36:手遅れかもしれない


 三子、修平、健介が視聴覚室に閉じ込められた一件は、それほど大事にはならなかった。もともと黒井が大らかな性格もあって、三子たちがそれほど咎められることはなかったのだ。おまけに美樹も合わせた四人で頭を下げたら、それぞれの両親に連絡がいきわたることもなく、三子としては万々歳だった。多少家に帰宅するのは遅れたものの、適当に部活で遅くなったと言い繕えば、それほど追及されることもなかった。
 健介は以前にもまして、智恵手製のお守りを気を付けて持ち歩くようになったし、なんやかんやで、健介と美樹も仲直りをしたようだ。そのことを思うと、もしかしたらあの騒動も起こって良かったのかもしれないと三子は満足していた。
 そんなわけで、しばらくは穏やかな日常が過ぎていったのだが、心中穏やかではなかった者が一名いた。彼は、表面上はいつものように過ごしながらも、それでも時折浮かない顔をする。彼と縁で繋がっている三子がいなくなったときなどは、最も顕著だった。

「三子―。家具を移動させたいんだけど、ちょっと手伝ってくれない?」
「あ、うん!」

 理恵子からの声かけに、三子は椅子から立ち上がって部屋を出て行った。机には、やりかけの宿題だけが残される。

『なあ、ニハ』
『なーにー』

 勉強を教える相手がいなくなって、手持ち無沙汰になったニハは間延びした口調で応える。

『俺たち、何のために存在してるんだろうな』
『……どういうことよ』

 思ったよりも真面目なイチの様子に、ニハは真剣な顔で振り返った。イチは下を向いており、その表情は、垂れた前髪でよく見えない。

『そりゃ……さんこを守るために決まってるでしょ? 守護霊としてさんこを守るのよ』
『本当にそう思うか? 実際、俺たちは全然さんこを守れてないじゃないか。さんこが危険な目に遭っても、俺たちにはどうすることもできない』
『そ……れは』

 応えづらい問いに、ニハはギュッと拳を握り込む。

『でも、霊を説得したり、霊力で追い払ったり、あたしたちにだってやれることはいっぱいあるわ!』
『それは低級霊だからだろ。上級霊が来たら俺たちなんかじゃ太刀打ちできない。それに、この前なんか、修平の結界を前にして、俺たちはなすすべもなかったじゃないか!』
『あれは……仕方がなかったじゃない。馬場もいたんだし、危険にさらすわけには……。それに、上級霊なんて、そうそう現れな――』
『じゃあなんで』

 ニハの言葉を遮り、一際イチの声が大きくなる。

『お守りを持っているのに、さんこの周りには幽霊が集まって来てるんだよ!』
『――っ』

 思わず息をのんだニハに、イチは追求の手を休めない。

『お前だって気づいてないわけないだろ? この気配。確かに低級霊は全く寄り付かないさ。でも中級霊、上級霊になればなるほど、どんどんさんこに近づいていっているのを感じる。今は俺たちに恐れをなして近寄って来ないのかもしれない。でも一か月後はどうだ? 一年後は? 俺たち、ずっとその間さんこを守れるのか?』
『…………』
『こんな姿のままじゃ、霊力だって思うように使えないし、結界にも侵入できない。さんこが危険な目に遭っても、仁科以外助けを求めることなんてできないじゃないか』
『……じゃあ、どうすればいいってのよ』

 堪らなく絞り出した声に、イチは一層声を落とした。

『それが分からないから悩んでるんだよ』

 静寂が訪れる。遠くから三子と理恵子の和やかな会話が聞こえたが、二人の幽霊に、元のお気楽な調子が戻ることはなかった。

『俺、しばらく帰ってこないかも』
『どこに行くの!?』
『いろいろ探ってみる』

 短く答えて、そのままイチは襖を通り抜けていってしまった。
 追いかけることは簡単だが、その後は。
 そう思うと、寂しそうなイチの後ろ姿を、ニハは呼び止められずにいた。


*****


 イチが姿を消してから四日。さすがの三子も、心配せずにはいられなかった。今までも時折いなくなったことはあれど、四日もの期間を空けていなくなったことはなかったはずだ。イチの身に何かあったのではないかと、三子は気が気でない。

「ニハは何か知らないの?」

 三子は何度そうニハに問うたかも分からない。だが、彼女は決まって言葉少なに首を振るだけで、たいした情報は得ることができなかった。

「イチ、どこに行ったんだろう……」

 四日目の朝、もしかしたらという期待と共に、三子は起床した。だが周りにはニハしかいなかった。しょんぼりと落ち込んだ様子の彼女と目が合う。

『あたし、そろそろ心配かも』
「昨夜も帰ってこなかったの?」
『ええ、一度も。この辺りも見回ってみたけど、どこにもいなかった。さんこからはあんまり離れられないのに』

 学校へ行く準備をしながら、三子は必死に考える。イチがいそうな場所は一体どこだろうと。だが、考えても考えても、そんな場所は思い浮かばない。そもそも、二人はあまり自分のことについて話してくれなかった。話すのが嫌なのかと、三子も遠慮して深く気候とはいなかったのだが、それが今になってこんな形で裏目に出るとは。

