32:遊園地に行きませんか
「ゆ、遊連地に行きませんか……」
部屋には入らず、視線を明後日の方向に向けながら、三子の祖母――智恵は、そう口にした。
「明日はお天気もいいそうですし、丁度いいかと思いまして。三子さん、明日は予定は大丈夫ですか?」
「あ、う、うん。大丈夫。家でのんびりするつもりだったから……」
夏休みも終わりが近づいてきた頃だった。といっても、容赦なく照りつける夏の日差しはまだまだ健在で、三子も外へ出るよりは、家でのんびりしている方が楽だと判断した今日この頃。
いつも家でゴロゴロしている三子を見かねてか、智恵がそんな提案をしたのだ。
「遊園地は大丈夫ですか?」
「うん、もちろん。遊園地、私好きだし……」
小学校の修学旅行の時が、最初で最後の遊園地だった。行けるのであれば、行きたい。だが、どうして急に、という疑問ばかりが三子の頭の中を占めた。
「二人っきりですけど、構いませんか? 理恵子も誘ったんですが、せっかくだから二人で行ってこいと」
「私はもちろん大丈夫……」
非常にぎこちない会話である。すぐ側で見ていたニハもイチも、口元をひん曲げた。
『実のお婆ちゃんだっていうのに、どうしてこうも距離が開いてんのよ』
『見ててまどろっこしいぜ』
「…………」
そうは言われても、三子としては、どのように距離を縮めれば良いのか分からない。もともと三子は話し上手ではないし、祖母もおそらくそうだ。
ニハやイチのように、あっけらかんと楽しく話しかけることができれば別だが、残念ながら、三子はそのようなコミュ力は持っていなかった。
翌日、三子と智恵は朝早く家を出た。
三子ももう中学生。遊園地が楽しみすぎて寝られない、なんて歳でもなかったため、寝不足にはならなかった。しかし。
「お婆ちゃん、寝不足? 神社の仕事大変なの?」
「い、いえ、大丈夫です。ちょっと寝付きが悪かっただけですから」
「具合悪いなら言ってね」
少し智恵の顔色が悪いような気がして、三子はそう言った。なんとなく智恵の気持ちが分かるニハとイチは、顔を見合わせて大きく肩をすくませた。
三子達は、電車に乗って遊園地に向かうことになった。西尾市の端にある比較的大きな遊園地である。だが、三子としては、ニハ達のことが気が気でなかった。守護霊である彼らは、三子達から遠く離れることができないにもかかわらず、電車ほど速くは飛べない。事前に、電車の速度についてこられるかと問うたのだが、頑張ってみると呑気に返されるのみで、二人ともそれほど重要視していなかった。
いざ電車に乗っても、三子はずっと気がかりだった。ヒーヒー言いながら飛んでいるのではないか、途中でダウンしてしまって、もしかしたら成仏してしまってるかも知れないなどと、彼女の不安はつきない。
だからこそ、いざ遊園地に到着して、ニハとイチの元気な姿を目撃してようやく一息つくことができた。若干顔がやつれてはいるが、なんとか無事なようだ、と。
彼らの無事を確認すると、三子はいよいよ遊園地に頭を切り替えた。せっかく祖母と来たのだ、楽しまなくては損だ。
三子の普段着が洋装なのは当たり前だが、智恵も今日は珍しく洋装だった。いつもはきっちり和装を着込んでいるのだが、今日の目的地が遊園地ということもあって、気を利かせたのだろう。
「なにに乗りましょうか」
智恵は入り口のところでもらったパンフレットを広げた。あまり小さい字は見えないようで、目をこらすようにして眺めていたため、三子が代わりに見ることにした。
「お婆ちゃん、絶叫系は平気なの?」
「絶叫……? その、恥ずかしながら、あまり激しいのは……。でも、三子さんが乗るのなら、ベンチで待っていますよ」
「うーん……」
三子は考え込むようにうなり声を上げた。
乗り物の待機列は時間がかかるだろうし、その間待たせるのも申し訳ない。三子はパンフレットの一部を指さした。
「私もそんなに絶叫系は得意じゃないから、違うものにしよう。これなんかどうかな?」
三子が指し示したのは、夏休みの期間だけ解放されているアトラクションだ。流れる水の上を空気で膨らませたボートが進み、時折緩やかな崖があるという。多少濡れてしまうらしいが、このうだるような暑さでは、それもまた一興だ。
「確かに涼しそうですね」
「うん。そんなに激しくないみたいだし、どう?」
「ええ、私はこれでいいですよ」
「じゃあ決まりだね」
三子は地図を見ながら、おどおどする智恵を先導した。いつもとは全く違う立場に、三子はなかなかに誇らしい気持ちだった。
さすが、夏休みも終盤を迎えている時期のせいか、遊園地の中はどこも人が多かった。ようやくたどり着いた水のアトラクションも、ゆうに一時間以上は待たされることになりそうだ。
「三子さん、暑くはないですか? 体調は?」
「うん、元気だよ。お婆ちゃんこそ、大丈夫?」
「はい。なんともないです」
『なんなの、この二人。さっきからこんな会話ばっかりじゃない』
『もっとふつーの会話をしろよなー』
「…………」
隣でグダグダ言う守護霊二人の口の悪さも相変わらずで、三子は彼らの文句を聞きたくないばっかりに、無理矢理たくさん祖母に話しかけた。しかし、案外思っていた以上に話は弾んだ。三子が考えているよりも、祖母はずっと柔軟に会話をしてくれたのだ。三子が学校の話をしても、相づちを打つだけでなく、質問も返してくれる。次第に自分たちの列が短くなっていることに気づかないくらいには、三子は会話に熱中していた。
