52:お前は誰だ?


 次の日、三子は普通に学校へ行った。体調が悪いわけではないのに休むことは気が引けたし、何より母のことを心配させたくなかったからだ。風邪でもないのに一日中部屋に閉じこもったままだなんて、心配しないわけがない。
 昨日は抜け殻のようだった三子だが、学校へ行くと、さすがに気持ちを落ち着かせることができた。一人でいるよりも、教室が騒がし過ぎるから、という影響も大きいのだろうが。
 しかし、そうはいっても、やはり授業中は、ついつい物思いにふけりがちになってしまった。思い浮かぶは、もちろんニハ達のことである。二人のことについて分かったのはいいが、肝心の二人の居場所が分からず、振り出しに戻ってしまったのだ。二人はまだこの世界のどこかにいる、というのは、三子の希望でもあり願望でもあるが、それでもやはり時折不安に襲われるのだ。もうとっくに二人がいなくなってしまっていたらどうしようと。
 会ったら言いたいことなんて山ほどあった。だが、それを言う相手がいないのでは、考えても無駄なことだ。
 思案に暮れながら、三子は一日を過ごした。ホームルームが終わると、そのまま手早く帰り支度をして席を立った。今日は部活もないので、すぐに帰るつもりだったのだ。しかしその前に。

「仁科君」

 霊によって、いそいそと帰り支度をしている修平の前に、三子は立った。
 彼には、たくさん迷惑をかけたし、協力を頼んだし、そして何より、あの二人とも交流があったのだから、伝えなければならないと思った。

「何かあったのか?」
「……うん。ニハ達のことについて。ニハ達の、家族が分かったの」
「――本当か!?」

 修平は勢い込んで聞き返した。三子は困ったように眉を下げた。

「あのね、あの二人、私の兄弟だったの」
「――うん?」

 三子の言葉を理解できなかったのか、修平は目をぱちくりした。三子は再度ゆっくり説明した。

「矢代二葉と、矢代一也。それがあの二人の本当の名前。あの二人、本当に私のお姉ちゃんとお兄ちゃんだったの」
「…………」

 呆気にとられたまま、修平は視線を下に向けた。頭の中で再び三子の言葉を反芻しながら、自分の中で今までのことと答えとを結びつけていく。

「……な、なんで」

 そうして彼の口から出てきたのは、なんとも間抜けな一言だった。その上、それ以上その疑問詞に続く言葉は思いつくことができなかった。様々な感情が、その一言に集約されたと言っても過言ではない。端的に言えば、適当な言葉が浮かばなかったのだ。あまりの衝撃に、語彙力が著しく低下していた。もっと言いたいことは山ほどあるはずなのに、何を言えば良いのか分からない。
 修平はただ生唾を飲み込んで三子の言葉を待った。あの二人が兄弟だと分かったとき――分かった今、何を考えたのだろうと。
 感情の読めない表情で黙り込んでいる三子を、修平はやがて耐えられなくなって視線を外した。
 かける言葉が見つからなかった。いや、そもそもそんな考え自体が自分よがりだ。何を言ったところで、ニハ達がいないということに変わりはないし、彼女の気が晴れるわけでもない――。

「修平君!」

 突如、ガラガラと扉が開く音と共に、担任である小西の声が響いた。反射的に修平は背筋を伸ばす。

「良かったあ、また残ってた! いつもならとっくの昔に帰ってるのに!」
「はい? 俺になにか用ですか?」

 三子達の元まで到着すると、小西は息を切らしたまま後ろを指さした。

「ちょっと助けてくれないかなー。変な男の子が、旧校舎……の跡地をうろついてるのよ。近づいたら駄目だっていっても聞く耳持ってくれなくって」
「旧校舎に?」
「ええ。修平君の方からも何か言ってくれない? ああいうタイプ苦手なのよねー」
「……分かりました」

