61:星がよく見えるね


 まだ靄がかかる時分、一行は出立した。
 矢代家の裏から続く山道を、一行は二列になって進む。三子は、列の真ん中ほどを歩いていた。この中で一番実力が乏しく、そして一番狙われやすい存在でもあるからだ。
 すぐ前を父が、後ろを祖母が歩いていることはまだいい。だが、なぜ隣があの氷室尚人なのかということは不思議でならなかった。大して話したこともないのに、どうして、と。だが、この中では一番自分たちが年の近い者同士でもあるから、周りが気を遣ってくれたのかも知れないと三子は考え直すことにした。とはいえ、道中気まずいことに変わりはなかったが。
 総勢二十名での行軍は、時折休憩を挟んで行われた。その歩みは、普通に歩くよりも随分遅い。周囲に寄ってくる霊達を、その都度除霊する度に立ち止まらなければならないので、それも仕方のないことなのだが。

「氷室君は、護符を使って除霊してるの? みんなとちょっと違うんだね」

 前方の援軍に行っていた尚人が帰ってきたため、三子は興味深げに尋ねた。
 通常、除霊は身体から漲る霊力を発現させるには、手から行うのが普通なのだが、尚人は、護符を幽霊に貼り付けることで除霊しているらしかった。

「僕は……それほど霊力がないからな。あらかじめ護符や数珠に霊力を貯めておいている」

 遠くを見つめながらそう小さく呟く彼に、三子は目を瞬かせた。霊力を貯める、という言葉の響きが、純粋に格好良く感じられたのだ。

「そんなことできるの? やっぱり訓練しないとできないものなの?」
「訓練すれば多少はできるようにはなるだろ。まあ、それぞれ適性があるから、人並み以上は無理だろうが」

 どことなく得意げにも見える尚人だが、三子はそんなことお構いなしに勢い込んだ。

「じゃあ、それって、私が使うことはできないの?」
「はあ?」
「その護符。霊力が貯められてるんでしょ? なら、修行したら私だって除霊できるようにならないの?」
「使う側にも霊力は必要だから、無理だな」
「そっか……」

 あっさりと首を振られ、三子は気持ちの行き場を失ってしまった。もし自分も使えると言われたならば、この二日間で、付け焼き刃ではあるが使い方を教えてもらおうと思ってのことだったのだが。

「なんで急にそんなことを?」

 それきり黙ってしまった三子を気遣ってか、尚人は前を向きながら尋ねた。

「だって……見ているだけじゃ、歯がゆいから」
「お前にはお前の仕事があるだろ」
「それはそうなんだけど」
「三子」

 唐突に前を歩いていた慶史が振り返った。つんのめりそうになった三子は、慌ててその場で立ち止まる。

「そんなこと、気にしなくていいんだ。おそらく、頂上で三子の力が必要になる。尚人君の言うとおり、三子には三子の役目があるんだから、それまで体力を温存しておいてくれ」
「うん……」

 慰めるように、鼓舞するように父はいったが、三子はそれでも釈然としない思いだった。


*****


 予定通り、日が暮れる前に目的地にはたどり着くことができた。道中、あまりにも多い幽霊達に手間取り、このままでは予定通りにいかないのではと危惧されたため、歩く速度を速め高いがあったというものだ。
 野営地は、丁度伊礼の滝のすぐ近くの場所だった。遠くの方でごうごうと水が流れ落ちる音がするが、慣れれば苦にも感じない。

「滝は、すぐこの近くだよね?」

 三子は興味津々に父を見上げた。折角ここまで来たのだから、少し見てみたいような気もしたのだ。だが、そんな三子の心境などお見通しなのか、慶史は浮かない顔だ。

「ここをもう少し登った先に滝があるが……。今回は無理だぞ。ルートを外れれば、見れないこともないが、そんな暇はないからな」
「べ、別にそこまで見たいわけじゃ……」

 無理を押し通すつもりも、駄々をこねるつもりもない。ただちょっと言ってみただけなのに。
 三子は少々唇を尖らせた。

「三子さん、ちょっと手伝ってくれませんか」

 丁度そのとき、祖母から声がかかったので、三子はこれ幸いと駆けていった。
 野営地では、男性と女性で別れて仕事をしていた。
 男性は主にテント作りで、女性は食事作りだ。女性はほんのわずかしかいなかったのだか、今夜の食事であるカレー作り自体は簡単なものだった。カレーはレトルトだし、ご飯もガスバーナーにかけて炊くだけなので、三子に手伝えるようなことはほとんどなかった。せいぜい、大量のご飯を洗うときに、少し手伝ったくらいか。
 凍えるほど寒いとはいえ、大勢で、しかも外で食べるカレーはとてもおいしかった。意外と明るい雰囲気にのまれ、三子は三杯もおかわりした。ニハやイチがいたならば、『そんなに食べたら豚になるぞー』とからかわれるくらいには、お腹をパンパンに膨らませた。
 食事の後は、男性達は難しそうな顔で明日に向けての話し合いを始めた。女性達もそれに時折交わりつつ、食事の後片付けをした。
 なんだか、自分だけ何もしていない――というよりは、蚊帳の外――のような気がして、三子は少々不満げだった。自分の立場に不満はないのだが、申し訳ないというか、本当に自分が頼りにされているのかという不安もあった。この旅についてきただけでは、本当にただの足手まといになってしまう。
 明日になったら、何か少しでも役に立てるのだろうか。
 そんな希望を胸に、三子はリュックにペットボトルを仕舞った。

