48:私は諦めない


「矢代」

 部屋の真ん中で放心している三子に、修平は声をかけた。しばらく一人にしていた方が良いだろうと部屋を出て行った孝雄と入れ違いに入ってきたのだ。

「もう……帰らないといけないんじゃないか? お母さんも心配してるだろうし」

 あの過保護な二人の代わりに、修平はそう口にした。やたらと母親を気遣っていたのだから、俺がしっかりさせないと、と。
 だが、三子の耳には届かなかったようだ。いや、わずかに顔をうつむけたため、聞こえてはいるのだろうが、動こうとはしない。
 修平は三子の隣にドサッと腰掛けた。――早々に、帰ることは諦めることにした。
 なにを言うべきか、なにから言うべきか。そもそも、慰めの言葉なんか必要なのか。
 修平はそうは思うものの、何か言わずにはいられないと思った。全然似ていないように見えて、思考回路は驚くほどよく似ているのだ、この三人は。
 あいつらが自分のことを責めていたのだから、きっと矢代も……。

「後悔、してるか?」

 恐る恐る押し出された言葉に、三子はピクリと肩を揺らした。まるで自分を責めるかのように、彼女はギリッと歯を噛みしめた。

「私のせいで、あの二人は苦しい思いをしたんだよ。私がいなければ、ここにずっと留まることもなかったのに。私に未練があったから……」
「…………」

 やっぱりか。
 修平は思わず脱力した。
 どうしてこうも、彼らは自分の責任にしたがるのか。相手がどんな風に思っているのかも知らずに。

「もともと――幽霊と現世とを繋ぐ縁は、悪いものじゃないんだ」

 何とかして誤解を解きたくて、修平は拙いながらに話し始めた。

「確かに、一歩間違えれば、怨霊化してしまうこともあるけど……。でも、縁は何より、大切な道しるべなんだよ」
「道しるべ?」
「ああ。黄泉への道しるべ。成仏するには、縁を辿っていかなくちゃならないんだ。……確かに、縁は毒にも薬にもなる曖昧なものだ。でも」

 修平は言葉を切る。緊張に唇をなめた。

「でも、縁はお前とあいつらを繋ぐ唯一のものなんだよ。縁がなけりゃ、お前がどこにいるかだってあいつらには分からない。縁があるから、いつもお前の危機にだって駆けつけられたし、助けることもできた」

 視線は合わないまでも、修平は三子を見た。

「自分たちとの絆を、そんな風に――悪いものと考えて欲しくない。きっとあいつらはそう思ってるよ」
「…………」
「そして同時に、あいつらだって、お前を危険な目に遭わせたこと、死ぬほど悔いてると思う。自分たちのせいでって、そう思ってる」
「…………」
「一緒に過ごしたこと、後悔してるか?」

 修平は微かに笑って三子に問うた。三子は、彼の問いを頭の中で反芻する。
 ……エゴだと思われるかも知れない。自分のことしか考えてないと非難されるかもしれない。それでも――。

「してない!」

 あの日々は、三子にとってどんなものよりもかけがえのないものだった。

「だったら」

 修平は軽い調子でポンポンと三子の肩を叩いた。

「そんな風に考えるなよ。矢代だって、あいつらに後悔して欲しくないだろ? 自分と出会ったのが間違いだったなんて」
「……うん」

 小さく頷いた三子に、修平はようやく安堵の息を漏らした。
 慰めたかったわけでも、励ましたかったわけでもない。ただ、伝えたかっただけだった。祖父の除霊の申し出を、真剣な目で受け入れる二人の姿をこの目で見た者として。