 教師らしからぬ台詞である。
 だが、修平はそれに呆れた様子はなく、むしろ三子の方を窺った。まるで許可を求めるような視線に、三子は微かに頬を緩めた。

「私の話はこれで終わったから、大丈夫だよ」
「……悪いな。この話はまた今度」
「うん」

 また今度――。
 そのときに、何か一つでもニハ達の居場所の手がかりが掴めていれば。
 そうは思うものの、また振り出しに戻ってしまったかと思うと、やるせなかった。ニハ達のことを話すだけであんなに苦しそうに話していた祖母には、もうこれ以上何も聞けないし、母はもってのほかだ。
 ――残る手段としては、お父さん。
 三子の中で、ぼんやりと光明を見いだしたような気がしたが、三子はすぐに首を振ってその考えを棄却した。そもそも、どうやって連絡を取ろうというのだろう。父とは、もう六年近く会っていなかったし、連絡先ももちろん知らない。祖母に聞いたとして、そう簡単に教えてくれるとも考えられなかった。

「三子ちゃん? 教室もう閉めるけど、いいかな?」

 ハッとして三子は顔を上げた。見れば、教室の入り口で修平と小西が三子の方を見つめていた。三子は慌てて鞄を肩にかけた。

「すみません……!」
「ううん、いいんだけど。じゃあ早いところ旧校舎に行っちゃいましょー」

 くるくると鍵を回しながら、小西は脳天気に声を上げた。三子は不思議そうに彼女を見上げた。

「でも、仁科君じゃなくてもいいんじゃ? 黒井先生とか、怒ったら迫力あると思いますけど」
「黒井先生、今日は用事があるとかで早く帰っちゃったのよねえ。それに、専門知識のある修平君の方が、撃退しやすいかと思って」

 教師らしからぬ台詞だが、三子は少し納得してしまった。確かに、強面の黒井先生がいないのなら、幽霊に関することで、早々引きはしない仁科君くらいしか適任者はいないか、と。
 本当のところ、自分まで旧校舎に行く義務はないのだが、三子の足は自然と修平と小西についていった。なんとなく、今は一人になりたくない気がしたせいだろうか。
 一行は、帰り際の生徒たちの流れに逆らって、そのまま旧校舎へ向かった。旧校舎といっても、つい先日、ニハが霊力を爆発させて、建物など跡形もなく吹き飛ばし、今はもう更地と言った方がピッタリな場所となっているが。
 更地に近づくにつれ、確かにぼんやりと何かが立っているのが見えた。それはだんだんくっきりと人の形をなし、やがて制服をまとった少年であることが認識できた。

「あ……」

 まだ後ろ姿しか確認できていないが、三子には見覚えがあった。何を隠そう、つい昨日、家に突撃してきたあの男の子だ、と。

「この近隣はは立ち入り禁止だ。そもそも外部の生徒が侵入していい場所じゃないぞ」

 凄みのある声を発する修平に、教師たる小西は、その隣で一人うんうん頷いていた。援護はしないつもりのようだ。
 更地に突っ立ったまま、キョロキョロと辺りを見渡していた少年は、首筋に手を当て、気だるそうに振り返った。

「一体なんなんだ、さっきから……。俺はこの地の様子を見るよう言われてきたんだ。文句を言われる筋合いはない」
「様子って……。じゃあお前も霊能者なのか?」
「そうだ。そういうお前は仁科修平か? 歳の頃合いが聞いていたとおりだ」
「なぜ俺のことを……」

 修平は息をのんだ。しかしすぐに気を取り直すと、少年を見返す。

「お前は誰だ?」
「氷室尚人、と言えば分かるか?」
「氷室――って、あの氷室か!?」

 修平は驚愕に目を見開いた。あの氷室、と言われても、三子には何の氷室かさっぱりだった。
 そんな三子を差し置いて、少年二人は会話を進めていく。

「一体誰がここまで破壊したんだ? お前じゃないだろ? 仁科家はそれほど力をもっていないと聞いたぞ」
「失礼なことを言うな。……まあ、確かに俺ではないが」

 ニハのことを言うべきか否か、修平は言葉を濁した。尚人は尚人で、答えを求めているわけではないのか、考え込むようにしゃがみ込み、地面に手を当てた。

「相当な威力だな。まるで爆弾で吹っ飛んだような――」
「爆弾? 面白いことを言うのねー」

 何やら真剣に考え込んでいる尚人に、傍らで聞いていた小西は明るく笑い飛ばした。

「ついこの間、大きな台風が来たでしょ? そのときに旧校舎に雷が落ちちゃったのよ。それで今はこんな有様」
「…………」
「危ないからあなたももうここに来ちゃ駄目よ。珍しいから見てみたかったっていうのは分かるけど」
「…………」

