛い目に遭いたい?』
「――っ!」
声にならない悲鳴を上げた後、『三子』は気が遠くなったようにその場に倒れ込んだ。と同時に、彼女の身体から一つの幽体がへろへろと出ていく。
『三子! 今のうちにさっさと入りなさい! また変なのに盗られたら厄介でしょ』
『は、はい……』
なんだか釈然としないまま、三子は自分の身体に入っていった。幽体から人間の身体に元に戻るのは、相変わらず奇妙で気持ち悪い感覚だが、もう慣れてしまったとも言える。
だが、ふっと目を開けて、ニハとイチの嬉しそうな顔が目に入った――と思った途端、体中に走る痛み。
「うっ! 痛っ!」
『なっ、どうしたの!?』
『まさかあの幽霊に置き土産でも――』
慌てて三子に縋り付くニハとイチ。だが、三子にはちゃんと分かっていた。恨めしい目つきで、ニハに指を突きつける。
「ニハのせいでしょうが! ニハの霊力で私――あっ、いたた」
『だってそれは仕方ないでしょうが! こうでもしないと、また前の二の舞になるかもしれないし』
「それはそうだけど! でも手加減ってものがあるでしょう!」
今の状況を忘れ、すっかり言い争いになる三子とニハ。
その間にも、戦いは収束を迎えていた。十対二十のこの状況に不利と判断したのか、霊達は早々に引き上げている。手持ち無沙汰になったイチも、ふよふよと二人の元にやってきた。
『何はともあれ、無事だったんだからいいじゃん』
「だけど――」
続けて文句を言おうとして、三子の声は詰まった。言いたいことは山ほどあった。でもその言葉の全てが、押し合いへし合い、喉の奥で喧嘩を繰り広げるものだから、何が一番言いたかったのかすっかり忘れてしまった。そうして混乱した三子の頭が命じたのは、嗚咽。
「うっ……」
言いたかった言葉は、全て一つの感情で埋め尽くされていた。そしてその怒りとも歓喜とも深い愛情とも言える感情は、さざ波のように三子の体中を駆け巡り、言葉一つ一つを順々に押し出す。
「今まで、どこに行ってたの……! 黙っていなくなって、ずっと心配してたんだから! いつも二人はそう、勝手に私を振り回しておいて、大事なことは何一つ言わない!」
『でも、さんこ――』
「言い訳は聞きたくない! どうせ次も懲りずに同じようなことするんでしょ!」
二人の声を遮断し、三子が叫び散らせば、二人の兄姉達は、顔を見合わせ、困ったように笑った。
『うん……ごめんごめん』
『悪かったな』
「…………」
ちっとも悪びれた様子のない二人に、三子は恨ましげな視線を送った。
三子は非常に怒っている。にもかかわらず、目の前のこの二人は、そのことがさも嬉しいことのように照れ笑いをするばかり。そんなの、腹が立たないわけがない。
「ちょっと! 私、本気で怒ってるんだから――」
「三子さん」
三子の声を遮る者があった。ニハでもイチでもない、智恵である。だが、彼女のその行動は、三人を遠巻きに眺めている者たちの総意でもあった。これでようやく、置いてけぼりになることはないな、と。
「どういうことですか? そこにいるんですか? 二葉と一也が」
だが、この中で最も置いてけぼりになっていたのは、他でもない智恵だった。彼女の孫――二葉と一也は確かにここにいるのに、霊力のない智恵には、それを証明することができない。二人の孫の存在の有無は、彼女が何よりも今望んでいる情報であるにもかかわらず。
三子と目が合えば、智恵は痛ましいほどに顔を歪めた。
返事を早く知りたい。でも、返ってくる言葉が恐ろしい。
智恵の身体は、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど震えていた。
「えっと……」
戸惑いに、三子は視線を外した。なんと言ったものか。
そんな考えが頭をよぎったとき、三子達を囲む群衆の中から、よろめきながら歩いてくる者があった。
「二葉、一也……」
「大丈夫?」
「あ、あ……」
おぼつかない足取りの慶史を、三子は思わず支えた。しかし、心ここにあらずといった様子で頷くのみで、彼はニハとイチの前まで歩ききった。
