04:誘拐には気をつけろ
新しい友達というか、守護霊というか……とにかくそんな感じの存在ができてから、三子の生活は一変した。と言っても、傍目からはほとんど何も変わらないのだが。
都会にいた頃のように家からはほとんど出ずゴロゴロ過ごし、偶に母や祖母の手伝いをして。
三子の初登校は、数日後だった。実質は隣の市に引っ越しただけなのだが、山を越えたこの日南市は、西尾市に比べてひどく田舎で、なかなかの大々的な引っ越しとなった。それでも、もともと余裕を持って計画していたので、思ったよりも早めに段ボール等の荷解きが済んでしまい、三子は暇を持て余すことになった。
――のだが、何しろ今はニハとイチがいた。彼ら――幽霊の癖して、うるさくて仕様がなかった。三子が漫画を読もうと取り出してみれば、それは面白くない、早くページめくって、取り替えて、などなど、注文が多すぎる。幽霊も暇なのか、しょっちゅう三子に話しかけてくるし、かと言って母や祖母の前では会話をすることはできないので、無視するしかない。そうして自室へ帰ってみれば、さんこが無視したーと不貞腐れるのだ。極めつけはトイレだ。三子がトイレをしようとするならば、扉の前までやってきて、さんこがうんこしてるーなどと叫ぶ始末。三子はいい加減堪忍袋の緒が切れそうだった。
『なーなー、さんこは外出しないのかよ。俺、ずっと家に引きこもりっぱなしでいい加減疲れたんだけど』
幽霊なんだから、どうぞご勝手に家を出て行ってください。
三子はそんな風に思ったが、言葉を返すことはなかった。
『さんこー、そんなんじゃこの先やっていけないわよ? 外で遊ぶよりも家にいる方が好きだなんて、とんだニート予備軍だわ』
にーとが何なのかは分からなかったが、とにかく失礼なことを言ているのだろうことは、容易に想像がついた。
『あっ、さんこー、どこ行くの?』
「トイレ」
『おっ、本日二回目のうんこですか? 精が出ますねえ』
「…………」
『あーあ、いい加減あの子、自室とトイレの往復止めてくれないかしら。こっちとしては、退屈で仕方がないんだけど』
「…………」
そんな彼らの会話を尻目に、三子はそっと襖を閉めた。そのまま廊下を突き進む。
「どこへ行くんですか?」
「……ちょっと気分転換に外に」
「あまり遅くならないように。道が分からなかったら、人に聞けば教えてくれますよ」
「うん、分かった。行ってきます。夕食までには帰ってくるから」
「気を付けて」
玄関まで見送りに来てくれた祖母に手を振り、三子は外へ出た。
久しぶりの外は、清々しくて、とても心地が良かった。いくら三子がインドア派だといっても、外を歩くのが嫌いなわけではない。単に、面倒なだけだ。
長い長い階段を降り切り、三子は再び深呼吸した。そしてクルッと今下りたばかりの階段を見上げる。赤い鳥居の先くらいは見えるが、祖母の家――平屋は、全くもって見えなかった。
「よ……」
思わず声が漏れる。
「ようやく一人になれた……!」
三子にとっては、この一言に尽きた。
ニハとイチは幽霊なので、傍目から見れば何を言ってるんだと白けた目で言われること確実であるが、
だが、幽霊だからこそ、あの二人はきっとどこまでもついてくる。三子は一人そう確信していた。自分の小学校時代のことを、あれほどまでに語っていたのだから、毎日学校までついて来ていたに決まっている。……とんだ暇人――じゃなかった、暇幽霊である。
