43:鈍感二人
秋も随分深まり、台風の季節になった。三子達の住む日南市には、標高二千メートルを超える伊礼山があるため、時折山が防波堤となって台風が来ないこともあるのだが、今年はそうはいかないらしい。
まれに見る大型台風に、三子達は昼ご飯を食べて早々、自宅に帰されることになった。といっても、まだ警報は鳴っていないので、いつも通り掃除はやらなければならないのだが。
三子達五人の班は、教室掃除だった。皆が帰り支度をしている中、いそいそと掃除を終わらせて行く。
「何もこんな日に掃除なんかしなくたっていいのにねー。早く帰りたい」
由香里はぶうぶう頬を膨らませながら言った。三子も内心では彼女に同意である。それどころか、台風到来で、ちょっとだけ非日常感が味わえ、ワクワクすらしていた。
「明日も休みになんないかなー。早く帰れるより、そっちの方が良いよね?」
「うんうん! できれば明日まで休みがいいー!」
ついつい不謹慎なことを考えてしまう女子生徒三人組である。そんな中、それを咎めるかのように担任である小西が入り口から顔を出した。
「ちょっとー、油売ってないの。掃除は終わったの?」
「終わりましたよー! 後はもうゴミ捨てだけです」
由香里と健介が箒係で、他三人がぞうきん係、そうして今は、修平がちりとり係となってゴミを集めていたため、女子はもっぱら暇なのだ。
「じゃあちゃっちゃと終わらせちゃってね。下校の時も、寄り道せず、まっすぐ帰ること。一応終わりそうになったら声かけてね。戸締まりするから」
「はーい」
間延びした返事を返し、五人は綺麗になった教室の後ろに集まった。運命のゴミ捨て係決定戦である。
五人は真剣な顔でじゃんけんを繰り出した。こんな酷い大雨の中、誰だって大きなゴミ袋を抱えて外には出たくないのだ。たとえ、どうあっても下校の時に雨に降られることになろうとも。
「…………」
「よろしくね、健介」
「お願いしまーす」
「頑張ってね」
「頼む」
何回かあいこが続いた結果、ゴミ捨て係は健介に決定だった。彼は若干不満そうな顔をしながらも、黙ってゴミ袋を抱えて教室を出て行った。まるで彼の不運をあざ笑うかのように、雨脚は酷くなり、かつ風も一層うなるばかりだ。
「早く帰ってこないかなあ……」
もう帰り支度はとっくの昔に済んでいたので、女子組三人は窓際に立って外を眺めていた。こうしている間にも、雨脚は強くなる一方で、早く帰らなければ、警報と共に学校に足止めされるかも知れない。
「私、小西先生に声かけてくるね」
いてもたってもいられず、三子はそう言うと教室を出た。ゴミ捨て場の場所からいって、丁度健介も同じタイミングで教室に戻ってくるだろうと予想してのことだ。だが、三子は職員室について早々、小西に声をかけられることとなった。
「あっ、三子ちゃん、良いところに!」
「はい?」
腕を引いて三子が連れられた先は、職員室の隅。目の前には、大きなゴミ袋があった。
「ごめんねー、これ、職員室のゴミなんだけど、ゴミ捨て場まで持って行ってくれない?」
「わ、分かりました……」
「お願いね! 私も後で教室行くから!」
教師から頼まれてしまえば、三子も断ることができず、渋々頷いた。折角ゴミ捨てじゃんけんに勝ったというのに、結局こういう羽目になってしまうのか。
廃校舎の裏にあるゴミ捨て場には、新校舎の西側から延びている渡り廊下が最適だ。最短経路としては、廃校舎を通るのが一番の近道だが、廃校舎は通行が禁止されている。それは、廃校舎自体古くて危険だと言うこともあるが、何より霊のたまり場になっていることが大きな要因だろう。
渡り廊下辺りで健介とすれ違うかと三子は考えていたが、行けども行けども彼の姿は見当たらない。何か問題でもあったかと、自然三子の足取りは速くなる。
ついには渡り廊下も途切れてしまい、三子は仕方なしに傘を広げた。横殴りの雨に、もはや傘は傘として機能していなかった。このまま帰ってしまいたい気分になるのを堪え、三子はゴミ捨て場に急いだ。途中、廃校舎のすぐ横を通ったが、なんとも言いがたい薄気味悪い雰囲気が漂っていた。台風のせいで、木造造りの旧校舎が大きく軋んでいるのも起因していた。
できるだけ旧校舎の方を見ないようにしながら、三子はゴミ捨て場にたどり着いた。健介らしい青色の傘が目に入った。
「馬場君!」
「あ、矢代?」
健介はすぐに振り返った。今までの経験上、なんとなく嫌な予感はしていたのだが、今回はまだ憑かれてないようだ。三子は内心ホッと息をついた。
「どうしたの?」
「風でゴミが散乱してるんだよ。誰かがその辺にゴミ袋置いていくから」
各クラスで集められるゴミは、ゴミ捨て場まで持って行き、焼却炉に入れなければならない。焼却炉は、今は安全上の問題で使われていないが、カラスよけに、きちんと中にゴミを入れなくてはならないのだ。ただ、焼却炉の蓋は汚いし、開けるのも重たいので、それをサボる輩も当然いるのだ。普段はなんともない事態でも、今日のような風の強い日だと、ゴミ捨て場はなんとも酷い有様になってしまう。健介は、ブツブツ言いながらも、一人でゴミをかき集めていた。こういう所は素直で生真面目なんだなあと、三子も思わす口元に笑みを浮かべた。
「そういうお前はなんでここに?」
「あ、私? 私は小西先生に職員室のゴミ捨て頼まれて」
「小西先生か……。あの先生、良い先生は良い先生なんだけど、雑用を生徒に押しつけすぎだよなあ」
