59:離れるんじゃないぞ


 その日は、朝から騒がしかった。ひっきりなしに人が訪れ、そして矢代家の大広間に集まっていく。――皆、伊礼山で霊達と対峙するために集まった者たちである。その中には界隈で著名な者もいるらしく、矢代家当主同様、貫禄ある立ち居振る舞いの者もいる。

 実際に伊礼山に登るのは明日ではあるが、遠方から来た者のために、こうして前日に矢代家に泊まれるよう、手配をしていたのである。伊礼山に登るのは、総勢二十名ほどだが、昼前には、もうその半数以上が矢代家に集まっていた。来るなら夕方以降にしてくれればいいのに、とこっそり呟くのは、彼らのご飯や部屋を用意しなければならない使用人達である。祖母による修行を終えると、暇な三子は彼らの手伝いをして家中を走り回っていた。立ち止まったが最後、お客さんに挨拶をしろと父に手招きされるので、三子としてはお手伝いをする方が願ったり叶ったリなのだ。
 自己紹介をするだけならまだしも、一度口火を切ったら、そのままいろいろと話をしなければならないに決まってる……!
 まだ人見知りが治らない三子としては、よく知らない人と話すことほど苦に思うことはないのだ。

 幸か不幸か、忙しいあまり、昼ご飯もろくに食べられなかった三子は、客達と顔を合わせることは少なかった。布団を抱えながら廊下ですれ違っても、手伝いの子かとニコニコ挨拶をされるだけなのだ。三子としては、それも有り難い限りだったが。
 だが、夕食の時となるとそうはいくまい。その頃には、明日伊礼山へ登る面々が全員集合し、座敷に集まっていた。手伝いはもういいからと、三子も否応なしにそこへ押し込められた。父の隣に、身を縮こまらせるようにして座る。

「此度は、みな方々から集まってきていただき感謝する」

 面々が腰を下ろしたときを見計らい、茂隆が立ち上がった。

「明日に迫る決行日のため、今日は杯は交わせはせんが……せめて、料理人が腕を振るった料理に舌鼓を打っていただきたい。明日、明後日の遂行を願って――」

 茂隆が大きくグラスを掲げた。それを皮切りに、他の者もあわせてグラスを持ち上げる。中身はただのお茶なのだが、気分だけでも味わせたいという思いからなのか、みなオシャレなグラスになっている。三子はというと、子供っぽいグラスに、中身はオレンジジュースだった。……別に、お茶だからといって不満はなかったのだが、これも気を遣ってもらったのだろうか。
 会食は、三子が考えていた以上に盛大なものだった。酒は振る舞われなかったが、それでも矢代家が誇る料理人が腕を振るった料理に、久しぶりに会った同業の顔ぶれと続けば、話が弾まないわけがない。酒は飲んでいないはずなのに、いくらか顔が赤くも見える大人達に、三子は戸惑いと共に少々の居心地の悪さを感じていた。もちろん、隣に座る父だけでなく、前の席に座っている祖母も、三子のことを気がかりに時折話しかけてはくれるのだが、双方も、やはり懐かしい知り合いはいる。隣から話しかけられれば、応じずにはいられず、また、ついつい興味深い話に身が入ってしまうこともあった。三子としては、誰とも話さず空気になるという所業は、小学生の頃に経験済みなので、あまり苦には感じなかった。むしろ、どこか腫れ物に触るかのような扱いが気になった。悪い意味ではなく、単にどう接すればいいのか分からない、といった雰囲気を感じたのだ。

 遠慮がちな視線に、目が合うと慌てて笑みを浮かべる人たち――。

 彼らの会話を聞くうちに、三子はその真相に、ぼんやりとだが、行き着くことができた。……彼らは、前回伊礼山に登った面々ばかりなのだ。そしてそれは同時に、矢代家の娘息子――ニハとイチが亡くなった事実を直接知り得ているということ。
 もしかしたら、実際に二人と話したことのある人もいるのかも知れない。顔だけ知っていて、訃報だけを受け取った者もいるかも知れない。そんな中、またその二人の妹が伊礼山に登ると。不安と共に、困惑もあるだろう。当然だ。実力があるかどうかも怪しいのに、前回の二の舞になり得る状況証拠は充分揃っているのに、また登らせるつもりなのか、と。