「――修平」

 襖の外から、孝雄が声をかけた。修平はハッとして振り返った。そういえば、矢代を早く家に帰すことが目的だったのに、随分話し込んでしまったな、と。

「三子殿に電話じゃ。母君が心配しておった」
「あ……お母さん?」

 三子は慌てて立ち上がり、襖を開けた。孝雄はちょっと視線を逸らした後、玄関を指さした。

「悪いの。固定電話じゃから、玄関にあるが」
「いえ、こちらこそすみません」

 三子は頭を下げていそいそと玄関へ向かった。手持ち無沙汰な修平も後を追う。こんな時間だから、どちらにせよ送りに行かなければならないだろうと。

「ごめんね、連絡が遅くなって」

 電話を取って早々、三子は謝罪を述べた。

「今日は帰るの遅くなる。……うん、帰りは仁科君に送ってもらうから」
「えっ!?」
「うん、うん。大丈夫。じゃあ」

 固定電話を置いた三子に対し、修平は驚愕の声を上げた。

「か、帰るんじゃないのか……?」
「ちょっと相談したいことがあって」

 ついで三子は孝雄を見上げた。

「大丈夫ですか?」
「まあ……そりゃわしは構わんが」

 なぜか、当の本人である修平ではなく、孝雄に尋ねる三子。

「ありがとうございます。じゃあ仁科君、部屋に行ってもいい?」
「お、おう……?」

 なんだかよく分からないまま、修平は三子の後に続いて自分の部屋に行った。迷いなく自分の部屋に辿りつけられ、修平はなんだか落ち着かない。確かに、修行やらで彼女が自分の部屋に来ることは何度かあったが……。
 なぜだか主導権を握られているこの状況に、修平は複雑な心境だった。
 座布団に腰を下ろすと、三子は、部屋の主である修平に、同じく座るよう手で促した。釈然としないまま、修平もそれに従う。

「仁科君」
「は、はい」
「私、ニハ達はまだどこかにいると思う」
「――っ」

 修平はわずかに目を見開いた。動揺が悟られないよう、視線を下に向ける。自ずと修平は真剣な表情になった。

「でも……縁が切れた今、その可能性は、限りなく――」
「低い。そう言いたいんでしょ?」

 しっかりとした口調だ。

「でも、そんな気がするの」

 三子はわずかに笑みすら浮かべた。

「だって、別れの言葉もなかったんだもの。普通なら、挨拶くらいしていく。……まあ、あの二人に常識は求めないけど。でも、それでも別れの言葉を口にしなかったってことは、あの二人だって、低い確率でも、戻ってきたいっていう希望――確信があったんじゃないかって思う」

 反論の余地もない。
 確かに、今までのあの二人の行動を鑑みれば、そう考えても仕方がないなあと、修平は苦笑を漏らした。しかしすぐに彼は顔を引き締めた。

「探し当てたとしてどうする。あいつらは、お前の身の安全を思って姿を消したんだぞ」
「ずっと一緒にいたら危ないって言うんでしょ? 少しの間会うだけなら大丈夫なんじゃないの?」
「まあ……それはそうだが」
「今までみたいに、ずっと一緒にいられなくてもいいの。二人が元気にしていれば、私はそれだけで」

 儚く微笑を浮かべる三子に、修平は観念したように全身の力を抜いた。まったく、「こいつら」には適わないなあと。
 くっと笑い声を漏らす修平に、三子は怪訝な顔をした。しかしすぐに居住まいを正す。

「二人の居場所に心当たりはないの? 縁が切れた霊は、どこかに引き寄せられるとか」
「分からない。そんな前例、聞いたことがないからな」

 すぐに否定して、修平は言いづらそうに頭をかいた。

「正直、俺が力になれるとも思わないが。俺は所詮まだ駆け出しの祓い屋だし、二人の……居場所なんて」
「私は諦めない」

 後ろより為修平の意見も、三子は珍しく耳を貸さなかった。きっぱりと一点だけを見つめる。

「ねえ、二人の未練は私だったんだよね?
 何か一つでも情報が分かればと、三子は縋るように修平をみた。

「よく分からないけど、普通こういうときは家族に未練があったりするんじゃないの? なのに、どうして私だったんだろう。家族と仲が悪かったのかな」
「別に、全く赤の他人に憑く場合だってある。死んだ場所が家から遠く離れてたら、その付近で地縛霊になったり、通行人に憑いたりする場合もあるし」

