06:昇天するぞ
授業が終わると、生徒たちは堰を切ったように外へ飛び出していった。手にはボールを持っていたり、何も持っていなかったり。三子が見守っていると、彼らはどうやら運動場に出たようだ。楽しそうに友人とはしゃぐその姿が、三子は少々羨ましかった。
教室へ目を向けると、数人の女生徒が残っていた。もともとクラスは二十名ほどしかいないので、大半の生徒が遊びに行ってしまったことが分かる。
三子がじっと見ていると、残った女生徒のうち一人と目があった。途端に三子の頬に熱が集まったが、その視線はそらされることはなかった。これはチャンスかも、と三子が逡巡するうち、その視線を遮る者が現れた。
「おい転校生。話がある」
目の前に立つのは先日の少年。三子は一気に血の気が引いた。
「ちょっと仁科、止めなよ」
女生徒の援護が入るが、少年は頷かなかった。三子の腕をとり、そのままどこかへ歩き始める。
『何だなんだ? 告白か?』
『良かったわね、さんこ! この子ちょーっと頭悪いみたいだけど、彼氏がいれば学生生活はバラ色同然!』
後ろで何か言っているが、三子はガン無視だった。
連れられた先は、旧校舎の裏だった。
もともとはこちらが校舎として使われていたのだが、年季が入っていたことと、生徒の人数縮小により、今の新校舎が建てられたそうだ。数年経ってもなかなか撤去が追い付かず、窓ガラスが割れていたり、所々木の板が外れていたりするので、この辺りは近づかないよう先生にも言われていたのだが。
まさか転校早々、その言いつけを破ることになろうとは。
辺りに誰もいないのを確認すると、少年は三子の腕を離し、彼女と向き直った。
「お前、どうしてこの間逃げたんだ? 初めてのことで怖いのは分かる。でも逃げたって何も変わらないぞ」
「え……は?」
意味かよく分からず、三子は首を傾げる。少年も三子のその様子に気が付いたようだ。
「いまいち分かってないみたいだな……。だから、お前の後ろに引っ付いてるそれ、祓ってやるって言ってるんだ」
「はら……う?」
「幽霊だ。幽霊が二体、お前に引っ付いているだろう」
ようやく三子にも合点がいき、ハッとして手を打った。
「も……もしかして、あなたも見えるの……?」
「俺は仁科修平。先祖代々続く、由緒正しい祓い屋の家系だ。見えない訳がない」
「…………」
まさか、自分以外にも見える人がいるとは。
いや、三子にも見えるのならば、この地球上、もっと見える人がいるのだろうが、こんな身近に存在したとは、三子は思いもしていなかった。
てっきり誘拐犯だと思っていたことは、一生三子の胸の中に隠しておこうと思った。
「お前らのことももちろん気づいている!」
唐突に修平が叫び出したので、三子はビクリと肩を揺らした。が、今のは三子に対してではなく、ニハたちに向けられたものだったらしい。自由気ままに飛んでいたニハたちは、縫いとめられたかのように止まった。
「さあ、祓ってやるから大人しくこっちに来い!」
修平が三子に向かって手を差し出す。三子はもちろん戸惑った。
『なあさんこー。この子あんまり信用しない方がいいぜ?』
『そうそう、なんか危ない匂いがするわ。あんな簡単な問題も答えられなかったくせに、何をそう自信満々なんだか……』
「お前らが授業中うるさくするから答えられなかっただけだろ!」
ニハの馬鹿にしたような物言いに、修平が激昂する。
『うわー、人……じゃなかった、幽霊のせいにするなんてサイテー』
「事実そうだろうが! 授業中くらい静かにしろ!」
『その授業に遅れてきたのは誰だよ』
『ナイス突っ込み!』
幽霊二人がやたらと盛り上がること。
三子は置いてけぼり感を食らいながら、その様を見ていた。修平はその隙にこっそり三子にに歩み寄った。
「お前だってこんな奴らに憑かれて迷惑してんだろ? 祓ってやるから、な?」
再び少年は三子の腕をとる。三子は首を傾げた。
「う……うーん……」
その返答は、躊躇うように間延びしている。それに慌てたのは、幽霊二人の方だった。
『おーい、さんこちゃん? どうして返答に迷ってんの? ひょっとしてこれを機に俺たちとおさらばしようって魂胆?』
『さんこ、あんたここで頷いたらどうなるか分かってるんでしょうね……? 主人に反旗を翻したら、どうなるか分かってるんでしょうね……!』