三子は些か浮かれた気分で散歩を始めた。ここへ来てからというもの、三子は全く辺りを散策したことがなかった。どの道がどこへ繋がっているのか、どこにどんな店があるのかもさっぱりである。学校へは、一度母と共に行っているので、多少の覚えはあるが……それ以外になると、とんと自信が無くなる三子だった。
とりあえず、三子は神社へと続く階段の目の前の道を、ただひたすらにまっすぐ進むことにした。この歳になって、迷子になるというのは頂けない。祖母に迎えに来てもらうのも忍びないので、帰り道に迷わないための手段だった。
しかし、三子は田舎を少し甘く見ていた。
……こんなにも、何もない所だったとは。
いや、あるにはある。都会にいては味わえないほど清々しい空気に、緑あふれる自然の数々、今年も実りが多いのだろう畑たち。
だが、それ以外には何もなかった。家もポツリポツリと建っており、隣家との距離は大分離れている。コンビニもなければ、自動販売機もなかなか見つからない。三子は次第に退屈し始めた。
……もう、帰ってしまおうか。
しかし、すぐに三子はぶんぶん頭を振る。それだけは駄目だと思った。折角の一人の時間である。どうせ今帰っても、ぐうたらな幽霊二人の相手をするだけだ。ならば、せめて日が暮れるまで、外を満喫しようと思った。
幸い、三子は自然が大好きだ。運動はできないくせに、ちょっとした山を登るのは好きだったりする。登る、といっても、所詮はお遊び程度だが。少し汗ばむ程度まで登って、そこでのちょっとした見晴らしを見ることができれば、三子にとってはそれで十分だった。
いつか……学校に慣れたら、どこかの山に登ってみようと、三子はキョロキョロと検分し始めた。
しかしそんな時、三子の目にある物が止まった。赤いものだ。
三子は惹かれるようにしてそこへ向かう。階段の手前まで来た時、三子はようやくそれに思い当たった。
「あ……あれ、鳥居か」
長い長い階段の先には、鳥居がちょこんと顔を出していた。まるで、自分の家に戻ったような感覚だった。
「こんな近くに神社があったんだ……」
階段の長さを見る限り、祖母の神社とどっこいどっこいである。三子は好奇心に駆られ、階段を上り始めた。どちらの神社が大きいのか、そんな純粋な疑問だった。
しかし、すぐに三子は先ほどの好奇心を後悔する羽目となった。祖母の神社同様、階段が長すぎるのである。
途中途中に休憩を入れてようやく、三子は階段を上りきることができた。そこからの眺めもさぞ綺麗なのだろうが、疲れ切った三子はしばらく目も向けなかった。階段に座り込み、やっと呼吸が落ち着く頃に、三子は目の前の景色をボーッと眺めていた。三子の丁度目の前に、夕日が差し込んでいた。眩しさに半目になりながらも、三子は目を逸らさない。久しぶりに、太陽を眩しく感じた。
しかしその時、不意に後ろから足音がした。三子は一瞬で正気に戻り、パッとそちらを見やる。
足音の主は、袴姿の少年だった。昨今袴を着ている人間など、三子は早々見たことがなかった。それこそ、同年代の少年なんて。
「お前……」
彼が口を開いた。
「お前、憑かれてるな?」
真剣な表情で何を聞くのかと思えば……と、三子は思わず拍子抜けした。しかし彼女は元来素直なので、おずおずと頷いた。
「……まあ、確かに少し疲れてますけど……」
「少しなんて程度じゃないぞ、これは!」
少年は鼻息荒く、三子の身体を揺すった。三子としては、何が何だかよく分からない。
まあ、確かに虚勢を張って、少しなんて答えたけど……。本当は、長い階段を上ったせいで、結構疲れてるけど……。
「このままだとお前……連れて行かれるぞ」
「……え?」
三子はゆっくり瞬きをした。誰に?
