30:もう死んでる
肝試し以降、すっかり修平は元気がなくなってしまった。夏休みに入ってからは、彼と会うことも少なくなったが、皆無というわけではない。由香里や美樹と遊びに行く際、時折ラフな格好でランニングをしている姿を見かけるのだ。だが、三子が頑張ってるねと声をかけても、素っ気ない返事をのみで、そのまますぐに行ってしまう。よっぽどあの肝試しの時の出来事が応えてしまったことは、目に見えて分かった。
「どうするの」
『……さあて』
腕を組む三子の前で、正座するニハとイチ。元はといえば、この二人が幽霊を使って脅かしたせいで、仁科君があんな風になってしまったのだと、三子はお冠だった。
「可哀想に。きっとショックだったんだよ。謝った方がいいんじゃない?」
『いや、俺が思うに、もうあいつはあのことには触れられたくないはずだ。それが男ってもんだ』
「じゃあずっとこのままなの? なんだか喧嘩してるみたいで私は嫌だよ」
『いいじゃない、別に。友達って訳でもないじゃん』
至って気楽に言い渡された言葉に、三子は一瞬絶句した。
「とっ……。そりゃ、仁科君がどう思ってるかは分からないけど、少なくとも、私は仁科君のこと、友達だと思ってるよ。だからこんな風によそよそしいのは嫌だ」
『…………』
幽霊二人は黙って顔を見合わせた。三子は知らないことだが、この幽霊たち、実は三子に弱い。大げさにため息をついた後、立ち上がったのはニハだった。
『……もうっ! 分かったわよ! あたしがなんとかしてあげる!』
「なんとかって、どうするの?」
『あいつ、浄霊のやり方教えてほしがってたでしょ? それを餌に元気になってもらうのよ』
「それ、いいかも!」
三子がパッと喜色をあらわにすると、ニハもまんざらではなさそうな表情になった。
『でしょう? 今からあいつに約束取り付けてくるかー。さんこもおいで』
「え、どうして私も?」
『あたし達、さんこと繋がってるから』
短い返答に、三子はますます目を丸くした。ニハとイチとをキョロキョロ交互に見ながら首を傾げる。
「よく分からないんだけど……」
『あたし達はさんこから遠く離れられないのよ。縁っていうもので繋がってるの。これがなかなか厄介なものでね、三子から離れると、何だか調子が悪くなるし。下手したら、自分が自分でなくなってしまいそうな気さえもする』
「そっ……!」
三子は一瞬言葉を無くした。しかしすぐに捲し立てるように続ける。
「そんなの駄目じゃん! でも……え、じゃあ私、車とか乗らない方がいいのかな? 前に私が救急車で運ばれた時、追いつけなかったとか言ってたし」
『あー、あの時もそういえばきつかったなあ。俺、すげー気持ち悪かったし』
イチも頬を掻きながらそんなことを言う。基本的に、彼らには危機感が足りないと三子は憤慨した。
「そういうことはもって早く言ってよ……! そんなの、もし私が急に走り出したりしたら、ニハ達大変なことになっちゃうかもしれないじゃん!」
『あはは、さんこくらいのスピードに負けるあたし達じゃないわよ』
『たかがかけっこ三位のさんこが何言ってんだ』
「茶化さないで!」
珍しく三子は本気で怒っていた。確かに日南市に来てからは徒歩ばかりだったが、一歩間違えれば、二人が消えてしまっていたかもしれないのだ。自分の身の危険に関することならば、たとえ自分が頼りなかったとしても話して欲しいというのが三子の本心だった。
語気を荒げる三子に、ニハとイチもまた、珍しくへこんだ様子を見せた。
『ごめん。これからはちゃんと言うわよ』
『俺たちも別にわざと隠してたわけじゃないんだ。ただ……言うタイミングが無かったって言うか』
「ううん……。私も、怒鳴ってごめん……」
誰が悪いわけではないのに、三人揃って落ち込む。
三子はそっと二人を盗み見ながら、小さく息を吐き出した。
もしかしたら、友達のようなこの二人が、目の前から消えていなくなってしまうこともあるかもしれない。そんなこと考えたくもないのに、二人の透けている身体を見ると、どうしても考えずにはいられなかった。