「三子さん、もう寝ますか?」

 手持ち無沙汰になってしまった三子の元に、祖母が歩いてきた。

「でも、まだ眠くないよ。まだ八時くらいじゃない?」
「明日も早いですし。それに、三子さんが思っている以上に、身体は疲れているものですよ」
「うーん……」

 皆が真剣なときにこういってはなんだが、いつもとは違う、非日常的空間に、三子は高揚していた。そしてそんな気分のままでは、決して眠れない。そんな気がして、三子は寝床につくという選択肢を受け入れられずにいた。

「もう少しだけ、起きていようかな」
「……分かりました。本当にもう少しだけですからね」
「うん。眠くなったらすぐに寝るから」

 目元を和らげると、智恵はそのまま男性達の輪の中に入っていった。彼女はすぐに受け入れられ、明日に向けての話し合いに参加した。
 ……きっと、私にも聞かせてって言いに行っても、もう寝なさいって言われるだけで追い払われるんだろうな。
 そんなことを思うと、ちょっとだけ悲しくなる三子だったが、すぐに首を振って歩き出した。彼らの輪の側にいたら、嫌でも気になってしまいそうに感じたのだ。少しだけ一人になりたい気分だったので、テントから少し離れた、岩肌を背に座り込んだ。
 たき火とは随分離れてしまったが、今はそんなこと別段気にならなかった。見上げれば満天の星空があるし、前を見れば、真剣に話し込む大人達がいる。そのくせ、周りには誰もいないというその状況に、わずかながらホッと息がつけたのを感じた。
 ニハとイチがいなくなってから、三子は「一人」という状況に、なかなか慣れなかった。何度無視しても、ねえねえ、なあなあと話しかけてくる二人の存在は、三子が思っていた以上に強烈だったらしい。おかしなことだ。二人が見えるようになるまでは、自分は誰よりも孤独だと思っていたのに。
 空を見上げていた三子の視線は下がり、いつの間にか両膝の間に頭を挟み込み、項垂れるようにしていたらしい。本当にただの無意識だったのだが、その格好を、調子が悪いからだと勘違いした慶史は、輪の中から外れ、三子の元へやってきた。

「気分悪いのか? もう寝るか?」
「ああ、お父さん。……ううん、別にそんなことないよ。元気」
「そ、そうか?」

 それでも若干戸惑った様子を見せ、慶史は三子の隣に腰を下ろした。意識はしていないのだろうが、彼が風よけになってくれたので、三子は座ったまま冷えていた身体を揉みほぐした。

「私、ここへ来たら記憶が戻るかなって思ってた」

 手袋をしているとはいえ、かじかむ両手を三子は組み合わせた。

「私がここへ来たとき、確か六歳だったんだよね?」
「ああ。小学一年生の頃だ」

 ニハとイチが死ぬ前の記憶が、三子にはなかった。そのことが、今は何より悲しい。

「物心……ついてるよね? 単に私が忘れてるんじゃなくて、記憶喪失ってことだよね?」
「そう、だな。病院で目を覚ましたお前は、二葉と一也のことをすっかり忘れていたから」

 ――唯一ニハとイチの手がかりを知るかも知れない妹が、その二人の記憶を失っている。
 そのことが、どれだけ周りの大人達に衝撃を与えただろうことは想像に難くない。特に母に関しては尚のことだろう。突然二人の子供の訃報だけ知らされて、その上、末の娘までもが二人のことが分からないというのだ。この奇妙で不可解な現象に、すぐに理解が追いつかないのも無理はない。

「ニハとイチのこと、思い出したいな」

 純粋に、ただ自分の姉と兄だった二人のことを。そして更には、二人が命を落とすことになってしまった当時のことを。そのことを思い出せば、ゆくゆくは二人がどこにいるのか分かるきっかけになるのではないか。

「大丈夫だ、きっと」

 まるで自分に言い聞かせるように、慶史はボソリと呟いた。

「うん」

 三子もほうっと息を吐き出し、そして切り替えるように空を見上げた。代わり映えのしない星空が底には広がっていたが、かといって、飽きるなんてことはないのだ。

「星が、よく見えるね」

 三子は当たり前のことを口にした。真冬で、しかも山奥であるこの場所では、星がいつも以上に綺麗に見えることは、誰もが知っていることなのだ。