50:全て私たちの責任


 朝食の時もそうだったが、夕食の時も、志藤家の食卓はまるでお通夜のようだった。詳しい事情を知らないはずの理恵子も、なんとなく雰囲気が悪いことは肌で感じていた。というのも、いつもなら自分から学校について話す三子が、今は具合が悪いのかと思うほど口を閉ざしているし、智恵は智恵でいつも以上に眉間に皺を寄せているため、二人が喧嘩しているのではないかと予想がつくくらいには、二人の様子は異常だったのだ。
 ただ、そう予想を立てても、理恵子は特にお節介を焼くようなことはしなかった。ただ、淡々と三子に学校での様子を聞いてみたり、職場でのことを話したりするだけだ。
 といっても、食事を終えて智恵が部屋に下がってからは別だ。同じく部屋に戻ろうとする三子を呼び止め、食卓に着くように理恵子は手で合図をした。

「お婆ちゃんと喧嘩してるの?」
「…………」

 三子は視線を逸らすだけで、答えない。それはそうだ。面と向かってそんなことを聞かれて、素直に答えるようなら、三子はもともと喧嘩をしない。もう一度面と向かって祖母と話したいとは思っていても、なかなかその話す機会ができない上に、三子のちっぽけなプライドも相まって、三子は謝ることができずにいた。

「喧嘩の内容はよく分からないけど、三子がお婆ちゃんと喧嘩してたら、私、悲しいわ」

 まるで言い聞かせるような言い方だった。お母さんまで私を子供扱いして、と思わずにはいられなかったが、それでも三子はくっと我慢した。母に、余計な心労をかけるわけにはいかないのだ。

「お婆ちゃんね、ああ見えて意地っ張りなのよ。三子から歩み寄ってくれないと、お婆ちゃん、きっとずっとあんな感じだわ」
「…………」
「仲直り、してくれる?」
「……うん」

 結局、三子は小さく返事をした。いつかは仲直りをするのだから、それならば早いほうが良い。
 三子が頷いたのを見ると、理恵子は本当に嬉しそうに笑った。これで心配事はなくなったとばかり、張り切って皿洗いを始めた。
 三子も、しばらくはその後ろ姿を眺めていたが、やがて諦めたように智恵の部屋へ向かった。いつまでも先送りにはできない、と。
 昨日のように、三子はまた静かに智恵の部屋の前に立った。足音が聞こえたのか、部屋の中からは緊張した息づかいが聞こえた。
 三子は大きく息を吸い込んだ。

「入って、いい?」

 声をかけるのに、三子が勇気がいったのと同じように、智恵の返事も数秒要した。

「――どうぞ」

 視線を落として、三子は部屋に足を踏み入れた。昨日と同じ座布団が空いていたため、部屋の主の許可なくそこに座る。
 しばらく、両者とも口を開かなかった。始めの一声が一番緊張するのだ。

