42:一体何者なんだ


『このままじゃいけないだろ!』

 突然の発声に、三子とニハはもちろん目を白黒させた。
 穏やかな午後の陽光が降り注ぐ三子の自室にて、どうして先の台詞が放たれたのかは分からない。
 とりあえず三子は、ニハと一緒になって覗き込んでいた漫画を閉じた。

「このままじゃいけないって、どういうこと?」
『ついこの前、さんこ、危ない目に遭ったばかりだよな? もしかしたらこの先もこんなことがあるかもしれない。だとしたら、今のままじゃ駄目だろ?』
『この前のは誰かさんのせいで酷い目に遭っただけだけどねー』
『茶化すな』

 いつになく真剣な目でニハを黙らせるイチ。ニハに感化され、思わず噴き出しそうになった三子は、すんでの所で堪えた。

『今だって、上級霊は今か今かと俺たちの隙を窺ってる。早い内にどうにかしないと、寝首をかかれるぞ。かといって、俺はこの前、あいつらを説得してみたけど、聞く耳持たない奴らばかりだ。あいつらに話し合いは無用だ』

 一気に言ってのけると、イチは改めて息を吸った。

『俺たちが、強くなるしかないんだ』

 水を打ったように静かになった。三子は手持ち無沙汰に両手を組み合わせた。

「でも、どうやって強くなるの?」
『修行だ。俺たちが、さんこの中に入る修行』
「そんなことで大丈夫なの? 私は何もしなくていいの?」
『危ないから、さんこは離れてることを推奨する』
「うん」

 イチは、宙に浮かびながら、器用に三子の前に座って見せた。

『俺たち幽霊は、霊力を使うとその分生命力も失うって前に言ったよな?』

 懇切丁寧に説明され、三子は頷いた。

『でも、人間の姿になると別なんだ。人間は、生命力とは別に体力があるだろ? 霊力を使いすぎても疲れるだけで、別に死にやしない。それに、なんて言うのかな……思った以上に、幽霊の時よりも霊力が扱いやすいんだ。だから、俺たちは人間の姿の方が使いやすい。もしさんこを狙って敵が現れたら、俺たちのうちどちらかが、お前の中に入る。それでいいか?』
「うん」

 長い説明に、躊躇いもなく頷く三子。イチは呆れたような顔になった。

『少しは抵抗しろよな……。気持ち悪くないのか?』
「なんで?」
『なんでって……。もういいよ』

 イチは投げやりになって答えた。この鈍感に、何を言っても無駄だと思ったのだ。

『ようし、話が決まったのなら、行きましょう』

 側で見守っていたニハは、ポンと両手を叩いた。

「どこに?」
『決まってるでしょ?』

 ニハは何を今更、とでも言いたげな表情を見せた。

『仁科の家よ、仁科の!』


*****


「一体俺に何の用だよ……。俺だって暇じゃないんだ」

 穏やかな午後、突然家に押しかけてきた三子、ニハ、イチの一向に、修平はうんざりしたような顔になった。つい申し訳ない顔になる三子を押しのけて、ニハが立ちはだかる。

『寝癖がついてるわよ。お昼寝してたのバレバレ』
「う、うるさいっ! これは朝の奴だ!」

 朝のだったら構わないのか、よく分からない言い訳をする修平に、イチはあくまで低姿勢になった。

『なあ、頼むよ。俺たちだってこんなことやるの初めてで不安なんだよ。何か失敗があっても困るだろ?』
『前はあたしがあんたの浄霊に付き合ってあげたんだから、今回はあたし達に協力しなさいよ』
「う……」

 飴と鞭。
 雁字搦めになった修平の目に、とどめとばかり、申し訳なさそうな三子の姿が映る。

「あー、もう分かったよ。手伝えば良いんだろ?」
『さっすが仁科!』

 嬉しそうに騒ぎ出す幽霊を余所に、修平は一旦着替えるために家に引っ込んだ。――やはり、あの甚平は寝間着だったらしい。
 次に現れたとき、修平は、もう今は見慣れた和服姿に、リュックを背負った形で現れた。修行と名のつくものには気を緩めないらしく、いつも万全の準備で臨むようだ。

