34:どうするもこうするも


 三子たちが視聴覚室に辿り着いた時、そこはシンとしていた。踊り狂っていた、というには、少々不気味なほど静かだ。
 ここへきて、三子は若干の怯えを感じたが、すぐに首を振り、その思いを追いやる。ゆっくりとドアノブに手をかけ、一気に開いた。部屋は暗く、咄嗟には健介の姿を確認することができなかったが、素早く部屋に身を滑り込ませ、扉を閉めた。憑依されているらしい彼を、部屋の外に逃がすのは厄介だと思った。
 手探りで電気を探すと、心を決め、パッと灯りをつけた。一気に周囲が明るくなったので、三子は目を瞬かせる。そしてすぐに健介の姿を捉えた。

『あらら……これはひどい』

 三子たちの眼前に広がるのは、健介ただ一人の独擅場だった。彼は中央に立ち、無表情で、手足を無尽蔵に動かしていた。機械仕掛けの人形のように、カクカクとした動きだ。彼が霊に憑依されている、との事実は分かっているが、やはりどこか気味悪い光景。

「あの……えっと、どうしよう」
『だから言ったじゃない。さんこがここへきても、出来ることなんかないわ』
「だって怪我したら危ないと思って……」

 三子とニハが話している間にも、健介の身体は踊りながら教室の隅へと向かう。あっと思った時には、彼は下に置いてあったビデオに躓き、思いっきり地面に倒れこんだ。

「だっ、大丈夫!?」
「…………」

 不気味を通り越して、何とも奇妙な光景だった。健介は倒れたままの形で手足を動かしている。自力で起き上ることのできない亀の様だった。
 彼の下には、まだビデオがある。このままでは背中が痛いだろうと、三子は健介の背中に手を入れ、起き上らせてやった。健介は相変わらず無表情だが、どこか嬉しそうにも見えるのは三子の思い込みだろうか。

「おい、矢代!」

 穏やかな表情で健介の動きを見ていると、後ろから声がかかった。振り返ったその先に、修平がいるのを見て、三子はパッと表情を明るくした。

「早くこっちに来い」
「え? でも馬場君が」
「いいから一旦こっちに!」

 強く腕を引かれ、三子は態勢を崩しながらも部屋の外に出た。健介を中に残したまま、扉は閉まった。

「でもどうして仁科君がここに?」
「霊の気配がしたんだ。やっぱりこんなことになって……馬場の奴」

 見渡したが、イチはいないようだった。彼が見つけるよりも早く、ここへ来てくれたのか。

「たぶん護符を落としたかどうかしたんじゃないかな? 馬場君、今日すごく動いてたから」
「ああ、そうだな。確かに護符の気配がない。校内のどこかにはあるみたいだが……」
『仁科、この状況どうするつもり?』

 ニハが三子の前に立った。修平は再び視聴覚室へと目を向けた。

「尋常じゃないくらいの速度で霊が集まって来てる。視聴覚室全体に結界を張る。しばらくは外にも被害は出ないはずだ。そのうちに早く護符を!」
「分かった!」

 しっかり頷くと、三子は走り出した。とにかく思い当たる箇所を一つ一つしらみつぶしにあたっていく覚悟だった。
 健介は今日、色んなところに行ったはずだ。数学のノートを持って職員室へ行っただろうし、会議室にも荷物を届けに行っていた。トイレにももちろん行っただろうし……そうだ、今日は体育もあった!
 探さなければならない所が多すぎて、三子は頭が混乱しそうだったが、まずは職員室へ行くことにした。一階へ降り、東へ向かう。

『おい……修平の奴、いくら探してもどこにもいないぜ……』
「イチ、丁度いい所に!」

 その途中で、イチに出会った。首に手を当て、大変不服そうだった。息を切らしながら、三子は一旦立ち止まった。

「イチは男子トイレをお願い! 馬場君の護符を探して!」
『はあ?』
「ニハと私も手分けして探すから。とにかく護符を見つけたら視聴覚室に!」
『分かったわ』
『って、おい……俺には一体何が何だか……そもそも修平は――』
『いいから護符を探すのよ!』

 ニハもぴしゃりと言い、彼女は西へ向かった。また雑用かよ……と呟くイチだけがそこに残った。
 職員室、運動場、会議室。
 いろいろな場所を探してみたが、見つからない。
 一周回って、再度職員室へ向かい、落し物が届いてないか聞いてみたが、首を振られた。
 もしかして、ニハやイチが既に見つけたのかも……と足は自然、二階へ向かう。だが、その途中でピンときた。一番に探さなければならない所がまだだった。
 自分たちの教室へ駆けこむと、三子は一目散に健介の机に向かった。辺りに人の気配はないが、若干の後ろめたさを感じながらも、彼の机を漁る。と、その際足が何かを踏んだ。何の気なしにそちらを向いてみれば、まさに意中のものが!
「あった……!」

 三子は思わず護符を胸に抱きしめた。が、すぐにハッとして立ち上がる。今はそれよりも早く届けないといけない場所があった!
 教室を出、二階まで一気に駆け上った。途中、ニハやイチがいないものかと辺りに目をやったが、どちらにも合わなかった。廊下の窓から見える景色は、もう薄暗い。もうすぐ下校の時間だ。それまでに、終わるかどうか。

「仁科君! 護符あった!」

 音を立てて視聴覚室の扉を開けると、修平がパッと振り返った。三子には見えないが、彼の周りにはたくさんの幽霊がいるのだろう。健介の方も、白目を剥いたままあらぬ方向を見ていた。

