03:何でも知ってる
「三子……一体どこに行ってたの?」
三子が家に帰って来たのは、もう辺りが大分暗くなった頃だった。心配そうに眉を下げる母と祖母に出迎えられる。
「お、母さん……」
三子は目を丸くした。怒られるよりも、気になることがあった。
「もう大丈夫なの?」
「ちょっと疲れがたまってただけよ。大したことないわ」
三子の疑問を、理恵子はすげなく切り捨てた。
「出かけるなら、お母さんに一言言ってからにしてね」
「うん……ごめんなさい」
三子はしょんぼりして謝った。が、なかなか母の心配そうな態度は変わらない。傍で見ていた祖母が二人の間に割って入った。
「取りあえず夕飯にしましょう。三子さん、手を洗っておいでなさい」
「はい」
三子はその後、まだ何か言い足りなさそうな理恵子と、そんな彼女を持て余したような智恵と共に夕食をとった。三子は食事中何度も謝ってようやく母に許してもらった。祖母はそんな二人に終始ハラハラしたような顔をしていた。
緊張ばかりの居間から、三子はようやく自分の部屋へ帰還した。が、安心するのはまだ早かった。
『やっと一人になったわね』
『さんことはいろいろ話したいことがあってさー』
「…………」
この自称幽霊たちが、三子の部屋に居座っていたのだ。
「話?」
三子は訝しげに聞き返す。が、すぐにハッとした。
「それよりも、本当にあなたたちは幽霊なの……?」
『まっ、そういうことね』
『俺たち、もう随分前に死んでるみたいだし』
「……ゆう、れい……」
自慢ではないが、三子は今まで、名前が少し変わっているということ以外、至って普通の少女である。にもかかわらず、幽霊が見えるとはどういうことなのか。思い浮かぶのは、神社の裏手にあった石。その石に触れた瞬間、自分は幽霊が見えるようになってしまった、とでもいうのだろうか。
「でも、どうして急に見えるように……」
『深く考えても分からないものは分からないって。まずは軽く自己紹介でもするか? さんこ、俺たちのこと分からないみたいだし』
『そうね。あたしたちはそうでなくても、さんこにしてみたら、初めてみたいなものでしょう』
二人の声に、三子は恐る恐る頷いた。もうどうにでもなれ、という気持ちだった。
『あたしはニハ』
『で、俺が――』
『こいつはイチ。あたしの子分。よろしくね』
『おいっ、誰が子分だっ!』
『あら、あたしに口答えするつもり?』
『うぐっ……』
イチは口をパクパクと開け閉めするものの、結局ニハに言い返すには至らなかった。どうやら、力関係で言えば、ニハの方が一枚上手のようだ。幽霊同士でも互いには干渉できないのか、イチがニハに殴りかかろうとしても、その拳はするりと通り抜けるばかり。
『あんたもまだまだねえ。あたしたちが幽霊になってから何年経ったと思ってんのよ。いい加減幽霊であることを自覚なさいよ』
『自覚してるし! それでもお前を一回殴りたいことには変わりないんだからな!』
『あーはいはい。いつか殴れるといいわねえ。そう願うわ』
適当な様子でイチをあしらうと、ニハの視線は、次に三子を向いた。声なき圧力を感じた三子は、渋々口を開く。
「……私は矢代三子です。中学一年生で……よろしく」
『陰気くさい挨拶ねえ。もっとパッと華やかな感じにできないのかしら』
『ほんとほんと。そんなんじゃ友達できねえぞ』
「…………」
三子はむっすーと不貞腐れる。誰が、初めて会った幽霊二人にここまで貶されなければならないのか。
三子だって、自分の性格は熟知している。少しくらい改善したいとも思ってもいる。でもそれはあくまで三子自身の問題であって、少なくとも幽霊であるこの二人には関係のないことだ。
しかし、彼らからして見れば、そうはいかないようだった。
『さんこ。あんたお母さんやお婆ちゃんの前ではもっと明るいじゃない。どうして他の人の前ではそう暗いのよ』
さっき自己紹介したばかり……。三子って言ったよね?