*****
三子たちが修平に浄霊の話を持ち出したところ、彼は思った以上に食いついてきた。ぜひ明日にでもと約束を取り付けられ、三子達は早朝、こうして仁科家の神社に参上したのである。
「これからよろしく頼む」
ついこの間までの素っ気なさぶりはどこへやら、彼はやたらとニコニコしながら三人を出迎えた。
「俺が特訓を受けている間、矢代は暇だろ? 俺の部屋でゆっくりしててくれ」
「え……っと、私、二人の修行の様子を見学しようと思ってたんだけど。駄目かな?」
「駄目だ。人がいると落ち着かないから」
あくまで三子は下手に申し出たが、修平にきっぱりと却下された。
『一丁前な口を利くのねえ。それくらい許可したっていいのに』
「何かあっても大変だろ」
『……ま、それもそうだけど』
恥ずかしいから、という理由で却下されたのだと思った三子は、すぐにそのことを申し訳なく思った。まさか、自分の身を案じてくれていたとは。
三子の家と同じように、修平の家は平屋だった。人の気配はあまりないが、広々として、時折涼しい風が頬を撫でていた。
「仁科君って、家ではいつも袴なの? 初めて会ったときもそうだったよね?」
祖母である智恵はいつも着物だが、三子はもちろんのこと、母の理恵子ももっぱら洋服だ。にもかかわらず、同い年の修平が、いつも和服を着ていることが珍しかった。
「まあそうだな。爺ちゃんがうるさいし」
『え……ってか、ちょっと待って。そういえばあんた達、初登校の時が初対面じゃなかったのよね? なんやかんやで聞くの忘れてたけど、一体いつ出会ってたのよ』
ニハが驚いたような顔で割って入った。何を今更、と三子は彼女を見返す。
「あれ……言ってなかったっけ。初めて会ったのは、ここの神社で――」
『聞いてないわよ!』
急にニハが勢いを取り戻して声を荒げた。
『昨日はあんなこと言ってたくせに、さんこも私達に内緒にしてたことがあったのね?』
「でっ、でも……!」
『言うタイミングがなかったとでも言いたいのか? まさにさっきの俺たちとおんなじ立場だなあ?』
ニハだけではなく、イチにまで詰め寄られ、三子はしゅんと顔を下げた。
「ごっ、ごめんなさい……」
『それでよろしい』
少々落ち込みながらも、しかし三子は、何かがおかしいと思わずにはいられなかった。
昨日のことと今日のこと、全く別の話ではないだろうか? 命に関わることと、初対面がいつだったかということ。いくらなんでも、その二つには歴然とした差があるような気が……。
そこまで考えた三子だが、今更また蒸し返すのも面倒で、黙っていた。どうせ、この二人には口では勝てないのだから……。
わかりやすい三人の力関係に、側で見ていた修平は呆れた声を出した。
「なんだか立場が逆転してないか? いくら守護霊……のようなお前たちでも、何でもかんでも矢代が話さないといけないわけでは――」
『話さないといけないのよ! 何かあったら大変でしょう!』
『そうそう、俺たちは守護霊。さんこはぜーんぶ俺たちに話す義務があるんだもんな!』
「むちゃくちゃにもほどがあるだろ……」
まさに修平が三子の気持ちを代弁していた。だが、三子の方も、この二人の守護霊の束縛は嫌ではなかった。むしろ、心地よいと感じるくらいには。
だが、そんなことを口にしてしまえば、修平に引かれるだろうことは容易に想像ができたので、黙っていることにした。
修平の部屋は、平屋の奥まった所に位置していた。スッと襖を開けると、年齢の割には落ち着いた部屋が姿を現した。
「部屋にある漫画は勝手に読んでいいから」
「うん」
見ると、確かに机の傍らにいくつかの漫画が積まれていた。そこは年相応なようだと、三子は何故だかホッとした。
『さんこ、行こうぜ』
「――あ、うん……」
イチはスーッと部屋の中に入っていった。三子も戸惑いながら後に続く。
「じゃあ」
『ビシバシいくからねー!』
そんな声を最後に、襖が閉じられる。一つの足音が去って行くのを聞きながら、三子はイチと向き直った。
「イチがこっちに来るなんて、ちょっと意外。こっそり仁科君の修業を見学するのかと思ってたから」
『俺は別に浄霊に興味はないしなー。どちらかというと――』