「これは……なんでしょう。レインコート?」
智恵は列のすぐ隣にある自販機のようなものを指さした。三子もそれをまじまじ見ながら頷いた。
「水のアトラクションだから、濡れたくない人用のじゃない?」
「買いましょう」
ズバリと言い切って、智恵は鞄から財布を取り出した。あまりの行動の速さに、三子はしばし呆気にとられたが、やがて笑みを浮かべた。
「そうだね。風邪引くと大変だし」
「夏休みに風邪を引くなんて悲しいですからね」
そういって、智恵は自販機から出てきたレインコートを三子に差し出した。透明なレインコートを見て、三子は固まった。
「わ、私はいいよ! お婆ちゃんが着なよ!」
「いいえ、三子さんが着てください」
「…………」
智恵はおもむろにレインコートを取り出すと、そのまま三子に着せにかかった。有無を言わせないその行動に、三子はされるがままだった。正直なところ、中学生にもなって衆目の場でレインコートを着せられるというのは、恥ずかしくて仕方がなかったが、それでも我慢我慢と自身に言い聞かせて三子は大人しくしていた。
「ありがとう……」
「いいえ。これで安心ですね」
周りをそっと窺うと、レインコートを身につけている者は、ほとんどいなかった。……それはそうだろう。水のアトラクションで涼もうという者が、どうしてわざわざレインコートをまとうのか。
ちょっと恥ずかしい思いもあったが、しかし三子はそれでも嬉しかった。ちょっと水がかかる程度だろうに、自分を案じてレインコートを買ってくれた祖母が。
*****
水のアトラクションに乗った後は、少々濡れてしまった服を乾かすため、小さなジェットコースターにも乗った。その後は、建物の中で行われる劇を見たり、外でパレードを見たりした。お昼をゆっくりとる時間がもったいないので、露店で売られていたチュロスやポテト、ホットドッグなどの買い食いもした。はしたないのではないかと智恵は苦渋の表情を浮かべていたが、やがてパレードが始まると思いのほかはしゃぎながら食べ物にぱくついていた。
パレードが終わった後は、遊園地内をぶらぶらしていた。いちいちパンフレットを見るのも面倒で、目の前にあるアトラクションに乗ろうとの三子の発案である。
だが、そうして歩き始めて早々、二人の足はとあるおどろおどろしい雰囲気の建物で止まった。その名もお化け屋敷である。
「行きましょうか、お化け屋敷」
「えっ」
智恵の声に、反射的に三子は嫌そうな声を上げた。お化けと名のつくものに、良い思い出なんて皆無だからだ。
「怖いんですか?」
「こ、怖いって言うか、なんていうか……」
「私はお化けが見えない体質なので、全然怖くはありません。三子さんもそうですから、安心してください」
「そ、そういう問題でもないような……」
確かに幽霊は目に見えない。だが、だからといって、脅かしてくる存在が怖くないわけではない。
それでも、急に元気になった祖母に逆らえず、三子は渋々彼女の後についていった。そのわずか数メートルほど後ろでは、ニハとイチがほくそ笑んでいるとも知らず――。
*****
「あれは卑怯です!」
結局の所、恐怖のあまり声がかれるまで叫び続けた智恵は、お化け屋敷を出た後も、文句を言い続けていた。
「物理的に脅かすなんて、そんなの考えてもいませんでした! もっとじわじわ脅かすのかと思いきや、突然出てきたらびっくりするじゃありませんか!」
「お化け屋敷って、そういうものだからね……」
祖母ほどではないものの、三子はやつれた顔で返事をした。
祖母が仕掛けに驚いて叫ぶ傍ら、三子も二人のやんちゃな守護霊に驚かされていたのだ。少々の霊力を使って、ものを飛ばせたり、地獄の底から響くような声を響かせたり。正直なところ、お化け屋敷の仕掛けではなく、彼ら二人に寿命を縮められたといっても過言ではない。
「……お婆ちゃん」
三子と智恵、どちらもお化け屋敷で盛大に生気を使い果たしたせいか、もう疲労困憊であった。三子は疲れたように笑うと、観覧車を指さした。
「最後にあれ乗ろうか。お母さんにお土産も買っていきたいし」
「そうですね。名残惜しいですけど、こんな時間ですから」
まだ辺りは明るいが、それは時期のせいもある。いずれはやがて夕闇に包まれてしまう。
三子達はゴンドラに乗り込むと、向かい合わせに座った。だんだんと高くなっていく視界に、自然に心奪われる。
「――お婆ちゃん」
「はい?」
「今日はありがとう」
なんとなく気恥ずかしくて、三子は祖母の顔を見られずにいた。
「遊園地……楽しかった。連れてきてくれてありがとう」
「い、いえ……」
正直、遊園地にはあまり良い思い出がなかったのだ。小学校の頃の修学旅行で行ったきりだったのだが、三子はそのとき友達はほとんどいなかった。自分を以外で楽しそうに盛り上がるグループで回る遊園地ほど、楽しくないものはなかった。
『良かったわね』
三子の隣で座りながら、ニハも微笑んだ。
『見ててこっちも楽しかったわ』
『俺も。久しぶりに遊園地を楽しめたような気がする』
二イッと歯を見せて笑う様は、見ていて心地よかった。
返事はできなかったが、三子も同じくにんまり笑った。