 三子の頭の中で、勝手に思考が迷路の中をぐるぐると彷徨っていた。自覚も無しに悪い方に悪い方に考えが進み、やがて壁にぶち当たる。

 本当に自分にできるのだろうか、という不安要素が一番大きかった。ここ一月、祖母に稽古をつけてもらったが、本当にものになっているかどうかは怪しく、皆の足手まといにならないかが非常に心配だった。自分のせいで、誰かが死ぬなんてことはもっと嫌だった。きっと大丈夫だと思う一方で、現に前例が存在してしまっているのだから、取り越し苦労なんて言葉で片付けられはしない。

 食が進まず、三子はついに席を立ち上がった。トイレに行ってくる、と一声かけ、座敷を出た。冷たい風が一気に体中を駆け巡る。三子はぶるりと身体を震わせたが、もう一度中に戻ることはなかった。

 三子は、しばらく手持ち無沙汰に廊下をウロウロしていた。自分の部屋に帰るわけにも行かず――むしろ、黙ってそれをするくらいなら、もう一度戻って宣言して来た方がまだマシだ――三子は廊下の縁側に腰掛けた。座敷前の廊下では、女性達が配膳のために行ったり来たり忙しそうだったが、三子は彼女たちに見つけられることもなく、一人でぼうっとすることができた。座敷から漏れる明かりが、逆に少し離れた位置の暗がりの縁側に対し、その影を濃くしていたのである。
 もう辺りはすっかり暗くなっていたので、毎朝惚れ惚れと眺めている中庭の景色はもう拝めない。ただ――本当にぼんやりと宙を見つめていると、やがて隣に何者かが腰を下ろす気配があった。

「疲れたか?」

 穏やかな声は、ここ一月ですっかり聞き慣れた父のものだ。三子は目尻を下げた。

「まあ、ちょっとは? 知らない人ばっかりだから」
「同じ年頃の子供もいないからな。明日になったら、尚人君も来るから、一緒に山を登ればいい」
「あの人も明日来るの?」
「ああ、言ってなかったか? 今日は用事があるそうで来られないそうだが。氷室家の当主と共に、明日は力を貸してくれる」
「仁科君のところは?」
「仁科? 知ってるのか?」

 慶史は意外そうに聞き返した。

「うん。だって同級生だもん。仁科君のところも、霊能者なんだよね?」
「そうだな。祓い屋として名は馳せている。……だが、俺たちとは馬が合わないらしくてな、ここ数年はずっと連絡を取ってないんだ」
「そうなんだ……」

 普通では関わり合えないような珍しい同業者なのに、もったいないなと三子は思った。だが、そう考えたところで、はたと気づく。――自分のお爺ちゃんも仁科君のお爺ちゃんも、どちらも癖が強そうだから、仲良くなるには時間がかかるに決まっている、と。
 時折、三子と慶史、二人の後ろでは、座敷からの笑い声が漏れ聞こえてきていた。といっても、騒がしいと思うほどではなく、むしろ日常を感じさせる音として、心地よいくらいだった。
 穏やかな心地だった三子だが、やがて隣から聞こえてくる父の固い声に、身を引き締めた。

「三子、お前は賢いからよく分かってると思うが」

 そう前置きして、彼は話し出した。

「何があっても、お父さん達から離れるんじゃないぞ。お前は体質のせいで霊達から狙われやすい。くれぐれも、急に走り出したりせず、常にお父さんの側から離れないこと」
「分かってる」

 三子は短く返事をした。耳にたこができるほど聞いた文言で、彼女自身、何事もなく下山したいと思っていた。他の誰でもない母のために――彼女に、これ以上喪失感を与えないために。

「――でも、なんで、伊礼山なの? なんであの山だけが、幽霊達の住処になってるの?」

 決心の傍ら、三子は長年気になっていた疑問を口にした。祖母との稽古の間に聞いても良かったのだが、タイミングがなかったのだ。

「俺も詳しくは分からないが、幽霊の好む陰の気が溜まりやすい場所なんだろう。ただでさえ山は幽霊が落ち着きやすい場所だ。もろもろの条件が重なった結果、たまり場になったんだと思う。今では、いろんな所から幽霊がやってくる始末。地上で除霊した幽霊も、いつの間にか伊礼山に住み着いていた、なんてこともザラだしなあ」
「……え? 除霊した幽霊が、伊礼山に? どういうこと?」

