49:知ってるなら教えて
夕食後、三子はいそいそと智恵の部屋にやってきていた。彼女の部屋を訪れるのは初めてだった。もともと三子と彼女の部屋は離れており、特にわざわざ出向かうほどの用事もなかったからだ。だが、ここならばきっと母の部屋にも声は届かないだろうと、そういう意味では、三子にとっても好都合だった。
「お婆ちゃん」
襖から明かりが漏れている。時間的にもまだ起きているだろうと、三子は小さく声をかけた。
「何でしょう?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、入って良いかな?」
「どうぞ」
三子は緊張した面持ちで襖を開けた。祖母と話す、ということも要因の一つだが、その多くは、ニハとイチについて、有益な情報を得ることができるのか、というのも大きい。
「どうかしたんですか、こんな夜に?」
三子が座椅子に腰を下ろして早々、智恵は口を開いた。なにから話すべきか、三子も少々迷った。
「えっと……この家のことを知りたいなって。器っていう体質、私もそうなんでしょう?」
「なっ……どこから聞いたんですか、そんなこと」
考えていた以上に智恵が動揺したので、三子は口ごもった。
「……知り合いに」
「もしかして、仁科家からですか?」
勘の鋭い智恵に、三子は顔を引きつらせた。元来、鈍くさい所のある三子は、演技だってうまくはないのだ。
「本当に……あのお喋り好きには困ったものです」
三子の態度からなんとなく事情を察した智恵は、眉間に手を当てた。
「私のことを心配して、丁寧に教えてくれたの」
三子の身の安全を考えた上での孝雄の行動に、仇を返すわけにはいかない。せめてもと三子は助け船を出した。しかし、智恵は一層眉を顰めた。
「もしや、何か危ないことでもあったんですか? そういえば、最近は遅い帰りが続いていますが――」
「ゆ、幽霊に、襲われたことはあったけど、特に怪我もなかったし……」
「襲われた!? お守りを持っていたはずでしょう!」
険しい表情で智恵は身を乗り出した。まずいことを口走ってしまったか、と三子の視線は右往左往する。
「も、持ってたけど……」
「持っていたのに襲われたというのですか?」
「う、うん……」
「…………」
智恵は重苦しいため息をついた。こんな風に、心配をかけたくなかったから、今まで黙っていたのに。
いや、そもそも今までこんな大切をことを教えてくれなかったのがいけないんじゃないか。
ふと三子の胸にそんな疑問が湧き起こった。
「――どうして、今までなにも話してくれなかったの? 前、私が幽霊に憑かれたときも、私は知らなくて良いことだって、教えてくれなかったよね」
「…………」
「私がなにも知らないせいで、大切な人たちが傷つくのは嫌なの」
それでも智恵は口を開かない。
「ねえ、お婆ちゃん」
三子は息を吸い込んだ。
「ニハとイチって、誰か知ってる?」
「――っ」
瞳が大きく見開かれ、唇がわなわなと震える。珍しいほどの動揺だった。いつもならば、心配に思うほどの。だが、今の三子は好機としか思えなかった。何か知ってるんだと。
「誰から……聞いたんですか」
ようやく絞り出された声は、弱々しいものだった。しかし三子は怯まない。
「誰でもいいじゃない。二人のこと、知ってるなら教えてよ」
「誰からですか」
「お婆ちゃんが教えてくれないんだったら、私も教えない!」
睨み付けるように視線を鋭くすると、智恵は驚いたように身をのけぞらせたが、それでも口は開かなかった。
一体どうして、という答えの出ない疑問ばかりが身体を駆け巡るが、三子は一旦落ち着こうと手の力を緩めた。彼女が教えてくれなくても、当てはまだある。
「お父さんの家、代々続く霊能者の家なんでしょ? 連絡を取りたい」
再び三子は智恵をみた。だが、視線は交わらない。
「駄目です」
短く帰ってきた返答は、半ば予想していたものだった。しかしだからといって、対策を講じているわけではない。
三子は思わず怒鳴るようにして叫んだ。
「なにも教えてくれないくせに、あれも駄目、これも駄目……! 私はいつまでも子供じゃないよ!」
「時が来たら――」
「そのときっていつ! どうせそうやってはぐらかして、私だけ蚊帳の外なんでしょ」