胡麻をする者と不穏なことを口にする者。
だが、二人のことは三子の頭になかった。純粋に、思ったことを少年にぶつける。
「え、本当にできるの?」
「……は?」
「その……あなたが、本当に祓うことができるの?」
「…………」
『だよねえ! さすがさんこ、分かってる!』
途端にあはは、と甲高い笑い声が上がった。
『こんなただの十二歳が、どうして俺たちを祓えるんだってな!』
『ほんとほんと。もしかして中二病? 幽霊が見えるから、自分に何か特別な力が宿ったとか、そんな風に思っちゃった系?』
わなわなと修平が震えだす。三子がヤバいと思った時には、もう時すでに遅かった。
「ようし……お前たちがその気なら、こっちにも考えがある……」
『あははは、何、何をやるつもりなのかな?』
『俺の邪気眼でも食らえーってか? それとも右腕に封印されし魔物の方か!?』
修平は徐に右手を構えた。ピシッと伸びた彼の手のひらは、真っ直ぐにニハへと向いていた。
『なっ、何をするつもり――って、きゃああっ!』
三子からは、何が何だか分からなかった。突然ニハが叫び声上げて宙を飛んでいったのだ。まるで彼女の周りにだけ強風が吹き荒れているかのように、ニハの髪は、服はぶわっと巻き上がっていた。
『いやあああ、何よこれえええ!』
ニハ自身も戸惑っているようだった。空気抵抗を小さくするためか身体を小さくし、精一杯足を踏ん張っている。
『ニハ!』
イチも異変に気付き、すぐにニハの元へと向かうが、彼にできることはない。むしろ、一緒になって強風にあおられることとなった。修平はいわくありげに笑う。
「はははは、そのままどこかへ飛んでいけ。縁さえ切れれば、もう戻ってくることもできないだろ」
「――っ」
三子は思わず唇を噛みしめた。修平が何を言っているのかはよく分からなかったが、それでも、こんな形での別れなんて酷すぎる。
三子は一歩ずつニハに近寄った。
いくら幽霊だからと言って、あんな追い払い方があるのだろうか。一度死んでいるのに、どうしてもう一度怖い思いをして死なないといけないのか。
「ニハ……」
『さ、さんこ……』
二人の視線が交じり合う。踏ん張りがきかないようで、ニハの足は少しずつ後ろに押されていた。三子の顔が歪む。ニハの顔も鬼気迫っていた。
『……このままじゃ、あたし――』
ニハが手を伸ばした。触れることができないと分かっていても三子もまた手を伸ばした。
「ニハ――」
『……さんこ、ごめん!』
「へっ……え?」
何が起こったのか、三子は理解に時間がかかった。きょとんとしている間にも事態は進む。
三子は始め、痛覚を感じた。何かから千切られるような、何かから引っ張られるような。でも一瞬、温かい気持ちになったのは何故だろう。
『えっ』
気づくと、三子は空中を漂っていた。ふわふわ、ふわふわと。眼下には、自分の身体がある。
『ひっ……』
気持ちは追いつかないが、しかし理解は追いついた。
『ひゃああああ!』
三子は思わず叫ぶ。が、その叫びも何だか籠ったような声だ。いつもの自分の声ではない。
『あっ……あっ』
声にならない言葉が喉を突き抜ける。その音に、眼下の三子がゆっくりと顔を上げ、そして目が合う。徐に、ひどく申し訳なさそうに、彼女は両手を合わせた。
「さんこ、ほんとにごめん」
『ニハー!!』
乗っ取られたのだ、自分の身体を。
初めて三子は怒りが爆発した。本当なら地団太を踏んで怒りをあらわにしたいところだが、宙に浮いているのでそれもできない。
「ごめん、でもこれしかなかったのよ。そうしないと、縁が切れちゃって――」
『ねえニハ!』
ニハの言葉を遮り、三子は真っ青になって叫んだ。
『怖いんだけど、なんか怖いんだけど! ちゃんと元に戻れるよね? ちゃんと地面に足付くよね!?』
「ううーん、つく……んじゃない? 大丈夫、もうこれであいつも手出しできないと思うし、あたしの胸に飛び込んでおいで!」
『いや……いやっ、こうしているうちに私どんどん上に向かっていくんだけど!』
三子はもう半泣きだった。いや、もう泣いている、涙が出るのであれば。
三子の身体――というより幽体は、何も支えが無いので、どんどん空へと上がっていっていた。もう『三子』やら修平やらが、米粒のように見える。