 修平の言葉に、三子は顔を上げた。

「幽霊って、死んだ場所に留まるものなの?」
「それぞれの未練による。死んだ場所に思い入れがあれば、そこで地縛霊となるし、人やものに未練があれば、それについて回る」
「ここに引っ越してくるまで、私はずっと西尾市にいた。それなら、ニハ達は西尾市で亡くなったってことに?」
「それはちょっと言いすぎじゃないか? 西尾市に住んでいたとしても、旅行は行ったことがあるだろ? 人に憑く場合、ちょっと見かけた人についていくこともある」
「小学校の修学旅行で京都に行ったことはあるけど、それは六年生の頃だよ。ニハ達、私が低学年の頃のことも知ってた」
「……それなら、確かにあの二人は西尾市で死んだってことになるかもしれない」

 一つ確定できそうな事柄ができたことに、三子は目を光らせた。

「じゃあ、二人が生まれ育った土地も西尾市ってことは?」
「そこまでは断定できない。たまたま西尾市に来たときに死んだのかも知れないし」
「でも、二人は私たちとそんなに変わらないくらいの年だった。旅行でなんの観光地もない西尾市に来ることなんてある?」
「分からないぞ。ニハ達は霊能者だと言っていた。両親に連れられて、修行のために来ていたのかも知れない」
「そうだとすれば、西尾市にいる霊能者と連絡をとってたり……っていうのもあり得るんじゃない?」

 手がかりが増えてきた。
 少しのきっかけも見失わないよう、三子達はそれぞれ二人の幽霊についての思い出を辿った。

「――ニハ達、年の割には大人びてるよね。それに、私が低学年の頃から側にいたし」
「……少なくとも、四、五年以上前に亡くなった子供?」

 思わず三子と修平は顔を見合わせた。考えていることはおそらく同じだろう。二人は同時に笑った。

「正直、ここまで絞れるとは思ってなかった」
「全部予想の範囲内だけど、確かめてみる価値はあるな」
「当てがあるの?」

 確信を持った言い方に、三子は一層瞳を輝かせた。

「当て……というか、一応霊能者の家同士で連絡はとったりしてるらしい。俺はよく知らないが、爺ちゃんに聞けば何か分かるかも」
「――ありがとう」

 三子はちょっと下を向いて礼を述べた。手慰みに両手を組み替える。

「私、なんとなく希望がつかめてきた。ニハ達のことも、きっと大丈夫だよね」
「……ああ」

 しばらく押し黙っていたが、やがて修平も頷いた。

「俺も乗りかかった船だ。行くとこまで行ってやる」
「……ありがとう」

 再度礼を述べると、三子は立ち上がった。そろそろ本当においとましなければならないだろう。

「送っていく」
「ありがとう。……ごめんね、夜遅くなるときは、一人じゃいけないってお母さんが言うから」
「いいよ、大して離れてないし」

 孝雄に挨拶をしたあと、二人は揃って家を出た。月明かりの中、微かに伸びる二つの影。

「私も家に帰ったらお婆ちゃんに聞いてみる」
「そうだな。あと、矢代家の方は? 父親経由なら当主とも話ができるんじゃないか」
「う、うーん……」

 三子は口ごもった。考えるように顔を空へ向けるが、やがて首を振った。

「たぶん、無理かな。私、六年以上お父さんに会ってないから」
「……そうなのか」
「うん。お母さんにも言いにくい……から、お婆ちゃんに相談してみようと思う」
「そうだな、そうするといい」
「うん、本当に今日はありがとう」

 たくさんの星が瞬いている夜空を見上げていると、なんだか本当にニハ達のことを見つけられそうに思えてきた。
 三子は、決心を固めた顔で、自身を鼓舞した。