53:因縁がある
修平達と別れた後、三子はのろのろと校門へ向かっていた。その足取りは重い。このまま家に帰ったところで、何もやることがないのだ。つい先日、ニハ達の居場所を探してみせると豪語した割には、何の進展もない今の状況が情けなくてしようがなかった。
会って言いたいことは山ほどあるのに、言えないこのもどかしさ。
二人の境遇について祖母から話を聞けたことは良かったが、しかし、今の三子が一番知りたいのは、二人がどこにいるのかということ。ちゃんと元気でいてくれているのか。もしかしたら、もうこの世にはいないのかもしれないけど――。
「おい」
突然目の前に人影が現れて、三子は盛大にビクついた。
「さっきから何度も呼んでるのに、無視するつもりか。年下のくせにいい度胸だ」
「あ……」
腕を組んで立ちはだかっていたのは、氷室尚人だった。三子は目をぱちくりして彼を見つめた。
「な、なんでここに?」
「お前に話があることを思い出したんだ。ついてきてくれるな?」
それだけ言うと、尚人はさっさと歩いて行ってしまった。 一応疑問形の形をとってはいるが、彼の態度は、有無を言わせないものを感じられた。三子はしばし理解ができず、ポカンと口を開けてその後ろ姿を見送る。
「おい! 早くしろ!」
いつまで経ってもついてこない三子に業を煮やして、尚人は不機嫌そうに振り返った。反射的に三子は駆け出す。
「私に何の用……?」
「ついてくれば分かる」
「お婆ちゃんに、あなたみたいな人とは関わりを持たないようにって言われたんだけど……」
「僕みたいな人ってなんだ」
まるで不審者か何かのような口ぶりに、尚人は顔をしかめた。
「霊能者、みたいな人……?」
三子の方も、いまいち自信がなさそうな口ぶりだ。尚人は首を振って強制的に話を終わらせた。
「もういい。とにかくついて来てくれるな?」
「でも、知らない人にはついていっちゃいけないって……」
「名前はもう名乗っただろ! 知らない人じゃない」
「でも……」
足取り荒く進む尚人の数歩後ろを、三子は戸惑いながら歩いていた。目的地はどこかは分からないが、今のところ、この道が自宅へ帰る道なのなのだから、彼について行っている形になるのは仕方のないことだった。
無言のまま三子が歩いていると、少し前の十字路で、前を歩く尚人が右に曲がった。――三子の家は、このまま道を真っ直ぐに歩いたところだ。わずかに躊躇ったものの、三子は尚人に声をかけた。
「あの、私家こっちだから。さようなら」
少々後ろめたかったが、知らない人にホイホイついていくほど、三子もバカではない。
足早に帰り道を急ぐ三子だったが、尚人の方も慌てて駆け戻り、三子の腕を掴んだ。
「なぜ僕についてこない! 話があるって言っただろ!」
「話があるならここで話してよ」
「いや、だからそれは――」
何か言おうとした尚人だが、スーッと隣に黒塗りの車が止まって、その口は縫い止められた。三子もまじまじとその車を見る。
「丁度良かった。知り合いの車だ。乗れ」
三子の腕を掴んだまま、顎で車の方を指し示す尚人。つっけんどんな彼の物言いに、三子は目を剥いた。いきなりこの人はなんてことを言うのだろう、と。
「い、いやだ……」
反対側の手で、三子は尚人の拘束を外そうともがいた。だが、一層腕に力を込める尚人。
「話はすぐに終わる。乗れよ」
「いやだって言ってるじゃない! 離してよ。知らない人の車に乗るわけが――」
「だから! 僕は氷室尚人だって言っただろ!」
「そういう問題じゃないよ……」
車の真横で、グダグダ口論をする二人を見かねてか、助手席の窓がスーッと開いた。二人の視線は自然とそちらへ向く。
「三子、久しぶりだな」
窓から顔を出したのは、サングラスをした男性だ。自分の名を知っていることに三子は仰天する。と同時に、もともと素直な三子は、もしかして以前どこかで会った人だろうか、と彼の顔をまじまじと見つめた。
「連絡もなしに悪いな。あんまり人目に付きたくなかったから、少し強引な手を使った」
「…………」
「えっ、まさか俺のこと忘れたわけじゃないよな?」
三子が黙り込んでいるので、慌てたように男性は笑った。が、三子の表情に変化は見られない。
「…………」
男性は険しい表情のまま、スッとサングラスを外した。黒目がちな瞳が現れる。三子はじーっとその瞳を見つめたのち、ようやく口を開いた。
「お……父さん?」
「もちろんそうだよ! あー、びっくりしたー!」
三子の父――矢代慶史は、胸に手を当て、大げさに息を漏らした。
「良かった、ちゃんと覚えていてくれたんだな、安心したよ」
「いや、今の間は安心していいんですか? 思い出すのに大分時間がかかったようですけど」
運転席の方から声がする。その言葉に、三子は縮こまった。
「ご、ごめん……。だって、随分久しぶりだったし、それにサングラスしてる姿なんて見たことなかったから」
「…………」
神妙な顔で慶史が黙り込む。ちょっとサングラスを見つめた後、おもむろに胸ポケットに収納した。
「だから言ったでしょう。そのサングラス、似合わないって」
「うるさい」
運転席に言い返した後、慶史は再度三子を見た。娘の機嫌を伺うように愛想笑いを浮かべる。
「とりあえず、少し話さないか」
「車の中で?」
「ああ、あまり人目にはつきたくないんだ」
「…………」
――矢代慶史は酷い男です!