「…………」
『――お父さん』
声もなく自分たちを見つめる父に、ニハとイチは、戸惑ったように彼を呼んだ。
――何度、その声を切望したことだろうか。
慶史はやりきれない思いと共に、グッと歯を食いしばり、下を向いた。
震える背中。力強く握られる拳。
表情は見えないが、それだけで、父の感情が痛いほど伝わってきた三子は、同じく行き場のない気持ちを持て余し、視線を外した。
「俺――」
ようやく押し出された声は、低く、途切れ途切れだ。
「心のどこかで、お前達がまだ生きてるんじゃないかって思ってた。実感がなかった。突然――本当に突然消えて、亡骸さえも見つからなかった。もしかしたら、この山のどこかでまだ生きてるんじゃないかと、そう、思わずにはいられなかったんだ」
やっと会えたのに。
でもそれは、望み通りの姿ではなくて。
「でも……もう」
その先に続く言葉を聞きたくなくて、三子は父にしがみついた。
「お父さん」
誰よりも、無力と悲哀の思いを胸に抱いているのは、他の誰でもない、ニハとイチだ。
三子の縋るような瞳に、慶史はハッとしたように目を見開いた。 何か言おうとして口を開いて、つぐむ。
その動作を繰り返し、ようやく押し出された言葉は。
「ごめん……ごめんな」
悲嘆に暮れた声に、ニハとイチは顔を歪めた。
こんな顔をして欲しいわけではなかった。謝って欲しい訳でもない。ただ、抱き締めてくれるだけでも良かったのに、こんな身体ではそんなことすらできない。
「うっ……うぇっ」
この場にそぐわない、潰れた蛙のような泣き声に、ニハは思わず泣き笑いのような表情になった。
『なんであんたが泣くのよ……』
「だ、だって……」
ぐずっと鼻をすすると、強く目をこすった。平然となんかしていられなかった。それはきっと、当事者ならなおさら。
「全部終わったら、お母さんのところに行こうよ」
三子は父とニハ、イチを交互に見つめた。
「お母さんに全部話そう? 私の身体貸すから、お母さんとも色々話して」
『そ、んなことしたって無――』
「無駄じゃないよ!」
後に続く言葉を容易に想像でき、三子は思わず怒鳴るようにして先取った。
「言いたいこと、全部言えばいいよ。私だけじゃなくて、お母さんやお父さんにも言いたいこと山ほどあるでしょ!?」
『えっ』
「何なら今貸そうか!? お婆ちゃんにも言いたいことあるでしょ!?」
『べ、別にいいわよ』
「そんなこと言わずに! 私なら気にしない!」
『いらないって!』
しまいには、ニハと三子、二人でかけっこのようになってしまう始末。仕方なしにイチが割って入った。
『す、ストップ。さんこ、一旦ストップ』
「イチが先に身体借りる!?」
矛先をイチに急転換しようとした三子だが、イチの表情を見て、はたと立ち止まった。
『察してやれよ。俺たち幽霊は、生理的現象は起こらない。当然涙だって出ない。でも人間は違うだろ?』
穏やかな表情で、イチは笑う。
『俺でもちょっとヤバいかなってくらいだし』
「…………」
虚を突かれた思いで三子はニハを見た。自分たちから遠く離れた空で、こちらを睨み付けているその顔は、一見恐ろしくも見え、同時に泣きそうにもなって見え――。
『家族水入らずの時に話そう。今は、他にやることがあるだろ?』
「……うん」
『ニハももう下りて来いよ。さんこももう無理強いしないって』
『――ええ』
恐る恐るといった様子でニハが下りてきた。警戒するように三子との距離は開けて。
「ニハ、また今度ね」
今のところはこれでおしまいだとばかり、三子は笑顔でニハに話しかけた。だが、未だ三子を不審な目で見つめているニハにはその気持ちは届かない。
『イチ、あんたさんこに何言ったのよ。さんこが気持ち悪い目で見てくるんだけど』
「なっ、酷いよ、そんな言い草!」
『あーもー、話を盛り返すな! これで終わり!』
イチがパンッと両手を合わせた。音はしなかったのに、不思議と示し合わせたように三子とニハは静かになった。