57:縁を操る
「三子、修行の方はどうだ? うまくいってるか?」
眠い目をこすり、三子が座敷で朝食をとっていると、慶史がその隣に腰掛けた。すぐに久代が彼のための朝食を運んでくる。
「まだ分からないことだらけだけど、お婆ちゃんが丁寧に教えてくれるよ」
「そうか」
まだ今は知識をたたき込まれてる段階だ。実際に何かしたことといえば、あの朱色の小さな箱を前に、紐を結ぶ練習をしただけだ。まだまだ自分が力を持っているなんて自覚はなく、このままでいいのかと不安に思ってきた頃合いでもある。
「悪いな、転校したばかりなのに、学校を休ませて」
前を向いたまま、慶史はそう漏らした。
「向こうに行ったら理恵子に怒られそうだな。こんなに何日も学校を休ませて! って」
「でも、これは私の意志でもあるんだよ。お父さんに言われたから修行してるわけじゃない」
少々腹を立てて三子はそう口にした。父の口ぶりが、まるで自分には意志がないのだと言っているようで、我慢ならなかったのだ。
「悪い悪い、別にそんなつもりじゃないさ。ただ、理恵子にはそう見えてるだろうなって。もっと早く行動を起こせば良かったんだが……もしかしたら、もう修復できないところまできてるんじゃないかって」
目を伏せ、慶史は自嘲の笑みを浮かべた。三子は何か言い返そうとして、結局口を閉じてしまった。
確かに、三子自身もそう思わないではなかった。どうしてもっと早く母と仲直りをしようとしなかったのか、と。しかし、辛かったのは、なにも母だけではないのだ。それを思うと、父だけを責めるわけにもいかない。ただ、お互いにお互いの心が分からなかっただけだ。母は支えとなってくれるはずの父が側にいないことに落胆し、父は父で、一人でなんでも解決しようとし。
ある意味、誰かさん達に似ているなあと、三子は口元を緩めずにはいられなかった。
報告、連絡、相談。これら三つのことをきちんと行っていれば、きっとこれほどまでに関係がこじれることもなかったのだろう。……だが、今そんなことをグダグダ言っていても仕方がない。今はただ、目の前のことを片付け、そして父と二人で母の元へ帰るだけだ。
朝食を終えると、再び修行に入った。
ここ数日の修行で三子は、縁を結ぶ、という行為に次第に慣れてきた。といっても、朱色の箱に備え付けられている紐を結ぶばかりで、慣れるもなにもないのだが、それでも、固く結べば結ぶほど、封印は強固になり、逆に緩く結んでしまうと、すぐに解けてしまうというイメージの理解はできた。当たり前のことなのだが、実際の所、縁は目に見えない物なので、そのイメージが大切らしいのだ。
「イメージも掴めてきたところで、今日は違うことをしましょうか」
「うん!」
三子は大きく頷いた。本当のところ、ここ数日、ずっと小さな箱とばかり向かい合っていたので、退屈していたのだ。
智恵は、三子を引き連れ、表の庭園に向かった。石でできた小道を進み、中程まで行ったところで道を外れた。ざくざく鳴る敷石を踏みながらたどり着いたのは、大きな岩の前だった。いや、もしかしたら石とも言うべきものかもしれない。確かに三子の腰ほどはある大きさだが、何より形が綺麗に整っているため、人工的に作られたのではないかと一瞬錯覚するほど見目の良い石だった。
「三子さん、こちらの石に手を当ててみなさい。今のあなたなら、縁が分かるはずです」
「でも、ちょっ止まって。縁って、記憶の欠片……とかじゃなかった? 石にも縁はあるの?」
「これは特別な石なんです。元はある地を封じるために手を加えたものですが、役目を終えたため、今は術者の練習用となっています」
智恵に促され、三子はその石に触れてみた。
ひんやりと冷たく、固い感触。だが、すぐに違和感に気づいた。無機物なのに、確かに三子を押し返すような感覚。これが縁だと三子も頭の奥で理解した。しかし、かつてイチの縁に触れたときとはどうも違っていた。イチの縁は、温かく、感情に溢れていて、触れただけで彼の記憶が飛び込んできた。その一方で、この石の縁は、あくまで無機物だった。まるで死んでいるみたいに。
三子はパッと石から手を離した。祖母を見上げ、一歩後ずさる。
「どうでした? 縁は分かりました?」
「うん。でも、ちょっと変な感じだった」
「そうですね。この石も縁も、人の手が加わっていますから、違和感を覚えるのは当然のことです。本当なら、自然の縁で練習をさせてあげたいところですが、そう都合の良い幽霊もいませんしね」
「確か、生きてる人にも縁ってあるんだよね? じゃあ、お婆ちゃんは私の縁も感知できるの?」
「それはできません」
智恵は難しい顔で首を振った。