 何を言っているんだこの女は、とでも言いたげな視線を向ける尚人。しかしそれも仕方がなかった。三子達は、未だ教師達に、旧校舎が跡形もなく消え去ってしまった真相を伝えていなかった。
 教師達は、幽霊の存在も修平が祓い屋であることも知っている。だが、この旧校舎の有様が、三子達の知り合いだと分かれば、どんな罰が下るかも分からない。事情を説明すれば分かってくれるかも知れないが、それでも教師達の自分たちを見る目が変わるのではないかと思うと、うまく言い出せない三子と修平である。

「お前は何か知らないのか? 旧校舎が吹き飛んだとき、お前がここにいたんだろ?」
「あ、ああ……」

 修平は戸惑ったように小西と尚人とを見比べたが、やがて観念したように尚人の耳に口を寄せた。

「…………」

 ごにょごにょと修平の口が動く。三子としては、彼がなんと言い訳しているのかが非常に気にはなったのだが、ここで聞くわけにもいくまい。

「――本当にそんなことがあったのか?」
「あ、ああ。目の前で見た」

 動揺で視線を逸らしながらも、修平はしっかり頷いた。

「まあ、詳しい事情はまた改めて聞くことにするが」

 小西については聞かなかったことにしたのか、尚人はおもむろに立ち上がった。用は済んだとばかり、そのまま去って行こうとする気配を感じ、修平は慌ててその前に立ちはだかった。

「これからどうするんだ? 旧校舎がなくなったら、伊礼山から降りてくる霊達の行き先が……」

 西尾市と日南市の境界にそびえ立つ山――伊礼山は、幽霊達のたまり場となっている。その一方で、時折気まぐれに下山してくる幽霊達も一定数存在している。彼らが人間たちに悪さをしないよう、伊礼山からまっすぐ伸びた道の先の旧校舎に結界を張り、そこに霊を留めておいたのだ。その旧校舎がなくなった今、日南市は危険な状態にあると言っても過言ではない。今まで旧校舎があるおかげで霊達の拡散を防いでいたにもかかわらず、今はその霊達が、野放しの状態になってしまったのだ。
 だが、修平の言葉を受けても、尚人の顔色は変わらなかった。むしろ、そんなことかと言わんばかりに落ち着いていた。

「検討はついている。今知り合いが市長に話をつけに言っているところだ」
「市長!?」

 三子は驚愕に目を見開いた。市長が出てくるなんて、とんだ大事ではないだろうか。――そう思わずにはいられなかった。

「丁度伊礼山からの通り道に、使われていない国所有の空き地があったんだ。だからそこを新たな結界地にできないかと、市長と相談しているんだ」
「そうなのか」

 完全に納得、とまではいかないが、疑問が解消され、修平は引き下がった。だが、その一方で、なにが何だか分からないのは小西の方だ。

「ちょっと詳しいことは分からないけど、とにかくもうここへ来ちゃ駄目よ!」

 教師らしく、小西は腰に手を当てて尚人にそう言った。尚人はというと、哀れな者を見る目で彼女を一瞥しただけで、そのまま顔を元に戻して校門へ歩き始めた。
 問題の尚人がいなくなったため、この場はお開きムードだ。先生に挨拶をしようと三子が口を開きかけたとき、それよりも一瞬早く小西が声を上げた。

「あっ、そういえば、修平君。今日は急いで家に帰らなくちゃ行けないの? 実はまだあなたに頼みたいことがあったんだけど」
「はあ。別に少しくらいなら大丈夫ですけど」
「良かったー。じゃあ一緒に職員室に来てくれる?」
「はい」

 修平に了承を取り付けると、小西は三子に向き直った。

「三子ちゃん、帰り道気をつけて帰るのよ」
「はい、さようなら」

 三子は小西と修平にぺこっと頭を下げると、そのまま校門へ向かった。先に出発していた尚人はというと、歩くのが速いのか、もうすっかりその背は小さくなっていた。