44:誰だと思ってんの
唸るような風音のせいで、普通の声量では互いに言葉を交わし合うことなど不可能だった。修平は怒鳴るようにして叫んだ。
「他の生徒はもうとっくに避難した! この気配に気づかないなんて鈍いにもほどがあるぞ!」
「この気配ってなに!?」
三子も彼にあわせて怒鳴った。
「私たち、旧校舎の壁が壊れそうだから押さえて――」
「旧校舎は別に物理的な拘束で幽霊達を留めてるわけじゃない! 壁に護符を貼り付けてあったんだが、その壁が剥がれたせいで護符が効力を失ったんだよ! とにかくここから離れろ!」
「そ、それは分かってるけど……」
三子と健介は、視線を合わせると、同時に木の板から手を離した。そして慌てて頭を抱えてしゃがみ込む。木の板はそれぞれ両極端が剥がれているため、二人のうちどちらがタイミングがずれると、そのまま相手側に跳ね返ってしまうのだ。
木の板は、そのまま何度か行ったり来たりを繰り返していたが、やがて強風に負け、大きな音を立てて剥がれ落ちた。風に吹き飛ばされてどこかへ飛んで行ってしまうまで、三子達はずっとしゃがみ込んでいた。
『さんこー!』
ようやく立ち上がった一行の元に、ニハとイチがやってきた。
『大丈夫!? ずっと職員室に行ってるもんだと思ってたから心配したじゃない!』
『そうだそうだ! 守護霊たる俺たちでも、いつもお前の側にいるとは限らないんだからな!』
何やらプンプン怒っているらしいニハとイチ。だが、教室に残っていた漫画を読んでいる生徒の後ろで、彼らが一緒になって漫画を盗み見ていたことは三子も知っていたため、ジト目を返した。自分から離れた彼らを糾弾するつもりはさらさらないが、しかしそれを棚に上げて私のことを怒るとはどういうつもりなのか、と。
「喧嘩は後だ。こっちをなんとかしないと」
眉間に皺を寄せ、修平は旧校舎を睨み付ける。三子も頷いた。
「そうだね……。今にも壊れそうだし」
窓には、たくさんの板が打ち付けられているのだが、そのどれもが、ガタガタと音を立てていた。こんなにも近くにいたら、いつその板が飛んでくるか分かったものではない。
「違う。この有様は幽霊達の仕業だぞ。一枚の板が剥がれてしまったのを皮切りに、霊達が外に出ようと暴れてるんだ」
「えっ……」
想定していた以上に悪い状況に、三子は一瞬言葉をなくした。だが、そうしている間にも、また一枚の板が吹っ飛んできた。
「幽霊達が出てくるぞ」
修平は旧校舎から目をそらさずに言った。三子達も息をのむ。
「もう避難する時間もないな……。危ないから、お前は俺の側にいろ」
修平はチラリと健介に目を向けた。
「矢代は?」
「あいつの側には、強力な仲間がいるから大丈夫だよ」
知らず知らず、修平はそう笑って答えた。三子の身の危険に血をたぎらせるあいつらと一緒ならば、どんな敵でも大丈夫だと。――幸か不幸か、彼は、ニハ達が漫画を盗み見ることに必死なあまり、三子の危機に出遅れたことは知らなかった。
『さんこ、今のうちに入れ替わるわよ。入れ替わった後は、この前みたいに、イチのすぐ側にいるのよ。守ってくれるから』
「うん!」
ガタガタ震える旧校舎を余所に、三子とニハは入れ替わった。だが、そうしている間にも、また一枚の木の板が吹き飛んだ。空いた隙間から、幽霊が我先に飛び出そうと互いが互いを押しのけている。
「なんだか悲しい光景ねえ。出てきたら最後、あたし達に除霊される運命なのに」
一体の幽霊がスポンと外に出て来た。待ってましたとばかり、ニハが霊力をぶつける。強制的に千切れた縁と共に、その霊はなにが何だかよく分からない様子で、天へ昇っていった。
「じゃあそっちは頼むぞ。俺はこっちを」
玄関近くの窓が今にも壊れそうだったので、修平は健介を連れてそこへ移動した。ニハもヒラヒラと手を振って反応を返した。
始めこそ、この事態はなんとかなるものと思えた。わずかな隙間から、一体一体出てくる霊を、すぐに除霊する。だが、限りなく次から次へと出てくる幽霊達のあまりの多さに、次第にニハも修平も疲弊し始めてきた。そもそも、また元のように霊たちを旧校舎に閉じ込めることができれば良いのだが、窓は割れ、そこに打ち付けていた板もない状況では、そこにぽっかりあいた穴に護符を貼り付けることができない。護符自体は、霊力でしっかり貼り付けることも可能だが、その貼り付ける場所は、物理的なものではないといけないのだ。……なんとも言いがたい、かゆいところに手が届かないような仕様だった。