嗚咽を堪えながらそう悔しそうに口にする祖母。
彼女の姿がふっと頭に浮かんだが、三子は次の瞬間にはもう頷いていた。たとえ祖母を裏切ることになっても、父と話すことで、ニハとイチ、二人の情報を何か得られればと思ったのだ。
三子は後部座席に乗り込んだ。そのすぐ後に、まるで当たり前のように尚人も隣に乗り込んだ。どうしてこの人が、と三子はちょっと不満げな顔になった。
「早速だが、三子」
前置きすらせず、助手席の慶史は、身を乗り出して三子の彭を振り返った。
「お前の力が必要なんだ。お前さえ良ければ、今から西尾市の矢代家の方に来てくれないか?」
「矢代家って……お父さんち?」
「ああ、そうだ」
突然の申し出に、三子は口を閉ざした。ニハ達のことについて、知りたいのはやまやまだが、母や祖母に何も言わず、勝手に父の家に向かうことは憚られた。あんなに激高していた祖母の様子も気がかりだった。もし万が一、三子が父の家に行ったことがバレたら、ひどく悲しむのではないか、と。
「え……っと」
「話を端折り過ぎですよ。俺が話します」
ルームミラー越しに、運転席の男性と目が合った。三子ははたと目を見開く。
「あっ……と、もしかして悠司さん、ですか?」
「そうです。会ったのは数回だけだったのに、よく覚えてましたね」
悠司は小さく微笑んだ後、慶史を横目で見やった。
「俺のことは一発で出てきましたね」
「うるさいな。たまたまだろ」
やいのやいの口げんかを始める二人を見て、三子は懐かしさに目を細めた。
離婚までとはいかないものの、理恵子と慶史が別居し始めた頃、彼はよく家にやってきて、三子と遊んでくれたのだ。クールな顔をしておきながら、おかしなことばかりやるものだから、小さい三子もよく笑ってばかりいた。
……悲しいことに、別居を機にすっかり疎遠になってしまった父親の記憶は、悠司以上に少ない三子であった。
「話を元に戻しますが」
慶史ばかり構っていたら話が進まないと、悠司は前を向きながら軽く咳払いをした。
「三子さん、自分の力のことは、お婆さんから聞いていますか?」
「あ、えっと、器……? のことは、少しだけ聞いてます」
「それ以外のことは? 封じのことなど」
「いえ、器のことだけです」
厳密に言えば、器のこと自体、ニハ達から聞き及んだことだが、咄嗟に口が滑ってしまったのだからもはや後の祭りだ。
「そう、ですか。志藤さんのことだから、何も言ってないと思っていましたが」
不思議そうに考え込む悠司の傍ら、三子はひたすらに平然を装って下を向いていた。
「では、詳しい説明はあとにしますが。三子さんには、お婆さんと同じ、『封じ』という力があるんです」
「封じ……?」
「はい。志藤の血筋で、まれに受け継ぐ力のことです。除霊のできない力の強い幽霊を、封じ込めることができるんです」
「でも、私は霊力がないって聞いたけど」
それどころか、ニハとイチは例外にして、幽霊を見ることすらできないのだ。どうやって封じ込める……というのだろうか。今まで幽霊と遭遇する機会は山ほどあったが、そのどれも、三子はなすすべもなく見守ることしかできなかったため、いざ自分にも力をあると言われても、いまいち実感がわかなかった。
「その力については、矢代家に詳しい者がいる。俺たちも詳しいことはよく分からないんだ。その人に聞いたら、もっといろいろなことを教えてくれるだろう」
慶史の言葉を受けて、悠司も頷く。
「現在、封じを受け継いでいるのは、志藤智恵さんと三子さんのお二人だけです。今までは志藤さんにお願いをしてきましたが、最近は……どうも、力が衰えてきたようで」
悠司は言いづらそうに言葉尻を濁した。
「私たちは、年内に伊礼山に登るつもりです。そのときに、決着をつけようと。三子さんにも、力を貸してほしいと――」
「決着?」
物々しい言い方に、三子は瞬時に聞き返した。ハッとして悠司は口ごもった。
「いえ、その……」
「因縁があるんだよ、伊礼山と俺たちには」
どこか宙を見つめたまま、慶史はポツリと呟いた。少しの間静まりかえる車内に、三子は思い当たる者があった。
「ニハとイチのこと……?」
「――っ!」
場が一気に緊張感を持った。三子は一瞬怯んだが、すぐに調子を取り戻す。
「聞いたよ、二人のこと。私、二人のことが聞きたくて、車に乗ったんだし」
「誰から……智恵さんから聞いたのか?」
「うん」
「そうか」
慶史は、短い返事の後、しばらく考え込むように黙り込んでいた。彼がどんな表情をしているのか、後部座席の三子からはわかり得なかった。やがて、彼はかすれた声で承諾の意を示した。
