35:気休めしか言えない
三子と修平は、座り込んだまましばらく動かなかった。助け起こす気力がなかったので、倒れこんだままの健介もそのままの状態だ。暗闇に慣れた目が、健介の足を捉え、三子は息を吐き出した。
「なんだか変な感じだね。こういう時に限ってニハたちはいないし」
「いたからって役に立たないだろ。幽霊だぞ」
「そう、だけど……。でも、いたら心強いっていうか」
いてくれるだけで、安心する。
三子未思わず微笑を浮かべた。
彼らは、いつしかそういう存在になっていた。突然現れたくせにやたら偉ぶるし、彼らの言動は粗野だし適当だしで、正直なところ、迷惑を被ることも多い。でも、いないといないで、寂しい。二人はいつも三子の傍にいたが、いざ離れてみてようやく彼女は気付いた。寂しいんだ――。
「ニハ達、私が視聴覚室にいることは知っているはずだから、いずれここに来てくれるとは思うんだけど」
「…………」
「仁科君?」
返事がない。
いや、彼が素っ気ないのはいつものことなのだが、様子が変だ。三子は膝をついたまま修平に近づいた。
「大丈夫?」
近づくと分かったが、彼は荒い呼吸をしていた。熱のこもったような息で、三子は眉を顰めた。
「ねえ、具合悪いの?」
三子は彼にそっと手を近づけた。
「熱でもあるんじゃ――」
「――っ、触るな!」
パッと手を振り払われ、三子は驚いて腕を引っ込めた。一瞬手が触れたが、修平の手は特別熱いと言う訳ではなかった。どちらかというと、ひどく冷たいような気がした。
「除霊……しないと」
「除霊? 駄目だよ、そんな状態で」
修平は立ち上がりかけたが、三子が裾を掴むと、彼は簡単に崩れ落ちた。
「だ、大丈夫?」
「…………」
無言のまま、修平は再び三子の身体を押しやる。
「ねえ、そんなに除霊って必要なの? 私たち、ずっとここにいるけど、何もされてないよ?」
「やられてからでは遅いだろ」
「それはそうだけど……」
三子の声はだんだん小さくなっていく。幽霊に関して言えば、三子は完全に専門外だ。プロとも言える彼にそう言われてしまえば、もう何も言うことができない。代わりに、三子は違うことを聞いてみることにした。
「ねえ、ここに幽霊って何人いるの?」
「何だ、急に」
「いいから答えて」
「……七体」
「い、意外といるんだね……」
聞いておきながら、三子は少し後悔した。しかしすぐに首を振って気を取り直す。
「その幽霊たちって、何か悪さしようとしてるの?」
「いや……動きは少ない。じっとこっちを見てるだけだ」
「そう」
三子は笑みを浮かべた。
「ならさ、無理して除霊しなくてもいいんじゃないの? 私たちには害がないんでしょ?」
「だから」
「やられてからじゃ遅いって? そんなこと言い出したらキリがないし。ここは一つ、せめて体調がよくなってから、ということで」
「…………」
「私、幽霊とか見えないから、気休めしか言えないけど」
次第に修平の身体から力が無くなって行った。諦めた……というよりは、三子の適当な物言いに呆れたのかもしれない。
が、それでも修平の気は休まらないようだった。どこか宙を見つめながら、鋭く息を詰めている。除霊はしないものの、相変わらずな様子に、三子も苦笑いだ。
「ねえ、ここにはどんな幽霊がいるの?」
三子は構わず話しかける。彼の注意を引こうと思った。
「暗くてよく分からない」
「あ、そっか……」
しかしそれも失敗だ。再び沈黙が落ちる暗闇に、三子は焦った。早く何か話題を見つけなければ、彼の気をそらせない。
「――仁科君って、小さい頃から祓い屋の修行をしてるの?」
そうして三子の口から飛び出したのは、長らく疑問に思っていたことだった。三子自身、ニハ達が見えることもあって、気にならないわけではなかった。
「……ああ。物心ついたときには、もう爺ちゃんに修行をつけてもらっていた」
「へえ。修行ってどんなことするの?」
興味というだけで家業に踏み込むのは躊躇われるが、しかし本当に気になるのだから仕方がない。守秘義務はないらしく、修平の方も特に躊躇う様子もなく口を開いた。
「普通に除霊の修行だよ。最初は小さな動物霊から、徐々に人間の除霊まで」
「除霊って、コツとかいるの? こう……念を入れて、はっ! みたいな」
言いながら、三子は右手を前に突き出した。彼女の中の、勝手な除霊イメージなのだが、暗闇に目が慣れた修平にもバッチリそれが見えていたらしい。呆れたような口調で返答された。
