33:踊り狂ってた
休みが明けて、また学校が始まった。肝試しの後、三子たちはなかなかに気まずい空気の中解散したのだが、帰る方向が同じ由香里と美樹、健介は大丈夫だっただろうか、と三子は心配していた。夜道が心配、ではなく、更に関係が悪化してしまうのではないか、という方面にである。
教室に入る時、三子はさり気なくさっと教室を見渡し、各々の位置を確認した。由香里と美樹は、後ろの窓側で歓談に耽っており、修平は自席で本を読んでいて、健介はまだ来ていないようだった。三子は少し吐息を漏らした。ほんの少しだけ、確認が先延ばしになったようだ。
「おはよう、三子ちゃん」
「おはよう」
三子が教室に入ると、いち早く二人の友人が声をかけてくれた。三子と共に、彼女たちも移動し、三子の席で夏休みの出来事について話すこととなる。
そうしている間に、ようやく健介が登校してきた。席に荷物を置いて間もなく、彼はまっすぐに三子達の元へやってきた。
「柳井……」
「なに?」
「あ、いや……」
パクパクと口を開け示したのち、何かを決意したように健介は顔を上げた。
「こ、この前は悪かった……」
「別に、もう怒ってないし」
素早い返答。だが、台詞と顔が合っていなかった。さすがの健介もそれには気が付いたのか、より一層彼の顔は悲壮なものになる。
「あ、の……」
「もうすぐ授業始まるから」
ツンとそれだけ言うと、美樹はさっさと自分の席に着いた。悲壮感を漂わせる健介だけが残った。三子たちも、そんな彼と共にいるのは気まずいので、そっと席に着く。
『ご機嫌ななめみたいねえ、美樹ちゃん』
『よっぽど最悪なことしたんだろうなあ、健介の奴』
ニハたちも、すっかり他人事のように話していた。三子だってため息くらいつきたくなる。一応林間学校や祭りを一緒に楽しんだ友達が喧嘩などと。
だが、そもそもの対人関係のスキルのない三子にはどうすることもできなかった。ただ彼らの背中を後ろから見つめ、はあと重いため息をつくしかないのである。
休み時間になると、日直らしい美樹は、教壇に立って黒板を消し始めた。三子はボーっとそれを眺めたままだった。彼女の視界の隅に、何者かが徐に立ち上がるのが目に入った。
「俺に貸せ」
「……は?」
「いいから」
健介は、無理矢理美樹の手から黒板消しをひったくると、無言で黒板を消していく。美樹は呆気にとられていたようだったが、しばらくすると正気に戻った。
「あたしの仕事だからいいよ」
「俺がやる」
「だからいいって。あたしの方が背高いし、上の方消しにくいでしょ?」
「……別に、そんなことはない」
聞いているのか聞いていないのか、よく分からない返答だ。美樹も手持無沙汰になってしまったため、静かに壇上から降り立った。その際、何やら健介に呟いたようだったが、三子には届かなかった。
そして次の休み時間の際も、健介は一番に動いた。美樹が黒板へ向かうよりも早く自身が壇上に上がり、そして美樹が文句を言う前に綺麗に消していった。そして今度は数学のノートを集めようと美樹が声を張り上げれば、率先して周囲のノートを集め、美樹の手元のノートさえも奪い去り、職員室へ向かった。その際、彼は無言である。三子たちも呆気にとられた。
「まさに、汚名返上しようとしてるみたいだね」
「……こんなことしなくたっていいのに」
「でも嬉しいでしょう?」
「……別に」
唇を尖らせたまま、美樹はプイッとそっぽを向いてしまったので、三子と由香里は顔を見合わせて笑った。
「この前何かあったの?」
蒸し返すのも何だ、と思ったが、それ以上に気になったので三子は聞いてみた。健介があそこまで必死になるとは、一体何をやらかしたのか、と。
「……肝試しの時ね、健介があたしを置いてったんだ」
そう言う美樹の顔はひどく嫌そうだ。由香里が躊躇いがちに言い出した。
「二人を驚かしたの、わたしなんだ。三子ちゃんたちを驚かす前に、美樹ちゃんたちを驚かそうと思って。茂みをガサガサしたり、変な声だしたりしてみたんだけどね、それで馬場君がひどく驚いたみたいで」
「美樹ちゃんを置いてった……と?」
「ご名答」
三子たちの会話の合間にも、美樹に反応は見られない。よほど怒っているようだ。
「でも……それは仕方ないんじゃないかな。恐怖は我慢できるものじゃないし……」
せめてものフォローを三子は入れてみた。が、美樹に顔色の変化はない。
「あたし、途中で転んだし」
「え」