「分かった。向こうの家に着いたら、二人について何でも聞きたいことを聞いてくれ」
ここでは話せないことなのだろうか、と三子は戸惑いの色を浮かべた。三子と同じことを考えた尚人も、視線を窓の外に向ける。
「僕は気にしませんが」
「こっちが気にするんだよ」
察してくれと言わんばかり、短く返答する慶史に、尚人もそれ以上追求しなかった。
三子は、背もたれから少し背を浮かせると、慶史の方を見やった。
「分かった、私、お父さんについていくよ」
「……ありがとう、三子」
それからの車内は、もっぱら静かだった。三子の方も、聞きたいことは山ほどあったのだが、その反面、驚くほど心中は穏やかだった。父についていけば、すべてが分かるだろうと、知らず知らずのうちに、予見していたのかも知れない。
*****
――ニハとイチが、矢代と実の兄姉――。
三子の口から発せられた事実について、修平は、小西の用事が終わったあとも、ずっと歩きながら考え込んでいた。
単純で、それでいて複雑なその真実は、赤の他人であるはずの修平の身に、重くのしかかっていた。
容易には納得できないその事実。しかし、一旦その事実を受け入れようと考え始めれば、腑に落ちていくことも多かった。なにより、ニハとイチの三子への愛情――執着ともいえる――は、凄まじいものだったし、通りすがり三子のことが気になって憑いただけだとしても、あそこまで執着することはないだろう。
――それに、やけに霊能者や『器』についても詳しかった。
あの二人が矢代家の一員だとすれば、確かに全てが腑に落ちた。
「はあ……」
制服のまま、修平は畳に寝転がった。腕を交差し、視界に入ってくる明かりを遮断する。
――居たたまれない思いだった。なまじ、すぐ側であの三人の交流を見ていただけ、余計に。
始めは、あの二人の幽霊のことは、全く信用していなかった。気配だけでも分かるほどの強い霊力を持つ霊が、なぜ二人も一人の少女に取り憑いているのか。何か良からぬことを考えているのではないかと邪推するのも無理なかった。しかし、接すれば接するほど、彼らほど純粋に三子のことを考えている者はいなかった。妹だから――いや、もしかしたら、自分たちがもう死んでいると理解しているが故――妹である三子には、幸せになって欲しい。そう思ったのかも知れない。
どんどん深みにはまっていく思考に、修平は耐えられなくなり下駄のまま外に出た。気の向くままに散歩でも、と思った修平だったが、その足は自然、家の裏手の離れへと向かっていた。
離れは、昔修行で修平がよく使っていた場所だ。今はもう霊に憑かれた人を祓う時のみにしか使っていない。母屋ほど広くはなく、十五畳ほどの広さの部屋と、そこからいくつかの小部屋が連なっているだけだ。
入り口に立ったところで、鍵がかかっているかと思い、大した期待もなく引き戸に手をかけたが、意外なほどにすんなり開いた。不用心だなと思わず眉を顰めたが、そのまま特に考え込むことなく、部屋に身を滑り込ませた。大部屋から繋がる小部屋に真っ直ぐに進むと、小さく呪文を唱え、カラカラと引き戸を引いた。
この小部屋は、見た目には大した作りではない。五畳ほどの大きさで、特に高価なものがあるわけでも、目につく家具があるわけでもない。ただ何の変哲もない殺風景な部屋だ。だが、一般人には分からないだけで、実は目に見えない結界が張ってある。幽霊を閉じ込めるためのもので、結界を解かなければ、何人たりとも中に入ることはできないし、同じく閉じ込められた霊も外に出ることができない。四方に護符が張り巡らされ、一分の隙もない。仁科家当主直々に張られたこの結界は、おそらく相当な手練れでないと、突破することはできないだろう。
修平は、無意識のうちに手を伸ばすと、結界に触れた。目には見えないが、確かにそこに壁は存在しており、しっかりと修平の手を押し戻してきた。
「これで、ますます会わせられなくなったじゃないか……」
思わず呟くと、修平はそのままギュッと拳を握る。
――今なら、ニハとイチの気持ちが痛いほどよく分かった。自分の身すら顧みない選択をする二人を前に、つい先日の修平は、全く理解ができなかったのだ。どうしてそこまでするのかと。まだ考えれば方法はいくらだってあるかもしれないのに、一番難しくて、でも、一番三子に対して迷惑のかからない方法をとったのだ。
――矢代の気持ちを考えれば、今すぐにでも彼女をここに連れてくるべきだ。しかし、ニハとイチのことを考えると、そんなことはできない。
「どうすればいいんだよ……」
『…………』
宙に消えていく言葉尻。反応を返す者は、そこには誰もいなかった。