58:抜け殻みたい
修平は、毎日のように離れに入り浸っていた。結界の向こうに浮かぶ二つの幽体に、ことあるごとに話しかけているのだが、その姿に変化は見られない。
つい一月ほど前から、三子が学校を休むようになって、修平はそのことも気がかりだった。何かあったのだろうかと思いつつ担任である小西に尋ねてみても、家庭の事情だと返されるのみだ。ついに今日、終業式が終わり、冬休みが来てしまった。相変わらず、何の手がかりもない現状に、修平はいい加減やるせなさを覚えているときだった。
「修平、ここにおったのか」
「――爺ちゃん!」
気がつくと、修平の後ろには孝雄が立っていた。修平は思わず二度見をしたが、すぐに彼に詰め寄る。
「一体今までどこにいたんだよ! あれからずっと家にも帰らないで!」
「いろいろ伝手を当たっとったんじゃ。何とかこの二人を救えんかとな」
「じゃあ!」
修平の顔は一瞬で期待に染まる。だが、対する孝雄は浮かない顔だった。
「古い知り合いも当たってみたんじゃが、やはりもうどうにもできんのじゃないかと。縁が切れた霊をわしらが救う方法なんて皆無じゃ。幽霊本人の意志の力がないと、もうどうにも――」
「じゃあ、こいつらはずっとこのままなのかよ! こんな、抜け殻みたいな状態、まるで――」
死んでるみたいだ。
そう口走ったところで、修平は口をつぐんだ。彼らが死んでることには変わりはないのに、自分は何を言っているんだろうと。
まるで……こうなる前は、彼らが生きていたような言い方だ――。
「そうじゃな」
修平の戸惑いを見透かしたように――いや、見透かした上で、孝雄は肯定して見せた。
「わしらの目には、確かにこの二人は生き生きしとるように見えた。笑うし、泣くし、話す。……でも、それでもこの二人は幽霊じゃ。いつまでも現世に留まることなんて不可能なんじゃよ。……どちらにせよ、こうなるときは来た。こうなってしまった以上、この二人の霊力が弱まり、いつか浄霊できるような時が来るまで、ここにずっと――」
「閉じ込めるのか? 矢代にも話さず、ずっとここに?」
吐き捨てるように修平は叫んだ。自分でもよく分かっていた。しかし、怒鳴らずにはいられなかった。感情の制御ができない。
「もう本当に無理なのか? 本当にこいつら、また前みたいに戻ることは……」
言葉尻が空気に溶けて消えていく。やりきれなさに修平は拳を握った。
――俺だって、普通の霊相手なら、ここまで取り乱さなかった。
一緒に話したり口論したり修行したり、なんだかんだ言って接点があったのだ。今ではもう、知り合い以上だと思うくらいには。
馬鹿なことだとは分かっている。幽霊相手に、何が友達だと。今までの自分のことを考えれば、理解できないほどの心境の変化だ。しかし、現にこうして大きく動揺しているのだから笑える。自分だって今まで数え切れないほどの霊を除霊してきたというのに、何を今更元に戻してれなどとほざくのか。
「わしも、身を切るように辛いんじゃ。三子殿と二人は、まるで兄弟のように仲が良さそうに見えたからの」
幽霊は、現世に留まることなどできない。いずれは、除霊されるべき対象なのだ。
「人間と霊があそこまでの絆を築くなんて、稀じゃからの。その多くは――」
「爺ちゃん」
修平は疲れたように孝雄の話を遮った。そして躊躇いがちに彼を見上げる。まるで何か迷っているような印象の瞳に、孝雄は眉を顰めた。
「なんじゃ」
「二人……」
「はっきりせんか」
「――ニハとイチ、矢代の姉と兄だったんだと」
「…………」
孝雄はしばらく反応を返さなかった。もしや聞こえなかったのかと、修平がもう一度言おうとしたとき、孝雄は急に修平の耳元で叫んだ。
「なんじゃと!?」
「じ、爺ちゃ――」
「それは本当か?」
「あ、ああ……。爺ちゃんが出て行った翌朝、矢代が来たんだ。婆ちゃんからそう聞いたって」
「ま、まさか……。二人は、志藤の孫じゃったのか……」
「矢代もショックだったのか、ずっと学校も休んでるんだ」
「そうか」
いつもならば、志藤の名は出すなと烈火のごとく怒る孝雄が、今日ばかりは自らその名を口にした。それどころか、その声は、同情――いや、悔恨の情が含まれているようにも聞こえる。
孝雄は無意識のうちにうなり声を出した。