『仁科のとこに行こう』

 意見が手詰まりになったとき、ニハが思い詰めた表情でそう言った。

「イチが仁科君の所にいるかもって?」
『そうじゃないけど……でも、一応』

 何か思うところがあるようで、ニハは真剣な表情だ。三子頷く。

「うん、私もそうした方がいいと思う。仁科君の家、たん、さく……幽霊の探索が得意だって言ってた。イチのことも何か分かるかも」
『まずは学校ね』

 ニハの一言で、三子は一層準備を急いだ。


*****


「仁科君!」

 当初の計画では、学校にて修平に話を聞こうと思っていた三子とニハだが、時間が近づくにつれ、いても立ってもいられず、結局登校前に修平の家に突撃することとなった。まだ朝も早いので、迷惑がかかるのではと思わずにはいられなかったが、今は緊急事態なので、なんとか大目に見てもらえるだろうとの期待もある。

「仁科君!」

 玄関の前に設置されているベルを鳴らしながら、三子ははた迷惑も考えずに声を張り上げる。学校へ行くつもりなら、もうとっくに起きているはずの時間帯だ。とはいえ、彼はいつも朝はチャイムギリギリにやってくるので、起きているかは定かではないが。

「はあい」

 間延びした声で出てきたのは、修平の父秀一だった。寝起きなのか、あちこち髪がはねている。

「おはようございます。あの、朝早くに済みません。仁科君はいますか?」
「ああ……三子ちゃんとニハちゃんか。修平だね。ちょっと待ってて。まだ寝てると思うし……」

 ふわあ、と大きく欠伸をした後、彼はのんびりとまた家の中へ入っていった。三子は拍子抜けである。やっぱり仁科君はまだ寝ていたのか、と。
 五分ほど経って、ようやく修平が現れた。秀一同様、寝癖はついたままである。三子のことを異性として意識していないのか、それとももともとそういったことには頓着しない性格なのか……。とにかく、修平は羞恥心など感じている様子はみじんもなかった。パジャマなのか、藍色の甚平を身にまとっていた。いくら夏が終わったばかりとは言え、さすがにこの時期に半袖は肌寒いのではないか、と三子は思わないでもなかったが、時間が惜しくて結局黙っていた。

「ごめんね、こんな時間に。ちょっと聞きたいことがあったの。一緒に学校に行ってもいい?」
「それはいいが……。遅刻してもいいのか? 時間的にギリギリだが」
「うん、別にいいよ」
「……分かった。まあできるだけ早く急ごう」

 修平は、その言葉通り、十分後に玄関に現れた。あまりの速さに、朝食は食べたかと三子が聞けば、食べてないとの返答が来た。三子は申し訳なく思ったが、それを見越した修平は、朝ご飯はいつも食べないんだと素っ気なく返答した。

「それより、一体何か聞きたいって?」
「あ、うん。そのことなんだけど」

 長い階段を降り終わったところで、ようやく二人は本題に入った。

「イチがどこにもいないの。イチのこと探せない?」
「話が見えないぞ」

 あまりに簡潔な三子の話に、修平は困惑を示した。もどかしい思いだが、それでも三子は丁寧に話す。

「最近……四日くらい、イチが全然姿を見せないの。私心配で……。ニハも、イチはこの辺りにいないって言ってるの。どうにかして、イチの居場所を探せないかな? 仁科君、探索が得意なんでしょ?」
「俺は……近くにいる霊の探知や、人に残った霊の気配は分かるが、さすがにいなくなった霊を探すのは……無理だ」

 きっぱりと首を振られ、三子はもう何も言うことができなくなった。代わりに、ニハが二人の元へ降りてくる。

『……何か、最近変わったこととかない? この数日のうちで。霊が活発化してるとか、騒がしいとか。その逆でもいいけど』
「……そういえば」

 ふっと修平は顔を上げた。

「最近、伊礼山が騒がしい。幽霊が活発化してるようで、そのうちの何体かが下山してくることもある」
『そう……』

 ニハは、何か物憂げに黙り込んだ。珍しく直感が働いたのか、三子はニハをのぞき見る。

「ねえ、ニハ。やっぱり何か知ってるの? イチのこと、どうしたらいい?」
『…………』

 ニハの沈黙は長かった。

『……こうなったら、もういつまでも隠しておく訳にもいかないから言うけど。最近、さんこの周りを霊がうろついてるのよ』
「それは俺も思っていた」

 修平も深刻そうな顔になる。

「志藤さんのお守り、携帯してないのか?」
「してるよ。肌身離さず持ってるけど……」
『それでも、さんこに近づいてきてんのよ、上級霊が。なんでお守りの効果がないのかは分からないけどね』
「で、でも、それとイチとどう関係が……」
『さんこ』

 ニハは三子の目の前まで降りてきた。だが、視線は合わない。

『もう……イチは手遅れかもしれない』
「な、何言って……」

 知らず知らず、三子の声は震えた。確かに、嫌な予感はしていた。でも、それがどうして手遅れなんてことになるのか。

『……放課後、伊礼山に行ってみましょう』

 それだけ言うと、ニハは空高く飛んで行ってしまった。三子は、鳴り終わることのない胸騒ぎに、拳を握りしめた。