「こっちに来い!」
少年はなおも真剣な表情で三子の腕を引っ張る。三子の頬は引き攣った。
「ゆっ……誘拐……!?」
「はあ? 誘拐?」
何言ってんだ、というような表情になる少年。
「そんな生ぬるいもんじゃない。死ぬってことだ」
「殺されるってこと……!?」
「ああ、お前の近くをうろちょろしているみたいだ」
「ひっ!?」
三子は思わず飛びのき、辺りをキョロキョロ見渡した。一見、何者の気配もない。だが、言われてみれば、向こうの木々の隙間から、何かが覗いているような気も――しなくはない。
「今はいないから安心しろ。でもまたいつやってくるかも分からない。早めの対処が必要だな」
「対処?」
「ああ、安心してくれ。俺が祓ってやるから」
少年は優しく三子を見つめ、ポンポンと肩を叩いた。
「あ、ありがとう……?」
埃でもついていたのか、と三子はぼんやり思った。
「とにかくこっちに来てくれ。ここだと人目がある」
「は……はい」
手を引かれながら、三子は少年の後をついて行った。
しかし次第に、三子の胸に漠然とした不安が浮かんでいく。
そもそも、誰に殺されるというのか。そしてなぜそれをこの子が知っているというのか。
いくら何でも、三子も馬鹿ではない。さすがに何かおかしいということは気づき始めていた。
「お……お母さんに、一言言ってからでもいい?」
おずおすと三子は少年を見上げた。
「お母さんを心配させるかもしれないし……」
何より、帰りが遅かったらそれだけで心配させるだろう。母にも祖母にも、余計な心配はかけたくない。
「そうか……そうだな。未成年だし、保護者に一言言ってからじゃないと」
少年はしばらく思案していたようだったが、唐突に思いついたように三子の顔を見つめた。
にっこり微笑む少年の顔が、三子は何故だか急に恐ろしく感じられた。彼女の直感を裏付けるかのように、背後の木々がザワザワと音をたてる。太陽が雲に隠れたのか、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
以前から……先生からも母からも、口を酸っぱくして言われていたことだった。唐突に三子は思い出した。
誘拐には気を付けろ、との文言を。
「今、時間あるか?」
その一。誘拐犯は、子供の警戒心を解くため、柔和な笑みを浮かべる。
「一旦家の中へ入るか。お菓子もあるから、気を楽にしてくれ」
その二。誘拐犯は、子供をお菓子で釣る。
「親御さんを電話で呼ぼう。少し話もあるからな」
その三。誘拐犯は、両親と電話で話を付ける。
「安心しろ。お金は取らないから」
その四。誘拐犯は、お金が目的である――。
「いやああああっ!」
三子は少年の手を振り切って、勢いよく駆けだした。こけそうになるのを踏ん張って、階段を駆け下りる。
怖い怖い怖い!
都会の方が変な人が出るってよく聞くけど、田舎も怖かった!
三子は泣きそうになりながら、闇雲に走っていた。といっても、道に迷わないよう、家からは一直線で歩いて来たので、元の道を戻るだけなのだが。
ようやく長い階段を降り終えた時、三子は安堵と同時に恐怖も感じた。もしも、あの子が追いかけてきていたら?
だが、恐る恐る振り返ってみれば、人っ子一人いない階段だけが見えた。どうやら追いかけてまでは来ないようだと、三子は思わず胸を撫で下ろした。
だが、油断は禁物。極力三子は足早に帰り道を歩いた。
かけっこでは三位、マラソン大会では後ろから三番目の三子ではあるが、今回ばかりは火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、運動選手も顔負けな体力を見せていた。いつもならとっくの昔に息切れしても良さそうな頃合いであるが……。
いつ後ろからあの少年が追いかけてくるか、三子は気が気ではなくて、いつも背後を気にしていた。だからこそ、前からやってくるものにはすっかり無防備だった。
『さんこ!』
「ひゃっ!」
目の前に突然白いものが映り、三子は情けない声を上げた。
『ったく、どこ行ってたのよー。心配したんだから』
『俺たちに心配かけんなよ。出かけるなら声くらいかけろよな』
ニハとイチが、腰に手を当てて三子は見下ろしていた。三子はしばし、きょとんとした顔で彼らを見つめた。
『……何よ』
「どうしてここが分かったの?」
『分かるわよ。あたし達、縁ってもので繋がってるもの』
「縁って?」
三子は純粋に聞き返した。言葉自体は聞いたことはあったが、なんとなく、三子が浮かべている意味とは別のものに聞こえたのだ。
『要するに、あんたがあたし達の未練ってこと。この未練が、あたし達を現世に留めておいてくれるのよ』
「私が未練……? なんで?」
『なんでだろうなー。小さい頃からさんこのこと見てたから、さんこがしっかり成長してくれるまで、気になるんだろうな』
「……そうなんだ」
なんとなく、三子は胸がぼかぼか温かくなったのを感じた。誰かが私のことを気にしてくれている。そう思うだけで、なんだか胸がざわつくのだ。
ついさっきまで怖い思いをしたというのに、三子はそんなことすっかり忘れていた。
『なにニヤニヤしてんのよ』
『ご機嫌だなー』
「別にー」
夕焼けの中を、少女が一人ニコニコ笑いながら帰っている。
端から見ればそうかもしれないが、三子にとっては三人だ。幽霊だなんていうのは関係ない。二人も、自分の側にいてくれているのだ。