「修行となると、広い場所が必要だな。一つ心当たりがある」

 修平を先頭に、三子達はぞろぞろとついていった。階段を降り、三子の家とは反対側へ歩いて行く。

『どこへ向かってるんだ?』
「途中で工事が頓挫した場所があるんだ。薄気味悪いし、あんまり人も通らないから最適だろう」
『へえ。仁科はいつもそこで修行してるの?』
「時と場合による。昔はよくここで手加減無しに霊力を放つ練習もしたが、今はもうテクニックの方が重視されるレベルにまで達したからな」
「へー」

 そうこうしているうちに、一行は工場跡地に到着した。自然豊かな日南市では珍しいほどの更地だ。ぽっかりと空いた土地の周囲には余すことなく背の高い木々が多い茂っていて、確かに少しばかり気味が悪くも感じられる。

「そういえば、修行って何するつもりなんだ?」

 今更ながら、修平は不思議そうに尋ねた。ニハは偉そうに腕を組む。

『そりゃ、あたしたちがさんこに入る練習に決まってるでしょ? あたしたち、この姿のままじゃ思うように力を出せないから』
「まあ、確かにそれしかないかもな。どうしてか、矢代は霊達に――」

 そこまで言って、ハッとしたように修平は口をつぐんだ。

「そういえば、この前のあいつ、矢代のことうつわって言ってたけど、あれはなんなんだ?」
『知らないの?』

 さも意外そうにニハは聞き返した。なんとなく気まずい思いで修平は頷いた。

『祓い屋でしょ? 家の人から教えてもらってないの?』
「いや……全然」

 仕方ないわねえと、ニハは木陰に移動した。修行は一時中断らしい。
 やたらと風格のあるニハの前に、三子と修平は体育座りをした。

『器って言うのは……なんて言うのかな、霊達の格好の的っていうか……。上級霊を除いて、普通、人間は幽霊に憑かれても、多少の制御はできるでしょ? 低級霊の場合は、普通に日常生活を送ることができる。低級霊は、霊障とか、身体に不調を起こしたりっていう程度だから、下手したら本人も自覚無しの場合がある。でも上級霊の場合は、自分の意志に関係なく、霊に操られてしまう。馬場がその典型例ね。彼の場合は、特に霊に対して抵抗力がないから、低級霊、上級霊関係なく操られてるけど』
「うん」
『で、本題の器についてだけど。器っていうのは、馬場以上に厄介な体質ね。普通、人間が霊に憑かれたときは、魂は自分の身体に留まったままなの。あくまでその身体はその人自身のものだし、いつかは霊も居心地が悪くなって身体から出ていく。でも、器の場合は全くもって違う。霊に身体に入ってこられたら、元の魂――さんこの魂は、外に出て行かなくちゃならない。そうしたら、さんこの身体は、完全に霊に乗っ取られてしまう形になるのよ』
「そ、そんな最悪な体質だったんだ、私……」

 懇切丁寧に説明されても、いまいち自覚はない三子だったが、それでもじわじわと恐怖心がこみ上げてきた。

「じゃあ、一度乗っ取られたら、私はもう駄目なの?」
『腕ずくでも、その霊から身体を取り戻せたらいいんだけど』
「でも、今までは大丈夫だったよね? お母さんと二人で暮らしてたときも、私、霊なんて一度も見たことなかったし、たぶん襲われたことも……」
『あたしもその仕組みはよく分からないから、予想でしかないんだけど』

 予想、と口にする割には、ニハの口調は至ってしっかりしていた。前々から考えていたことなのだろう。

『お婆ちゃんが、あんたのその体質もろもろを封じてた可能性があるわね。ほら、神社の裏手のあの石。あれに触れてから、あたし達のことが見えるようになったでしょ?』
「じゃあ、もう一度それを封じることは――」
『たぶん無理ね』

 修平も口を挟んだが、ニハはすぐに否定した。

『さんこが触っただけで、封印が解けたの。きっと、もう限界だったんじゃないかしら。だから、お婆ちゃんも今はさんこにお守りを持たせるだけで様子を見てるんだと思うし』
「そっか……」