 三子は驚いて慶史の顔を見た。

「除霊された霊は、みんな伊礼山に行くの? 本当に?」
「いや、みんなではないな。除霊された霊のほとんどは成仏するからな。ただ、何の因果か、成仏しきれなかった霊は、不思議と伊礼山に導かれていくんだ。もちろん、この辺りで除霊された霊に限るがな。たぶん、伊礼山に何か不思議な者があるんだろうな。幽霊が落ち着く何かが」
「…………」

 父の話の後半は、ほとんど三子の耳に入ってこなかった。三子が切望していた答えを聞けた瞬間、もう他は何もかもがどうでもよくなってしまっていた。
 成仏しきれなかった霊は、不思議と伊礼山に導かれていく――。
 ニハとイチのことが、真っ先に頭に浮かんだ。
 半ば、そうであって欲しいという三子の熱望でもある。だが、その可能性は全くないとは言い切れない。むしろ、あの二人なら、どこでだってしぶとく生きている・・・・・と考えた方が、驚くほどすとんと納得できるのだ。あんな強烈な個性を放つ二人が、自分の意志に反して成仏するわけがない、と。
 もし成仏するとしても、それはきっと、きちんと私に大和枯れる言葉を言ってからだ、と三子は確信していた。あの二人はきっと黙って逝かないだろうし、三子だって逝かせない。ニハとイチには、まだまだ言いたいことは山ほどあるのだから。

「そういえば、今日はまだお母さんに電話かけてないんじゃないか?」

 慶史は腕時計に目を落とした。丁度時計の針は九時を指している。

「明日は早いんだし、もう電話をかけて寝る準備をした方がいい」
「じゃあそうする」

 三子は勢いよく立ち上がると、ちょっとだけ身を震わせた。短い時間とはいえ、縁側に座っていたせいで、身体が冷えてしまったのだ。

「あ、三子様。子機なら、今茂隆様が使っておいでですよ。ちょうど先ほど、仁科様からお電話があったものですから」

 タイミング良く通りかかった久代が、そう声をかけて座敷の襖に手をかけた。手に持っている盆には、まだまだ長引きそうな会食の片鱗が大いに主張している。

「仁科?」

 三子が問い返す間もなく、彼女はいそいそと座敷に入っていってしまった。つい先ほど、父から矢代家と仁科家は繋がりが薄いと聞いたばかりなのに、これはいったいどういうことなのか。
 だが、三子が深く考える間もなく、慶史は彼女に携帯を差し出した。

「三子、電話をかけたいなら、お父さんの携帯使うか? 使い方、分かるよな?」
「なんとなくは」

 三子は少し気後れしながら携帯を受け取った。電話帳を開く勇気はなかった。もう、志藤家の電話番号も、母の電話番号も消されているかも知れないのだ。三子は、手動で志藤の電話番号を入力した。

『もしもし』
「お母さん?」

 母はすぐに出た。三子は一瞬何を言おうか言葉に詰まったが、すぐに口から出任せが出てきた。母に心配をかけてはいけないと、ここのところ、いろんな作り話をしていたせいもあるだろう。父にどこそこへ連れて行ってもらっただとか、祖母といろんな話をしただとか。
 中には本当のことも含まれているのだが、やはり口にする本人は後ろめたい思いもあった。何もかも真実を告げた上で、心配はいらないからと自信を持って言いたいところだが、それでもやはり心配のあまり憔悴してしまうのが母だ。三子は、そのことを彼女と暮らしている中で重々承知していたため、どうしても真実が話せないのだ。

『三子が楽しそうで良かったわ』

 母の声は落ち着いていた。つい先ほどまで騒がしい食事の席にいたせいで、余計にそう思ってしまったのかも知れない。

『お父さんともたくさん話せたのね。私、ちょっと気がかりだったのよ。随分長い間お父さんとも会ってなかったから、きっと寂しく思ってたんじゃないかって』
「そうだね。お母さんと暮らしてた頃は、あんまり深く考えたことなかったけど、でもいざ話してみると、やっぱり会えて良かったなって思うよ。いろんな所に連れて行ってくれたし」
『……そう』
「たぶん、冬休みが終わる頃にはそっちに帰れると思う。お母さんもそれまでゆっくりしててね。あ、何かお土産買っていこうか? 何がいい?」

 三子はわざとはしゃいだ声を出した。明日のことを考えると、不安がないわけではなかった。だが、行くしかない。行かないわけにはいかないのだ。

『そんなの気にしなくてもいいのよ。そっちの生活を楽しんでさえくれれば』
「うん。あと、明日……は、ちょっと電話かけられないかも」
『何かあるの?』
「うん……。ちょっと、お父さんと泊まりがけで行くところがあって」
『どこに行くの?』
「……や、山? 登山、みたいな、一泊二日の」
『危ないところじゃないでしょうね?』