「なんだよそれ……。除霊自体は結構簡単なものだ。霊体に札を貼り付けるだけ。でも、霊の方も簡単に除霊はさせてくれないから、体力を消耗させなければならない。だから除霊よりもそっちの方が面倒だな」
思いも寄らない情報に、三子は思わす聞き入って頷いた。
「でも、本当のところ、霊自体を見つけることの方が難しいな。霊感がある者は、大体見えるし、感じるものだけど、霊の中には、気配を隠すのがうまいものもいる。霊力の小さいものは、それだけ察知しにくいっていうのもあるし」
「そうなの?」
三子は意外そうに聞き返した。
「でも、林間学校の時とか、仁科君、すぐに霊に気づいてたよね? 初めて会ったときも、ニハ達のこと気づいてたし」
「それは、俺の家系が探索術に長けてるからだ。小さい頃から、それに特化した修行もしたしな。暗闇の中でも霊を感知できるように、納屋に数時間こもったり……」
「納屋に数時間? それって怖くなかったの?」
「え? あ……そうだな」
流ちょうに話していたにもかかわらず、突然歯切れが悪くなった。続く不自然な沈黙に、三子はなんとなく彼の心境を悟った。
思い返してみれば、その兆候は何度か見られた。林間学校の夜や、肝試しの時にも。今だって彼はこんなにも額に汗を浮かべている。
「ねえ、なんか暑くない?」
徐に三子は立ち上がった。あまりに唐突な彼女の言葉に、修平は呆気にとられた。
「そうか? 夜だから、昼よりは全然涼しい――」
「暑いって! 仁科君だって汗かいてるじゃん!」
「いや、これは――」
修平の反論を危機もせず、三子は分厚い遮光カーテンを開け、大きく窓を開けた。肌寒いと感じるほどの風と共に、独特な夜の香りが部屋に入り込んできた。三日月だが、確かな明かりも部屋に降り注いだ。
「綺麗だね……月」
「…………」
「仁科君?」
返事が返ってこないので、三子は訝しげに振り返った。だが、三子を通り越して、月だけを真っ直ぐ見つめる彼に、すぐに安堵した。彼もまた、この綺麗な月に魅了されていただけのようだ。
三子は再び前を向いた。つい先ほど、肌寒いと感じたばかりの夜風も、今はなんだか心地よく感じられた。
「今思ったんだけど」
修平がポツリと呟いた。窓枠に頬杖をついたまま、三子は返事をする。
「なに?」
「そこから叫んだら、宿直の先生に聞こえるんじゃないか?」
「……あ」
幻想的だった世界が、一瞬で崩れ去った。寂しさを通り越して、いっそ恥ずかしくもある。こんな簡単なことを、今まで思いつかなかっただなんて。
「叫ぶ……か。変に思われないかな」
「この状況なら仕方がないだろ」
「……私がやるの?」
「俺がやろうか?」
「あっ、いい、いいから! 思わず言っちゃっただけだし!」
後ろから立ち上がる気配を感じ、三子は慌てて両手を振った。
まさか、具合の悪い人に叫んでくれと頼むわけにもいかない。
三子は、意を決すると、パッと窓から身を乗り出した。そして大きく息を吸い込み――。
「だっ……誰か――」
「三子ちゃん!!」
唐突に扉が開いた。人目も憚らず叫んでいた三子は、あうっと喉の奥で小さく悲鳴を漏らした後、恥ずかしそうに後ろを振り返った。しかし、扉を背にしていた修平はもっと驚いたようで、仰天したように後ろを振り返っていた。
「良かった……」
「美樹ちゃん!」
ホッとしたように胸をなで下ろし、入り口に立っていたのは美樹だった。彼女の後ろには、黒井の姿もある。
「どうしてここが分かったの?」
「教室に三人の鞄がまだあったから、まだ学校のどこかにいるのかもって思ったのよ。最後に健介が視聴覚室にビデオを持って行ってくれたことは覚えてたから、それでもしかしたらそこで何かあったのかなって思って」
「本当に良かったあ……」
一時はどうなることかと思ったが、なんとか無事家に帰れそうで三子は脱力した。そんな彼女を見て、美樹も口元を緩めた。が、すぐに三子の後ろで倒れ込んでいる人物に気がついた。
「け、健介!?」
慌てて美樹は、伸びている健介に駆け寄った。
「一体どうしたの、健介! 大丈夫!?」
「あー、ちょっといろいろあって……」
「外傷はないみたいだな。気を失ってるだけか?」
「ちょっと頭を打ったみたいで……。たぶん大丈夫だとは思うんですけど」
三子も不安げに健介を覗き込んだ。顔色は悪くないが、長い間気を失ったままというのは気にかかる。