言葉を濁したまま、イチはスーッと修平の部屋へ入って行った。三子も後を追う。
『エロ本の方が興味ある!』
突然目の前にイチの嬉しそうな顔が出現したので、三子は小さく叫び声をあげてしまった。そんな彼女を構うことなく、イチはびゅんびゅん辺りを飛び回る。
『おいさんこ、一緒に修平のエロ本探そうぜー。中学生ならエロ本の一つや二つ持ってるはずだ。ベッドの下とか探そうぜ!』
「な、何言って……え、えろ……」
『さんこも興味あるだろ? あいつ、クールな顔してどんなエロ本呼んでるのか』
「興味ない!」
三子は真っ赤になって怒鳴ると、座椅子に腰を下ろした。思考が全く読めないイチは放っておいて、畳に積まれた漫画を手に取った。しかしイチはそれが面白くないらしく、三子が静かに漫画を呼んでいる最中にも、顔を近づけてぶつぶつと何かを言ってくる。
『つーかあいつベッドじゃなくて布団かよ……。布団派の隠し場所は一体どこだ? 押し入れか?』
「…………」
『なーなー、俺にはさんこの力が必要なんだよ。この身体だと、確かに物を通り抜けることができるけど、その分何にも触ることができないからさー。だから頼むよ。ちょーっと押入れを開けて、ちょーっと物を漁るだけでいいからさ、な?』
「そんな空き巣みたいなことはできません。そもそも、えっ、エロ本があったからといって、イチのためにページを捲ることは絶対にしないから!」
『いやあ、表紙をみるだけでいいからさ。それだけであいつの趣向が分かるし』
何だか話の雲行きが怪しいことだけは分かった。三子はもう完全にイチを無視することにした。その後も、イチは耳元でうるさいことこの上なかったが、それでも三子が相手をすることがなかったため、やがて諦めて部屋の隅で大人しくなっていった。
しかし、これで漫画に集中できる……と、三子がホッと胸を撫で下ろした矢先、それは起こった。
少し、騒がしかった。イチが独りでに騒いでいるのではない。物がぶつかっているような音だ。イチは物に触れることができないのに、どうやって物同士がぶつかるのか。
思考がそこまで到達する前に、三子は顔を上げていた。そして途端に目を丸くする。漫画が、宙を浮いていた。
「なっ、なに!? なにこれ!」
『驚いたか?』
慌てて三子がイチの方を振り向くと、器用に宙で胡坐をかいたイチが自慢げに頷いていた。
『霊力使ってみましたー。これを使えば、物に触ることなく浮かしたり飛ばしたりできるからな』
実際に目の前で見せられ、口頭で説明されてもなお、三子は信じられない思いで宙を漂う本やティッシュケース、ペンやバッグを見つめていた。よくよく思い起こしてみれば、旧校舎にて突然窓ガラスが割れるなど、三子はすでに霊障は経験済みである。のだが、あの時のことは非日常の出来事で、日常的なこの時間、目の前で物が浮くと言うのは、単純な驚き以上に、畏怖すら感じるのもまた事実だった。
『すげー、幽霊ってこんなこともできるんだなー』
実際にこの現象を起こしている本人の台詞とは思えない。
そのあまりにのんびりとした口調に、三子はようやくハッと我に返った。
「ちょ、ちょっと、後片付けが大変だから止めてよ……。これ見たら仁科君怒るよ」
『なーに、あいつが帰ってくるまでにさんこが片付けてくれたら万事解決だろ?』
「人任せにしないの!」
三子は呆れ返って怒るが、イチはそんな彼女の小言も何のその、器用に浮かべた物たちでお手玉をしている。全くもって呑気なものである。
「でも、そんな便利なことができるなら、見たい漫画だって自由にページめくれるでしょ? どうしていつもいつも私頼みなの」
三子は頬を膨らませて言った。しかしそれもそのはず。もともと三子とは趣味嗜好もてんで違うニハ、イチの二人が、耳元であれ読みたいこれ読みたい、終いにはもっと早くページめくれだの、あれ買ってきてだの、彼らに出会ってから、三子が静かに漫画を読めた日はなかった。
『いや、だってニハが変なことに使うなってうるさくてさー』
「……まあ、変なことと言ったら変なことだけど」