 途端に母の声色が変わる。三子が一瞬どもったのを見逃さなかったらしい。

「だ、大丈夫だよ。普通の所!」
『お父さんに替わってくれる?』
「……はい」

 三子の必死の取り繕いも、母の前では役に立たないようだ。三子は項垂れながら父に携帯を差し出した。

「理恵子か。……うん、うん。大丈夫だ」

 嘘をついていることを申し訳なく思っているのか、滞りなく応える慶史の顔は浮かない。

「大丈夫、絶対に三子を危険な目には遭わせない」

 だが、その声に宿るのは、深い後悔とそれを覆すほどの固い決意だ。
 三子と目が合い、慶史は薄く微笑んだ。やがて電話も終わる。

「――さ、三子はもう寝なさい。明日も早いんだぞ」
「うん、それは分かってるんだけど。後もうちょっとだけ携帯借りていい? 他にもかけたいところがあって」
「誰だ? 友達か?」
「うん。仁科君」
「…………」

 慶史は携帯を握りしめたまま固まった。やがてゆっくり動き出すと、顔を引きつらせた。

「に、仁科君とやらと仲いいのか……? 確か、同級生だって言ったよな? 同じクラスなのか?」
「うん。うちの学校、一クラスしかないから」
「そ、そうか」

 何故だか父は複雑そうな表情を見せ、三子は小首を傾げた。しかし、それ以上彼は追求せず、黙って携帯電話を差し出した。

「まあ、お父さんのところに秀一君――その仁科君のお父さんの電話番号が入ってるから、そこにかけたらいい」
「いいのかな? 迷惑じゃない?」
「長く電話するわけじゃないんだろ? だったらいいんじゃないか」

 こともなげに言ってのける父に、三子はわずかに逡巡した後、携帯に手を伸ばした。修平の父――秀一とは、一度面識があるものの、それでもあまりよくは知らない人の携帯に電話をかけるなど、若干の緊張があった。
 しかし、いざ電話をかけようとして、三子の指は止まった。興味深げに自分を眺めている父と目が合ったのだ。

「…………」

 三子は、そっと立ち上がると、自分の部屋へ向かった。だが、襖に手をかけたところ、くいっと引かれる己の服の裾。

「なに?」
「いや。なんで自分の部屋に行くのかなって」
「お父さんこそ、なんでここまでついてきたの? 向こうは戻らなくていいの?」
「顔合わせだけだから、別にいなくちゃいけないわけじゃないしな」
「…………」
「…………」

 三子は優しく父の手を外すと、そのまま部屋に入っていった。そして部屋の隅に腰を下ろし、携帯を見つめる。
 ニハとイチの話を、父に聞かれるわけにはいかないのだ。本当のところ、彼にならば話してもいいのではないかと思ったのだが、しかし、話したからと言って、本当に彼らに会えるとも限らない。むしろ、その可能性は低いし、どうして今になって話したのか、ということもある。話すならもっと早くに話していれば、対策も取れたのだろうが、改めて話すには勇気がいり、そのままずるずると今日まで延びていた。
 会えたら全部話そう。
 そう、全てはそこに繋がるのだ。話したところで、二人に会えなければ落胆するだけだ。三子は、いつまでずっと沈んだ姿の母を見てばかりいたせいで、もう誰かが落ち込んだ姿など見たくなかった。
 あれこれと考えていても仕方がないので、三子は力を込めたまま、秀一へ電話をかけた。数コールで彼は電話に出た。

『はい』
「あ――えっと、三子です、あ、矢代の……。しゅ、修平君、いますか。あっ、携帯は父から借りたんですけど――」

 頭の中は真っ白だった。しどろもどろにもほどがある。三子の顔は次第にリンゴのように真っ赤になっていった。ポストほど綺麗に染まらなかったのは、すぐに秀一が電話越しに笑ってくれたからだろう。

『そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。修平だよね? ちょっと待っててね。今離れにいるらしいから』

 しばらくパタパタと移動する音がした後、やがて修平が電話に出た。三子は簡単に説明だけした。今までニハとイチのことで、散々お世話になったのだから、一言だけでも言っておきなかったのだ。……いや、やはり、自分ではない誰かに口に出して宣言することで、決意を固めたかったのかも知れない。絶対に、ニハとイチを見つけ出したいと。