「……これ」

 三子は言葉少なに懐からお守りを取り出した。仲直りと言っても、三子はどうすれば良いのか分からない。だから、いつも通り言いたいことを伝えるのみだ。

「お婆ちゃんとお母さんにお守り作ったの。中には、仁科君からもらった護符も入ってる」

 祖母自身、自分でお守りを持っているだろうとは思ったが、どうせなら二人共にあげたかったので、三子は拙いながらも二つのお守りを作ることにしたのだ。

「中身、護符だけじゃ寂しいから、他に何か入れてほしいものとかある?」
「入れたいもの、ですか」

 ポツリと呟くと、智恵は慌てたように立ち上がった。文机と押し入れとを見比べた後、押し入れの方を探し始めた。

「何でも良いけど、平べったくて小さいものの方が良いかな」

 静かに、だが懸命に中に入れるものを探してくれているのを感じ、三子は思わず声をかけた。何でもいいのだ。むしろ、入れなくても。――でも、何か入れるものを、と声をかければ、それだけ話す機会ができるかと、ふとそう思って付け足しただけだった。
 だが、三子がぼんやりしている間に、智恵の足下には布団や敷物、大量のアルバムが積み上げられていった。あれでもない、これでもないと、智恵は更にいろいろと引っ張り出していく。三子は目を点にすると、思わず苦笑した。
 あまりに集中しているようで、三子は声をかけるのが躊躇われ、そのまま積み重ねられたアルバムの一つを手に取った。なかなかに分厚いものだ。もしかしてお婆ちゃんの若い頃の写真があるかも、と三子はワクワクしていた。
 ペラリとめくると、意外なことに、理恵子の若い頃の姿が目に飛び込んできた。なぜ祖母の部屋に母のアルバムがあるのか、と疑問に思う間もなく、次のページをめくれば、母と男性が寄り添った写真が。薄れかけた記憶ではあるが、この男性がお父さんだろうと、三子は当たりをつけた。そのまま三子は無心でアルバムに見入った。母と父が旅行に行っている写真や、結婚式の時の写真――。
 しかしやがて、唐突に赤ん坊を抱いた写真が現れた。くしゃくしゃの赤ん坊を男性が嬉しそうに抱いている。この赤ん坊が私なのか、と三子は口元を緩ませた。しばらくはその赤ん坊の写真ばかりが続いた。しかし、また唐突にもう一人の赤ん坊の写真が出てきて、三子は困惑した。親戚の子供だろうか、三子と思われる赤ん坊と、もう一人の赤ん坊が、よく揃って写真に写っていた。
 写真の中の赤ん坊は、やがて大きくなっていく。二歳、三歳……そして幼稚園に入学するような歳になって、ようやく三子は気づいた。この子供は――私じゃない。でもどこか見覚えがあった。三子は思い悩んだ。母と父に囲まれて、嬉しそうに笑っている、この二人の子供――女の子と男の子は、誰だろう、と。
 ページをめくると、再び赤ん坊の写真が出てきた。三子は直感した。これこそが、私ではないのかと。
 『私』はどんどん大きくなっていった。それと共に、傍らの少年少女も大きくなっていく。二人は次第に、三子もよく知る人物へと姿を変えつつあった。

「これ――」

 三子は思わず口走った。彼女の手は、ついに確信的とも言えるページにたどり着いた。
 ――両端に、父と母。写真中央に私。私の隣には……ニハと、イチ。
 三子の声に振り向いた智恵は、すぐにアルバムに気がついた。反射的に三子からアルバムを取り上げ、ギュッとその胸にかき抱く。

「なんで……なんで」

 息をするのも忘れ、三子はただただ智恵が持つアルバムを見つめた。

「私たちと一緒に、ニハとイチが写ってるの?」

 まるで、仲の良い家族のように。

「ニハとイチは、私の兄姉きょうだいだったの?」

 三子の問いが、静まりかえった部屋に波紋のように広がった。


*****


 しばらく、智恵は口を開かなかった。動揺したように、眉間に手を当てていた。

「…………」

 三子は、ただ待っていた。不思議と頭は混乱していなかった。あの二人が兄姉きょうだいだと言われて、すとんと腑に落ちてしまったのだ。ああ、やっぱりかと。まるで、心の奥――三子が無意識のうちに知っていたかのように。
 だが、分からないことは山ほどあった。あの二人が兄姉だったとして、私はなぜそのことを忘れていたのか、と。少なくとも、先の写真では、三子は六歳ほどの年齢だった。さすがに事細かに覚えているわけはないが、物心もつき始め、自分に姉と兄がいると言うことくらいは覚えているはずだ。でも、私にはその記憶がない。――どうして。

「あの……二人は」

 智恵はようやく口を開いた。隠し通すことは不可能だと思ったらしい。

「あなたとあの二人は……姉弟きょうだいです」
「実の?」

 三子はすかさず聞き返した。この年になれば、三子もいろいろ分かってくる年頃だ。両親が離婚していれば、複雑な事情まで分からずとも、その離縁理由くらいは、いくつか想像を膨らませてしまうというもの。

「もちろんです。正真正銘、あなた方は矢代慶史と理恵子の実の子供です」
「…………」

 三子は少し緊張の糸を解した。まだまだ聞きたいことは山ほどあったが、どうしてか、安堵してしまったのだ。あの二人とは、義理の関係ではなく、実の兄弟なのだと。おかしなことだ。つい昨日までは、全くの赤の他人だと思っていたくせに。