「でも戻ってきてくれなかったし」
「き、気づかなかったんじゃない……?」
「呼んだよ、思いっきり。でも戻って来てくれなかった」
「…………」
……いくら三子でも庇い切ることができなかった。
代わりに一つ思い浮かぶ。
どうしてあの幽霊嫌いの健介が、やたらと怖がることになったのか、と。
「馬場君って……怖がりなの?」
三子は自身の中の疑問を、そのままに口にした。美樹たちは虚を突かれたようだったが、やがて苦笑いを浮かべて頷いた。
「みたいね」
「あれだけ幽霊なんていないって仁科君に喧嘩売ってたくせに、とんだ変わり様だよね」
「本当に……。特別掃除の時も、こっちの方が近道だからって、嬉々として気味悪い旧校舎の中に入って行ったのに」
「たぶん、今までのそういうの全部、ただの強がりだと思う」
あたしが思うにね? と美樹は続けた。
「幽霊なんかいないって思いこみたかったんじゃないかな。それを証明するために――証明したくて、わざと危険な行動に出てみたりとか」
「じゃあ今めちゃくちゃ怖がってるのは、反動だったりするのかな? 以前威張り散らしてた時の」
毒を含む由香里の言葉に、美樹はふふっと笑った。
「そうかもね。見ることはできないけど、護符なしの自分はただの幽霊ホイホイだって気づいちゃったら、普通の人は正気じゃいられないのかも」
「そう考えると……少しだけ、馬場君に同情しちゃうけど……」
言いながら、三子はそっと美樹の顔色を窺った。彼女もハッとしたようだったが、ぷいと横を向いた。
「それとこれとは話が別。こけた女の子を放っておいて、自分だけ先に逃げたんだよ? 信じられない」
再び美樹がへそを曲げてしまった。三子と由香里は、また顔を見合わせて苦笑した。
その後も、健介の孤軍奮闘は続いた。黒板消しはもっての外、教師に頼まれたことさえもいつの間にか健介が奪い去っており、ついには、二人の喧嘩には何の関係もない三子の仕事すら、彼は無言でやってくれた。美樹と仲直りをしたいがために、もはや見境がなくなっているようだった。
「……あんなに頑張ってるんだし、そろそろ許してあげたら?」
「うん。すごく頑張ってるよね。私の荷物も持ってくれたし」
三子たちも、恐る恐るそう進言するくらいには、健介が気の毒に感じていた。健介が奮闘すること、時はもう放課後。そろそろ潮時だ。彼も傍目から見ると随分疲弊しているようにも見える。
「…………」
だが、なおも美樹は難しい顔で黙り込んでいた。彼女の視線は、健介へ向いている。三子たちも自然、そちらへ目を向けた。と、健介の方も視線を感じたのか、こちらを振り返った。
「……柳井」
真面目な顔で、彼は近づいてきた。三子と由香里は顔を合わせ、そして二人きりにしようと移動しようとした時。
「あ、美樹ちゃん。悪いけどこれ、視聴覚室に持って行ってくれる?」
教壇から笑顔で小西が声をかけた。
「あ……あ、私代わりに行ってきます!」
「わたしも! 今日部活ないし……」
へらへらと三子たちは教壇へ向かったが、彼女たちの前に、またもや健介が立ちはだかった。
「いや、俺が行こう」
「…………」
もういい。もういいから美樹ちゃんと話してきなよ。
三子たちはそう言いたくてしようがなかった。むしろ、早く仲直りをしてくれないと気まずくてしようがない。のだが、健介はそんな彼女たちの意図を全く理解してくれない。
「ありがとうねー。これ、結構重いから女の子にはきついかもと思ってたのよ。二階の視聴覚室よ。よろしくね」
「はい」
健介が渡されたのは、最後の授業にて使われたビデオだ。どうして今日に限って日直に頼まれることが多いんだ、と三子は遠い目になった。
「部活、行って来いよ。早く行かないと怒られるだろ?」
「……うん」
優しいのか優しくないのか。……いや、そもそも優しかったらこけた女の子を置いてけぼりにしないか。でも怖いものはしようがないし。
「あたし、部活入ってくるね。また明日」
「また明日……」
元気なく美樹は手を振り、教室を後にした。何となく消化不良の気持ちだけが残留する。どうせなら、仲直りしてから部活に行けばいいのに、と思うのは何も三子だけではないだろう。
『じれったい子たちねえ。さっさと仲直りすればいいのに』
『あーいうの見てるとちょっかいかけたくなるよな』
ニハやイチも、三子の後ろで何やら不穏なことを口にしている。したりがおで同意したいところだったが、すんでのところで三子は堪えた。