思わず詰まった智恵をみて、三子は唇を噛みしめた。
「――いい。じゃあお母さんに聞いてくる」
「三子さん!」
咄嗟に身を乗り出し、智恵は三子の裾を掴んだ。
「駄目です、理恵子は駄目です」
取り乱したようにすがりつく智恵に、三子は一瞬固まった。こんなに必死な彼女の姿は、初めて見たのだ。
「――っ」
三子は手を振り払うと、そのまま足音も荒々しく部屋を出て行った。
「三子さん!」
心配するように、怒ったように智恵はその後ろ姿に声をかけたが、三子は振り返らなかった。
もとより、三子は母に尋ねようとは思っていなかった。ただ、そう口にすることで、祖母の態度が変わってくれればと思っただけのことだ。
でも、無駄だった。
三子は自分が情けなくて仕方がなかった。
*****
次の日の朝、修平が教室に入ってくると、三子はすぐに彼の元へ行った。三子の顔を見て、修平は苦い顔をする。
「……駄目だった?」
聞かずとも、返事は分かっているような気がしたが、それでも三子は聞かないわけにも行かない。案の定、修平は首を振った。
「そっか……」
「爺ちゃん、他の家と結構折り合いが悪いらしくて、なかなか連絡点けてくれないんだよ。……まあ、もう少しこっちも粘るつもりだけど」
「……お願いします」
「そっちは何か分かったか?」
修平は明るい口調で尋ねたが、三子の方も返事は色よくない。少し口ごもった後、渋々口を開いた。
「お婆ちゃん、何か隠してるみたいなの。二人名前出したら、動揺してた。何か知ってるみたいなのに、全然教えてくれない」
「二人のこと、知ってるのか……。お母さんの方は、何か聞いたのか?」
「お母さんには聞けない。聞いちゃいけないような気がする」
そもそも、幽霊関係や家のことについて、母はなにも知らないように見えた。ただでさえ連日仕事続きで疲れているだろうに、幽霊だの守護霊だの、母の重荷になるようなことは言えないと思った。
「……じゃあ矢代の方も婆ちゃんの方を崩すしかないのか」
「う、うん」
修平の言葉に、三子はわずかに視線を逸らした。昨日、まるで喧嘩のように怒鳴って部屋を飛び出したきり、とは言えまい。
三子の気まずい空気には気づかずに、修平はあっと声を漏らして鞄を漁り始めた。
「そういえば、これ。前頼まれてたやつ」
「あ、ありがとう」
修平の手にはピンピンの護符二枚が握られていた。手製のお守りに入れたいと、三子が以前頼んだものだ。
「いくらかな? 今日はあんまり持ってきてないけど、明日なら――」
「いいよ、これくらい。爺ちゃんのとこからくすねてきたやつだし」
「……本当に良いの?」
むしろ、それを聞いて三子はなお申し訳ない気持ちになった。もし孝雄にバレてしまったら、怒られるのは修平の方だ。
「今までも似たようなことしてきたけど、特にバレなかったから大丈夫」
「そ、そうなんだ。ありがとう」
妙に自信があるような物言いに、三子は有り難く受け取ることにした。
と、丁度そのとき予輪が鳴ったため、三子は席に戻った。他の生徒も次第に席に着き始め、教室には静けさが戻ってくる。
三子は、鞄から二つのお守りを取り出すと、護符を折りたたみ、中に押し込んだ。多少中身は膨らんでしまったが、そこまで不格好には見えない。
お守りを裏返すと、それぞれ三子が刺繍したイニシャルが目に入った。お守りにイニシャルは不釣り合いなような気もしたが、折角だから何か刺繍もしてみたかったのだ。ただ、三子にお花やら動物やらを刺繍する技量はなかったため、仕方なくイニシャルにしただけであって。
「…………」
このお守りを作っているときは、まだ楽しかったのだ。
ニハもイチも側にいて。難しいことなんて考えずに、ただ明日が来るのを待っているだけで良かったのに。
――さんこにしては、なかなかやるじゃない。
――いいなあ、俺も欲しいぜ。
――あんたのお墓に供えてもらえば?
――なっ! 急にリアルなこと言うなよ!
「――っ」
ポタリと机に涙が零れてしまって、三子は慌てて目をこすった。誰かに見られていないか焦りつつも、お守りを鞄の中にしまう。
……もう一度。
もう一度、帰ったらお婆ちゃんに聞いてみよう。
三子はそう決心して、前を向いた。