『さんこ! こっち戻って来い!』
イチが隣に浮上してきた。手を差し出すが、彼の手は三子の幽体をもすり抜ける。
『むむむ無理! どうやって下へ行くの、どうやったら止まるのー!』
「まずいぞ……。このままじゃあいつ、昇天するぞ!」
微かに修平の小さな声が聞こえた。その内容に、三子は仰天する。
『しょ……しょうてんー!?』
声が裏返った。昇天……の意味はよく分からないが、しかし悪い意味であることだけは分かる。
『やっ……やだ、怖い……』
グスグスと三子は鼻をすする。幽体なので、鼻水も涙も出なかったが。
『私、死にたくないよー!』
三子の渾身の叫びに、修平がハッとして動き出した。慌てたように駆けだすと、校舎の中へ走って行った。しかし混乱する三子には、彼の様子などてんで興味もない。自分の命の行方の方がよっぽど大切だった。
『うっうっ……ぐすっ』
「さんこー!」
下でニハが叫んでいるが、もうほとんど聞こえてこなかった。一定以上上へはいけないのか、イチも数メートル下で悔しそうに唇を噛んでいる。
『…………』
死ぬ、のか。
徐々に、三子の意識は天へ引っ張られていった。どうして自分がこんな目に遭っているのかという嘆き、残していく母や祖母への心配の感情が薄れ始めていく。刻一刻と昇天する準備が整えられているようだ。現世への未練が断ち切られ、頭がボーッとしてくる。終いには、ものを考えることすらできなくなってきたその時。
『――きゃああああ!』
唐突に、まるで掃除機に吸い込まれるがごとく、三子はすごい勢いで下へ引っ張られた。痛覚はない。が、何が何だか分からず、三子は目をくるくる回した。
『ひゃっ』
気がつけば、三子は丸いものの中に閉じ込められていた。もう何かに引っ張られる様な感覚はない。あれ、あれ……と三子が事態を把握する前に、修平は三子を閉じ込めた水晶玉を握りこんだ。
「おいお前、こっちに来い」
「きゃっ」
ニハ――正しくは三子のだが――の腕を修平が引っ張った。ニハはうるうると涙を浮かべながら大人しく従う。
「さんこ……さんこ」
「あいつはここにいるから安心しろ。問題はお前だ」
「――っ!?」
修平はグイッとニハを引き寄せると、その身体を押し倒した。ニハは目を丸くする。
「また暴れられても困るからな……。ほら、飲み込め」
そう言って、修平はニハの口に先ほどの小さな水晶玉を押し付けた。
「こっ……こんな球体、飲み込める訳ないでしょ……!?」
「あいつがどうなってもいいのか? ……いや、そうだよな、お前らには関係ないか」
小さく吐き捨てると、修平は一層ニハの口に水晶玉を押し付ける。
「無理矢理にでも飲み込んでもらう。俺のせいでもあるからな」
「わ、分かってるわよ……! あたしだって、さんこをこのままにするつもりじゃ――」
言いながら、ニハは自ら水晶玉を掴み、そのまま自分の口に押し込んだ。眉根を寄せながら、異物が中へ通って行くのを感じとり、そして彼女の意識はスーッと薄れていった。それとともに、本物の三子の意識が芽生え始める。
「あ……」
「気が付いたか?」
三子はその声を聴くよりも早く、ウッと喉を抑えた。先ほど、『三子』が飲み込んだ水晶玉が、今になって苦しい。
何てタイミングが悪い時にチェンジしたんだろう。ニハがしでかしたことなんだから、ニハがこの痛みの責任を――って、あっ、今……今、丁度喉の辺りを――!
「――っ」
真っ赤になってようやく水晶玉を嚥下すると、今度、三子は別の痛みに気が付いた。涙目になって頭の後ろに手をやると、小さなたんこぶがそこにあった。きっとニハが修平に押し倒された時にできた物だろう。三子の唇はわなわな震えた。
「おい、大丈夫か?」
修平は心配そうに三子の顔を覗き込む。
心配なら、せめて怪我人の上から退いてほしい。
「は……はは、は……」
しかしそんな文句すらも言えず、三子の口からは渇いた笑いしか漏れなかった。
何だか、全てがおかしかった。修平が未だ三子の身体の上に乗っていることも、イチが安心したように微笑んでいるのも、ニハが不安そうにこちらを見つめているのも。
「あー……」
意識が、朦朧としてきた。
目を回したのち、三子はついに昏倒した。