「あの二人は、二葉ふたば一也かずやと言います。それがあの子達の名です」
「ふたばと、かずや……」
「字はこう書きます」

 智恵は文机から紙とペンを取り出した。三子の目の前で、ゆっくり『二葉』『一也』と書く。その隣に、『三子』とも書いた。

「自分たちだけの特別なあだ名で呼びたかったらしく、あなたたちは互いに音読みでニハ、イチ、そしてさんこと呼び合っていました」

 ――自分たちだけの特別なあだ名。
 なんだかその理由が子供らしくて、三子は思わず笑みを浮かべた。

「仲の良い、姉弟きょうだいでした……。二葉と一也には、どちらもたぐいまれなる力がありましたから、矢代家で厳しい修行の毎日でした。でも、帰宅すれば、まだ小さい三子さんと、鬼ごっこをしたり、隠れん坊をしたり。本当に楽しそうに遊んでいました」

 智恵の目は寂しげだ。

「――でも、最悪の事態が起きてしまった」

 三子も顔色を暗くした。この先に待ち受ける事態は、結末は、もう知ってしまっているから。

「伊礼山に泊まりがけで霊を鎮めに行ったときのことです。大人達は霊を鎮めるのに忙しかったようですが、あなたたちは違ったようで。……いつも修行ばかりの毎日で、どこにも遊びに連れて行ってもらったことがなかったせいか、三人揃ってのお出かけに、とても喜んでいたそうです」
「…………」
「中腹まで登ったとき、早々に一行は野営地で休息をとったそうです。ですが、朝早く、あなたたちは大人達の目をくぐり抜けて、野営地を抜け出してしまった。……それまでずっと良い子だったあなたたちが、そんな突飛な行動をするなんて、大人は誰も想像していませんでした」

 そこまで話したとき、智恵は唇を震わせ次の言葉を躊躇った。すぐにまた話し出したが、その声には嗚咽が混じっていた。

「……でも、あなたたちは決して悪くありません。全て私たちの責任です。あなたたちがまだほんの小さな子供だということを、本当の意味で分かっていなかった。目を離したことも、窮屈な生活を押しつけたことも全て、私たちがいけなかったんです」
「なにが、あったの……?」

 三子は恐る恐る聞いた。智恵は両手に顔を埋めた。

「矢代の者が駆けつけたときには、もう手遅れだったそうです……。三子さんは気絶した状態で倒れていましたが、二葉も一也も、忽然と姿を消していたと。何十人もの捜索隊が辺りを探し回ったそうですが、二人はどこにも……」

 力なく、智恵の言葉尻は消えていく。それでも口元に力を入れ、彼女は続けた。

「後日、矢代から連絡がありました。二葉と一也は死んだ……と。霊力の波動を感じられる者が、再び辺りを捜索したらしいのですが、もうあの二人の霊力は感じられない、と」

 悔しそうに智恵は唇を噛みしめた。そして次の瞬間、ダンッと机を叩いた。

「矢代慶史は酷い男です!」

 三子の動揺を余所に、智恵はギュッと拳を握る。

「二人も子供を失った理恵子を放ったらかしにしておいて、自分は仕事三昧! 家にも寄りつかず、三子さんの顔すら見に帰ってこようとしなかった!」
「――っ」
「理恵子が、理恵子がどれだけ一人で苦しい思いをしたか……! あの男は全然分かっていないんです!」
「お、お婆ちゃん……」
「悔しい……私は悔しい!! なぜあの矢代になぞ孫を預けてしまったのか! どんなにか怖い思いをしたかも分からない……。まだ十五にも満たない子供だったのに! ずっと修行三昧の毎日で、なにも楽しいことなど教えてやれなかった。後悔してもしにきれない……!」

 うっうっと、短い嗚咽が繰り返される。理恵子の部屋にまで声が届いてしまうのを危惧し、智恵は口元を押さえてむせび泣いた。三子は戸惑いつつも、おずおずと智恵の背に手を当てた。ぎこちなく上下に手を動かすが、嗚咽が止むことはなかった。
 ――お婆ちゃんに、ニハ達のことは言えない。
 三子は静かにそう思った。本当のことを言えば、全て正直に話して、彼女の助力を請いたかった。しかし、今ニハたちのことを口にしても、混乱させるだけだろうし、むしろ、あの二人が消えてしまったことをも言わなければならず、余計苦しめることになるかも知れない。
 そう思うと、三子はただただ、すっかり小さくなってしまった祖母の背中に思いを込めるしかなかった。