『人間が霊力使うのはそう大したことではないらしいんだ。人間は、霊力の他にも生命力……みたいなのもあるだろ? 霊力を使っても、ちょっと疲れる程度で済む。でも幽霊は違うらしくてさ』
「……どういうこと?」
不安になって三子は先を促した。またしても、自分が知らない事情があると言うのか。
『幽霊は、霊力使おうとすると、ひどく疲れるっぽいんだ。……ああ、いや、疲れるなんて程度じゃないな。自分という存在を削ってるっていうか、俺という意識が薄くなっていくような感覚だ。幽霊は死んでるんだから、もちろん人間と違って生命力なんてものはない。その代わりが、たぶん霊にとっての霊力なんだろうなー』
「じゃあ……じゃあ、幽霊が霊力を使うって言うのは、人間からすると、自分の生命力を削ってる様なもの、なの……?」
『まあ端的に言うとそうなんじゃね? 俺流の解釈だから、会ってるかどうかわからねえけど』
「…………」
『でもさー、ただ何にもせずに宙を漂ってるっての、なかなか暇なんだぜ? たまにはスリル味わいながらストレス発散しないと――』
「――止めてよ!」
三子は思わず怒鳴っていた。その衝撃で、宙に浮いていた物がバタバタと地面に落ちる。
「そんな……ストレス発散とか、そんな下らないことで、自分の身を削らないでよ……。イチの身に何かあったらどうするの? 何かあったらって思ったからニハも禁止してるんでしょ? どうしてその忠告も聞かないの……? 自分がどうなってもいいの?」
スリル。ストレス発散。
イチたちが――幽霊であるイチたちに、どんな苦労があるのか、三子には想像もつかない。だが、それでも、目の前で自分の身を軽んじているような発言だけは聞き逃せなかった。それが、三子の大切な人ならなおさら。
幽霊が大切な人だなんて、おかしい。でも、それ以外に、彼らをどう言い表したらいいのだろう。
彼らは、いつも私を見守っていてくれた。私が苛められていたのを知っていた。私が変わりたいと思っていたのを分かったくれた。
私を守ろうとしてくれた。私を叱ってくれた。私と一緒に笑ってくれた。
どうしてだろう。出会って、数か月も経っていないのに。
どうして、心の奥底から、離れたくないと何かが訴えかけてくるのだろう。自分の中で何かが眠っている気がしてならなかった。しかしそれを解明する前に、イチが口を開く。
『さんこは……何か、勘違いしてるな』
「勘違いって……何が」
イチは、まるで労わるような優しい表情を浮かべた。しかし、三子にとっては、どこか自嘲しているようにも見えた。
『俺はもう死んでるんだ。自分の身に何かあったらって……もう何かあったから、こんな身なんだろ?』
三子に言い聞かせるようにして紡がれた言葉は、表情に反して、残酷なものだった。
『俺は……俺は、もういいんだ、成仏しても。むしろ、苦しくなるんだ、お前たちを見てると。もちろん、さんこを見守りたいって気はある。俺、こう見えても守護霊だしな』
「…………」
『でも……それ以上に、辛い。俺はもうそっち側に行けないのに、どうしてこの世に留まらないといけないのか』
彼の声は震えていた。いつの間にか目は逸らされていて、彼は下を向いていた。
『未練なんかないはずなのに、どうして成仏できないんだろうな……』
寂しそうに呟かれた言葉に、三子は恥ずかしくなって顔を逸らした。
いつの間にか、イチやニハが傍にいることが当たり前になっていた。その二人に、ずっと傍にいてほしいと願うのは、自分のエゴなのだろうか。
……エゴなのだろう。なぜなら三子は、今まで彼らの気持ちを考えたこともなかったから。
ずっと傍にいてくれたら、ずっと笑っていてくれたら。
ずっと、三子は自分のことしか考えていなかった。
『お前を苦しませるつもりはなかったんだ。ごめんな……こんなこと、言いたくなかったのに。本当にごめん』
三子が黙り込んでしまったので、イチは更に表情を曇らせた。三子は首を振る。
「謝らないで……。そんなの、イチが謝ることじゃない」
自分が考えなしだっただけだ。だから、いま苦しい。
本当に苦しいのはイチであるはずなのに、またしても自分のことしか考えられない。
三子は、自分のことが嫌になってきた。