 やはりそうなると、器である三子を狙ってやってくる霊達を撃退するため、三子自身が、強くならなければならないらしい。霊力のない三子は、もはや足手まといでしかないのだが。
 無意識の内に三子が不安げにニハ達を見つめると、彼女たちは、待ってましたとばかりどんと胸を叩いた。

『そのために、俺たちがいるんだろ?』
『こう見えてあたし達は守護霊だしねー』

 いつもと変わらない二人の姿。
 三子も、次第に笑顔を取り戻した。
 悩んでいたってしようがない。なんとかなる!
『よし、じゃあ早速修行を始めましょう! まずはあたしがさんこの中に入るわ』
「うん!」
『あたしがさんこの中に入るときは、さんこはイチの側から離れるんじゃないわよ。魂の方を霊に攻撃されるってこともあるんだから』
「う、うん」

 三子とニハの身体が重なり、二人は交代した。ふわふわと漂う幽体となった三子は、先の助言の通り、イチの近くに移動した。
 『三子』となったニハは、どこか楽しそうに口角を上げ、更地の中央に立った。そして右手を振りかざす。

「ようし、いくわよー!」
「いくわよって、なにを――」

 修平の言葉は、最後まで続かなかった。辺りを巻き込む爆風が吹き荒れ、風が、砂埃が、砂煙が、彼を襲った。

「…………」

 ドカン、ドッカーンと、目の前で可哀想なほど地面がデコボコになっていく。修平はジト目で観察するばかりだ。

『あいつのあだ名、教えてやろうか』

 不意に三子と修平の間にイチがやってきた。二人の耳元に、小さく囁く。

『爆弾女』
「…………」
『まるで爆弾を投げるみたいに戦う姿からも、何に怒り出すかも分からないことからも、そう呼ばれるようになったんだ』
「…………」
『ピッタリだろ?』

 ニシシと笑った後、イチは嬉しそうにニハの側まで飛んでいった。

『おい、ニハ。その辺にしとけよ。次は俺の番だ』
「ええ、もう? あたしまだ全然調子戻ってないんだけど……」
「あれでか?」

 末恐ろしい、と修平は思わず口の中で呟いた。
 ニハとイチも、『三子』の身体を通して交代する。
 ニハは三子の側にやってきて、イチはというと、先のニハ同様、右手をかざす。まるで拳銃のように右手を形取った。

「よし、いくぜー!」
「いくぜって――」

 修平の言葉は、またしても最後まで続かなかった。突然パンパンと乾いた音が鳴り響き、思わず耳を押さえる。ニハとは比べものにならないほどの速度で、霊力の弾丸は宙を駆け、天へと放たれていく。

『あいつのあだ名、教えてあげましょうか』

 不意に三子と修平の間にニハがやってきた。二人の耳元に、小さく囁く。

『イカレ男』
「…………」
『運転すると性格が変わる人みたいに、楽しそうに霊力ぶっ放す姿から、そう呼ばれるようになったのよ』
「…………」
『ピッタリでしょ?』

 ふふふと笑った後、ニハは嬉しそうにイチの側まで飛んでいった。

『ねえ、イチ。その辺にしときなさいよ。次はあたしよ』
「ええ、もう? 俺まだ全然調子戻ってないんだけど……」
「こいつら……一体何者なんだ」

 顔を引きつらせながら修平はポツリと呟く。

「案外あいつら、この状況楽しんでるんじゃないか?」

 俺が俺が、あたしがあたしがと、当の本人そっちのけで三子の身体を奪い合う様からは、確かにそうとしか考えられない。
 三子も苦笑を浮かべるしかない。

「まあ……楽しいならいいんじゃない?」
「それでいいのか!? あのままお前の身体乗っ取られるぞ! ――おい! お前ら、その身体誰のものか分かってるんだろうな!? 傷つけるんじゃないぞ!」

 ドン、ドンとすさまじい音が鳴り響く中、修平は大声で叫んだ。砂煙の中からは、同じようにニハ達が叫び返す。

「そんなヘマするわけないでしょー」
『俺たちに任せろって!』

 それは、なんとも呑気な声色で。

「本当、大丈夫かこいつら……」

 監督官であるはずの修平は、もう何も言い返せないまま、静かに頭を抱えた。