「じゃあわたしももう帰るね。今日はおつかい頼まれてるんだー」
「あ、うん。また明日」
「明日―」
ヒラヒラと手を振りかえし、三子も帰り支度を始めた。今日は部活が無いので、放課後意味もなく残ることもない。美樹の部活が休みであれば、三人で話したり寄り道をしたりとできたのだろうが、たとえそうなったとしても、美樹と健介が仲直りをするまでは、それもお預けになりそうだ。
『あー、ようやく家に帰れるなー。なあ、ちょっと本屋によって立ち読みしていいかね?』
『あっ、いいわねえそれ。丁度新刊が出てる頃じゃないかしら』
「行かないからね。そんな気分じゃないもの」
三子は無碍に言い放った。イチが舌打ちをしたようだが、気にも留めない。
そもそも、立ち読みをするのは三子自身だ。イチたちではない。ならば、立ち読みをして店主からの無言の圧力を感じるのは誰か。これも三子である。どうしてページを捲るためだけに駆り出され、そして店主に睨まれにいかなければならないのか。三子にそんな嗜好はない。
後ろでグダグダ愚痴を連ねる声を聞きながら、三子は校舎を出た。しかしその際、イチたちの声ではない物音を聞きつけた。ハッとして振り返ると、きょとんとした顔のイチが。彼らが出した物音ではないのは分かる。ではどこから……。
「今、何か音しなかった?」
『おならか?』
「茶化さないの」
念のため聞いてみるとこれだ。イチに聞いた私が馬鹿だった、と三子はニハを見た。
「二階から何か音がしたような気がするんだけど、ニハは聞こえなかった?」
『あたしは特に何も……。でも二階って、そういえば馬場も二階にいるんだったわよね? 確か視聴覚室に』
「……視聴覚室は、確かこの丁度真上だよ」
三人は黙って上を見上げた。
『イチ、ちょっとあんた見て来なさいよ』
『はあっ!? 何で俺が――』
『ほら、早く行きなさい』
顎で指図され、イチは大変渋りながらも二階へ飛んで行った。大した距離ではないため、イチがぶつぶつ言う声が聞こえた。
『ったく……コキ使いやがって……』
イチが窓から入って行くのが見えた。三子は固唾を飲んでその様を見守る。
しばらくして、イチがにゅっと顔を出した。あまり変化のない顔で、三子たちの元へと降りてくる。
「どうだった?」
『……なんか、ヤバそう』
「――え?」
言っている割には、イチの顔はそれほど鬼気迫っていないので、三子もイマイチ分からない。
「何がヤバいの?」
『健介が部屋の真ん中で踊り狂ってた』
「お……どり……? 何のために?」
『俺が知るかよ。部屋暗くして、髪振り乱してた』
「…………」
踊り狂ってたと。部屋を暗くして、髪を振り乱して。
『絶対それ憑依されてるでしょ……。あの子、護符どうしたのかしら』
「落としたのかもしれない……。こんな短期間でお婆ちゃんの護符の効力が無くなるってこと、ないよね?」
『あり得ないことではない。でも、その可能性は低い。無くしたと考えるのが妥当かしら』
『ったく、間抜けなやつだなー。よりにもよって自分の身を守る護符を落とすかよ』
おちゃらけていうイチを、三子はバッと睨んだ。今はそれをどうこう言っている暇はない。早急に何とかしなければ、健介の命が危ないかもしれない。
「まず仁科君を呼んでこないと……」
『でもあいつ、掃除終わるとすぐに教室出ていくじゃん。今頃家じゃねえのー』
『まだそう遠く離れてないでしょ。イチ、早く行って来なさい!』
『何で俺が――』
「いいから仁科君呼んできて!」
『さんこまでなんだよ……。何で俺に雑用押しつけんだよ……!』
またもやイチはぶつぶつ言うが、三子たちは構いやしない。渋りながらも飛んで行くイチを横目で確認すると、三子は校舎に向き直った。
「まずは状況確認しないと。ニハ、行くよ!」
『って、危ないからさんこはここで待ってなさいよ。こういうことは十八番の仁科に任せなさい』
「でも……誰かが馬場君を見てないと、大変なことになるかも……」
『ならないわよ、そう易々と。そもそも踊り狂ってたんでしょ? それほど害のない霊かも。だから――』
「そんな悠長なこと言ってられない!」
三子は思わず叫び走り出していた。旧校舎の時のようなことはあってはならない。
通り過ぎる生徒という生徒が、三子のことを奇妙な者を見る様な目で見ていたが、三子は構いやしなかった。あれほど他者の目があるところでニハたちと会話しないよう気を付けていたのに、すっかりそのことを忘れていた。