「人は、家族や故郷、趣味、仕事など、様々な縁を持っています。しかし、それらを凌駕するほどの強い力――生命力を、人間だけに留まらず、生きとし生けるものは皆持っています。その存在が大きすぎて、縁を察知することはできないのです。一方で、霊にはその生命力がない。生前たくさんあった縁はたった一つだけに集約され、彼らはそれを頼りに現世に存在している。だからこそ、浮き彫りになった霊の縁が見えるのです」
「そうなんだ……」
「修行へ戻ります。縁が見えたら、今度は結んでみてください。始めは難しいでしょうが、いずれ慣れるはずです」
「うん」
三子は頷き、再度石に手を当てた。今度もさほど苦労することなく縁を捉えた。が、それを掴むとなると、また別の話だ。そもそも頭の中のイメージのものを、どうやって触れ、そして結べば良いというのか。
目をつむりながらうんうん唸っていると、智恵が三子の隣にやってきた。そして彼女も石に手を触れる。
「何て言えば良いんでしょうね。私たちには霊力はありませんが、この石や霊には霊力があります。その力を借りて、縁をつかみ取るんです」
言いながら、智恵は慣れた様子で縁を結んで見せた。目の前で事も無げに行われる光景に、三子は眉を下げた。
「やはり、まずはその霊力を操る練習が必要のようですね。ですが、これも慣れですから、練習するうちにすぐにできるようになります」
「そうなのかなあ」
慰めるように言われても、三子はいまいち半信半疑だった。学校でも成績や運動神経、その他のことも突出しない彼女としては、己の力にとことん自信がなかった。
「でもさ、私たちには霊力がないのに、どうして縁が見えるの? 私たちにも見えるのなら、お父さん達も見えるんじゃないの?」
「縁は特別なものなんです。おそらくは、私たち以外には見えもしませんし、もちろん触れることもできないでしょう。もともと、私たちは器という体質故に、魂がすぐに身体と離れやすいのです。ですから、産まれたときから、無意識のうちに縁で己の魂と身体とを結びつけている。そういうこともあって、私たちは縁が見えるし、触れることもできるのです」
「なのに、幽霊は見えないんだよね? 何かの拍子に見えるようになる、とかはないの?」
三子の問いに、智恵は目を丸くした。少し考えるようなそぶりを見せたが、やがて頷いた。
「基本的には見えません。私たちには霊力がないですから。ただ、例外があるとすれば、それは自分自身に幽霊の縁が絡みついている場合のみでしょう。幽霊の未練が、私たち自身によるものなら、もしかしたら見えるかも知れません」
「そっか……」
小さく嘆息して、三子はようやく大人しくなった。
神社のあの石――あれに不思議な力があったからこそ、ニハ達が見えるようになったと思っていたのだが、そうではないのか。
あの二人が、私のことを大事に思っていたからこそ、見えるようになったんだ。
「この辺りで良いでしょう。さあ、修行に戻りますよ」
智恵は三子の肩に手を置いた。伊礼山へ登る日は刻一刻と迫っている。のんびりしている暇はないのだ。
「もう一度石に触れてみてください。今度は、縁ではなく、石のなかに渦巻く霊力を感じるんです」
「うん」
三子は再び真面目な顔になって、石に触れた。
縁よりは、まだ霊力の方が三子にとってなじみ深かった。何しろ、ニハ達に身体を乗っ取られている間、彼女の身体は、霊力を思う存分操っているのだから。
「ああ、そうです、その調子です。霊力を操るのは上手ですね。まるで、経験があるみたいに」
三子自身がというよりは、身体が覚えているといった方が語弊がないだろう。三子が意識せずとも、自然にどうすれば霊力を使えるのか、身体が理解していた。
「志藤殿」
誰かの声が聞こえてきて、三子の集中力は途切れた。石から手を離し、目を開ける。
「お、爺ちゃん……」
そこにいたのは、三子の祖父茂隆だっだ。未だになんと呼べば良いか分からない三子の声は、尻すぼみに消えていった。
「三子の調子はどうですか」
「はい。この調子でいけば、なんとか当日までには縁を操れるようになっているかと。しかし――」
「それなら問題はなさそうですな」
「矢代さん」
「此度の件は、彼女に任せることにする」
三子は自然と背筋を伸ばした。己の肩に、責任が重くのしかかるのを感じた。
「近頃、あなたの力が落ちてきているという報告は伺った。我々は失敗するわけにはいかない」
「ならば、なおさらこの子に全ての期待をかけるのは無謀かと」
「一度登ってみて、無理なようならまた引き返せば良い。失敗だけは許されないのだ。どうか当日まで、三子の力を最大限まで引き出せるよう尽力頂きたい」
「……分かりました」
沈痛な表情で智恵は頷いた。それを確認すると、茂隆は杖をついて去って行った。三子は空を見上げ、小さく息を吐き出す。
一体、私は何をしているんだろう。
ふとそう思ってしまった。
ニハ達のことが知りたくてここへ来たのに、未だ何の情報も得られていない。今は伊礼山だけが頼りだった。伊礼山に行けば何か分かるのだろうか。
二人は今、どこで何をしているんだろう――。