「よし、こっちに寄越せ! あとドアは閉めろ!」
「はっ、はい!」

 修平の鋭い声に背筋を伸ばすと、三子はすぐに扉を閉めた。そして身を屈めて修平の元へと向かうと、その手にしっかりと護符を手渡す。
 何やら文言を唱え、修平はバチンッと甲高い音を立てて健介の額に護符を張った。その間、健介に目立った抵抗はなかった。踊り狂っていた時よりは、大人しい霊に憑依されているようだ。これで終わりか、と三子がホッとしながら見守れば、健介の身体は、ゆっくりゆっくりと傾いて行った。
 一番気が抜けた瞬間、と言っても過言ではないだろう。一番の杞憂、幽霊ホイホイが封じられ、そして健介自身も憑依から抜け出したのだから。しかしだからこそ、彼の後ろには注意が向かなかった。彼の後ろには――いや、地面には、ビデオがあった。彼が今回、視聴覚室へ来ることになった理由そのものである。年季が入っているが、中古だとしても買おうとすればなかなかの値段になるだろう、それが。
 ガンッと鈍い音が部屋に響いた。三子が健介を見守っている間、修平は除霊を熱心に行っていたのだが、彼の視線もふいとこちらを向く。そして固まる。三子たちの視線の先には、健介の大きなたんこぶと、へこんだビデオがあった。

「…………」

 一旦除霊を止め、修平がビデオの元へと進んだ。そっと手に取り、上から下まで確認してみる。が、そのへこみが元に戻ることはもちろんない。

「ど……どど、どうする? これ……」

 どもりながら三子は修平を見る。教師にあまり怒られた記憶のない彼女としては、大問題である。修平は静かに首を振った。

「どうしようもないだろう。ありのままを説明するしか――」
「誰だ!」

 鋭い声が飛んできた。三子たちはびくりと肩を揺らし、思わず互いに視線を合わせた。

「下の部屋に響いて来たぞ。まだ教室に残っている生徒は誰だ!」

 黒井の声だった。ドスドスとこちらへ近寄ってくる音がした。

「ど……どうする?」

 何だか、つい先ほども同じようなことを繰り返したばかりだ。三子は不意にそう思ったが、突然の出来事に頭が回らないのだから仕方がない。

「どうするもこうするも……」

 修平はごくりとつばを飲み込んだ。

「隠すしかないだろ、これ。弁償させられるかもしれないし」

 さっきと言っていることが真逆だ。
 三子は言葉を無くした。だが、廊下の黒井の足音は、どんどん近づいてくる。

「もう下校の放送は鳴り終わっただろう! いつまでも遊んでくんじゃない」

 手当たり次第に教室の扉が開かれていく。その間隔は非常に短い。戸締りをしにきたのか、鍵をかけているような音もする。
 視聴覚室の扉が開かれた時も、黒井は少し辺りを見渡しただけで、すぐに扉は閉まった。机の影に隠れていただけの三子たちは、灯りを点けられたらそれで一発で見つかること確実だったため、ホッと胸を撫で下ろした。ついで鍵をかける音もしたが、むしろそれで誰も入って来なくなるため、逆に安心だった。

「いつもタイミング悪いな、黒井先生」
「黒井先生なら、話せば事情分かってくれると思うけど……」
「こっちの方の事情も分かってくれると思うか?」

 そう言って修平が差し出したのは、壊れたばかりのビデオ。三子は押し黙った。

「とにかく、先生が行ったらここを出よう」
「馬場君はとどうするの?」
「あー……忘れてた」

 本当にうんざりというような表情をしながら、修平は健介の頬を軽くたたき始めた。

「おい、さっさと起きろよ。もう帰るぞ」

 が、健介は全く反応を示さない。修平は頭を抱えた。

「仕方ないよ。二人で抱えて行こう」
「途中で先生に見つかるのがオチだと思うけどな……」
「まあまあ、その時はその時だよ。とにかくもう黒井先生は行っちゃったみたいだし、一旦外に出ようよ」

 三子は笑いながら扉に手をかけた。視聴覚室の扉は、ドアノブ式で、ドアノブに鍵がついている。三子は何の気なしに鍵を開けようとしたのだが――すぐに固まった。本来あるべきはずの所に、それがない。ドアノブは確かにある。が、施錠開錠するための取っ掛かりが、ない。

「……あれ?」

 奇妙な事態に、しばし三子の思考が止まる。意味もなく、取っ掛かりのない宙を掴んでは、離した。

「おい、何やってるんだよ。さっさと出るぞ」

 ひょいと覗き込み、修平もドアノブに手を伸ばす。――それでも開かない。

「……鍵は? どこいったんだ?」

 まさに、どこいったという表現がしっくりくるだろう。施錠開錠するための取っ掛かりだけがないのだから。

「わ、かんない。気づいたらなくて……」
「――え、これじゃあ開かないだろ?」
「……開かないね」

 見ればわかるが、三子たちは下らない問答をした。認識していても、理解ができないのだから仕方がない。

「……もしかして、幽霊とやり合ってる最中に壊れた、のか」

 ぶつぶつ修平が言い始めた。

「そういえば、俺がこの部屋に結界を張って間もなく、幽霊がドアをバンバン動かしていたな。あれは出たがってたのか……失敗した」

 茫然としたように、修平はドアを背にしたままズルズルと下に崩れ落ちた。三子はそれでも諦めきることができず、壁伝いに蛍光灯のスイッチを探す。

「ねえ、電気は? 電気を点ければ、先生たちにも気づいてもらえると思うけど」

 言いながら、三子の手はスイッチに辿り着いた。嬉々としてつけてみるが、灯りが点くことはなかった。

「視界を封じるためか、俺が結界を張ったらすぐに壊してきたよ」
「……そっか」

 もはや打つ手なしだ。三子もその場に座り込んだ。