「わしとしたことが、見抜けなんだか……。そうか、この子らが……矢代家が誇る稀代の霊能者」
「それ、どういうこと?」
修平は怪訝に思って聞き返した。だが、孝雄は答えない。眉間の皺を深くして思い悩むばかりである。
――最初は、その辺りの霊と変わらず、「器」を狙っている霊とばかり思っていたのだ。
そのときのことを思うと、孝雄は申し訳なくすら思った。
二人の純な幽霊に対し、斜に構えた態度で接してしまったのだ。素直な子供にうまく取り入っているようだが、どうせお前達の狙いは「器」だろうと。
もちろんニハとイチは怒った。何にも知らないくせに、勝手なことを言わないで! と。
だが、孝雄がそう思うのも仕方がなかった。
幽霊は、いつ何時豹変するかも分からない。
始めは意識がしっかりしている霊であっても、現世に留まれば留まるほど、縁はよどみ、いつ怨霊化するかも分からない。
確かに、この二人の幽霊は、知能もあり、霊力も抜群で、かつ「器」である三子にも気に入られていたようだが、それも時間の問題だと。いずれ彼女に対しても牙を剥くのだろうと、そう思っていたのだ、実際に言葉を交わすまでは。
だが、話をするうちに、その偏見はどんどん薄れていった。
――あたし達が、さんこを危険にさらしてる!?
――皮肉なもんね。あたし達は、ただあの子の側にいたかっただけなのに。
――あいつが危険だって知って、黙って見過ごしていられるかよ。
――どうせ、俺たちはもう死んでるからな。
彼らは、自覚していた。自分たちが、もう取り返しのつかない幽霊であることを。しかし、同時に、だからこそ側にいたいと願っていたのだ。どうして名も知らない通りすがりの少女にここまで執着するのか――そう思っていたが、そうか、ただ実の妹の側にいたかっただけなのか。まだ小さい妹を、死してもなお守りたいと思うなどと。
「わしらも、いつまでも長年の確執なぞにこだわっている場合ではないな……。新しい風を取り入れて、柔軟に対応する時代がきたのやもしれん」
「爺ちゃん……」
修平は目を丸くして孝雄を見つめた。いつもとは打って変わって雰囲気の違う祖父に、驚きと共に嬉しさがこみ上げてきたのだ。
「矢代家に連絡を取る」
「……っ!」
「意見を聞いてみよう。縁を断ち切った霊を救う方法を」
「ありがとう……!」
喜色を溢れさせる修平に、孝雄は笑みを返す。電話をかけに祖父が出て行くと、修平は真正面に向き直った。目には見えない薄い結界越しに――ぼんやりと佇むニハとイチがいた。
「あれから、一月が経つな。爺ちゃんがお前達を除霊してから。……矢代、それからずっと学校を休んでるんだ。家庭のつごうって言ってたけど、やっぱりショックだったんじゃないかって……。様子を見に行きたいけど、お前達のことがあるから、後ろめたくて行けない。本当は全て打ち明けて、矢代をここに呼び寄せたいんだけどな。お前達のことだから、あいつの声一つで、すぐに正気に返りそうだなって思うし。……まさか、そんな単純にいくわけないか」
修平は乾いた笑い声を漏らした。二人はもちろん反応を返さない。
修平は、学校が終わると、いつもここへ来てニハとイチに向かって、今までの思い出話をしていた。といっても、修平にとっては頭を抱えるような事件ばかりで、正直なところ、この二人が関わると碌なことにならなかったのだが、しかしそれ以外に大した思い出らしい思い出もないので仕方がない。
「…………」
しばらくして、話の種も尽きてしまった修平は、黙したまま二人を見つめた。
今は、この結界のおかげで、彼らが怨霊化することを防ぐことができている。しかし、この結界もいつまで持つか――。何しろ、ここに閉じ込められているニハとイチは、想像以上の霊力を持っているのだから。
「修平、明日は暇じゃな! 確か丁度学校は冬休みに入ったばかりじゃなかったか!」
離れの扉が勢いよく開いたと思ったら、孝雄が慌てたように飛び込んできた。
「なに? なんで?」
「矢代家に電話をしたら、明日の朝総出で伊礼山に登るところなんじゃと! 六年ぶりだ。六年経った今、ようやく決着をつけるつもりらしい」
息継ぎも無しに話したせいで、孝雄の息は上がっていた。修平は彼が落ち着くのを待ちながら、ゆっくり彼の話を整理する。