なおも健介はブツブツ言う。幽霊関係でピリピリしていた頃とは打って変わって話しやすい雰囲気に、三子はなんだか嬉しかった。
「そのゴミ袋、もう穴が開いてるから、こっちのにまとめるよ」
「ああ、頼む」
言葉少なに、二人は作業を行った。散らかっているゴミを集め、また一つのゴミ袋にまとめ。
もうその頃には、服も靴もずぶ濡れで、さしても意味のない傘は、折りたたんで地面に転がしておいた。
「台風、ひどいね」
「ああ」
大した話題もないので、とりあえずその場の現状を嘆くぐらいしか思い浮かばない。
そういえばニハ達はどこへ行ったんだろう。
ポツリとそんなことを思い浮かべたとき、突然ベリベリッと宙を引き裂くような音が轟いた。慌てて顔を上げれば、木の板がすぐ目前に迫っていた。慌てて三子は手を伸ばし、木の板を押さえつけた。ここ数年間で、一番三子の反射神経が発揮された瞬間だった。
「な、何これ……」
突然三子の目の前に現れた木の板は、旧校舎の窓の一部に打ち付けられていた板だった。板の下は割れているらしく、やんちゃな生徒が侵入しないよう、板を打ち付けたのだろう。そうして、今回の激しい台風によって、ガタが来たと。
「大丈夫か?」
丁度しゃがみ込んでいた健介には被害はなく、ゴミ袋を手に彼は立ち上がった。だが、同時に再び鳴り響く何かが剥がれるような音。
「――っ」
健介は咄嗟にゴミ袋から手を離し、三子同様木の板を押さえつけた。今回剥がれたのは、三子が押さえている板のすぐ上の板である。なんともまあ、見事に一気にガタがきたものだ。
「あー……」
自身の反射神経によって危機を脱したというのに、健介はなんとも哀愁漂う顔でどこかを見つめていた。何事か、と三子が彼の向く方へ視線を滑らせてみれば、彼女もすぐに納得した。健介の手から自由になったゴミ袋は、今までの自分達の苦労をあざ笑うかのように、宙にゴミをぶちまけながら舞っていたのである。縦横無尽に風が吹き荒れているのだから、ゴミのぶちまけようもまた尚のことだ。
「…………」
結局、三子達は知らんぷりをすることにした。どうせもうあの強風の中、全てのゴミをかき集めることなど無理に等しい、と。
それよりも、三子達のもっぱら気がかりなのは、この剥がれかけた木の板をどうしよう、ということである。手を離せば、木の板が飛んで行ってしまうのは明白である。かといって、ずっとこのままの体勢で、誰か人が来るのを待ってもいられない。ここがただの校舎の一部であったならば、三子達もここまで気にはしないが、なんと言ってもここは旧校舎である。なんとなくではあるが、旧校舎から板が剥がれ、そして中から外が丸見えになった状態は、良くないのではないかと思ったのだ。もしかしたら、旧校舎に閉じ込められている霊達が、外に飛び出すかも知れない、と。
健介も同じことに思い至ったのか、嫌そうな顔で三子の顔を見た。
「どうする? これ」
「さ、さあ……。どっちかが先生と仁科君を呼んでくる?」
「これ、一人で押さえられるか?」
「う、うーん……」
なんとも運の悪いことに、下の板は三子側から剥がれ、上の板は健介側から剥がれているのである。同じ方向から剥がれたのならまだしも、反対側から剥がれてしまった板は、一人でそう長く押さえられていられるとも思えない。
困り果てて、三子は視線を下に向けた。と、そのとき、彼女の目に、ヒラヒラと舞い落ちるものが映った。
「えっ……」
唐突な『それ』に、三子は一瞬言葉を無くしたものの、すぐに我に返ってそれを拾い上げた。
「馬場君! 護符落としてるよ!」
「――んなっ!」
だが、三子が急に手を離したことによって、迷惑を被るのは健介だ。慌てて三子が手放した板をも押さえつけるが、両手一杯広げてようやく押さえられるほどの距離なので、健介のひ弱な腕はプルプルと震えた。
「――矢代っ! お前なあ、急に手を離す奴があるか!」
「だ、だって護符……」
三子は申し訳ない思いに捕らわれるが、しかし、この状況において、護符以上に大切なものはないのだ。
「は……あ? 俺のはここにし!」
だが、健介の反応は思ったよりも色よくなかった。怪訝そうな顔で見られる。
「失礼だな! あれから俺だって色々工夫してるんだ。もう落とさないようにはしてるよ」
両手で木の板を支えたまま、健介は自慢げに腰を突き出した。見ると、確かに護符を入れた手製のお守りが、ベルトにくくりつけられていた。――腰パンをしているせいで、チラッとパンツが見えたことは、三子は黙っていることにした。
「じゃあこの護符って誰の?」
「誰のでもないんじゃ? 旧校舎に貼り付けてあった奴とか」
「貼り付けてあった……って。じゃあそれが剥がれてるってまずいんじゃないの?」
「…………」
思わず黙する二人の元に、誰かが走ってくる音が響いた。二人が振り返れば、なんて素晴らしいタイミングか、まさしく修平が走ってくるところだった。
「に、仁科く――」
「そこから離れろ、鈍感二人!」
「どっ……鈍感……!?」
あんまりな言いように三子は目を剥いたが、修平があんまり真剣な様子なので、それ以上文句を言うことはできなかった。
台風はうなるように轟音を轟かせているし、古い旧校舎は今にも壊れそうだし、修平は険しい表情をしているし。
鈍感二人――三子と健介は、そのときになってようやく、何かまずいことが起こっているらしいと気づき始めた。