「そこ、馬場危ないわよ!」
知らず知らず旧校舎に近づいていた健介は、『三子』の声にビクッと肩を揺らした。ついで、耳元を一陣の風が吹くのを感じた。
「……?」
「仁科から離れるなっての」
舌打ちこそしないものの、柄悪く『三子』に睨み付けられ、健介は目を白黒させた。
「な、なんかキャラ変わってないか、あいつ?」
健介は、『三子』を戦々恐々と見つめた。返事がないので、すぐ側の修平の裾を引っ張る。
「なあなあ、仁科」
「うるさいな! こっちは集中してんだよ! そんなことでいちいち声かけてくんな!」
「なっ……ちょっと返事するくらいいいだろ! 俺にはなにが何だかよく分からないんだよ……」
ただでさえこの吹き荒れる強風の中なのだ。健介の目には、ただ強風によって旧校舎が壊れつつあるようにしか見えなかった。もちろん、『三子』の中に、彼女の守護霊であるニハが入っていることも知らない。
「どうなってんだよ……」
「――ねえ」
すっかりお手上げ状態な健介を置いてけぼりに、ニハは修平に近づいた。もちろん、旧校舎への注意は怠らないままである。
「一気にこの旧校舎の中に霊力をぷっぱなすっていうのは? いちいち一人ずつに狙いを定めてたんじゃ、こっちの体力が持たないのよ」
ニハは、確かに桁違いの霊力を有していたが、力のコントロールができないため、一体の幽霊につき、最低限の霊力で倒すという器用なことできないのだ。それならば、最大限の霊力を持ってして、旧校舎中に霊力をぶち込めば、それだけ一気に霊を戦闘不能にできる。
「だからって、失敗したらどうするんだよ。あちこちに霊が散らばったら、もう打つ手はなくなるぞ」
対して、修平の反応は色よくない。確かに一体ずつ倒すというのは効率的ではないが、しかし一度に大量の幽霊を相手にするよりは大分マシなはずだ。全方位から囲まれるという最悪な状況になり得るかもしれないのだから。
「そうなったら、あんたが一時的に結界を張って、その中でまたあたしが霊力をぶっ放す。それでどう?」
「う……。だ、だが、そんなことをしたらお前が持たないだろ! 二度も一気に霊力を放つなんて――」
「あたしを誰だと思ってんのよ」
何度提案してもグチグチと反論してくる修平に、いい加減ニハは苛立っていた。修平の顔面にバチッと手のひらを押しつけ、彼を黙らせた。
「歴代随一の霊力を誇るニハ様よ?」
「……はあ?」
「さ、行くわよ!」
ニハは両手を上に掲げた。なにをやるつもりだ、と健介はポカンと彼女を見つめ、修平は胡散臭そうな目で見つめた。だが、ニハのことをよく知っているイチは、幽体のままの三子を連れ、急いで後ろの方へ避難した。ああ、ついにこのときが来たな、と。
「はあああっ!」
怒声とも見分けがつかないかけ声を挙げると、ニハは最大限の霊力を旧校舎に放った。いつも以上に大きくて丸い霊力の塊は、ゆっくりゆっくり旧校舎へ近づく。だが、壁に触れた、と思った瞬間、すさまじい爆音が辺りに轟いた。同時に幽霊達の悲鳴も上がる。爆風が辺りを駆け抜け、砂煙が舞い。しばらく視界が奪われることとなった。
「な……一体なにが」
健介はゴホゴホと咳を繰り返しながら後ろへ避難した。本当に突然だったのだ。つい先ほどまで、強風にガタガタ揺れるだけだった旧校舎が、どうしてか突然、爆発した。台風が直撃でもしたのかという威力である。
しばらくして、ようやく視界が晴れてきた。粉塵が落ち着き、風も多少マシになる。
「…………」
修平達は、声もなく目の前を見つめた。そこにあったはずのものが、綺麗さっぱりなくなっていた。
『やり過ぎだ……ニハ』
イチは頭を抱えた。
旧校舎は、ニハの手加減を知らない爆弾のせいで、盛大に吹っ飛んでしまったのだ。地面には、ニハの霊力に当てられ、気絶した死体――いや、霊体が累々と転がっていた。
「なんだ今の音はー!」
「ちょっとちょっと、大丈夫!? すぐに除霊終わるって言ってたじゃない!」
校舎から、慌てた様子で小西と黒井が走ってきた。修平はいよいよ頭を抱えた。
霊力のない彼らには、ニハたちのことは見えない。となると、この惨状の元凶がニハだということも、とうてい説明できないのだ。
俺の祓い屋人生も、これでおしまいか。
遠くなる意識の中で、修平は一人そう呟いた。