そうは思うものの、言い返せたら苦労はしない三子である。
『あんた、学校で苛められてることとか、全然お母さんに相談しないものね。どうして?』
「べっ、別に苛められてたわけじゃ――」
『あれは世間でいういじめ。物隠されたり、無視されたり、悪口言われたり。やられた側が悲しいって思ったら、それはもういじめなの』
『俺らの前まで意地張んなよ』
「…………」
三子は言葉を無くして黙り込む。
これは、あくまで三子自身の問題だ。それは変わらない。でも、どうしてこの二人はここまで真剣になってくれるのだろう。
その答えが分からず、三子が黙ったままでいると、ニハが小さく息を吐き出した。
『そう、イチの言う通り。あたしたちにまで虚勢張んなくていい。あたしたち、こう見えてもう随分長い間あんたの傍にいたんだからね? 下手したらあんた以上にあんたのこと分かってる』
『ずーっとさんこのこと見てたもんな? 俺ら』
「ずっと……?」
三子は目を瞬かせて二人を見た。
『ああ。なんでか分からないけど、俺たちはお前から離れることができないんだよ。だからお前のことなら何でも知ってるぜ、なあ?』
悪戯っぽくイチはニハを見る。彼女は口角をあげた。
『そうよー。先生から当てられてさんこが答えられなかったことも、転んでべそかいたことも、犬に追いかけられて泣いたこともね』
嫌なことしか覚えてないじゃない、と三子は思うものの、ニハたちの言葉は、彼女の興味を引くには十分だった。
「授業参観の時も? 皆勤賞で表彰された時も?」
『もっちろん! お母さんの代わりにあたしたちが見ていてあげてたわよ』
「……!」
三子は頬を染め、顔を俯けた。ニハとイチは、それを優しい目で見つめる。
『そういえば、読書感想文で表彰されたこともあったな』
『さんこ、勉強はまだマシな方だものね。運動の方はからっきしだけど』
『運動会の前だってちゃんとかけっこの練習してるのに、どうしてそれが身にならないんだろうな』
『日頃からやっておかないからよ。本番の前の日にちょっちょっとやったくらいじゃあ、何とかなるほどの運動神経じゃないでしょ、さんこは』
「う……」
至極もっともなニハの言葉に、三子は黙り込んだ。三子は、理由はさっぱり分からないまでも、心が温かくなる彼女たちの言葉の数々に、ムズムズするのを止められなかった。
『さんこ』
そんな彼女を、突然表情を引き締めたニハが見据えた。
『どうしてあたしたちのこと、お母さんやお婆ちゃんに言わなかったの? 夕食の時にいくらでも話せたじゃない。どうして?』
「……忘れてた、だけ」
『嘘つくなよ。どうせまた心配かけたくないーとか思っただけだろ』
「…………」
いつの間にか、三子は部屋の中心で正座をしていた。その前には、ニハとイチが仁王立ちしている。
「だって……迷惑、かけたくないし……」
『考えてることも暗いのねえ』
ニハははあーっと長いため息をついた。その音に、三子はビクリとする。
『家族なんだから、迷惑かけて当たり前じゃない。ほら、昔からよく言うじゃない。手のかかる子ほど可愛いって』
『まさにお前のことだな』
『あら、あたしのことが可愛いって? イチもなかなか言うようになったじゃない』
『お前は本っ当に嫌味が通じないよな……』
『あら、嫌味の嫌味も通じないなんて、イチはまだまだね』
『…………』
イチは再び拳を振るった。だが、ニハは交わしもしなかった。当然だ、彼の拳はするりと通り抜けるのだから。なおも悔しそうなイチは置いておいて、ニハは三子に向き直る。
『話を元に戻すわ。お母さん、今寝込んでるでしょう? それを、お婆ちゃんがお世話してる。あんたから見てお婆ちゃん、どうよ? 迷惑そうに見える?』
「…………」
三子は黙って首を振った。
『でしょう。あのお婆ちゃんは、少し冷たそうに見えることあるけど、別にお母さんに対して怒ってるようには見えないわ。ちょっと不器用なだけど、お母さんに対する心配は本物よ。それが家族ってもんでしょう?』
『自分の知らない所で、家族が一人悩みを抱えてる。そんな状況の方が、いざそのことを知った時、俺は悲しいと思うけどな』
ニハはしゃがみこんで、三子と視線を合わせた。いつの間にか、三子の視線が下がっていたからだ。イチも膝をおると、その膝の上に頬杖をつく。
「……ありがとう」
そんな彼らに、三子はポツリと言呟いた。驚いたような二つの視線が彼女に向けられる。
「……ありがとう、ニハ、イチ」
再び――今度はしっかりと、三子は感謝の意を口にする。それとともに、初めて口にする二人の名が、思いのほか言葉に馴染み、三子は少々不思議な心地だった。しかしそんな彼女の気も知らず、ニハとイチは、思いっきり顔を顰めた。
『気持ち悪い』
「え」
『何その呼び方。気持ち悪い』
「ええっ」
勇気を出して名前を呼んだら、気持ち悪いと言われた。
三子はなかなかにショックだった。そんな彼女に、更なる追い打ちが。
『あたしのことはにーにって呼んで』
『俺はいっちゃんで』
「…………」
三子は思わず閉口した。
にーに……? いっちゃん……?
「……いや、です」
気が付けば、三子は拒否の意を示していた。咄嗟の行動だったが、ようやく気持ちが追い付いたころには、烈火のごとくニハが怒りだした。
『はあ!? あたしの言うことに逆らうつもり!?』
「いっ、嫌です!」
『何で……何でよおっ!』
まるで駄々っ子のようにじたばたとニハが暴れまくる。だが、三子とて引くことはできない。
「私……そんな風に呼びたくないっ! にーにって……やだっ、私そんなに子供っぽくない!」
『子供よ子供! あたしから見たらあんたはまだまだ子供!』
「私とそんなに歳変わらないくせに!」
『見た目だけで判断するんじゃないわよ! あんたの一回りは年上なんだから、あたしのことは敬いなさい!』
「とにかく嫌なものは嫌なの! いいじゃん、ニハとイチで!」
『…………』
唐突に静かになった。三子は恐る恐る横目でニハを窺う。こんなものはまだ序の口で、イチの時のように、散々貶されるのだろうと三子は決意を固める。が、目が合ったのは、濡れた二つの瞳。
『う……うえーん。さんこがグレたー。反抗期になったー!』
想定外な反応に三子はうっと喉を詰まらせた。呆気にとられるあまり、思うような反論が出てこない。
「なっ……何泣いてるの! 反抗期って、そんな――」
『ニハを泣かせるんじゃねえよ』
「ええっ、私のせい!?」
三子は思わず目を剥いた。呼び方を拒否しただけで、どうしてここまで責められなくてはならないのか。
……そもそも、向こうも向こうだ。私の名前は相変わらずさんこ呼びな癖に!
「とにかく! 私はそんな呼び方はしないから!」
『ひっどーい、さんこ!』
「言語道断!」
三子はぴしゃりと叫ぶと、どんどん足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
さっきから何を一人で騒いでいたの……? と、夕食の際、母と祖母に不思議そうに聞かれたのは言うまでもない。