「決着って、伊礼山の幽霊達を根絶やしにするってこと? いくらなんでも、さすがに――」
「霊能者のわしらだが、いくらなんでもそんなことはせん。物理的にもそんなことは不可能だし、まず倫理的にも問題がある」
倫理的……。
幽霊と倫理的という言葉が思うように結びつかず、修平は変な顔になった。そんな孫には構わず孝雄は続ける。
「伊礼山は、いわば幽霊の楽園のような所。あそこで霊が大人しくしている分には、わしらも何も手出しはせん。ただ……あそこから、時折厄介な者が下山してくることがある」
「ああ」
修平にも思い当たる節はいくつかあるので、大人しく頷く。
「そいつらをひとまとめにしているのが、あの山のどこかにおるはずじゃ。きっともしかしたら……二葉と一也も、その霊達に殺されたのやもしれんな」
「――っ」
修平は小さく息をのんだ。
――殺された。
いや、確かにそうだろう。事故死ではないのなら、そうに違いないのだ。……しかじっあれほどの霊力を持つ二人の人間の命を奪うなんて、そう容易いことではない。きっと、恐ろしいほどの力を持った霊がまだあの伊礼山のどこかにいるのだ。
そう考えると、修平は背筋が凍る思いだった。
「わしらも行こう。正直矢代家のことはいけ好かんが……伊礼山に関することなら、黙って見ているわけにもいかん。準備ができ次第、出発するぞ」
「うん……でも、この二人のことは」
「気は重いが、伊礼山のことが終わってから相談するしかあるまい。伊礼山の幽霊が暴れ出してからでは意味がないからの」
「……分かった」
修平も、渋々ながら頷いた。結界はまだ持つだろうし、それならば、懸念事項がなくなってからでも遅くはない。
そのとき、ガラガラッと離れの引き戸が開いた。孝雄と修平の視線も、自然、そちらへ向けられる。
「修平、いるか? 三子ちゃんから電話だ」
「矢代?」
秀一は頷くと、修平に携帯電話を差し出した。修平はそれを受け取りはしたものの、更に疑問が口をついて出た。
「なんで父さんの携帯から?」
「それはよく分からないけど。電話番号を知らなかったんじゃないかな」
「はあ……」
なんとなく釈然としない思いを胸に抱きつつ、修平は携帯を耳に当てた。
「矢代?」
『あ、うん。ごめんね、急に電話して』
出かける準備をしようと、孝雄は離れを出て行った。秀一も、用は終わったとばかり彼の後に続く。ポツリと一人残され、修平は壁に身を預けた。
「それは別にいいけど。でも、そっちこそ大丈夫か? ここのところずっと学校休んでるけど』
『それなんだけど、時間がないから手短に言うね。私ね、明日伊礼山に登るの。もともとはお父さん達の力になりたいってことだったんだけど、お父さんが言うには――』
興奮した様子で、つらつらと述べられる文言に、修平は苦い顔になった。
「あ……や、それは確かにそうなんだけど。でもさ、矢代は霊力がないから、伊礼山は危ないんじゃないか? ここは他の人に任せた方が――」
『えっとね、私もどちらにせよ伊礼山には登らなくちゃならなかったの。時間がないから詳しくは話せないけど、でも仁科君にはお世話になったから、報告だけはしておきたくて。私、絶対にニハとイチを見つけてくるから!』
三子の意志のこもった声が、電話越しに響き渡る。思わず修平は目線を目の前の結界の向こうへ向けた。反応がないことは、分かりきっているのに。
「ああ、いや、なんでもない」
修平は話しながら離れ出口へと歩き始めた。
「気をつけろよ。伊礼山は危ないんだから。あ、あと俺も――」
『ごめん、明日早いから、もう寝なくちゃ。お父さんがうるさいんだ。今日は突然ごめんね、また連絡する!』
いつもとは打って変わって慌ただしい様子で、電話は切れてしまった。修平は最後にもう一度、結界の向こうに目を向けた後、離れを出て行った。
伊礼山でのことが終わったら、正直に全てを話 そう。
ふとそんな決心をすると、修平は引き戸を秘めた。再び離れの中に静寂が戻る。
生ある者が誰も存在しないその場所は、ひどく静かである。だが、あるとき気配が動いた。霊力のないものなら、誰も気づかないような、微かな空気の揺らめき。
『さんこ……』
結界の中で、まるで屍のように四肢をだらけさせて浮かんでいた幽体二つが、小さく呟いた。