「また幽霊か?」
「はい。馬場君、護符を落としちゃったみたいで、その間に幽霊が……」
「そうか。とりあえず、病院に連れて行ってみるか。何かあっても大変だ。お前達の方は怪我はないな?」
「はい。私は大丈夫です。あっ、でも仁科君がちょっと――」
「俺も大丈夫です」
三子達が振り返ると、修平はゆっくり立ち上がっているところだった。先ほどよりは随分顔色も明るい。
「本当に大丈夫?」
「ああ」
「どこか怪我でもしたのか?」
黒井も修平に近寄った。だが彼は強く首を振った。
「いえ、本当に大丈夫です。ちょっと疲れが溜まってただけなので」
「そうか、ならいいんだが」
再び健介の元に戻ると、黒井は彼を背負った。がくんと上下に身体が動き、その衝撃で健介はとろんとした眼を開けた。
「……あれ、黒井先生?」
「気がついたか?」
「えっ、俺、どうして背負われて……って、柳井も矢代もいるのか。もう夜? ここ視聴覚室!?」
分からないことだらけで、健介は素っ頓狂な顔で辺りをキョロキョロ見渡した。幽霊に憑かれていた間の記憶はないようで、彼からしてみれば、いつの間に夜になったのかという心境なのだろう。
「んっとに馬鹿。心配させて!」
「え、なにがだよ……。何かあったのか?」
美樹に強く背中を叩かれても、健介は目を白黒させるばかりだ。
「馬場が無事なら良かったよ。具合が悪くなったら必ず病院に行くんだぞ」
「は、はい」
背中に背負われたまま、健介は恥ずかしそうに頷いた。周りに同級生がいる中で、教師に背負われるというのはなかなかに気まずいことなのだ。
教室に着くと、ようやく健介は背中から下ろされた。それぞれ鞄を手に、校門へと向かう。
「もう随分遅いんだから、気をつけて帰れよ。……ああ、やっぱり女子は俺が送るか」
「いえ、そこまで先生に迷惑をかけるわけには……。あたしは健介に送ってもらいますから。三子ちゃんも、家が近いんだから、仁科に送ってもらえば?」
「え、でも――」
「あー、先生まだ学校の見回りもあるし、そうしてもらえると助かるんだがなあ」
人情に厚いが、同時に素直でもある黒井は、チラチラと流し目を男子二人に送った。今回のことで、もうすでに彼に迷惑をかけていることを重々承知している男子二名は、早々に降参した。
「分かりました。送っていきます。先生、今日はありがとうございました」
「お、俺もよく分かりませんけど……ありがとうございました」
「そうかそうか。そう言ってくれて助かったよ。じゃ、四人とも気をつけてな」
黒井は片手をヒラヒラ振ってそのまま校舎の中へ入っていった。四人だけの帰り道を、しばし無言で歩く。
「この前は悪かったな」
沈黙に耐えかね、健介が前を歩きながら呟いた。
誰に言っているのかは分かっていたため、二人きりにした方がいいかと三子は歩みを遅めようとしたが、それよりも早く美樹が口を開いた。
「霊感ないくせに、幽霊怖がるなんて馬鹿みたい」
「べっ、別に怖がってなんか……」
「もういいわよ。あたしも、ちょっと一人で怒りすぎたかなって思ったし」
「…………」
美樹と健介、それぞれ互いの顔はそっぽを向いているが、二人の間を流れる空気はそう悪いものではない。
「一件落着?」
三子は悪戯っぽく美樹を見上げた。目が合った美樹は、途端に気まずそうな顔になった。
「まあ……二人には心配かけたけど」
「ううん、うまくいったなら良かったよ。明日は由香里ちゃんにも報告しないとだね」
「はあ……。気が重い」
「そんなこと言わずにー」
三子は大きく笑い声を立てた。あからさまに肩を落としている割には、少しだけ嬉しそうだと。
『さんこ……』
「ニハ?」
見るからに落ち込んだ様子で近寄ってくるニハとイチに、三子は三人よりもゆっくり歩き始めた。二人に囲まれながら、二人を見上げる。
「二人にも心配かけたね。色々走り回ってもらっちゃったし」
『……無事で良かったよ』
「イチまでどうしたの? 私なら大丈夫だよ」
浮かない顔で三子の周りをグルグル回るニハとイチ。三子は困惑しながら彼らを交互に見つめた。
『結界で、あたし達は中に入れなかったのよ。……すごく、もどかしかった。もしさんこに何かあったらと思うと……』
『俺たち、なんにもできなかったな』
「私な大丈夫だよ。二人が底まで気に病むことでもないし……」
不安そうにしょげかえる二人を見てしまっても、三子はただそう言うしかなかった。